13、夜吸血鬼肝ダイエット
その女たちは手を真っ赤に染め、血のついた頬を歪めて笑う。彼女たちが熱心な視線を注いでいるのは真っ赤な血溜まりの中に浮かぶ臓物。
女たちは腹のなかをかき回し、臓物を手にするとこれ以上ないほど幸せそうな笑みを浮かべた。これでは死肉を貪るゾンビとそう変わらないということに、彼女たちは気付いていなかった――
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「ああ、大事なものを失ったような気分だ」
「うん、失っているね。肝臓がまるまるなくなってるよ」
俺は吸血鬼の無残な腹を見ながらため息をつく。解剖学のかの字も知らない者が開腹を行ったのだろう。内臓がぐちゃぐちゃ、血管を傷つけたのかお腹の中が血の海になっている。肝臓もないし、回復には少し時間がかかりそうだ。
「ヤツら、僕の体を弄ぶだけ弄んだら宝箱もとらずに行ってしまったじゃないか。最近の人間たちは頭がおかしいというか、心に闇でも抱えているのか?」
「まーある意味そうかもね。最近吸血鬼が人気なんだよ」
「おおっ、それは素晴らしい」
吸血鬼は俺の言葉にパッと顔を輝かせる。腹がグチャグチャなのに凄く良い笑顔をしているこの光景はなかなかにシュールだ。
しかし恐らく吸血鬼の思っている「人気」と実際の人気はだいぶかけ離れたものである。
「あっ、最高級食材が寝てるぞー」
通路をドタドタ走りながら転がり込んできたのは元気いっぱいのゾンビちゃんである。その体はツギハギだらけだが、戦闘で負ったらしい傷はひとつもついていない。
吸血鬼は自らの腹とゾンビちゃんを見比べ、怪訝な表情を浮かべた。
「なぜお前は無事なんだ」
「私とは戦ってクレなかったよ。ゾンビはキタナイとかぬかして逃げやがった。あのアマ今度会ったら積極的に喰ッテやる」
「落ち着いて。言葉が汚いよゾンビちゃん……」
ゾンビちゃんはゾンビちゃんで不満を抱いていたらしい。腕を振り上げて子供が癇癪を起こした時のように怒りを振りまいている。そしてその手には、見慣れない本がにぎられていた。しかしそのタイトルには覚えがある。
「夜肝ダイエットの本じゃん!」
「ウン、アイツラ落としてったから拾った」
「ヨルキモ……? なんだそれは」
吸血鬼は地面で大の字になったまま首を傾げる。振動で中の臓物がぷるんと揺れた。
「正式名称は『夜吸血鬼の肝を食べるダイエット』って言って、若い女の子たちの間でブームらしいんだ。アルアル博士って人が考案したダイエットで、夜寝る前に吸血鬼の肝を食べるだけで代謝がどうのこうので痩せるよーっていう内容みたい。そのせいで吸血鬼狩りが横行してるんだってさ」
「ヨッ、ダイエット食品!」
「な、なんだそのおぞましいダイエットは……」
吸血鬼はブルリと身を震わせる。
今まで捕食対象であった人間に食用目的で肝を狙われるというのはさぞ気持ちの悪いことだろう。しかし、実は狙われているのは肝だけではないのだ。
「そのダイエット本に人気が出ちゃったもんだから便乗本もどんどん出てるらしくてね……脳、心臓、それから血も体に良いとか騒がれてて、挙句の果てに吸血鬼の『吸血鬼』を食べると元気になれるとかって話も出てきてて……」
「ヒエッ!?」
吸血鬼は怯えたように下腹部を抑える。
その横でゾンビちゃんが首を傾げた。吸血鬼の開腹された腹に浮かぶ臓器を覗きこみながら尋ねる。
「吸血鬼の吸血鬼ってナニ? ドレ?」
「ゾンビちゃんには無いモノだよ……」
どうせまた生えてくるだろうが、だとしてもそんな大事な部分を切り取られたいとは思わないだろう。今回取られたのが肝臓だけだったのはある意味幸運だったかもしれない。
「と、言う訳でこれからいろんな人が吸血鬼の体のパーツを狙って来るだろうから気を付けてね」
「気を付けろって言われてもなぁ……殺られる時は殺られるし」
「鉄のパンツでも履いたら?」
「嫌だ」
吸血鬼は目にも止まらぬスピードで俺のアイデアを拒否すると、次にゾンビちゃんから「夜肝ダイエット」の本を受け取った。その表紙では白衣を着た白髪で痩せぎすの男が微笑んでおり、帯には「ラクして痩せる!」の文字が踊っている。あちこちのページには付箋が貼られ、マーカーまで引かれている。
「吸血鬼の肝に含まれる豊富な酵素により体の代謝を上げ、寝ている間にエネルギーを消費……なんだこれは。数百年生きてきたがこんな話初めて聞いたぞ。本当にそんな効果があるのか?」
「どうだろうねぇ、でも痩せたって人もいるから本が売れてるんじゃない?」
「そのダイエットを実践している者はダンジョンに潜って吸血鬼を倒し、肝臓を手に入れるわけだろう? 肝臓を食べたからじゃなく、ダンジョンで体を動かしたから痩せたんじゃないのか?」
「あー、それはあり得るね」
「こんな胡散臭い本がなぜ売れているのか、理解に苦しむよ」
吸血鬼はため息を吐きながら本をその辺に投げ捨てる。
「夜肝ダイエット」などと言うポップな語感に騙されてしまいそうになるが、やっていることは魔女も真っ青の黒魔術である。確かにこれ以上ないほど胡散臭くて怪しい本だ。しかしそんなものでも信じてしまいたくなるほど、みんなダイエットが好きなのだろうか。
「そもそも吸血鬼の肝を食べようなんて発想が凄いよね」
「しかも酵素を壊さないようにするため肝は生で食べること、だそうだ。ヤツら、ゾンビと戦いたくないなどと言う割にはクレイジーなダイエットをしているじゃないか」
「本当、やってることがゾンビちゃんと変わらないよね」
ゾンビちゃんは吸血鬼の投げ捨てた本を枕にして寝転びながら手を上げた。
「私は肝より腎臓派!」
「というか、人間がアンデッドの肉を生で食べて大丈夫なのかなぁ」
「さぁね。僕としては重大な問題が起きて一刻も早くこのブームが終わるよう願っているよ」
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吸血鬼の日頃の行いが良かったのだろうか、それとも浅ましいダイエット法に踊らされる人間たちに罰が下ったのか。
吸血鬼の願いは見事叶った。吸血鬼の肝を食べ続けたという人間が吸血鬼様症状に悩まされることとなったのである。心拍数が低下し、死人のように色が白くなり、犬歯が尖り、日の光で火傷をする、いわば「出来損ないの吸血鬼」が街に溢れかえったのだ。
魔術師たちの懸命の治療のお陰で多くのダイエット被害者たちは快方に向かっているそうだが、彼らの怒りの矛先は本の著者であるアルアル博士へと向けられた。
彼は金を持って雲隠れしたそうだが、数日後全身の血を失った状態で発見された。彼の本に踊らされたダイエット被害者による犯行か、あるいは肝を取られまくった吸血鬼たちによる復讐と見られているが、犯人はまだ捕まっていないという。
「ふははは、良い気味だ」
吸血鬼は優雅にグラスを傾け、満足げに新聞を畳む。一面にはデカデカとアルアル博士の写真が掲載され、彼の死を伝える見出しが躍っている。街の惨状を見るため、吸血鬼がわざわざ夜中に街に出て買ってきたものだ。
「愚かな人間どもめ。なにはともあれこれで一安心だな。吸血鬼を愚弄すればどうなるか人間どもも思い知ったことだろう」
「いやぁ、それはどうかな?」
「ん? なんだ?」
吸血鬼は俺の言葉に首をかしげる。
俺はアルアル博士の死を伝える記事の下の、小さな小さな枠の中に納まった記事を指示した。『余った吸血鬼の肝、どうしたら良い?』と題された記事である。
吸血鬼は新聞を手に取り、目を通していく。
「なになに……肝ダイエットブームで魔術に使う吸血鬼の肝臓が不足。価格は吊り上り、今やその価格はキロ当たり……20万!?」
「ダイエットブームは終わったし、価格もしばらくすれば落ち着くだろうけどそれまではダンジョンの宝箱より吸血鬼の肝臓の方を狙われるかもね」
「ひええ……」
吸血鬼は顔を青くさせ、そのお腹を大事そうに擦る。
近くで砂の山を作っていたゾンビちゃんが吸血鬼のお腹をじっと見つめながら尋ねた。
「肝臓、売る?」
「そうだね、スケルトンたちに摘出手術してもらう?」
「ふざけるな、誰が売るものか!」
「でもキロ20万だよ。肝臓1個で1500グラムぐらいあるらしいから、30万くらいかな。減るもんじゃないし、今のうちに稼いどけば?」
「30万……い、いや……うーん……」
吸血鬼はグラスに入った血液をグイッと飲み干し、大きくため息を吐いた。
「ちょっと考えさせてくれ……」