148 赤いマフラー靡かせて
召喚に応じて仮初の身体を生み、世界に降り立つ。
そうしてゆっくりと目を開けば、その前には、赤いマフラーを首に巻いて仁王立ちしている、一匹の子狸がいた。
……何これ、可愛い。
多分精一杯に貫禄を出そうとする表情なのだろう。
何だかキリッと決め顔をしているのだが、凄く可愛い。
ちょっとどや顔にも見える辺りがまた可愛い。
思わず膝から崩れ落ちそうになる程に魅力的な召喚主だが、いやいや、でもそれで済ます訳には行かないだろう。
普通に考えて、狸である事を差し引いても、こんな子供が悪魔を召喚するにはそれなりの背景が必要だ。
断腸の思いで子狸から視線を外して周囲をぐるりと確認すると、僕を円形に取り囲み、一心不乱に腹を叩く大勢の狸たちが居た。
あぁ、うん、成る程。
子狸からも周囲の狸達からもそれなりに魔力を感じるから、彼等が単なる獣でなく、妖の類、化け狸である事は間違いがない。
狸たちが形成する円形は魔法陣代わりで、腹を叩く音を使って術を編んだのだろうと推察出来るが……、ちょっと真面目に考察するのが馬鹿らしくなる状況だ。
脱力感を覚えながら子狸に視線を戻すと、可愛らしい我が召喚主殿は小さな両手で楕円形の果実を差し出して来る。
「あぁ何、くれるの? アケビかぁ、珍しいね。この森で採れたの?」
どうやら僕がこちらに留まる為の、捧げ物の心算らしい。
本当なら悪魔王の様な高ランクの悪魔を召喚して、捧げ物が野で採れた果実だなんて、怒りを買って辺り一帯が消し飛んでもおかしくない行為だろう。
でも僕は笑みを浮かべてその捧げ物を受け取った。
だってこの子に悪気がないなんて事は、一目見ればすぐにわかるし、何よりもこんなに可愛いのだ。
捧げ物の質くらいで、目くじら立てて怒れる筈がないじゃないか。
それに本来アケビはあまり日持ちがしないが、何らかの方法で鮮度を保って保存していたらしく、この時期には確かに珍しい代物だったし。
召喚された悪魔は、召喚主との間に繋がりを持ち、その繋がりを通じて意思疎通の為の言語を獲得する。
要するに今回の召喚で僕が覚えたのは狸語だ。
子狸や周囲の狸達や、或いは野の獣である狸とも言葉を交わす事が出来るだろうが、その代わりにこの世界の人間の言葉はわからない。
まぁ魔法を使えば言葉を介せず直接意思疎通も出来るから、然して大きな問題とはならないのだけれど。
さて、狸語を覚えた僕に対し、子狸は一生懸命に身振り手振りを交えながら、悪魔召喚を行った経緯や、願いを説明してくれた。
事の起こりは二年前の冬。
子狸、個体としての名前は母狸の腹から三番目に出て来た子で三太が、生まれてから二回目に経験する冬だ。
本来普通の狸は、一年と経たずに親と同程度の大きさまで成長するが、妖である化け狸は普通の狸よりもずっと長生きな代わりに成長は酷く遅い。
その頃の三太は、……まぁ今でも大差はないが、とても幼い子供だった。
初めて経験した冬は冷たい雪におっかなびっくりで、親狸にぴったりくっついて離れなかった三太だけれど、二度目ともなれば慣れが出たのか、離れて遊んで迷子になってしまう。
しかも拙い事に、独りぼっちになった事に気付いてぐすぐす泣き出した三太は、野良犬に見付かって追いかけられた。
幾ら化け狸であっても、大人なら兎も角、幼い子供の三太には野良犬に抗う術はなく、そのままなら追い掛け回されて爪で散々に嬲られた後に、食い殺されていたに違いない。
だがそんな三太を救ってくれたのが、遥か遠く、山を幾つも越えた都会の町から電車に乗って、祖父母を訪ねに来ていた少年、正太郎だった。
正太郎とて小学校中学年位の子供だ。
当然、野良犬に立ち向かうのは怖かっただろう。
しかし彼は、父と母から自分の心に正しく生きろと、正太郎と名付けられ、また毎週日曜日にテレビで見るヒーローに憧れる少年だった。
「ヒーローと言えば赤いマフラーだぞ」
と父に言われて首に巻かれた赤いマフラーを、正直ちょっと古臭いしダサいなって思いながらも素直に身に付け続けるような少年が、正太郎だったのだ。
でも、そう、どこかで拾っただけの棒切れを手に、敢然と野良犬に立ち向かって追い払った正太郎は、救われた三太にとっては正に本物のヒーローだっただろう。
まぁ大人が知れば、危な過ぎるからもう絶対に二度とやるなって怒るだろうが、三太を救ったのは間違いなく正太郎の優しさと勇気だったから。
救われた安堵と、今だ冷めぬ恐怖に感情を揺さぶられてスンスンなく三太に、正太郎は自分の首のマフラーを外して巻く。
「泣くなよ。赤いマフラーはヒーローの証なんだぞ。これでお前もヒーローなんだから、優しくて強くならなくちゃダメだ。泣いてる場合じゃないだろ」
なんて風に言いながら。
うん、実に完璧なマフラーの処理方法である。
三太はその言葉とマフラーの暖かさに涙を止めて、正太郎は三太の親狸が迎えに来るまで傍で話し続けてくれて、三太は無事に親元へと戻れたのだ。
それからの三太は、兄弟達との喧嘩を止め、困っている仲間の化け狸を率先して助ける、ヒーローとしての生き方を志し始めた。
何時か正太郎と再会し、赤いマフラーが似合う様になった自分の姿を見せる為に。
成る程、僕が召喚されて最初に見たあの仁王立ちの決め顔は、三太の中でヒーローっぽいポーズか何かだったらしい。
「あぁ、でも去年の冬は、正太郎少年は祖父母を訪ねて田舎の村に来なかった。そして、今年も」
去年の冬は、何事かあったのだろうかと心配するだけに終わる。
けれど今年もとなると、このまま二度と正太郎はこの地を訪れないのかと、三太は心配になってしまったのだ。
だから三太は化け狸達の長、タヌキ大王に相談した。
これが今回の、僕の召喚に繋がる経緯である。
タヌキ大王は、この二年間で三太が仲間の化け狸の手伝いを率先して行っていた事を良く見ており、そんな三太の願いならばと重たい腰、ならぬ腹を揺らして立ち上がったのだ。
そしてタヌキ大王の号令に化け狸達は集まり、円陣を組み、一斉に腹を叩く狸達に僕は呼び出されたと言う訳だった。
対価が必要である事はあらかじめタヌキ大王に聞かされていたのだろう。
果物やキノコ等を僕の前にせっせと運んでは山と積み上げて行く三太。
愛らしい姿と悪魔としてはあまり喜べない対価の山に、僕は思わず苦笑する。
「あぁ、マイタケがあるなぁ。天然物は物凄く珍しいんだっけ。これは干し柿? 君が干したの?」
魔界に戻ったら、鍋でもしようかと思いながら、僕は対価の山を検分していく。
不安そうに、足りるかと首を傾げて問う三太。
本当は当然足りないと言うか、僕が望む方向性とは違うのだけれど、可愛らしいからもうこれで良いや。
「大丈夫。正太郎君だったね。直ぐに見付けて連れて行くから、少しだけ待ってね」
僕は三太にそう告げて、自分の魔界にチャンネルを開いた。
今回必要とされる力は、僕ではなく、配下であるイリスが持っている。
彼女の縁を手繰る力なら、三太と正太郎の間にある縁を辿って、容易く目標を見付ける筈だ。
イリスへの報酬は、まぁこの対価の山で鍋でもして、存分に労う事で勘弁願おう。
ではイリスが正太郎を探す間の余談になるが、彼女の持つ縁を手繰る力は、実は非常に強力な代物だ。
どうやらイリス自身は己が悪魔としての実力が不足してると思ってる節があるけれど、そんな事は全くなかった。
元々は僕と敵対した悪魔王、『紡ぎの女侯』が持っていた力なのだが、もし彼女がもっと慎重な性格をしていたら、僕はこの場に立ってはいない。
仮に僕がグラーゼンに対し、あらゆる手段を用いて敵対すると決めたなら、イリスの力は切り札の一つになる。
例えば縁を手繰ってグラーゼン派閥の悪魔と繋がりの深い相手を見付けたならば、幾重にも罠を張ってから、悪魔召喚を行う様に唆す。
それだけでその世界では、楽に呼び出されたグラーゼン派閥の悪魔を倒せるだろう。
勿論召喚の際に生んだ仮初の身体が破壊された所で、悪魔が死ぬ訳ではないけれど、僕の派閥に対して苦手意識を植え付ける事が出来る。
するとその苦手意識は直接戦争をした際の力関係に如実に影響するから、グラーゼンが自慢する軍団の力を大きく低下させるのだ。
そんな風に、縁を手繰る力は使い方次第で幾らでも便利に使える、時に危険な力だった。
でもまぁ僕としては、この力を人探しや縁結びに使う程度である今のイリスを、とても好ましく思ってる。
さて、三太から縁を手繰って見付けた正太郎は、普通に都会で生活していた。
彼が田舎の村を訪れなくなった理由は唯一つ。
そもそも正太郎の祖父母が病院通いの為に、田舎の村から都会の町へと引っ越していたからだ。
これはもうどうしようもない。
いくら待っても正太郎は田舎の村へと来ないのだから、僕が都会の町へ三太を連れて行くより他になかった。
僕は三太を抱え、夜空を舞う。
三太は夜の空から見下ろす、初めて見る街の明かりに目をまん丸くして驚いていて、僕はそんな子狸の為に少しだけ飛行速度を落とす。
そして再会する三太と正太郎。
子狸を助けるなんて稀有な経験は当然正太郎も覚えて居て、予期せぬ再会を彼は非常に喜んだ。
そりゃあ助けた動物が自分に会いに来るなんて、そんな出来事は普通は御伽噺の中にしか存在しない。
今回僕は、敢えて魔法で三太と正太郎の意思疎通を助けなかった。
だってそんな事は、とても野暮に思えたから。
言葉を交わさなくとも、三太は必死に身振り手振りで感謝を正太郎に伝えているし、正太郎もそれを理解している。
だったらそれで良いではないか。
もしも三太が、正太郎と言葉を交わしたいと願うなら化け狸として成長し、人に化けれる様になってから、再びこの町を訪れれば良い。
案内役が必要ならば、その時は僕も再び喜んで召喚に応じよう。
二人の別れ際、僕は彼等に贈り物を送る。
三太の首の赤いマフラーを魔法で複製して正太郎の首に巻く。
だが悪魔からの贈り物だ。
当然単なるマフラーには終わらない。
このマフラーは着用者にぴったりのサイズに自動適応し、汚れは消えるし綻びも勝手に修復され、更には持ち主を危機から守ってくれる。
具体的には車の正面衝突や、携行火器で撃たれる位なら普通に弾くだろう。
普段使いが出来る様、夏はひんやり涼しく冬暖かい。
でもそれ等よりも最も大事な効果は、同じマフラーを持つ三太と正太郎が再会出来る様に、縁を太く深く強めてくれる願いを込めて。
これも野暮と言えば野暮だけれど、多分きっと、このマフラーは三太と正太郎の役に立つ。
随分な大サービスになるけれど、だって可愛いんだから仕方ない。
十年後、赤いマフラーがトレードマークの人間と狸のヒーローコンビが、この世界で活躍する未来を幻視したが、まぁそれは今は気にせずに。