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68 悪魔王の戦争


 紡ぎの女侯。

 彼女が放った鬼気を、僕は手で散らして巧とイーシャを守る。

「この慮外者め。妾の物語を潰したばかりか、その魂まで掠め取ろうとするとは!」

 空に浮かぶ紡ぎの女侯が、手を伸ばすのはイーシャに向けて。

 けれども、バチリと僕が睨めば女侯の手は弾き飛ばされた。

 僕は女侯を鼻で笑い、

「つまらない物を書いてるからだよ。それにね、この二人は元々僕のだ。薄汚い手を伸ばさないでくれるかな」

 巧とイーシャを抱きかかえて腕の中に守る。


 本来、イーシャの魂は紡ぎの女侯の契約下にあり、形は兎も角僕との再会を果たした以上、女侯の意思で其れを回収する事が出来てしまう。

 だが悪魔との契約を誤魔化す方法は、実の所幾つかあるのだ。

 太古の昔から狡猾な魔術師が、悪魔への対価を誤魔化した例は山ほどある。

 例えば下級の悪魔が相手なら、死の間際に何らかの動物を殺す事で、動物の魂を契約者の物だと勘違いさせて持って行かせたりと言った具合に。

 今回イーシャが契約を行ってる相手は下級悪魔なんかじゃなく、よりにもよって悪魔王なので、そんな単純な手には当然引っ掛からない。


 しかし例え悪魔王と言えど、イーシャが先に僕に魂を捧げて悪魔になってしまえば、其れはもう別の存在なので契約対象とはならなくなる。

 だからこそ、紡ぎの女侯は其れを恐れて慌てて出て来たのだ。

 でも此処は僕の魔界で、僕の意思こそが最優先される世界の法則。

 僕の魔界の中に手を突っ込んで、イーシャを攫って行く事なんて、誰であろうと出来やしない。


「おのれっ、下郎がっ!」

 紡ぎの女侯がどんなに気炎を吐こうとも、既にそれは負け犬の遠吠えだった。

 僕が固有魔界を持つ悪魔王だと気付かなかったのが彼女の敗因である。

 けれども、彼女の本当の敗北は此れからだ。

 僕には、今のイーシャを配下の悪魔にする心算は無い。

 勿論僕だってイーシャの気持ちはもうわかってる。

 でも其れでも、今のイーシャはいろはって名前の子供なのだ。

 せめて大人になるまでは人として、出来る事なら巧の友として、成長してから道を選んで欲しいと思う。

 其の為に僕は彼女を此の魔界に匿い、人のままであの世界へと返す。


 契約は、契約対象が存在しなければ立ち消える。

 そしてそれは、別にイーシャの側だけの話じゃない。

 配下達が、アニスに連れられて魔界に帰還して来た。

 僕の周りに全員が並ぶ。

「紡ぎの女侯、随分醜く顔を歪めてるけどね、怒ってるのは君だけじゃないよ。本当に怒ってるのは僕の方さ。だから僕は、今から悪魔王『紡ぎの女侯』、君の魔界を攻め滅ぼす!」

 そう、消えるべきは紡ぎの女侯だ。




 戦争のやり方は、グラーゼンから聞いている。

 悪魔王同士が互いに軍勢を相手の魔界に送り込もうとした時、双方の魔界が干渉し合い、その間に回廊と呼ばれる新しい領域を作り出す。

 其の回廊を主戦場として、互いに塗り潰し合うのが悪魔王同士の戦争だ。

 グラーゼンは自分の軍勢を貸すと言ってくれてたが、僕は其れを断った。

 そりゃあ彼の力を借りたなら、楽な戦いになるだろう。

 何せ紡ぎの女侯が八軍団を率いる悪魔王なのに比べ、グラーゼンの軍団数は百を越えるのだから。

 でも僕は、グラーゼンが蟻を踏み潰すのを見る為に戦争を吹っかける訳じゃ無い。


 繋がった回廊は、最初から随分と紡ぎの女侯の浸食を受けていた。

 回廊内の風景は、浸食する悪魔王の魔界の景色に染まるので、どちらが優勢かは一目でわかるのだ。

 まあ当然だろう。

 配下の悪魔の絶対数に、僕と彼女じゃ大きな開きがある。

 高位悪魔のみを数えるにしても、八対四。僕の配下は彼方の半数なのだから。

 しかし其れでも、まあ先ず負ける事は無い。

 何せ僕はこの数年、この戦いに向けての備えをずっと行って来たのだ。


 回廊内を並び立って進軍する紡ぎの女侯の軍勢に、複数の門を開いたアニスが四方八方から、収納から取り出した核ミサイルを撃ち込む。

 如何に核ミサイルと言えども魔力を帯びない攻撃では、悪魔が滅びる事は無い。

 けれども肉体を破壊されれば再生には少し手間取るし、そうで無くても吹き荒れる爆風には動きを封じられるのだ。

 人間が強い風に、身体を傷付けられなくても動きを阻害される様に。

 そして動きを止めた紡ぎの女侯の軍勢に、同じくアニスの門を通って放たれたヴィラの魔法、僕とリンクする事で、僕が扱うそれと寸分違わぬ破壊力の攻撃魔法が、悪魔の群れを焼き払う。

 下級も中級はほぼ全て、油断していた高位の悪魔も数体が、ヴィラの魔法で消し飛んだ。

 更に何とかその魔法を防ぎ切った高位悪魔の首が、ズバリと刎ねられ、細切れにされた。

 核や魔法を目晦ましに、背に乗せたピスカの隠形頼りで忍び寄った、ベラの爪が高位悪魔を狩ったのだ。


 敵の数的優位は一瞬で消し飛び、糸に覆われていた回廊の風景は暗黒空間がほぼ侵食を果たす。

 残敵の掃討にも然程の時間は掛かるまい。

 僕と紡ぎの女侯では、配下の有能さに雲泥の差がある。

 グラーゼンでさえもが、ゲリラ戦に徹した僕の配下とは決して戦いたくないと言う程に。

 でもその分、僕が近接戦闘では致命的に弱いからバランスは取れてると思う。



 さて回廊の制圧が終われば、いよいよ悪魔王の出番だ。

 配下と共に回廊を渡り、相手の魔界に乗り込んで、敵の悪魔王を討ち取れば、相手の魔界を支配出来る。

 領域を増やし、蓄えていた力も一部を我が物と出来るだろう。

 ……まあ僕は行かないが。


 さっきも言った通り、僕は近接戦闘では致命的に弱い。

 相手の魔界に乗り込めば、不覚を取る可能性は大いにあった。

 ならば一体どうするのか。

 当然アニスの門を使って、回廊を跨いでの砲撃魔法で、相手の魔界を消し飛ばすのだ。

 ヴィラがサポートしてくれた場合に限るが、僕の魔法の威力は、或いはグラーゼンさえをも上回るのだから。

 僕もヴィラも、現代以降の世界を知ってるので、空爆の優位性は知っている。

 古来より続く悪魔王同士の戦争の作法に、付き合う心算はサラサラなかった。


 ヴィラが計測した場所にアニスが門を開き、僕の魔法が撃ち込まれ、的確に紡ぎの女侯の魔界が破壊されて行く。

 やがて耐え切れなくなったのだろう。

 ボロボロの姿で、満身創痍の紡ぎの女侯が回廊を通って此方の世界に攻め込もうとして……、回廊内に隠れ潜んで居たピスカとベラに討ち取られた。

 彼女は消え去る瞬間まで、何事かを延々と喚いていたが、特に興味も無いので聞いていない。

 何にせよ、此れで僕等の勝利である。

 あまりにあっさりとした勝利だった為、こっそり見てた観客のグラーゼンが非常に不服そうだったが、だから勝つから手助けは要らないって言ったんだよ。



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