146 とある狐とお姫様1
鎧兜を身に付けた兵等が走り回り、城内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
「殿! 三の丸を突破されました!」
その報告はまるで悲鳴の様で、報告をする部将の小口友入の表情も、報告を受けた城主である時技七政の表情も、非常に厳しく戦況が著しく不利である事を物語る。
七政の室である早百合と、その娘の日和姫は城を守る兵の奮戦を祈り、部屋の隅で抱き合うしかない。
そう、この重根城は今まさに陥落の危機に瀕しているのだ。
重根城は難攻不落で知られた堅城で、時技の侍や兵も精強さは近隣諸国に知られている。
本来ならば攻め手が二倍、否、三倍居ても、重根城と時枝衆はびくともしなかっただろう。
では一体何故、重根城は陥落しようとしているのか。
その答えは唯一つ。
今現在重根城に攻め寄せる敵が、人間ではないからだ。
「男ハ殺セ! 喰ラエッ!」
指揮官であろう一際大きなソイツがそう叫べば、奴等は牙を剥き出して笑いながら時技の兵に飛び掛かった。
兵等は必死に槍で応戦し、敵を串刺しにするけれど、奴等は同類の死に様を目の当たりにしても一切怯む事なく、掴み掛っては喉笛に牙を突き立てる。
その姿は実に醜悪だ。
「二ノ丸ヲ突キ破レ! 女ヲ浚エ!」
二の丸には時枝家の家臣団の居住区があり、そこには家族である女子供も住まう。
つまりこの醜悪な敵は、それを知り、判断するだけの知識と知能を持っていた。
そう、重根城に今攻め込んで来て居る敵は、全てが鬼である。
鬼畜外道と言う意味の比喩ではなく、額に角を持つ化け物が、実際に軍を成して攻め寄せて来ていた。
雑兵は並の人間よりずっと小さく、しかし数だけは異様に多い、乱杭歯と突き出た腹の小鬼、餓鬼。
その餓鬼達に混じり、まるで戦車の様に城壁や門を体当たりで突き破る巨体は、牛の様な身体を虫の様な六本の足で支えて地を這う悪鬼だ。
確か牛鬼って名前だっただろうか?
そんな餓鬼や悪鬼を指揮するのは、牛や馬の頭を持つ偉丈夫、牛頭に馬頭。
勿論この場所で鬼達が実際にどんな名前で呼ばれているかは不明だが、人が抗えぬ化け物の軍は、正に暴虐の限りを尽くしてた。
事の起こりは、二ヶ月前の満月。
時技七政の元に一通の文が届いた事から始まる。
『日和姫を戴きに参る』
そう記された文には差出人の名もなく、如何様な手段で届けられたのかも謎で、何時の間にか七政の枕元に置いてあった。
悪戯にしては不可解過ぎるが、まともに対応するには馬鹿げてる。
例え悪戯でなかったとしても、相手がどこの誰であっても、日和姫を渡す事など出来はしない。
そもそも彼女は、既に嫁ぎ先も決まっているのだ。
時枝家は隣国の領主である増地家と親密な同盟関係を結んでおり、後一年もして日和姫が十三歳を迎えたならば、増地家の嫡男である真久の元に輿入れするだろう。
そんな事は時枝や増地の領内に住む民なら、子供だって知っている。
首を捻りながらも七政は日和姫が狙われる可能性を考え、取り敢えずはと言った形で腕の立つ侍を複数彼女の護衛に付けた。
けれどもその一月後の、再びやって来た満月の夜。
日和姫の元に数匹の鬼がやって来て彼女の身柄を浚おうとし、護衛の侍達と戦いになる。
並の人間ならば鬼相手にまともに戦える筈などなかったが、七政が選んだ姫の護衛は本当に腕の立つ侍達で、彼等は必死に鬼と戦い姫を守った。
そして犠牲を出しながらも一匹の鬼の首を落とし、……戦いの始まりの引き金を引いてしまう。
「ギギィ、魔怒羅王ニ従ワヌ愚カ者メ! 貴様等ノ罪ニヨリ、時枝家ハ万ノ血ヲ流スダロウ!」
ごろりと地を転がった鬼の首がそう告げると、残りの鬼達は煙の様に姿を消す。
後に残されたのは、もう物言わぬ鬼の首と、激しい戦いの痕跡のみ。
七政は兵を掻き集めて戦力を揃え、寺社に文を送って鬼に対抗出来る人間を集めようともしたが、更に一月後、つまり今夜行われた鬼の軍勢の襲撃に、重根城は陥落間近となっている。
鬼が何故、日和姫を求めたのかはわからなかった。
昔から余人には見えぬ物を見、聞こえぬ声を聞く子だったから、鬼に魅入られてしまったのかも知れない。
だが一度戦いが始まってしまった以上、今更その身を差し出した所で血に酔う鬼が止まる事はないだろう。
七政は自分は領主としても親としても中途半端だったのだと唇を噛む。
領民からは東州一の名君等と呼ばれ、慢心してしまっていたのかと。
城が陥落し、鬼達に捕まれば、日和姫はどれ程に惨い目に合わされるだろうか。
人を喰らって嘲笑う鬼達が、日和姫のみを大事に扱うとは到底思えない。
ならばいっそ、その前に命を天に返してやるのが、己に出来る最期の情けかと七政が覚悟を決める。
……その時だった。
僕が召喚されたのは。
尤も僕を喚んだのは日和姫じゃないし、母の小百合でもなければ七政でもない。
ましてや部将の小口友入でもなかった。
それでも僕は確かにこの世界、この地域、この場所に喚ばれ、既に契約も交わしている。
「鬼め、ここまで来たかっ!」
「殿を守れっ! 姫に手を出させるな!」
突如として現れた僕に、侍達が口々に勝手な事を言って僕に刃を向けて来るが、あぁ、そう言えば、僕も頭部に角があったか。
勿論悪魔と鬼は全くの別物だけれども、単なる人間に見分けろって方が無理だろう。
だからまぁ、僕を鬼扱いするのは仕方ないし、刃を向けても咎めはしない。
天井裏から刃を構えて降って来た暗殺者、もといこの場所に相応しい言葉を使うなら忍者を念動の魔法で空中に縫い留め、僕は悪魔としての気配を極僅かだけに絞って撒き散らす。
忍者なんて存在を目の当たりにして、少しだけテンションが上がりそうになるけれど、威圧をし過ぎればこの場の皆が死んでしまうから、出来る限り軽く。
「御機嫌よう。僕は悪魔のレプト。君達が敵対する鬼とは別物だけれど、まぁ理解はし難いだろうから敵でないとだけ知ってくれれば良いよ。それよりも、君が日和姫だね? 頼まれてね。君を守りに来たんだ。怯える気持ちはわかるけれど、少しだけ話を聞いてくれるかな?」
そうして周囲の動きを止めてから、僕は語り出す。
驚きに目をまん丸く見開いたままの、可愛らしい日和姫を見据えながら。
僕の放った気配によって、日和姫以外は皆動きを止めているけれど、それでも咄嗟に庇おうとしたのだろう。
母親の小百合は、我が娘を守らんと日和姫を強く抱きしめていた。
そんな母親の腕の中で日和姫が小さく頷くのを確認して、僕は話を続ける。
「この城の、庭の片隅に小さな祠があるね。多分多くの人は知らない、ずぅっと放置されてた祠だ。でも日和姫は、四歳の頃から度々あそこに行って、祠の手入れをしていたね。実はあそこには、昔々に封印された狐が一匹居たんだよ」
勿論単なる狐じゃない。
長く生き過ぎて魔獣、或いは精霊の類に成りかかった狐だ。
地狐だとか気狐だとかになるのかも知れないが、僕も生憎その辺りには詳しくはない。
もっとわかり易い言葉で言えば、そう、妖ってのがぴったりだろう。
但し封印されてるって事からもわかる様に、この狐はどちらかと言えば人に害のある存在だ。
百年以上も昔に、力を使って些細な悪さを繰り返した狐は、旅の法師に封じられた。
滅そうと思えば滅せたのだろうが、殺してしまう程の大きな悪事を働いた訳でもなく、かと言って害ある存在をそのまま放置も出来ない。
故に法師は封印と言う形で狐に反省を促したらしい。
『封印の中で力を溜めれば、何れは破る事も出来よう。それまでちぃとそこで反省せい』
……そんな風に言って。
だが狐を封印した祠はごくごく小さな物だったので、次第に皆に忘れられてしまう。
すると手入れもされず、祠は草に埋もれてしまって、狐は誰にも気づかれる事なくそこで孤独に過ごす羽目になる。
しかしそんなある日、城の者の目を盗み、庭で遊んでいた日和姫が、祠のある場所へと迷い込む。
恐らく封じられた狐と、何らかの形で相性が良かったのだろう。
その祠に何かを感じて気に入った日和姫は、度々訪れては手入れをする様になる。
尤も幼い子供の行う手入れだから、しない方がマシとまでは言わないにしても、最初は酷い物だったらしい。
但しそんな、子供なりの拙い手入れだったからこそ、多分狐は絆されたのだ。
ずぅっと忘れられていた自分を見付け、小さな手で懸命に何かをしてくれる日和姫を、狐はまるで遊びに来た孫に対する祖母の様に、優しい目で見守った。
故に狐は日和姫が置かれている現状を、どうしても見過ごせなかったと言う。
狐は、伏して願って僕を喚んだ。
狐は、封印を解く為に溜めた力の全てを差し出し、僕の助けを請うた。
封印に囚われて日和姫を守れぬ自分に代わり、どうか優しいあの子を救ってくれと。
だから僕は、ここに居る。