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71 と言いつつもう少しだけ続く


「でも具体的にどうすれば私は幸せになれるのかしら……?」

 悩みながらも僕の手を取ったアスターテ。

 取り敢えずは先ず地下室を出て、そう、厨房へ行こう。

「先ずは、ご飯だね。アスターテ、君、ちゃんと食べてないでしょう? 厨房に行こう。僕が何か作ってあげる」

 僕は彼女の手を離さずに、手を引いて歩き出す。

 アスターテは少し戸惑っていたようだけど、抵抗せずに付いて来た。

 と言っても、僕はこの保養地の屋敷の事はわからないので、場所は彼女に聞くしかないのだけれども。



「あの、一つ伺ってもよろしくて?」

 厨房で中華鍋を振る僕に、少し迷った様だが、ズバリとアスターテが問うて来た。

 塩コショウをひとつまみ、鍋の中に振りかけて、僕は頷く。

 今僕が作ってるのは、ご飯を卵黄でコーティングした、パラパラの黄金チャーハンだ。

 具は刻んだロースハムと葱。

 漂う暴力的な匂いに、ごくりとアスターテは唾を飲み込む。

「……ではなくて! あの、色々と疑問はあるのですけど、その見た事の無い鍋とか、料理とか、でも其れよりも、何故我が家の使用人は貴方を疑問に思わないのかしら?」

 成る程、疑問は尤もだ。

 確かに会った事の無い筈のメイド達が平然と僕に挨拶したり、料理人も片手を上げて挨拶するだけで厨房を僕に貸してくれたら、現在の此の屋敷の主としては驚くだろう。

 でも割と説明がややこしいので、そうだな……。

「はい、黄金チャーハン一丁、お待ち遠さま。まあ、説明はソコソコ長くなるから、食べながら聞いてよ。冷めたら美味しくないしね」

 皿にチャーハンを盛り付けて、レンゲと一緒に差し出す僕に、アスターテは頷いてその皿を手に取った。


 当たり前の事なのだけど、僕を悪魔とは知らなくても、見知らぬ人間が居ると誰でも警戒をする。

 だが人の中には、見知らぬ相手にも警戒され難い類の人物と言うのは、ごく稀にだが居るものだ。

 影の薄さは人当りの良い雰囲気等、様々な要素が積み重なっての事でもあろうが、人の警戒心の隙間に入る術と言うのは確実にあった。

 そして其れを魔法で再現強化している為、先程からこの屋敷の使用人達は僕に違和感を持たないのである。

 とある警戒の厳しい世界に召喚された時、人と会う度に暗示を掛けねばならないのが余りに面倒臭かったので、ヴィラと共に開発したのだ。

 僕はぬらりひょんの魔法って呼んでるけれど、ヴィラはその名称が気に入らないらしい。

 ぬらりひょん、良いと思うんだけどね。


「うん、そんな感じなんだけど、美味しい? 御代わり要る?」

 僕は苦笑いを浮かべて、あんまり話を聞いて無さそうなアスターテに問う。

 彼女はすっかりチャーハンの虜で、話よりも食事の方に夢中だった。

 がっついたり、かき込んだりはしないのだけれど、咀嚼の速度とレンゲを口元に運ぶ速度はかなり素早い。

 此の屋敷にやって来てから、多分あまり食べて無かったのだろう。

 思い詰めていた精神が僕の出現で少し緩み、其処に強烈な匂いで胃袋を刺激された物だから、抑え込まれていた食欲が噴き出した形だ。

 何にせよ、食べれるって事は良い事だった。

 お腹が満ちれば、下を向いてた気持ちも、お腹に物が入った分だけ上向く。

 僕はお茶を入れた器を彼女が食事するテーブルに置くと、もう一度厨房へと足を向ける。

 チャーハンばかりってのも芸がないし、……次はエビチリも添えようか。



「悪魔よ! 貴方って悪魔だわ!」

 うん、その通りなんだけど、非難の意味で使われると、ちょっと釈然としない。

 ご飯食べさせただけなのに……。

 アスターテは、チャーハン二皿にエビチリ一皿、ついでにカニ玉一皿とデザートのマンゴープリンを出されるままに次々と食し、食後にお腹を抱えて我に返ったのだ。

 まあ一寸、食べ過ぎかな?

「でも暫く食が細かったならこんなもんでしょう。良いじゃない。細いんだし、別に。食べたら元気出たでしょ」

 僕を悪魔と罵れる位には、ご飯を平らげたアスターテは元気になった。

 未だ彼女はお腹を押さえながら、わかってないとかブツブツ呟いてるけど、この屋敷には料理人も居るんだし、僕が料理をする事は滅多に無いだろうから気にしない。

 別に僕がプロに比べて料理が上手って訳じゃ無く、単に此の世界に無い調味料をたっぷり使って舌を殴り付けただけだ。

 偶に食べれば美味しいだろうが、毎日食べるなら慣れ親しんだ味が良くなるだろう。

 皿を魔法で綺麗に洗い、収納に放り込む。


「じゃあお腹も満ちた所で、アスターテにして貰う事を言うけど、先ずは勉強だね。君は綺麗だし、素質もあるけど、色々と足りてない」

 お腹が満ちて文句も言い、色々とスッキリした表情でお茶を飲むアスターテに、僕は本題を切り出した。

 その言葉を聞いたアスターテは少し不服そうな表情をするが、勿論其れも予想済みだ。

「あの、私は此れでも一流と呼ばれる教育を受けて来ましてよ?」

 彼女の言葉に、僕は頷く。

 けれど必要なのはその教育じゃない。

「其れは王族の妻になる為の教育だよね。出しゃばらずに夫を支え、他家の妻と夜会で交流してコネを作る為の教育だ」

 言い方は悪いが、そんな教育を受けて来たからこそ今回の事態に相成ったのだ。


 そもそもアスターテが今回の事態に陥ったのは、九割以上はアストリア王子の責任である。

 すり寄って来た男爵令嬢をキッパリと遠ざけるのは、本来王子が自身の評判を守る為にも己で行わねばならない事だった。

 にも拘らずアスターテは王子への働きかけで無く、男爵令嬢への注意と言う形で動く。

 此れは間違いなく、王子の行いには意を挟まず、女性社会の中で己の位置を守れと言う教育の歪みの発露だろう。

 勿論彼女が王族の妻となるのなら、その教育が悪いと非難する心算は無い。

 だがアスターテの視野がもう少し広く、複数の面から物事を考えれたならば、アストリア王子の行動に疑問を抱いた時点で公爵家を通して王家に抗議をしても良かった筈だ。


 まあ結局アスターテには、自分を守る為にアストリア王子の立場を悪くするような行動は取れず、男爵令嬢のマルーシャだけを悪いと思い込むしかなかった。

 故にアスターテには、複数の立場から物事を考え、客観的に自分や相手を観察出来る、視野の広さを身に付けて貰おうと僕は思う。

 まず現状の認識を正しくしないと、彼女が望む未来のビジョンは歪んだままだから。

 だってアスターテは、既に王子に貰った指輪、絡み付いた想いはもう捨てている。

 想いを断ち切ったアスターテに、何故王子の婚約者である事に拘ったのかを聞けば、そうあれと定められてそう教育されたからとの答えが返って来た。

 つまり今の彼女は他に何も持っていない、空っぽの状態なのだ。


「だからこそ、アスターテ。君は、今度は自分で其の中身を見付けるべきだと、僕は思うよ。其の為に勉強してもっと色んな事を知る必要があるんだ」


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