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10、アンデッドへの羨望




「ギャッ」


 いつものようにダンジョン内を縦横無尽にパトロールしていたその時、どこからか短い悲鳴が聞こえた気がした。

 冒険者の侵入は感知していなかったが、念のため声の出処を探すと思いもかけないものを見つけた。


「……なにやってんの」

「あっ、ねぇ見てー侵入者」


 ゾンビちゃんは屈託のない笑顔で肩に担いだソレを誇らしげに見せる。

 ソレは緑色の皮膚と尖った耳を持つ小さな少年であった。彼はゾンビちゃんの肩の上で活きの良い魚のごとく大暴れしていたが、俺に気付くと驚いたような顔をしてこちらを見つめた。明らかに人間ではない。温泉を目的に来た観光客の魔物だろうか。


「ねー食べても良い?」

「ダメだよゾンビちゃん……ちょっと君、ここは人間の冒険者用通路だよ。親は? はぐれたの? 取り敢えず観光客用の裏通路まで案内するから」

「ち、違う! お前、吸血鬼さんの手下か?」


 少年はゾンビちゃんの肩の上で偉そうにそう言ってみせるが、その声は震えていて表情には怯えの色が浮かんでいる。よく分からない場所に怯えているのか、それとも見慣れぬレイスの透けた体に恐怖を抱いているのか。

 しかしそんなことよりも気になったのは少年の「手下」という言葉であった。


「はぁ? 俺が吸血鬼の手下? そんな訳ないだろ、強いて言うなら同僚だッ!」

「ソウダソウダ、食っちまうぞ!」

「ヒッ……」


 少年は明らかに怯えているがそれを絶対に悟られたくないらしい。ゾンビちゃんに担がれて小さくなりながらも必死に偉そうな言葉を吐く。


「ま、まぁ良い。俺は吸血鬼さんに会いに来たんだ。案内してくれ」

「吸血鬼に? それはまた、なんのため?」


 少年はゾンビちゃんの肩の上で腕を組んでふんぞり返り、鼻息荒く言った。


「俺は吸血鬼さんの弟子になるんだッ!」




***********




「と、いうわけで師匠。お弟子さんの育成頑張ってください」

「シショー、ガンバ」


 俺たちは笑いをこらえながら吸血鬼にエールを送る。

 吸血鬼は明らかに困惑した様子で、手に持ったグラスからビチャビチャ血液を零している。


「な、なんだいきなり。そんな急に言われても」

「弟子にしてくれると言うまでここを動きません!」


 少年は地面に正座し、目を輝かせながら吸血鬼を見上げている。どうやら弟子になりたいと言うのは本気だったらしい。


「というか君、ゴブリンだろう。近くのゴブリン鉱山から来たのかい?」

「俺に家はありません、全てを捨ててここに来ました!」

「全てを捨ててまでなんでまた僕のとこに」

「俺、吸血鬼さんに憧れているんです」

「ええっ、僕にか?」


 吸血鬼は「まいったなぁ」などと言いながらもその顔を綻ばせた。少年はそこに勝機を見出したか、矢継ぎ早に言葉を放っていく。


「俺、小さい頃から吸血鬼になりたかったんです! 目が赤くてカッコいいし、死なないし、強キャラ代表格って感じ!」

「そうかそうか、カッコいいか!」


 吸血鬼は満更でもないといった風に頷いているが、第三者的視点でそれを見ていた俺は気付いてしまった。


「それ、吸血鬼個人じゃなくて吸血鬼っていう種族に憧れてるんだよね?」

「えっ、そうなのか?」

「そうですよ」


 少年は特に悪びれた様子もなく頷く。

 吸血鬼はややガッカリしたようだが、それでもまだ少しは嬉しいらしい。


「ま、まぁ我が種族に憧れてくれているのは素直に嬉しいからな。そう無下にもできない。少年よ、弟子にはしてやれないが少しだけなら戦いの稽古をつけてやっても良いぞ」


 いつになく優しい吸血鬼を見て、ゾンビちゃんがポツリと呟く。


「ブタモオダテリャキニノボル」

「おっ、ゾンビちゃん今日調子良いねー」

「なんだと!? 貴様食べ過ぎだ、もう食わせないようスケルトンたちに言っておくからな!」

「ソンナー」

「そうだ、お前を冒険者に見立てて首を掻き切る……じゃなくて、稽古をするのも一興だな。君もそう思うだろう?」


 吸血鬼はノリノリで少年に同意を求めるが、少年は冷めた顔で首を横に降る。アンデッドにも優しい殊勝な少年なのかと思ったが、少年は意外なことを口にした。


「あのー、師匠というのは比喩でして。稽古とかそんなに難しくて面倒なことをしてもらおうとは思っていないんです」

「んん? では君は僕になにを求めているんだ?」


 吸血鬼が聞くと、少年はおもむろに首元を露出させて満面の笑みを浮かべた。


「俺の血を吸って、吸血鬼にして欲しいんです!」

「……は?」


 俺たちは思わず固まった。

 少年はどうしてそんな反応をするのか分からないとばかりにニコニコと笑いながら首をかしげる。


「なにを言い出すかと思えば……」


 沈黙を破ったのは吸血鬼だ。彼は心底ガッカリした様に大きくため息を吐いた。


「血を吸ってくれ、だって?」

「はい! ガブッといっちゃってください」

「ダメに決まっているだろう」

「えっ、なんでです?」


 少年はキョトンとした顔で吸血鬼に尋ねる。どうしてそんな意地悪をされなければならないのか、とでも言いたげである。

 吸血鬼は頭を掻きながらその辺にあった椅子に座り、面倒くさそうに少年を見つめた。


「不死身の体を欲する者は割と多くてね、吸血鬼になりたいと大金を積んでくる者もいるくらいだ。しかし吸血鬼の数が増えすぎれば住処や食料の奪い合いに繋がりかねない。まぁ不慮の事故が起こることもあるが、これ以上吸血鬼を増やさないよう吸血鬼間で暗黙の了解があるんだ……それともう一つ。そもそも僕はゴブリンの血を飲むつもりは毛頭無い!」

「ええっ!? そんな、種族差別ですか!」

「差別ではない、好みの問題だよ。エルフやサキュバス、マーメイドあたりなら考えても良いがゴブリンの、しかも男など論外だ」

「そ、そんなぁ」


 少年はベソをかきながらなんとか吸血鬼を説得しようと色々な事を言うが、吸血鬼は頑として首を縦に振らない。可哀想な気もするが吸血鬼の言い分も分かるし、なによりこんな少年が吸血鬼になれたところでその力を使いこなせるとも思えない。「吸血鬼」というのは確かに強い腕力や鋭い牙を手に入れることができるが、代わりに色々な弱点を負うことになるのだ。

 俺はグズグズと駄々をこねる少年にその覚悟を問うた。


「吸血鬼になったらもう太陽の下を歩けないし、今まで食べていた物も食べられなくなるんだよ。そうまでしてなりたいの?」

「なりたい! なりたいなりたーい!」


 手足をジタバタさせながら少年は叫ぶ。ゴブリンは元々体の小さい魔物だし、その正確な年齢はよく分からない。しかし顔つきやその言葉遣いなどから察するに、おそらく15歳そこらだろう。なのにこの騒ぎよう。経験がないのでこれまたよく分からないが、ゴブリンとはこのような子供っぽい性格なのだろうか、もしくはこの少年が異常なのか。


「じゃあ吸血鬼ナンテやめてゾンビになりなよ。おいし……じゃなくて楽しいよ」


 ゾンビちゃんはそう囁きながらそろりそろりと少年に近付く。しかし少年は急に真面目な顔して立ち上がり、ゾンビちゃんに手のひらを突きつけてその誘いを突っぱねた。


「ゾンビは嫌」

「ナンデ!?」


 ゾンビちゃんは心底不服であるというふうに声を上げる。

 少年は先程までとは全く違う落ち着いた声で答えた。


「だってゾンビになったら知能が落ちるし、見た目もカッコ悪いし、何よりゾンビっていう肩書が嫌」

「なんだと! ナニがカタガキだ、その肩食いちぎってやる!」

「ひっ」

「こらこらゾンビちゃん。っていうかゾンビちゃんお肉食べたいだけでしょ」

「ソウダヨ。緑の肉、ドンナ味するかな」


 ゾンビちゃんは満面の笑みを浮べて口元を拭う。

 少年は怯えた表情を浮べて一歩二歩と後退りし、ゾンビちゃんと距離をとった。


「ううっ、ねぇ早く俺を吸血鬼にしてよ。吸血鬼にさえなれたらさっさと出ていくからさぁ」


 少年は泣きべそかきながら吸血鬼に懇願する。同じ魔物とはいえ、やはりアンデッドには恐怖を抱くのだろう。酷く怯えてしまったようだ。

 しかし吸血鬼は腕を組み、口をへの字に曲げて渋い顔をするばかり。


「そもそも君はゴブリンだろう。なぜゴブリンとして生きようとしない?」

「なぜって、決まってるじゃん。ゴブリンなんてカッコ悪いからだよ!」

「カッコ悪い?」

「そうさ。小さいし、緑だし、仕事と言ったら鉱山から金属を掘り出す事ばっかり。俺はもっと華やかで派手な仕事がしたいんだ!」

「ゴブリンの掘った金属は魔王の剣となったり、アクセサリーとして魔族の姫君を飾り立てたりしているではないか。とても立派な仕事だと僕は思う。それに、たとえ吸血鬼になったとしても身長は伸びないし皮膚の色もそれほど変わらないし、華やかな仕事につけるかは当人次第だ。運と実力がなければあっという間に灰になってしまうぞ」

「お説教はもうたくさんだ! 良いから俺の血を吸えええ」


 少年はそう叫びながら吸血鬼に飛びかかるが、残念ながら吸血鬼を倒すには背が足りない。結果、少年は吸血鬼の足にしがみつき、子供が父親と相撲を取っているような形になってしまった。

 吸血鬼は呆れて目を回しながら「もうたくさんなのはこっちだ」と吐き捨てる。


「さっさとゴブリン鉱山に帰れ、さもなくば貴様の首掻き切ってゾンビ共の餌にするぞ」

「ひえっ……」


 吸血鬼の気迫に気圧され、少年はただでさえ小さい体をさらに縮こめる。しかし少年は意を決したように震える体を起き上がらせて無謀にも吸血鬼に立ち向かった。


「お、俺だってやる時はやるんだぞ……ただのゴブリンじゃないんだからな!」


 少年は雄叫びを上げながら体中に力をこめる。

 なにやってんだよ、少年漫画じゃあるまいし。などと少々冷めた目でそれを見ていた俺たちだったが、こけ脅しではなかったらしい。少年の体には確かな変化が起きていた。

 その体を覆うようにごわごわした毛が生え、それと同時に爪が伸び、その牙も吸血鬼を凌駕するほど大きくなっていく。そして最後に口と鼻が伸び、裂けた口から赤い舌をだらりと垂らした。

 その姿はまるで犬……いや。


「犬男!」

「狼男だッ!」


 少年は鋭い牙を剥き、吸血鬼に再び飛びかかる。

 狼化したお陰だろうか、先程よりは動きにキレが増したような気がする。攻撃力も増しており、その鋭い爪は吸血鬼のスラックスを切り裂いて彼の足に食いこんだ。

 しかし所詮はゴブリン。その体は小さいままだし、口が小さすぎて吸血鬼の太腿に噛みつくことができない。その牙をなんとか吸血鬼の脚に突き立てようと努力しているようだか、傍から見れば犬が足にヨダレを擦り付けているように見える。

 一方、吸血鬼は大事なスラックスを破かれたことにご立腹のご様子で、冥界の番犬ケルベロスをも震え上がらせるほど凶悪な表情をしている。


「貴様……!」

「ギャン!」


 吸血鬼は物凄い速さで腕を振り下ろし、少年の首根っこを掴んで持ち上げる。最初はなんとか吸血鬼から逃れようともがいていた少年だが、凶悪な表情を浮かべた吸血鬼にひと睨みされた途端、飼い主に怒られた小型犬のように萎れてしまった。

 結局吸血鬼のスラックスを破いただけで本人にダメージを与えることはできなかったし、吸血鬼に首根っこを掴まれてしょげている姿はとても狼には見えない。やはり少年には「犬男」の名称が相応しい。俺は改めてそう思った。


「狼男の力を手に入れ、それでも飽き足らず次は吸血鬼、と……呆れたやつだ」

「キャウーン」

「おいレイス、狼男はアンデッドだったかな?」

「いや、多分違うと思うよ」

「そうか、残念だ。アンデッドなら百回は殺せたのに、お前は一回しか殺せない。ならば大事に殺すとしよう」

「ひえっ、お、お助け……アギャッ」


 吸血鬼は手始めに少年のその大きな牙をへし折り、その辺に投げ捨てた。少年は痛みと恐怖で顔をどろどろにしながら泣きわめく。全くの自業自得ではあるが少々可哀想に思えてきて、さらに片方の牙も折ろうと手を伸ばす吸血鬼を止めようとしたその時だった。

 大きな緑の塊が部屋に転がり込んできたのだ。


「クォルァ! たかしィ!」


 それは緑色の皮膚と尖った耳を持つ小柄な魔物であった。その頭には焼きそばのような毛髪が生えており、分厚い唇には真っ赤なルージュが塗られている。

 ゴブリンの、恐らくは年配の女性であろう。

 鬼の形相で少年を睨みつける女性。少年は彼女を見るや、ドロドロの顔をさらにしわくちゃにして叫んだ。


「母ちゃん! なんで!?」

「ゴブリンが嫌だとか抜かして狼男になって戻ってきて、これからの時代は魔法だとかなんとか言って魔法使いに魔術書をどっさり買わされて帰ってきて、冒険者の従者になるとか言って返り討ちにされて帰ってきて、そろそろ吸血鬼あたりが来るだろうって思って来てみたらこれだよ! アンタって子はどうしてこう馬鹿なんだろうねッ」


 女性は少年を吸血鬼の手から引きずり下ろし、そのおしりを平手でバシバシ叩いた。そのたびに少年は情けない声を上げる。


「うわーん、母ちゃんゴメンよ」

「ゴメンと思うならちゃんと父ちゃんの仕事手伝いな! アンタ一体いくつになったの!?」

「痛ッ……32だよぅ」

「さ、32!?」


 その衝撃に俺は思わず声を上げてしまった。

 なにせ、彼は俺の思っていた年齢の二倍以上年を食っていたのだ。彼は少年なんかではない、いい年した大の大人だったのである。

 少年ならば途方もない夢を叶えられると信じたり、今とは違う自分になりたいと願うのも分かるが、32歳がそれをやっていたかと思うと……「地に足つけて生活したら?」と思わざるを得ない。


「本当に息子がご迷惑お掛けしました、ちゃんと言って聞かせますのでどうかご容赦いただけないでしょうか」

「あ、ああ……はい」


 先程まで怒りのあまりゴブリンを殺そうとさえしていた吸血鬼だが、母親の登場とその年齢に対する驚きで怒りが随分引いてしまったらしい。

 母親は俺達に丁寧に詫たあと、息子の首根っこを掴んで引きずるようにしながらゴブリン鉱山へと帰っていった。




***********



 後日ゴブリン鉱山からコウモリ便で荷物が届いた。スラックスのお詫びだと言っていくらかのお金と鉱山でとれた金属で作ったという美しいナイフが小さな箱に入れられ、さらに手紙も同封されていた。

 手紙の最初には息子の無礼を詫びる文言が並んでいた。相当たくさんお詫びの文書を書いてきたのだろうか、その手紙からはどことなく「書き慣れた感」が漂ってくる。

 そして最後はこんな言葉で締められていた。


『これを書いているうちに息子がエルフを攫って嫁にするとの置き手紙を残して出ていきました。もし息子の情報を知っていましたらどうかご連絡ください』

 

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