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15、幽霊は戦闘ができるのか




「あーッ! あと少しだったのに」


 吸血鬼は天を仰ぎ、心臓の辺りから血を噴出させながら握り締めた拳を地面に叩きつける。吸血鬼に勝った冒険者たちは勝利のみならず宝物庫の宝箱の中身までゴッソリ持ってダンジョンを出ていった。

 吸血鬼が悔しがるのも分かる。確かに良い勝負だった。どちらが勝ってもおかしくなかったと思う。では敗因はなんだったのか。

 俺は彼を慰めるように言った。


「仕方ないよ、向こうは2人がかりだったし」

「ぐっ……」


 吸血鬼は悔しそうに唇を噛む。


 冒険者がダンジョンへ単身で乗り込んでくることはあまりない。だいたい3、4人でパーティを組んでいることが多く、吸血鬼も毎回複数の冒険者を相手に戦っている。

 しかし今回の冒険者は特別だった。相手は小柄な2人の少女で、しかも同じ顔をした双子だったのだ。だからだろうか。2人の息はピッタリで、その曲芸師のような人間離れした動きと連携による予想外の攻撃に吸血鬼は終始翻弄されていた。

 しかし単体での能力はそこまで高くない。とりあえず1人仕留める事ができればあとの1人は簡単に倒せる……吸血鬼はそう考えたのだろう。双子のうちの1人が一瞬見せた隙を付き、一気にケリをつけようと懐に潜り込んだ。そこで双子のもう1人に背後から心臓を突かれて血の海に沈んだ、と言うのがここに至るまでの経緯である。


「くそっ、力では勝てていたんだ。あんな小賢しい罠に引っかからなければ……」

「まぁまぁ、そんなカッカしてるといつまでも血が止まらないよ。それにしてもブッスリいかれたねー、的確に心臓を破壊してる」

「人の傷をじろじろと見るなッ」


 吸血鬼はそう言って俺の透けた体に何度も拳を振り上げる。八つ当たりも良いとこだ。

 しかし吸血鬼の腕はレイスである俺の体をすり抜けてしまい、ダメージを与えることはできない。攻撃しているというよりは子供が地面にひっくり返って駄々をこねているようだ。


「暴れると血が出ちゃうよ。まだこれから冒険者来るかもしれないし、早く治さないと」

「うるさいうるさい! 君は戦わないからそんな事を……」


 そこまで言ったところで吸血鬼はふいに口を閉じ、そしてパッと顔を輝かせた。なんだか嫌な予感がする。


「そうだ、君が戦えるようになれば良いじゃないか!」

「はぁ? なにを言うかと思えば」


 俺は自分の透けた両腕を広げて見せる。それから吸血鬼の穴の開いた胸に2、3発パンチをお見舞いしてやった。当然だが俺の腕は吸血鬼にダメージを与えることなく彼の身体をすり抜け、何ならその下にある地面をも通り抜けた。


「こんな体でどうやって攻撃しろっての?」


 しかし吸血鬼は俺の主張など意に介さないように首を振ってみせる。


「別に拳で攻撃しろと言っているわけではない。レイスにはレイスの戦い方があるだろう。人間たちは幽霊を恐ろしいものとして認識しているわけだし」

「むむっ……確かに」

「だろう?」


 吸血鬼は胸から血を噴きながら得意げな笑みを浮かべ、さらに続ける。


「そもそも他のダンジョンのレイスは冒険者に攻撃するし魔法攻撃ならダメージも負うらしいぞ。こんなに無害で無敵なレイスは君くらいなものだ」

「そういう話は聞いたことがあるけど……そう言われてもなぁ」

「致命傷を与えられなくても良い。真剣勝負では一瞬の隙が命取りとなるんだ。ポルターガイストがするように小石を浮かせてぶつけるだけでも相手の集中を乱すことができる」

「なるほど……」

「物理的な障害を無視して縦横無尽にダンジョンを動き回れる君の能力は素晴らしい。攻撃を全く受け付けないという意味では防御力も抜群。あとは攻撃だけだ。それさえ身につけられれば我がダンジョンの戦闘力は大幅アップ間違いなし。やってくれるな?」

「う、うーん……」


 正直あまり自信はない。

 俺だってこの体になったばかりの頃はなにか特別な力が備わったんじゃないかと期待し、色々試してみたのだ。しかし実際は特別な能力などなく、変わったことといえば物理的干渉を受けなくなったこと、体がシースルーになったこと、それから血や臓物や死体を見るのが平気になったことくらいである。

 そんな俺に今更戦闘など……そう言って首を振りたいのは山々だが、仲間が地面にひっくり返って心臓から血を流しながら頼んでいるのだ。無下に断ることもできず、俺は渋々ながら頷いた。


「分かったよ……やるだけやってみる」




************



「ナニやってんの」


 ゾンビちゃんが無遠慮に俺の顔を覗き込む。

 俺は姿勢を崩さず、視線もそのままにゾンビちゃんの質問に答えた。


「修行だよ」

「ナンの?」

「ポルターガイスト」

「ふうん」


 分かったんだか分かってないんだか、ゾンビちゃんは俺の横に座り込んでいつまでも動かない紙切れを見つめる。

 最初はこぶし大の石だった。手をかざし、念力で浮かせようと試みたのだが動く気配は全く無し。石は重すぎたのだと思い、木片でやってみたのだがやっぱりダメ。とうとうスケルトンに頼んで一番薄い紙を貰い、こうしてハンドパワーを発揮しようと頑張っているのだが、なかなか成果は現れない。


「はぁ……一体どうすれば」

「こうすれば良いジャン。ふう」


 ゾンビちゃんは紙に息を吹きかけ、ふわりと宙に飛ばす。

 俺はそれを見てため息を吐いた。俺のため息により、軽い紙はさらに高く舞い上がる。


「それじゃダメなんだよ」

「ナンデ?」

「なんでって……紙をふーふーやってもなかなか相手に当たらないでしょ。それにやっぱり石くらいの重さはないと冒険者の集中力を乱せないじゃないか」

「ナンデ? ふーふーしてるの見てるだけで集中力乱れるよ」

「いや、そうは言っても……いや、ちょっと待てよ」


 確かにゾンビちゃんの言う通りかもしれない。

 集中力を乱すだけなら何も相手に石をぶつけなくても他に方法があるのではないだろうか。試してみる価値はあるかも。


「……ありがとうゾンビちゃん、ちょっとやってみるよ」

「ソウ? ガンバレ」


 ゾンビちゃんのエールを胸に、戦場に立つ決意を固めるのであった。




*********




「ブハハハハ! 吸血鬼め、ぶっ殺してやる!」


 やって来たのはサーベルを持った筋肉隆々の冒険者だ。よほど自分の体に自信があるのか、それとも馬鹿なのか。防御力ほぼゼロの黒いタンクトップという軽装でダンジョンに乗り込んできた猛者である。しかし単独でダンジョン最深層の宝物庫前まで辿り着いたのだ、それなりの手練れであることは間違いない。

 吸血鬼はマントを翻しながら男を挑発するように手招きする。


「来いタンクトップ!」

「誰がタンクトップだ!」


 こうして2人の激しい戦闘の火ぶたが切って落とされた。

 この冒険者、スピードは無いがその力は折り紙つきだ。風を切る音を轟かせながらサーベルを振り回し、吸血鬼の首を狙う。当たれば一撃で吸血鬼の首は吹っ飛んでしまう事だろう。

 吸血鬼もサーベルをかわしつつ素早い動きで攻撃を加えるが、冒険者の猛攻により体勢が整わないのが原因かその一撃はいつもよりずっと軽く、サーベルで受け止められてなかなか決定打には至らない。この男の筋肉、見かけ倒しではないようだ。

 戦況は拮抗しているように思える。どちらが勝ってもおかしくないし、逆に言えば集中力を切らして隙を見せた者が負けるのだろう。ならば俺が冒険者に隙を作ることができれば、吸血鬼に勝利をもたらすことができる!

 俺は地面の下を通ってそろりそろりと冒険者へと近付き、そっと背後へ忍び寄る。背後霊状態となった俺は冒険者の耳元に顔を寄せつつ大きく息を吸い込んだ。

 そして――


「ふー」

「アギャッ」


 俺が息を吹きかけると男は耳を押さえ、その巨体を大きく震わせた。


「なっ、なんだテメーは!?」


 俺の存在に気付いた冒険者は慌てたようにサーベルを振り下ろすが、当然サーベルは俺の身体をすり抜けるばかりで手応えはないはず。俺はもう片方の耳の方へ回り込み、さらに息を吹きかける。


「ウギャッ!? や、やめろ!」

「やめろと言われてやめるバカはいない」


 男は耳への刺激にかなり弱いらしい。俺はここぞとばかりに男の耳に息を吹きかけ続ける。男は耳を真っ赤にして巨体をくねらせながら抵抗を続けるが、サーベルを持っているせいで上手く耳が塞げないらしい。奇声を上げながら許しを請う。


「ギャーッ! やめてくれ、頼む! 耳はダメなんだ! うひゃぁ!」

「ふー、吸血鬼、ふー、早くやっちゃって、ふー」

「あ、ああ……」


 吸血鬼は一瞬で間合いを詰め、冒険者の懐に潜り込む。そのバキバキに割れた腹筋に鋭い爪を突き立てようと手を伸ばそうとしたその瞬間、男が俺の耳吹きから逃れようと身をよじりながら振り下ろしたサーベルが吸血鬼の首に当たった。


「あ」

「あ」

「あ」


 3人の声が重なったその時。

 吸血鬼の頸動脈から血が噴き出し、吸血鬼は自らの血で出来た血溜まりの中へと沈んでいった。


 


*************




「あんな予想外の動きをされたら、さすがの僕も剣筋が読めないよ」

「ご、ごめんって……」


 血溜まりの中で不機嫌そうに浮かぶ吸血鬼に本日何度目か分からない謝罪の言葉を述べる。

 しかし今回は運悪く吸血鬼の首に武器が当たってしまったが、俺としてはそこまで大失敗でもない出来であるように思えた。


「今回はダメだったけどさ、例えば魔法使いの呪文詠唱の邪魔をしたりとか、そういう事には有効だと思わない? これを機にもっと効果的に耳をくすぐるような吹き方を研究すれば――」

「ダメだ。レイスは今まで通り冒険者の情報や戦況の情報伝達にだけ集中してくれれば良い」


 吸血鬼は俺の言葉を遮って血溜まりの中で首を振る。

 だがせっかく手に入れかけた唯一の攻撃手段を俺もそうやすやすと手放す訳にはいかない。


「なんでだよ、耳吹き作戦良いと思ったんだけど」


 そう言うと、吸血鬼はげんなりした顔でため息を吐く。大量出血でいつも以上に顔色が悪く、本当に死人のようだ。


「当事者たちは気付いてないかもしれないが、大の男が幽霊に耳をくすぐられて悶えている様というのは見るに堪えないぞ。こちらの精神力と集中力まで削られてしまっては全く意味がない。今回剣を避けられなかったのもきっとそれが原因だ」

「ええ……そんなぁ」

「だいたいやり方が姑息すぎる。そんなので死んだらさすがに冒険者が浮かばれない。きっとお前の枕元に化けて出るぞ」

「それは困るけど……」

「だいたいなんだ耳に息を吹きかける攻撃って! あんな格好の付かない技は数百年生きてきて初めてだ!」

「うう……ごめんってば」

「耳に息を吹きかけて戦うレイスがいると広まってみろ、このダンジョンの名誉に関わるぞ」

「そこまで言わなくても……」

「いいや、言うね!」


 吸血鬼は首から血を噴出させながら語気を強めた。首からの出血は一向に止む気配を見せず、血溜まりがどんどんその範囲を広げていく。その気迫に俺は思わず空中で正座のような体勢をとった。

 首からの出血が治まるまで、吸血鬼のお説教は続いたのだった。









 ふらふらと宝物庫を後にする俺を見てゾンビちゃんは首を傾げた。体中に血が付いているから、ゾンビちゃんもあの冒険者と戦ったのだろう。傷はもう塞がったようだが、動きがなんとなくギクシャクしている。


「ダメだった? ゲッソリしてる」

「ダメだったっていうか、吸血鬼にめちゃくちゃ怒られた……」

「ナンダ、レイスもあのマッチョに殺されたのかと思った」


 俺は自分の頬を擦り、凝り固まった表情をほぐす。


「そんなに酷い顔してる?」

「ウン、さっきまで死んでたみたい」

「んー、俺を殺すのは多分誰にもできないけど……精神攻撃は割りと効くのかもなぁ」


 ガックリ肩を落とし、胸に手を当てる。心臓の音はもう聞こえないのに血の気が引いていく感覚はある。この体は不思議でいっぱいだ。

 俺も自分が思っているほど無敵ではないのかもしれない。


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