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137 もう一人のレプト


 アウルザルと対峙する僕の背後で、不意に湖面が光を放つ。


 成る程と、僕は納得させられる。

 先程、アウルザルは僕を写し取る為に、この場所を指定して呼び出したと言っていた。

 いまいち理解し難かったが、この段階に至れば彼の狙いも察しが付く。


 要するにこの『冷たき魂の湖』を、アウルザルは水鏡として利用するのだ。

 何万、何億、何兆、何京、何垓、……少し飛んで穣か溝か、はたまた那由多か不可思議かは知らないが、莫大な数の魂が溶けだしたこの湖の水なら、確かに僕を映す鏡として機能するだろう。

 そしてそんな水鏡と化した湖面と、アウルザルは自らで合わせ鏡を行った。

 合わせ鏡が内包するのは、実体の無い虚構ではあるが、果てもない無限の世界。


 あぁ、確かにそれなら、水鏡に映った僕の姿を、己の物としてアウルザルは写し取れる。取れてしまう。

 例えそれが余りに無茶で、自らの崩壊を招く行為であっても。


 まぁ当たり前の話なのだ。

 僕を真似ようとしても、僕と多くを失った今のアウルザルでは、有する魔界の質量の桁が違う。

 当然力の保有量も、同じく桁違いだった。

 ならばその差をどうやって埋めるのか。

 それは存在し得る時間を削り、圧縮し、強引に密度を高めて埋めるしかない。



 そうして僕の前に姿を見せたのは、傷だらけで、今にも滅びて消え去りそうな、なのに目ばかりはギラギラと欲望に燃える、もう一人の僕。

 アウルザルは宣言通りに、それを確かに成し遂げて見せた。

 見事と言うしか他に言葉が見当たらない、アウルザルの決死の行為に、でも僕は溜息を吐く。

 勿論決して、アウルザルを馬鹿にしたり見下しての溜息じゃない。

 寧ろ褒め称えるしかない彼の決死の行為を、無為に踏み躙る事に対しての溜息だ。


「レプトォ! 貴方を滅し、喰らい、私は貴方になってやる!!」

 咆え猛り、魔力を高めるアウルザル。

 仮に彼が滅びる前に、僕を倒して喰らったならば、その滅びは避けられる。

 そりゃあ僕を構成するのに足りない物を、僕自身から奪って補えば、何一つとして不足なんてなくなるから。

 但しそれはアウルザルが崩壊するまでの、残り短い時間で僕を倒せるならの話だ。

 

 写し取りに成功した以上、今の僕とアウルザルの実力は、多分全くの互角だろう。

 であるならば本来ならば簡単に決着は付かないのだが、アウルザルはこの冥府の底にも順応していて、問題なく力が引き出せるらしい。

 彼の漲る自信にも、少しばかり納得は行く。


「確かに貴方は王の称号を持つ偉大な悪魔。しかしそれは優秀な配下の力あってこそ! この冥府の底に配下は呼べまい! 頼りの護衛とも引き離されて、独りの貴方を喰らう事等、幾千幾万回となり代わりを果たして来た私には容易い事だ! 己の甘さを悔やむが良い。今日から、否、今から私こそが暴虐の王だ!!!」

 但し彼は、少しばかり勘違いしていた。

 アウルザルの言う通り、僕は確かに才覚では配下に劣る凡庸な王である。

 故に僕は、配下を頼る事に躊躇いがない。


 であるならば、アウルザルの目的が僕への成り代わりだと想定してるのに、こんな場所に単独でやって来る筈がないではないか。

 まぁ確かにベラはアウルザルの謀で、クシュラトリアの悪意ある悪戯で僕と分断されてしまった。

 だが僕が受けた嫌がらせは、たったそれだけでしかないのだ。

 ベラは僕が最も信頼する護衛で在るが故に、アウルザルはその排除に意識を取られ過ぎたのだろう。


 アウルザルの魔砲が放たれる直前に、僕はポケットから取り出した深紅の球体を胸に当て、そこに埋め込む。

「お待たせ、ヴィラ。その姿でポケットに押し込めてごめんね。今は、そうだね、大体は想定通りの展開だよ」

 僕の言葉に、チカチカと深紅の球体は瞬く。

 そう、この深紅の球体こそが、普段は錬金術で生み出した身体を使う悪魔、ヴィラの核だった。

「My Lord. お気になさらず。何時も申し上げる通りに、貴方のお役に立てる事こそが私の喜びです。さぁ、御命令を」

 アウルザルから放たれた魔砲を前に、ヴィラは僕にそう告げる。


 多分だけれど、アウルザルはヴィラの事を知っていただろうし、それなりに警戒もしていた筈だ。

 しかしだからこそ僕がヴィラをポケットなんかに仕舞ってるとは思いもしなかったんだろう。

 そもそもヴィラの本当の姿が、この深紅の球体である事は、僕の魔界でだって一部の者しか知りはしない。

「冥府を騒がせるなって言われてるからね。ヴィラ、何もさせずに滅するよ。何、楽勝さ。だって相手は、所詮僕だからね」

 だから本当に、思わず溜息が出る程に、命を懸けて僕に向かって来たアウルザルには申し訳ないが、彼には最初から勝ち目なんてなかった。



 僕とヴィラはアウルザルが放った魔砲を、全く同じ規模且つ、魔素と霊子の配合は反対にした逆位の魔砲で、余波すら発生させずに綺麗に撃ち消す。

 その結果にアウルザルの表情が絶望に歪んだ。

 ヴィラの解析力と計算力の支援を受ける今、僕とアウルザルは力の総量は等しくとも、大人と子供以上に実力差は開いてる。


 更に僕がダラダラとやる気なく螺旋階段を下りて居る間に、ポケットの中でヴィラは冥府の解析を済ませ、十全に力を発揮する方法、つまり順応する術を発見していた。

 であるならば、先程の命令、『何もさせずに滅する』事は、別に難しくも何ともない。

 だって今のアウルザルが持っているのは、僕一人だけの力なのだ。


「あぁぁぁっ!」

 叫びと共に複数の魔砲を展開するアウルザルだが、それでも結果は変わらないだろう。

 アウルザルは全てを吐き出して僕を真似たが、それ以上にはなれなかった。

 つまり僕の彼に対する評価は決して過大ではなかったが、過小でもなかったのだ。

 ヴィラに語った通り、全ては想定通りに。

 水鏡を用いる手法には驚いたが、結果は予測範囲内に収束した。

 今回、僕は冥府に来る前にヴィラ以外にも幾つか切り札を用意していたが、どうやらもう充分らしい。


 アウルザルの才は惜しいが仕方ないだろう。

 そんなにグラーゼンが好きだったなら、部下になるなり手を組むなりすれば良かったのに。


 冥府は、王級の悪魔が暴れたとは思えないほど平穏なままに、その戦いはひっそりと終わる。


 強いて問題を上げるとすれば、囮として使われていたと知ったベラが、後で酷く拗ねた事だろうか。

 どうやらベラは、冥界や冥府には詳しいからと、密かに張り切っていたらしい。

 まぁ今回の件で、この冥府は僕に一つ負い目が出来たし、僕と僕の配下はこの地でも十全に力を発揮出来る様になった。

 故にまた関わる事もあるだろうから、その時こそはベラに活躍して貰おうと、そう思う。


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