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14、ダンジョンガイドブック





 その毛深い魔物の男は何の前触れもなく俺たちのダンジョンを訪ねてきた。


「僕になにか用か? 温泉の方は基本的に他の者に任せてあるんだが」

「お忙しいところすいませんね、やはりダンジョンボスの方に許可を頂かなくてはと思いまして。申し遅れました。私、ネヅーミ出版の者です」


 男は短い前足を器用に使い、当たり前のように名刺を吸血鬼に手渡す。彼は綺麗なピンク色の鼻をひくつかせながら再度口を開いた。長い2本の前歯がその小さな口からチラリと覗いた。


「実はダンジョンガイド2000という雑誌の編集長をやっておりまして、今日は取材をさせて頂けないかと思い伺った次第です」

「取材か……えっ、取材!?」


 吸血鬼は目を丸くして、そのまるまる太ったネズミのような男を見つめた。




*******




「と、いう訳だ。どうしようレイス」


 吸血鬼はネズミ男を待たせ、名刺片手に俺へ相談をしてきた。

 天井から顔を出してこっそり2人の会話を盗み聞きしていたものの、良く分からない点も多々あって吸血鬼の質問に即答することはできなかった。


「どうしようって言われても……というか、ダンジョンガイド2000ってどんな雑誌なの?」

「平たく言うと、魔物向けの観光地を紹介した旅行ガイドブックだな。魔物たちの間ではかなり有名な雑誌なんだぞ」

「そんな凄い雑誌が取材に? 凄いじゃん」

「いや、それはそうなんだが……」


 吸血鬼は一気に暗い顔になり、ため息を吐く。


「あの雑誌、ダンジョン側にとって都合の悪い事も遠慮なく書くんだ。食事が不味いだの、従業員の態度が悪いだの、酷い時は誹謗中傷に近いようなことを書かれるときもある。影響力が大きい雑誌だから、下手な事を書かれると客足がパッタリ途絶えることもあるらしい。しかもネヅーミ出版にはアンデッド系モンスターの社員が少ないらしくてな。うちみたいなアンデッド系ダンジョンには厳しめの記事を書くことが多い」

「ええっ、なにそれ。じゃあ止めた方がいいんじゃ?」


 俺が言うと、吸血鬼はまた難しい顔をして唸り声を上げた。


「しかし取材を断ると『ここのダンジョンからは取材拒否されました』と雑誌に載ってしまうんだ。まぁ記事内でこき下ろされるよりはマシかもしれないが、読者からの印象はあまりよくないだろう」

「なるほど……困ったなぁ。でもチャンスと言えばチャンスだし」

「今やダンジョン運営に必要な資金の大部分を観光客からの入湯料などで賄っているからな。下手な選択はできないぞ」

「とは言っても俺らあんまり温泉の方には行かないしなぁ。こういうのはスケルトンに聞いたほうが良いんじゃないの?」

「確かになぁ、ではスケルトンたちに意見を仰いでそれから……」


 吸血鬼がそう言ってダンジョン奥の暗がりを見やったその時、入り口の方からふいにネズミ男の甲高い神経質な声が響いた。


「すいませーん! これは取材拒否と言うことですかー!?」


 待たされたせいか随分と苛立っているらしいのがその声から分かる。

 吸血鬼はネズミ男の苛立った声に急かされ、とっさに返事をした。


「あっ、いや! 取材は受けるから少し待ってくれ!」

「ええっ、受けるの!?」

「あっ……ヤベッ」


 吸血鬼はハッとして口をその手で押さえる。だが今更押さえたところでもう何もかも遅い。すでに言葉は彼の口を飛び出してしまったのだから。


「何やってんだよ……でも返事しちゃったし仕方ない。なんとかうちの温泉をアピールしよう。温泉のことはよく知らないけど」

「ああ、良い記事書いてもらってガッポリ稼ぐぞ。温泉のことはよく知らないが」


 こうして俺たちのかなり不安なダンジョン温泉取材ツアーが幕を開けた。




*******




「待たせてすまない。案内するから着いてきてくれ」

「そうですか。そりゃ良かっ……ひっ」


 ネズミ男……いや、編集長は体をビクリと震わせてつぶらな眼を目一杯開いた。その表情には恐怖の色が浮かび、体を強張らせている。その尋常じゃない様子に吸血鬼は首を傾げた。


「なにか?」

「えっ、そ、そこに男が……」


 そう言って編集長はその短い指を震わせながら俺に向ける。


「ま、まさか私にしか見えていない……!?」

「ああ、いや。見えているぞ、うちのダンジョンのレイスだ」

「ええと、どうも」


 俺は吸血鬼の後ろから編集長に会釈をする。

 編集長はしばし目を丸くして放心した後、徐々にその目を釣り上げて甲高い声を上げた。


「そ、そうならそうと早く言ってくださいよ! そんなとこでボーッと立ってたら誰だってお化けだと思うじゃないですか」

「いや……お化けっちゃお化けだし」

「そういう事じゃなくて、せっかく観光に来たお客さんが恐がるじゃないですか!」

「はぁ、すいません」


 俺は不承不承ながらチュウチュウ怒る編集長に頭を下げる。

 しかしながらここはアンデッドダンジョン。ゾンビがうろついたりスケルトンが温泉運営をしている場所なのだ。普通の人間っぽい見た目をしている吸血鬼が特別なのであって、俺はこのダンジョンの中ではかなり「普通っぽい」見た目であると自負している。俺程度でビビっていては心臓麻痺で死にかねないし、何よりこんなに面と向かって、しかも魔物に怯えられたのは初めてだ。俺自身戸惑いというか、不快感の様なものを感じずにはいられなかった。なんなら謝っていただきたいくらいであるが、そこをグッと堪えて愛想笑いを浮かべる。


「じゃあ、さっそく行きましょう。途中で気絶しないでね」

「ううっ……」


 編集長の唾を飲み込む音が微かに聞こえた気がした。




***********




 俺たちは目的の毒沼温泉に向けてダンジョンを奥へ奥へと進んでいく。通路の両脇には例の錯乱キノコが淡い光を放っており、足元を照らすとともに幻想的な雰囲気を醸し出している。しかし編集長にその幻想的な雰囲気を楽しむ余裕はないようだ。

 ネズミ編集長は短い足を器用に使って2足歩行をしているが、その歩みはかなり遅い。しかも運動不足であるらしく、まだ少ししか歩いていないのにゼエゼエと肩で息をしている始末だ。冒険者を迎え撃つ通路と温泉へ繋がる観光客用の通路とは出入り口から完全に分かれており、観光客用通路の地面はかなり滑らかで平らになっているにも拘らず、である。

 彼は口から赤い舌を覗かせながら隣を歩く吸血鬼に尋ねた。


「お、温泉はまだですか……」

「ああ、温泉はもっとずっと奥だ」

「少し遠すぎやしませんか。足腰の弱い魔物だっているでしょう、エレベーターなどを付ける予定は?」

「ははは、この程度の距離を歩けない魔物がどこにいる。そんなもの付けるくらいなら新しいスーツでも仕立てるさ」


 吸血鬼はそう言って編集長を笑い飛ばす。疲労により気が立っているのだろう、吸血鬼の言葉に編集長は目を吊り上げた。

 俺は編集長の怒りを誤魔化そうと慌てて通路の脇に生えたキノコを指差す。


「ほ、ほら編集長。見てくださいこのキノコ。温泉の次に人気の観光スポットなんです。コレを見ずにエレベーターで上り下りしちゃうなんてもったいないですよ」

「キノコォ? まぁ……確かに綺麗ですけど、ありきたりなアイデアですね」


 このデブネズミめ、駆除するぞ。

 思わずそう呟いてしまいそうになるほど酷い態度である。恐らく彼はもともとアンデッド系ダンジョンになど来たくなかったのだろう。それを「大人の対応」でなんとか誤魔化していたが、疲れにより「大人の対応」をする余裕がなくなってしまったのだ。

 しかし彼も仕事で来ているのだから、もう少し口の利き方に注意すべきである。

 その言葉をグッと堪え、デブネズミ編集長の亀の歩みに付き合う事数十分。ようやく温泉にたどり着いた。


「はぁ……や、やっとか」


 編集長はまるで三日三晩歩き続けた旅人のように疲れ切っていた。

 この程度の道は子供でもぐずることなく歩いていけるのに、少し大袈裟すぎる。俺が医者だったら間違いなく彼にもっと運動するよう助言しただろう。

 しかし俺はアンデッドダンジョンのしがないレイス。ヨタヨタと歩くデブネズミに愛想笑いを浮かべながら温泉へと導いた。


「では編集長、うちの温泉で疲れを癒してって下さい」

「ああ、もちろんそのつもりです」


 編集長は瘴気の立ち上る毒沼にその灰色の毛で覆われた体を浸けるや、目を細めて言葉にならない声を上げた。

 人が入れば即死するこの温泉が神経質な編集長に受け入れられるか心配だったが、彼も一応は魔物。毒沼への耐性はきちんと持っていたようである。


「うん、温泉はなかなかですね」

「そうだろうそうだろう」


 吸血鬼は腕を組んで偉そうに頷く。

 俺も吸血鬼の影でホッと胸をなで下ろした。今まで文句ばかり言っていたからどうなることかと思ったが、我がダンジョンの目玉である温泉は一応認めてくれたようだ。


「粘度も程よいし、この紫色が何とも風流……ん?」


 編集長は首を傾げながら毒沼の中に短い腕を突っ込み、何かを引っ張り上げた。

 それを見て編集長はそのつぶらな目を見開き悲鳴を上げる。

 彼が沼から拾い上げたのは、すっかり色を失った細い人間の腕であった。


「ヒイイィィッ、なっ、なんだこれは!」

「う、うで……ですかね」

「ななななんで腕が沈んでるんだッ!?」


 編集長は目を白黒させながら腕片手に取り乱している。日頃から敵味方問わずたくさんの死体を見る我々からすれば腕の一本や二本どうってことないが、編集長は違うらしい。

 そんな編集長目の前の沼面から、何かがヌッと頭を出した。濡れた長い髪の隙間から片目を光らせ、編集長に手を伸ばす。


「ウデ……返セ……」

「……うがっ」


 編集長は目を白黒……というか、ほぼ白目を剥きながら腕を落とした。

 沼から出てきた頭は濡れた髪をかき上げ、編集長の落とした腕を拾い上げる。そのツギハギだらけの顔には見覚えがあった。


「……ゾンビちゃん、なにしてんの」

湯治トージだよ。サッキ冒険者にバラバラされちゃったから~」


 そう言いながらゾンビちゃんはドロリとした不透明な沼の中から脚やら指やら、明らかに臓物らしきものやらを引っ張り出した。どうやら沼の中には切り取られた腕なんかよりもよほど恐ろしい物が沈んでいるようである。


「まぁそれはそうと、これをどうにかしようか」


 吸血鬼はそんなものには目もくれず、毒の沼に顔を突っ伏して沈みつつある編集長を指差した。




********




「非常識だッ!」


 目を覚ました編集長は体をブルリと震わせ、飛沫を上げながら叫んだ。


「ゾンビが温泉に沈んでいるなんて、ここの温泉の衛生管理はどうなっているんだ」

「ゾンビをキタナイみたいに言うなッ!」

「あだだだだ」


 ゾンビちゃんにヒゲを引っ張られ、編集長は間抜け面をさらしながら情けない声を上げる。

 俺は慌てて二人の間に入り、「まぁまぁ」と彼らを宥めた。


「ゾンビちゃん落ち着いて、この人取材に来てくれた人だから。編集長、彼女は知能のあるゾンビですし、戦闘で傷ついた体を温泉で癒やしていたんです。ここはダンジョンですから、観光客よりも冒険者と戦うアンデッドを優先しています。温泉には殺菌作用がありますから衛生的なことは大丈夫ですし、多くの観光客も理解してくれています」


 つらつらと分かったようなことを言ったが、この温泉にそんな作用があるかは知らないし、観光客が理解しているかどうかは分からない。だが人を殺すような毒沼なのだから菌だってきっと殺すんだろう、多分。

 しかし俺のテキトーな言葉には割りと説得力があったらしく、編集長は伸びたヒゲを気にしながらも納得したように頷いた。


「……まぁここはアンデッドダンジョンですから、多少のことは仕方ありませんね。すいません取り乱して」

「いえいえ。まぁ土産物屋とかもあるんで見てってくださいよ」

「そうですね、案内をお願いします」

「私も着いてく! よく見るとネズミちゃん可愛い〜」


 ゾンビちゃんはそう言って編集長の頭を撫でる。口では「コラコラ」などと言ってたしなめているが、ゾンビとは言え若い女の子に触ってもらえるのが嬉しいらしい。編集長は嬉しそうに目を細めている。


「お腹プニプニー、とっても美味しそう」

「はははコラコラ……ん? 美味し……」

「アンデッドジョークです、アンデッドジョーク!」

「ほら小娘、編集長から離れろ! 失礼だろ!」


 我々は慌ててその場を取り繕い、舌なめずりするゾンビちゃんを後ろに隠した。


「あっ、ほ、ほら! 土産物屋ですよ」

「あ、ああ……ん? これはなかなか立派な」


 いつの間に建てたのか、スケルトンたちによる土産物屋はその規模を拡大し、小さな温泉街と呼べるまでになっていた。骨で作ったお土産を売るだけでなく、食べ物の屋台や休憩所まで作られている。


「い、いつの間に……」

「気合い入ってるなぁ」


 土産物屋の前で感心している我々に気付いたのだろう、店奥にいたスケルトンたちが外へ出てきてて出迎えてくれた。

 鎧や剣ではなく、紺色のエプロンを纏ったスケルトンに軽く手を上げて挨拶をする。


「凄いねスケルトン。もう街みたいじゃん」


 スケルトンは胸……というか肋骨を張って誇らしげに顎をガタガタ鳴らす。温泉の素晴らしい売上は彼らの努力の賜物なのだろう。


「スケルトンが店員をやっているんですか……」


 編集長は恐る恐ると言った具合にスケルトンへ近付き、その頭蓋骨をコンコンとノックするみたいに叩く。


「うーん、良く調教されているんですね」


 その失礼な物言いはスケルトンの逆鱗に触れたらしい。

 スケルトンは編集長をガッと押さえつけ、そのふわふわの頭に齧り付いた。


「いだいいだいいだい! 助けて!」


 編集長はそう叫びながら俺たちに助けを求めて手を伸ばす。

 しかし到底編集長を助ける気にはなれなかった。


「編集長、なんでそんな失礼なこと言うんです」

「調教って。そりゃあスケルトンも怒るだろう」

「ええっそ、そんな……」


 スケルトンは編集長から口を離し、遠吠えをするように顎をガタガタ鳴らす。するとあちこちからワラワラとスケルトンが現れて顎を鳴らしながら編集長を取り囲んだ。


「ひいいいいっ!」

「編集長、早く謝ったほうが良いですよ」

「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさいいいい!」









「はぁ……酷い目にあった」


 編集長は歯型のついた頭を擦りながら不機嫌そうにため息を吐く。


「そりゃあ面と向かってあんな失礼なことをするからですよ」

「だってスケルトンに知能があるとは……脳味噌だって無いし」

「腐った脳があるより、いっそ脳などないほうが良いこともあるのさ」


 吸血鬼はそう言ってニヤリと笑う。恐らくゾンビちゃんをからかった言葉であるが、肝心のゾンビちゃんの姿が見当たらない。


「あれ、ゾンビちゃんどこ行った?」

「オーイ」


 声がして見ると、ゾンビちゃんが大量の串揚げ片手にスキップをしながらこちらへと近付いてくるところであった。彼女は串揚げのうちの一本を編集長に渡し、ニッコリと微笑みかける。


「アゲル〜」

「お、おお。ありがとう」


 編集長もその顔を綻ばせながら串揚げを受け取った。先ほどまで不機嫌そうにしていたのに、彼も案外単純である。


「これはどうしたんだ?」

「そこでスケルトンが売ってたから貰った」


 ゾンビちゃんは吸血鬼からの質問にそう答えると両手いっぱいの串揚げを口いっぱいに頬張っていく。編集長もそれに釣られるようにして串揚げに齧り付いた。


「おお、これはなかなか。なんの肉を揚げているのですか?」

「ええと、ダンジョン特産の……なんだったかな?」

「うーん……この形、見たことあるような……」

「ねふみふぁよ」


 ゾンビちゃんがなにかを言っているが、口いっぱいに串揚げが入っているせいでなんと言っているのかよく分からない。

 吸血鬼が怪訝な顔で聞き返す。


「なんだって?」

「ねふみ!」

「ええっ、なに?」


 ゾンビちゃんは串揚げを飲み込み、今度こそハッキリした口調で言った。


「ね・ず・み!」

「あー、この形、どうりで」

「なるほど、ねずみなら材料費もほとんどかからない。考えたなスケルトンたち」

「……あれ、でもちょっと待って。ねずみって……」


 俺たちは恐る恐る編集長に目をやる。

 不思議なことに、毛て覆われているにも関わらず、その顔が蒼白になっていることがなんとなく分かった。

 彼は串揚げを地面に落とし、その体をワナワナ震わせる。


「な……なんてモノを食わしてくれたんだッ!」

「あー、やっぱり」

「まぁ共食いはマズいだろうな」

「ナンデー、オイシイのに」

「美味しいとか美味しくないとかの次元じゃない!」


 編集長はとうとうキレてしまったらしい。ヒゲをピンと伸ばし、その長い尻尾を地面にビタンビタンと音を立てながら叩きつける。そしてその短い前脚を振り回して怒鳴り散らした。


「なんなんだこのダンジョンは! 全くなってない、おもてなしのおの字もない! こんな屈辱的は生まれて初めてだ、この事は記事で書かせて頂く!」

「あっ……それはマズい」

「よし小娘、押さえつけろ」

「はいはーい」


 ゾンビちゃんはネズミ編集長の後ろへと周り、彼を抱きかかえるようにして羽交い締めにする。


「なっ、なにをする! やめろ!」


 編集長は必死に暴れるが、運動不足の大ネズミとダンジョンで日夜戦うゾンビでは、その力の差は火を見るよりも明らかだ。

 問題は、この地に落ちた評価をどう回復させるかである。


「どうする、いっそバラして串揚げにして売ってしまうか」

「いや……それは流石にマズいんじゃないの。ここに取材に行くってことは部下たちに伝えてあるだろうし」

「そうか……よし、ならば正攻法で行こう。このダンジョンのさらなる魅力をヤツに叩き込む」

「さらなる魅力?」


 そんなものあっただろうかと首を傾げると、吸血鬼は邪悪な笑みを浮かべながら通路の脇に生えたキノコを一つ手にとった。

 地面を離れたキノコは吸血鬼の手の中で仄かに緑色の光を放っている。錯乱キノコには様々な模様があるが、今回吸血鬼が手にとったのはうずまき模様のキノコであった。


「これだよ」

「なっ……まさか、食べさせるの?」

「他に方法はない」

「ううっ……でもそれを食べたら……」

「仕方ないさ。どうせうちのダンジョンの評価はこれ以上悪くなりようがないんだ」

「確かに。仕方ないね」

「な、なんだそのキノコ!? 一体何を食わせる気だ!」


 編集長はさらに強く抵抗しようとその柔らかなお腹をゆらしながらもがくが、ゾンビちゃんの腕から逃れることは叶わない。

 吸血鬼はキノコ片手にジリジリとその距離を詰めていく。


「お、おい! やめろっ! 分かった、記事に悪いことは書かないから! や、やめて……許してぇ……もがが」


 吸血鬼は慈悲の欠片も見せず、キノコを編集長の口に詰め込む。

キノコを飲み込んだ途端、編集長は体をブルリと震わせ、なにもない壁を指差し言った。


「あっ、馬だ……すごぉい、背中に翼が生えているぞ……」




********



 

 編集長が取材に来てから数日後。

 日が沈んだ後のミーティングにて吸血鬼が茶封筒に入った分厚い冊子を取り出し、ニンマリ笑った。


「諸君、とうとう届いたぞ」


 差出人はネヅーミ出版。

 大方の予想通り、中身はダンジョンガイド2000の最新号であった。俺は緊張のあまり体を震わせる。


「ここに俺たちのダンジョンの運命が書かれているんだね……」


 スケルトンたちも緊張しているのか、骨をかしゃかしゃと静かに鳴らしている。ゾンビちゃんだけは地面に寝転がっていつものようにリラックスしていた。


「よし……行くぞ」


 吸血鬼は国宝級の魔術書でも扱うかのようにうやうやしくダンジョンガイド2000を手に取り、ゆっくりとページを捲っていく。やがて吸血鬼の手が止まり、吸血鬼は目を見開いた。

 しかしその口はいつまで経っても閉じたまま。


「ちょっと吸血鬼、早く言ってよ!」

「あ、ああ……ええと」


 吸血鬼は困惑した表情を浮かべながら顔を上げた。


「58、だ」

「はぁぁ? 58点って……微妙だなぁ」


 俺は脱力しながらため息を吐く。スケルトンたちも机の背もたれにもたれかかって口を大きく開けたり、机に突っ伏したりと散々な反応だ。

 ところが、吸血鬼は静かに首を振ってダンジョンガイド2000を俺たちに向けた。


「違う、百点満点じゃない。5点だ。星5個満点中、58個という評価を付けられた」


 吸血鬼の示したページは、一面が星で埋め尽くされていた。

 しかしそのページの文章では温泉やら見どころやらの事はほとんど触れられておらず、ただただダンジョン産の錯乱キノコの素晴らしさを延々説いている。しかもその文章はところどころ意味不明で、読む者に恐怖を感じさせるほどであった。

 俺はげんなりしながらまた一つため息を吐く。


「これ絶対『ハイ』の状態で書いたでしょ。良く出版できたね、これ」

「いや……まぁ、評価が厳しくてなかなか星5を出さないダンジョンガイド2000で星58を叩きだしたんだ。これはすごい事だぞ」

「でもこの文章見て、お客さんうちに来たがるかな?」

「……子供連れの家族は来たがらないだろうな。明らかに教育に悪影響だ」

「ならず者の客は増えるかもね」


 俺たちは一面星で埋まったページを眺めながら複雑な表情を浮かべるのであった。


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