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18 二つ目の別れ



 二度目の天罰騒ぎから更に二年、つまり僕がこの世界に来てから五年の時が経過した。

 外の世界の混乱はまだ続いているが、その混乱ぶりは僕等が最初予想していた物よりもずっと小さく済んでいる。

 小規模な戦いは幾つも起きたが、それでもやり過ぎる、目に余る様な事態は起こらなかったのだ。

 誰しもが、次の天罰が自分の頭上に降りかかるのを恐れたのだろう。


 この新しい領も随分と発展した。

 外から人を連れて来る事は止めたけど、人口の増加は止まっていない。

 そう、新しい命が幾つも生まれているのだ。

 まあこれまで危険と飢えに悩まされていたのだし、安全で腹も満ちればそりゃぁそうなるよねって感じである。


 そう言えば一つ面白い出来事があった。

 領民に僕を祀る施設を作りたいと言われたのだが、そんなのは真っ平だったので、例の湖に祠があるからあちらを教えたのだ。

 その時はその場を逃れる為の苦し紛れで、どうやって湖を渡るのか、安全を確保するのか等は考えていなかったが、領民達は自力で湖への道を切り開く。

 そして領民達が如何にして中央の小島に渡るのかを相談していたその時、あの巨大魚が領民達の前に現れてその背を見せた。

 まるで自分に乗れと言わんばかりに。


 勇気ある領民が、っていうか無謀な一人がその背に乗ると、巨大魚はその領民を中央の小島に運んだのだ。

 それ以来あの中央の小島に渡り、祠に祈りを捧げたい人間が湖へ行くと、毎回巨大魚が現れて運んでくれる様になり、領民達はそのお礼に、幾許かの食べ物を巨大魚へと差し出す。

 そんなシステムが出来上がっていた。

 ……ちなみにこの件に僕は何も関わっていない。

 不思議な事はあるのだなあと、巨大魚が人を運ぶ姿を見て驚かされた位だ。


 時に揉め事やアクシデントもあるけれど、それらは全て自身の手で解決され、領内はとても平和である。

 外との交易ルートも模索され、時期を見て道を繋げて、交易を始めようと領主やカリスは考えているらしい。

 この一年は、僕もベラも、全く領民達に力を貸す機会は無かったのだ。

 その代わりに力を振ったのは、他でも無い、イーシャである。


 彼女はとても成長した。魔術師としても、女性としても。

 領内で起きたアクシデントに、イーシャは知恵で、時には魔術も使って対応し、領民の敬意を集めて行く。

 少なくともこの世界で彼女に並びたてる魔術師はいない。

 共に魔術を学んでいたトリーも置き去って、イーシャは僕の知識にある前の世界の基準でも、魔術師を名乗れるだけの力を身に付けている。

 イーシャは既に少女とは呼べず、一人の美しい女性になった。

 領民の男達からも幾度となく求婚を受けているらしい。何れはそのどれかを受ける筈だ。

 だってイーシャがトリー、三番目の子供をお腹に宿した母を見る目は、祝福の中に、何処か羨まし気な色が混じるから。


 ……そろそろ潮時なのだろう。

 毒を以って毒を制する時は終わった。

 イーシャにもトリーにも、カリスにもこの領の領民達にも、もう悪魔と言う名の毒は要らない。

 最後まで見届けたい気持ちはあるけれど、それは彼等が自分の力で生きて行く妨げになる。

 今こそ、契約を果たすとしよう。

 


 僕はその日、イーシャを呼び出す。

 誰もが寝静まった夜、待ち合わせ場所に現れた彼女は、唇に紅を差していた。

 それは外からの物が届き難いこの領内ではとても貴重品の筈だけど、イーシャにはとても似合っている。

 でも、やって来た彼女のその表情は、とても哀し気に歪んでいるけど。

「もう行くの?」

 イーシャにそんな表情をさせてる事が心に痛く、言葉に迷う僕に対し、先に口を開いたのは彼女だった。

 縋る様な声の響きに、僕の心は少し揺れる。


「やっぱりわかるんだね」

 でも僕は、迷いを払って頷いた。

 だって思い切って頷かなければ、もう離れる決断なんて出来ず、イーシャとの別れは死別になるだろうから。

 もうあんな風に魂を持って行ってくれとか言われるのは真っ平である。

 イーシャは間違いなくそういうだろうし、そもそも彼女の人生にもう僕の影は必要ない。


「そりゃ、わかるわよ。だってこの世界でレプトと一番縁が深いのは私。母さんでもなく、私が貴方をこの世界に呼んだもの」

 その通りだ。

 イーシャの言葉には何一つ間違いが無い。

 彼女は僕の召喚主で、この世界の誰よりも縁が深かった。

 僕をこの世界に繋ぎ止めるのは、イーシャとの契約である。

 だからこそ、僕はイーシャに向かって小刀を差し出す。

「君は美しく成長したし、危険も去った。魔術師としてもこの世界じゃ並び立つ者は居ない。イーシャはもう自分の足で歩いて行ける。だから一房で良い。君の髪を僕にくれ。それでこの契約は終了だ」


 おずおずと、震える指でイーシャは僕の手から小刀を取り、一つ大きく深呼吸をする。

 そしてイーシャの瞳に覚悟の色が宿ると、彼女はザクリと、この五年で伸びた髪を切り落とす。

 ……いや多いよ?

 一房で良いって言ったのに。

「多いってば、そんなに切ったら、明日みんな驚くよ」

 ズイと差し出された髪を受け取りながら、僕は思わず苦笑いを浮かべる。

 でもその瞬間だった、僕がイーシャの髪を受け取る瞬間、彼女が僕に抱き付いて来たのは。


 受け取った髪を落としそうになり、僕は慌てて収納魔法を発動させた。

「良いのよ。ねぇ知ってる? この世界じゃ、女の子は失恋したら髪を切るの。……こんなに沢山は切らないし、貴族なんかはしないらしいけど」

 僕の胸に顔を埋めて、イーシャは言う。

 この世界にもその風習あるのか……。

 僕は如何すべきかを少しだけ悩んで、彼女の頭に手を置いた。

「よく頑張ったね。僕を呼んだ時も、一緒に逃げてる時も、魔術を学ぶ時も、木を切り開いた時も、家を建てた時も、何時も何時も君は頑張った。イーシャは僕の自慢だよ」

 抱きしめ返す事はしないし、出来ない。

 泥に塗れた少女はもう居ないけど、僕はイーシャのあの姿を忘れないだろう。

「妹は大切に。あとカリスとトリーには内緒にしてたけど、次の子は男の子だよ。可愛がってあげて。……最後に、もう悪魔召喚なんてしちゃダメだよ」

 イーシャはこの五年で慎重さを身に付けたけど、それでも少し頑張り屋が過ぎるから、少し心配になる。


 でもイーシャは僕の言葉にがばっと顔を上げて、

「嫌よ」

 とハッキリそう言った。

 僕の目を覗きながら、その瞳に強い意思の光を灯して。

「私、次は偶然じゃなく実力でレプトを呼んで、それで絶対に逃げられない契約で縛るわ」

 イーシャはそう宣言する。


 怖い。何が怖いって、彼女がこのまま魔術師として研鑽を積めば、何時かは本当に出来てしまいそうなのがとても怖い。

 勿論実現するならそれは僕にとって凄く嬉しい事だけれども。

 最後に、僕はもう一度イーシャの頭を撫でる。

「君の髪が伸びたらね」

 そう言い残して、僕はイーシャの世界を退去した。



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