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12、山椒ゾンビ



 ダンジョン中階にて、ゾンビちゃんと冒険者による激しい戦いが繰り広げられていた。

 相手は二人組の冒険者で、一人は少年と呼んでも良いほど若い剣士の男、もう一人は長い灰色の髭をたくわえた老年の魔法使いだ。ゾンビちゃんと戦っているのは主に若い剣士の方で、魔法使いはそれを見守りながら援軍にやってきたスケルトンたちを遠隔魔法で蹴散らしている。お宝目当てに二人で冒険に来たというよりは、若い剣士の修行に魔法使いが付き添っているというような形であるらしい。


 剣士は恐らく銀製であろう剣を素早く、そして何度もゾンビちゃんの体に振り下ろす。若いのになかなか良い太刀筋をしているが、何度攻撃を受けてもゾンビちゃんは倒れない。ゾンビちゃんは動きが遅く、攻撃を当てるのはそれほど難しくないがその体力はダンジョンボスである吸血鬼にも劣らない。少年の剣の技術には光るものがあるが、おそらく一撃一撃が軽いのだ。それを手数でカバーしようとしているようだが、戦闘が長引けばそれだけ剣士にも疲労が溜まっていく。

 そしてゾンビちゃんは上階の知能なきゾンビとは違い、ある程度考えて戦うことができる。長い戦いで少年の剣の癖や攻撃パターンが分かってきたのだろう。ゾンビちゃんは剣士の振り下ろす剣を片手で受け止めた。


「ぐっ……」


 少年は顔を歪めながら剣を両手で引っ張るが、純粋な力でゾンビちゃんに勝てるはずもない。ゾンビちゃんは口を三日月型に歪めて銀製の剣をへし折った。

 剣を失った剣士は腰のあたりに差していたナイフを抜き構えるが、それはゾンビと戦うにはあまりに小さく、その刃は銀製ですらない。

 ゾンビちゃんはへし折った剣を後方へ投げ捨て、ジリジリと剣士を追い詰める。少年剣士万事休す、ゾンビちゃんお食事タイム突入間近。

 その時、少し離れたところから戦いを見ていた魔法使いがその杖をゾンビちゃんに向けた。杖から放たれた光の玉はゾンビちゃんの足元へ一直線に飛ばされ、地面に吸い込まれるように消えていく。

 刹那、ゾンビちゃんがその動きを止めた。まるで底なし沼に踏み込んでしまったかのように、彼女の足が地面に嵌ったのである。藻掻けば藻掻くほどゾンビちゃんの体は地面に飲み込まれていき、ついにはその指先まで地面に沈み込んだ。

 これはエラいことになった。この先で待つ吸血鬼やスケルトンたちにこの魔法に注意するよう伝えなければ……そう思ってあたりを見回すが、すでに若き剣士の姿はなく、老年の魔法使いも俺の前で溶けるように消えてしまった。


 残ったのは何事もなかったような顔をした固い地面と、不気味なまでの静寂だけであった。





***********





「冒険者は?」


 最深部の宝物庫にて冒険者を待ち構えていた吸血鬼は、壁をすり抜けて部屋に入る俺を見るや緊迫した様子で尋ねた。


「多分脱出魔法で逃げた」

「小癪な真似を……それで被害の方はどうなっている」

「スケルトンが沢山吹き飛ばされたけど、綺麗にバラされたからそれほど被害は大きくないみたい。ただ、ゾンビちゃんが見たことない魔法を使われて……」


 俺の言葉に吸血鬼の表情が曇る。


「ぶ、無事なのか?」

「いや……無事っちゃ無事なんだけど」

「どういう魔法なんだそれは」

「地面を泥濘ませて、下のフロアに落とす魔法」


 吸血鬼は顔を顰め、張り詰めた糸が切れたように体を脱力させた。


「なんだその魔法は……なら小娘は下のフロアに落ちただけなのだろう?」

「まぁそうなんだけど。ゾンビちゃんの落ちた部屋って言うのがさ……」

「ま、まさか」


 俺の言わんとすることを察したらしい。吸血鬼は渋い表情浮かべ、その体を強張らせる。


「貯蔵庫……か?」

「当たり」


 吸血鬼は崩れ落ちるようにしゃがみこみ、頭を抱えて言葉にならない声を上げた。

 貯蔵庫とは、非常時の食料を収めた秘密の部屋である。極度の空腹になると敵味方問わず喰おうとするゾンビちゃんを鎮める大事な干し肉が貯蔵されているのだが、以前この部屋の場所をゾンビちゃんに知られ、大事に貯めていた中の肉を全て食べられるという凄惨な事件が起きたことがある。

 そこからさらに貯蔵庫の警備は強化され、入り口をただの壁に偽装する技術もより高度なものになった。なのに、まさかこんなきっかけで貯蔵庫への侵入を許すなんて……そういうショックももちろんあるのだが、我々の直面している問題はそれだけではなかった。


「あのね吸血鬼、実はゾンビちゃんが……」

「今度はなんだ」


 吸血鬼は頭を掻きながら怪訝な顔を見せた。これ以上の厄介事はゴメンだと言わんばかりである。

 しかしこれは俺だけでは手に負えない事案である。俺は今彼女が陥っている状況を端的に伝えた。


「ハマった」


 吸血鬼は首を傾げた。


「ハマった?」








「ハマった〜」

「ね、ハマってるでしょ?」

「ハマってるな……」


 ゾンビちゃんは小さな穴から上半身を出して腕をバタつかせる。その両脇ではスケルトンたちが途方に暮れていた。

 どうしてこんなことになってしまったのか。原因は2つある。1つは入り口を目立たないように小さくしたこと。もう1つは貯蔵庫の肉をしこたま食べたことでゾンビちゃんの腹が膨れてしまったこと。

 つまり、這わないと中に入れないくらい小さな入り口に腹がつっかえて外に出られなくなったというわけだ。


「はぁ、もう呆れて言葉も出ない」


 額に手を当てて顔を顰める吸血鬼。

 俺はまぁまぁ、などと言って彼を宥めた。


「そう言わず。勇敢に戦った上での事故なんだし」

「タースーケーテー」


 ゾンビちゃんは体を捻ったり、地面を掴んで無理矢理外に出ようと藻掻くが、もはや自分の力ではどうにもならないようだ。

 さらにスケルトンの一体が紙にサラサラと何かを書き、俺達に提示した。


『みんなで引っ張ったけどダメだった』

「スケルトンたちの力じゃどうにもならないみたいだね」

「どうせまたアホみたいに喰ってアホみたいな腹になっているんだろう。もう力ずくじゃあどうにもならないんじゃないのか?」

「まぁ取り敢えずやってみてよ」

「ああ……」


 吸血鬼は面倒臭そうにゾンビちゃんの腕を掴み、そして勢い良く引っ張った。さすがは吸血鬼。その力は凄まじく、ゾンビちゃんの腕がブチブチと不穏な音を立てた。


「イタタタタ」

「ヤバいヤバい! ゾンビちゃんの腕取れちゃう!」

「だから無理だって言ったろう」


 吸血鬼はため息をつきながらその手を離す。ゾンビちゃんの腕が伸びたような気がするのはきっと気のせいだ。

 しかし吸血鬼の力でもダメとなると、いよいよ方法がなくなってくる。


「どうしよう、壁壊す?」

「壊すのも修理するのも面倒だ。しばらくすれば腹も引っ込むだろうし、放っておけ」

「ま、それもそうか」


 もう夕暮れだし、これから冒険者がダンジョンに大挙して押し寄せるとは考えにくい。それにどのみちこのお腹では満足に戦えないだろう。

 吸血鬼の言う通り、朝になれば自然と外へ出られるはずだ。


「じゃあね、ゾンビちゃん」

「これ以上食うなよ」


 俺たちはゾンビちゃんに背を向け、歩きだした。


「じゃあ遊戯室行ってこの前の続きしよっか」

「よーし、今度こそ勝つぞ。もちろんレイスは(ぼく)に賭けるだろう?」

「いや、(スケルトン)に50賭けるよ」

「少しは僕を信じろ!」


 傍らにいたスケルトンたちも顎をガタガタ言わせて高笑いする。

 その時、後ろから悲痛な声が聞こえてきた。


「ちょっとちょっとー、ナンデ行っちゃうのー」


 振り向くと、ゾンビちゃんが地面に這いつくばったまま手をバタバタと振り回し駄々をこねていた。


「聞いていただろう、朝には出られるだろうからそこで待っていろ」

「ヤダー! 私も遊びたい!」

「そんなこと言ったって、出られないんだから仕方ないだろう」

「じゃあここで遊んで!」

「無茶言うな」


 吸血鬼はゾンビちゃんをピシャリと叱りつけた。

 可哀想な気もするが、ここはただの通路だ。ゆったりくつろぐには狭すぎる。

 俺は子供を宥めるような気持ちで地面に寝転ぶゾンビちゃんに声をかけた。


「一晩だけだから我慢しなよ。目を瞑っていたらすぐ朝になるし、朝になったらそこから出られるようになっているだろうからさ」


 しかしゾンビちゃんは納得がいかないらしい。怒ったように腕を組んで不服そうな表情を浮かべている。


「じゃあな、そこで砂遊びでもしていろ」

「アワワ……ちょっと待って!」


 去ろうと背を向ける吸血鬼にゾンビちゃんは慌てたように声をかける。吸血鬼は眉間にシワを寄せながらも後ろを振り返った。


「今度はなんだ」

「なんか抜けそうな気がスル」

「そんなわけないだろう、あんなに引っ張ってもダメだったんだぞ」

「引っ張るのダメだけど、押したらイケる!」


 ゾンビちゃんはまるでカタツムリがその殻に身を隠すように貯蔵庫の中へと入っていく。そして中からゾンビちゃんの声が響いた。


「入って中から押して!」

「はぁ? なんで僕が……」

「まぁ、試せることは試しておきたいんだよきっと。少し付き合ってあげたら満足するだろうし、ほらほら頑張って」

「全く……これが最後だぞ。終わったらすぐに遊戯室へ行くからな」


 吸血鬼はブツクサ文句を言いながらも地面を這って貯蔵庫へと入っていく。俺も壁をすり抜けて貯蔵庫へと無い足を踏み入れた。この透けた体でできることなどありはしないが、せめて吸血鬼の勇姿を見守ってあげようと思ったのである。


「シャツが土まみれだ……ほら、押してやるからとっとと寝転べ」

「ほーい」


 ゾンビちゃんは呑気な声を上げる。

 そして今度は足を外に出すような形で出口の穴にその体を滑り込ませた。もちろん体勢を変えてもそのお腹がつっかえて出られないという事実は変わらない。しかし改めて見るとものすごいお腹だ。吸血鬼が押しても引いてもそのお腹が小さな穴を通って外に出られるとは到底思えなかった。


「じゃあ押してみるぞ……よっ」


 吸血鬼はゾンビちゃんの肩に手を当て、出口へ押し出そうと力む。しかしやはりお腹がつっかえていて、外に出るのは無理そうだ。


「イタイイタイ」


 あまりに強い力がかかっているためか、壁がミシミシと音を立て始めた。ゾンビちゃんのお腹は今にも風船のように破裂してしまいそうである。


「やっぱりダメだよ、諦めてここで一晩過ごしな。一晩だけだから」


 俺はゾンビちゃんにそう言って慰め、吸血鬼に貯蔵庫を出るよう声をかける。

 吸血鬼はゾンビちゃんの肩から手を離し、やれやれとばかりに肩をまわした。


「やれるだけのことはやったんだ。諦めてここで一晩過ごすんだな」

「ッ……ふふ……」


 突然、ゾンビちゃんの纏う雰囲気がガラリと変わった。目を瞑り、口を堅く閉じて肩を震わせている。

 

「な、なんだ」

「ゾンビちゃん……?」


俺は吸血鬼と顔を見合わせ、恐る恐る穴を塞ぐゾンビちゃんの顔を覗き込む。

 するとゾンビちゃんは堪えきれなくなったように噴き出した。


「ふーはははははははは! 馬鹿め!!」

「誰が馬鹿だ!」

「アバッ」


 吸血鬼に頭を叩かれてなお、ゾンビちゃんはその邪悪な笑いをやめようとはしない。寧ろその顔にかかった影をより一層暗くした。


「貯蔵庫の出入り口はこの小さな穴だけ。そしてここは私が塞いでいる……この意味が分かるかな?」

「ま、まさか……」

「最初から僕を閉じ込めるために中から押してくれだなんて頼んだというのか」


 ゾンビちゃんはまた高笑いをして吸血鬼への返事の代わりとした。


「1人で寂しく過ごすなんて真っ平だ! キサマには道連れになってもらうぞ」

「どんだけ1人が嫌なんだ……」

「ゾンビちゃんって知能が高くなるのに比例して性格が悪くなるよね」

「なんとでも言え!」


 ゾンビちゃんは勝ち誇ったかのようにまた高笑いをする。しかしその高笑いは吸血鬼がゾンビちゃんの顎を強制的に閉じさせたことで酷く曇ったものに変わった。


「まぁ落ち着け。まさかお前がそんなにもここから出たがっているとはな」

「モガモガモガ」


 強制的に顎を抑えられているため、彼女の言葉は不鮮明でほとんど聞き取ることができない。

 吸血鬼はゆっくりと首を振り「何も言わなくて良い」などと言った。


「大丈夫だ、俺がなんとかしてやろう。待っていろ」


 吸血鬼はそこでようやくゾンビちゃんの顎から手を離した。

 思いの外優しい言葉をかけてきた吸血鬼に、ゾンビちゃんも心を開いたのかもしれない。ゾンビちゃんはその瞳に友情を込めて吸血鬼に言った。


「吸血鬼は今どういうことを考えているようなのだろうか?」


 吸血鬼はゾンビちゃんの言葉ににこやかに答える。


「別にお前のことを怒ってはいないさ。ちょうど爪を研いだばかりで、切れ味を試したかったし」

「……ん?」


 吸血鬼はその鋭い爪でゾンビちゃんの伸びてしまった腕を切り取った。

 目を点にする我々をよそに吸血鬼はゾンビちゃんの解体を黙々と進めていく。


「よーし、こんなものかな」


 その辺の棚から取ってきた大きな麻袋にゾンビちゃんの体を詰め終えると、吸血鬼は背伸びをして満足げに頷いた。手とシャツを返り血で真っ赤に染めていることを除けば非常に爽やかな姿である。

 血の滴る麻袋に詰められたゾンビちゃんは小さな穴をやすやすと通り抜け、外へと出ることができた。


「念願の外へ出られて小娘も喜んでいるだろう」

「でもこれじゃあ回復に一晩かかるよ」

「それならそれで良いさ。静かに余暇を過ごせる」


 吸血鬼はそう言って足取り軽く遊戯室へと向かう。

 彼の後ろには麻袋から滴った血が足あとのように続いていた。

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