67 悪魔達は動き出す
巧が小学校に入ってから五年が過ぎた。
未だ反抗期は来てないが、大分生意気さは増して来て、其れが見ていてとても楽しい。
例のイーシャの生まれ変わり、加納いろはに関しては、矢張り毎年巧と同じクラスだ。
流石に低学年の頃と違って男女の区別が確りして来ると、巧といろはの距離は少し開いたが、其れでも定期的に遊びに来る程度には仲は良かった。
僕にもかなり懐いてくれていて、巧がゲームに夢中な時等は僕と話をしながら待つ事も多い。
喜びも安堵も、懐かしさも怒りも、表に出せない僕にとっては表情筋の修練の様な時間だけど、二人は少しずつ大きく育って行く。
ヴィラが予測した核戦争の開始は、来年か再来年に迫っている。
準備も既に完了済みだ。
かなり思い悩んだが、巧にも全てを話した。
勿論最初は巧も驚き、そんな事がある筈は無いと反発したが、僕が巧に嘘を言わないのは、誰よりも彼が知っている。
「なら、レプトが今まで僕を助けてくれたのは、僕がそのグラモンって人の生まれ変わりだから?」
巧の問い掛けはまるで縋る様だった。
彼の気持ちはとても分かり易い。
否定して欲しいと、目が、声音が、顔色が、巧の全てが訴えかけて来る。
そんな事は関係なく、巧が巧であったから共に過ごしたと、彼はそう言って欲しがってるのだ。
「勿論、そうだよ。そうで無かったら僕はこの世界に現れなかったし、巧の事も見つけれなかった。あのね、僕はこんな風に見えても、其れでも悪魔なんだ」
でも僕は、巧の言葉に頷く。
巧に対して、大事な問いは誤魔化さない。
此の世界に現れてからずっとそうして来た様に、僕は巧に正直に答えた。
ただでも、一つだけ、一つだけ聞いて欲しいと思う。
「でもね、巧。僕は悪魔だから、以前の君の願いで此処に居るけど、……もし今の君が願うなら、来世の君も救うだろう。僕は巧が大好きだからね」
此れが誤魔化しを交えない、僕の本音だ。
巧はまるで僕の言葉を噛み締める様に、俯き、目を閉じていた。
どれ位そうしていたのだろう。
やがて顔を上げた巧は、
「わかった。レプトに協力するよ。レプトがいろはに何するのか、あんまり良くわからないけど、でも僕やいろはの為なんでしょう?」
僕に向かってそう言った。
だから僕等は、温めて来た計画を実行に移す。
「レプトー、いろは連れて来たよ、何か食べるモノある?」
「おじゃましまーす」
きゃいきゃいと、玄関から子供二人の声と、はしゃいだベラの吠える声も聞こえて来た。
僕はリビングに入って来た二人に笑みを浮かべながら、
「ん、昨日買ったケーキがあるから切ってあげる。ちょっと待ってて」
トンと足を踏み鳴らす。
すると辺りの景色がガラリと変わる。
僕と巧の過ごした一軒家から、何処までも暗闇の続く暗黒空間へと。
その中央にはドンと天に伸びる魔術師の塔や、茶器の乗った白いテーブルに付属の椅子、僕や配下が彼方此方の世界で稼いだ金銀財宝の類等が適当に置かれている。
そう、此処は、
「巧にいろは。ようこそ、僕の魔界へ」
悪魔王レプトの支配する領域だ。
茫然とする二人を椅子に座らせ、最近あの町で評判になっている店で購入したケーキを二人分切り分けてお茶と一緒にテーブルに置く。
僕等が行った準備の中で最も苦労したのは、僕の魔界を、人間が足を踏み入れても生存出来る環境に整える事だった。
すぐさま順応し、ケーキを食べ始めた巧と違い、茫然としたままのいろは。
僕は、僕の中から長い、薄い金髪の髪を一本取り出すと、指に巻き付けて結び、その指をいろはの額に当てる。
すると、スゥと髪は光になっていろはの額に溶けて行く。
茫然としたままだったいろはの表情に、理解の色が、深い経験を積んだ大人の知性が浮かぶ。
「れ、レプトっ?! 此処って魔界っ!?」
でもそれでも口から出たのは驚きの声だった。
まあ理解が出来た方が、其れがどれだけ異常な事かは実感出来るのだろう。
しかし其れは別に本題じゃ無い。今日態々こうやって拐かしたのは、魔界自慢をする為じゃないのだ。
「そう、僕の魔界だよ。お久しぶりだね、イーシャ」
そして僕のその言葉を合図に、僕の魔界の空に映像が浮かぶ。
巧といろはの世界に置いて来た、僕の配下達の働きを写した映像だ。
ピスカの光魔法が、いろはの両親に憑り付いていた中級悪魔達を彼等の身体から弾き出し、ベラの爪が二体の中級悪魔を一瞬で消し飛ばす。
其れと同時に始まったのは、ヴィラのカウントダウン。
あの世界の電子機器を全て支配したヴィラは、今から核兵器のスイッチを押す。
惑星環境保全AIエデンとして世界を滅ぼした時と同じ様に、だが今回は、あの世界を核戦争の脅威から救う為に。
そしてカウントゼロが数えられ、打ち上げられた核ミサイルは、ヴィラから座標を受け取ったアニスが待ち構える地点で、収納の中へと仕舞われる。
幾つも、幾つも、あの世界の打ち上げ可能な核ミサイルは全てアニスの収納へ放り込まれて行く。
あの世界は、巧といろはが此れからも暮らす世界だ。
核兵器なんかに壊されてしまっては困る。
勿論其れが発射されたって事実は揉め事の種になるだろうけど、同時に其れが消えてしまったって不思議は次の争いに二の足を踏ませる筈。
人類の行く末は人類自身が決めるのが道理だろうけど、悪魔は自分の都合でそんな道理を蹴飛ばす存在なのだ。
巧といろはが成長し、自分達で危機を払える様になったら関与はしないが、今は僕の都合を押し付けよう。
「全く、本当に、馬鹿な事したよね……。悪魔召喚はダメだって言ったじゃないか」
でも其れを聞いたイーシャは、僕をキッと睨み付けた。
その眼差しは、小学五年生の少女には似つかわしくない、深い疲れと激情を宿している。
「私は嫌よって言ったわ。だってレプトは私には何も残してくれなかった。巧とはまた出会えるようにしてたのに……」
イーシャの言葉は、まるで鋭い刃の様だ。
そう、其れは間違いなく僕の罪だろう。
あの頃の僕は悪魔として未熟で、イーシャの気持ちの深さを見誤った。
「そうだね、グラモンさんとは死別だったから……。でも僕は其れでも、君には幸せになって欲しかったんだよ」
今のイーシャの魂には、紡ぎの女侯との契約って汚れが絡み付いている。
其れは例えあの頃の様に彼女を丸洗いにかけようとも、決して清められない汚れだ。
「わかってるわよ。私だって貴方の気持ちは。でもそれでも、私は貴方と居たくて、なのに私は貴方を呼べなかったの」
イーシャの瞳から涙が零れて、そしてまるでそれに呼応する様に、空に映る僕等の配下達の映像が消える。
代わりに其処に映ったのは、怒りに満ちた瞳で此方を睨む一人の巨大な女悪魔の姿だった。