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73 アスターテの決意


「つまり民衆は欲求を満たしてくれる統治者に付いて行く。けれども満たされれば満たされるほど、個々の欲求は細分化して相反し、満たすのが難しくなって行くと言う訳ですのね」

 アスターテの言葉に僕は頷く。

 最も基礎的な欲求は生存だ。

 腹を満たす食と寝床。

 此れを与えられる支配者こそが良い統治者なのは、どの世界でも変わりがなかった。

 ただし食と寝床が与えられて人が其れに慣れれば、次はより良い味の食、単なる寝床では無く清潔な寝床、もっと言えば安全な生活環境を求め出すだろう。

 外敵を排除し、疫病に備え、その欲求に終わりは無い。

 其れ等が満たされれば社会は安定し、社会が安定すれば欲求は複雑化する。

 様々な物事を考える余裕が出来て、考え方に差異が生まれ、思想や文化が出来て行く。

 産業、経済、貧富の格差、軍事等々、人類社会が成熟すればする程、統治者が民衆の要求を満たす事は難しくなるのだ。


「貴方の様な存在を沢山呼び出して欲求を満たし続けて貰えば……、楽なのでしょうね」

 自嘲気味なアスターテの言葉に、僕は苦笑いを浮かべる。

 悪魔の存在は劇薬と同じで、どうしようも無い時に頼るなら兎も角、常時頼ろうとすれば簡単に道を踏み外す。

 否、悪魔を呼び出そうとする事自体が、既に道を外れた行為であるのだ。

「別に良いけど、対価が大変だよ。毎年国民の中から生贄を出して統治する? そう言う国もあるけどね。対象は悪魔じゃ無くて神だけど、まあ似た様な物かな」

 アスターテも言ってみただけなのだろうけど、もしかすると彼女は、自分だけが僕の様な存在に頼ってる事に罪悪感があるのだろうか?

 多分其れはとても正しい感性なので、大事にして欲しいとは思う。

 ……まあ僕としては少しばかり寂しいけれども。


「流石に冗談でしてよ。……って、そんな国がありますの? 本当に?」

 アスターテの問いに、僕は頷く。

 御利益がある神様に生贄を捧げてた国もあれば、特に何も無い神に生贄を捧げていた国もある。

 此の世界の国々は知らないが、他の世界なら歴史まで振り返って見てみれば別に珍しいって程の事じゃない。

「神頼み、悪魔頼みしたくなるくらい、統治は難しいって事だよ。僕の知る限りでは、実際に神から恩恵を受け続けた国でも何時かは滅びてるしね」

 ちなみにその中には僕が滅びに関わった国もあった。

 生贄に選ばれた娘の父に『娘を助けて欲しい』と召喚されたが、其の国に加護を与えて餌場にしていた其の世界の神性はとてもしつこい性格だったので、面倒臭いし逃げ隠れはやめて其の神性を滅ぼしたのだ。

 すると国の舵取りさえも神頼りだった其の国も、神性と一緒に滅びてしまった訳である。

 あの時は後始末も時間が掛かったし、其の世界の他の神性からも苦情を言われたしで非常に大変だった。

 だから基本的には、自分で解決出来る事は、超常の存在等に頼らずに自分で解決すべきなのだ。

 悪魔である僕が言うのもなんだけれども。


「まあ何時も通り、僕の意見が絶対正しい訳じゃないから、自分でも考えて色んな方向から物事を見てね」

 僕が授業の〆に使う言葉を言えば、アスターテはこっくりと頷く。

 さて今日は此れで終わるとして、明日は何の話を彼女にしようか。

 そんな事を考える僕に、アスターテは席を立たず、此方を見据えて真っ直ぐに問う。

「レプトさんから見て、……この国はもう立て直す事は不可能ですの?」

 アスターテの言葉に、僕は首を傾げて少し考える。


 僕がアスターテに色々と教え初めて一年程が経過したが、その質問が出るって事は、大分物事を客観的に見る事が出来る様になって来たと思う。

 昔の彼女なら此の国はずっと変わらないと思い込んでいたから、情報を得ても其れを分析しなかった。

 元々頭は賢いのだが、考え方がわかってなければ、その知能は発揮されない。

 そう言う意味でアスターテが自分からこの質問をしたのは、僕にとって少し嬉しい事だ。


 此のままの体制で、と言う事なら勿論不可能である。

 何故なら僕が大分引っ掻き回したので、王家の求心力が地に落ちているから。

 いやまあ僕が何もしなくても同じ結果になった可能性は凄く高いのだけれど、少なくとも状況が加速した事は違いが無い。

 現状は小康状態だが、其れは最有力貴族であるサーレイム公爵が立ち上がるのを、他の貴族が待ってる為だ。

 もし此のままサーレイム公爵が動かなければ、やがてしびれを切らした他の貴族が立ち上がるだろう。


 そしてその時は、此の国の混乱に乗じて領土を掠め取ろうと狙う隣国も恐らく動く。

 一番良いのはサーレイム公爵が立ち上がって電光石火で落ち目の王家を追い落とし、貴族を纏めて隣国を牽制する事なのだけど……。

 多分サーレイム公爵は其れしかないとわかっていても、踏み切るには今の国への愛着が強いのだ。

「今の王家を頂点に据えた国って意味ならもう不可能だね。この地の民が生きる国って意味なら、君の父親が早めに動けば何とかなるよ。他の貴族じゃ、多分隣国の介入が防げないからね」


 或いはアスターテが今の形の国を救えと僕に願うのなら、勿論其れも不可能じゃ無い。

 王家の権威を復活させる事も、隣国の全てを消し飛ばす事だって可能だ。

 でも其れは僕にとって非常につまらない仕事で、……まあ当然対価は相応に支払って貰う事になる。

 アスターテは暫し目を伏せて悩んだようだが、結局その言葉を口にはしなかった。

 賢い子だなと、そう思う。

 或いは、賢さを発揮出来る子になってくれたとも。

「レプトさん、近々父と話そうと、そう思いますの」

 代わりに口にしたその言葉には、彼女なりの決意を感じた。


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