134 冥府と悪魔
長い螺旋階段は、気が滅入る。
僕は磨き上げられた石の階段を一段ずつ下りながら、思わず溜息を吐く。
これが普通の階段ならば、どれ程長くても踏み外さない事だけを考えてただ下れば良いだけだった。
でも螺旋階段は、ずっと同じ方向に回りながら下りねばならない。
そう、このずっと同じ方向に回ると言うのが、嫌な所だ。
目が回って酔う程の勢いではないけれど、ずぅっと同じ方向に回るのは気持ち悪いし、何だか飽きる。
段も外側は幅が広く、内側は狭く、どうにもこうにも歩き難い。
せめて階段の外と内が壁に覆われて居てくれれば、まだしも余計な事は考えなくて済むのだろうが……、今下ってる螺旋階段は外も内も吹きっ曝しだった。
まだ風が吹き荒れて居ないのが、せめてもの救いだろうか。
「いっそ落ちた方が、真面目に階段を下るより楽かも知れないけどね」
階段の外側の虚空に目をやり、僕はそんな愚痴を口にする。
悪魔のこの身は多少の事では疲労に悩まされたりはしないが、でも気分的に怠い物は、悪魔であってもやっぱり怠いのだ。
するとそんな僕を咎めるかの如く、……いや実際に咎めたのだろうが、後ろを付いて歩いてたベラがドンと僕の背に頭をぶつけて来た。
思わず階段を踏み外しそうになって、真面目にビビる。
「ちょ、やめて、悪かったよ。真面目に下りるから、ホント怖いって」
尚もグイグイと押して来るベラに、僕は慌てて懇願した。
普段ならそんな事されてもどうって事はないと言うか、そもそも階段を踏み外しても空中を歩けば良いだけで、もっと言うなら素直に飛べば良い。
けれどもこの場所では、流石にそんなに迂闊な真似はしたくない。
何故ならここは、冥府や冥界と呼ばれる類の場所だから。
冥府や冥界と言えば死後の世界だと認識する物が殆どだろうが、まぁ認識としてはそれで正しい。
但し少しだけ補足が必要で、死後に冥府や冥界に訪れるのは、一部の条件を満たした死者のみだ。
基本的には、多くの世界では何かが死ぬと、その魂は世界との繋がりを失ってその外へと飛び出し、またいずこかの世界との繋がりを得れば、その地に引かれて肉体を得て転生する。
勿論何事にも例外はあり、魂を一つの世界のみで循環させていたり、冥界や冥府が世界の一部として存在してる場合もあるのだけれど、取り敢えず数少ない例外は今はさて置く。
そして新たな肉体を得て転生した者は、それ以前の記憶は失うのが普通だ。
尤もやっぱり数少ない例外はあるけれど、その場合は大体、悪魔か天使、或いは前世か今世の世界に居る神性が絡む場合が殆どだろう。
まぁ概ね、こうやって魂は転生し、生と死を繰り返す。
さて、では冥府や冥界は一体どこで死者に関わるのか。
冥府や冥界を訪れる死者の条件とは何なのか。
その答えは、冥府や冥界とは魂が休息する場所であり、或いは最期に訪れる場所。
冥府や冥界を訪れる死者とは、そのままでは転生する事の出来ぬ魂だった。
あぁ、もう少し具体的に言えば、転生が不可能な程に傷付いた魂や、転生を繰り返す間に擦り切れてしまった、或いは色んなものがこびり付き過ぎて重たくなった魂が、冥府や冥界に行き付くのだ。
多くの魂は休息して傷を癒せば、こびり付いた物、例えば重い罪を裁かれて償い、背負った荷を下ろしたならば、冥府や冥界を出て、再び別の世界へと向かうだろう。
しかしそうする事も出来ぬ程に傷付いたり、疲れ果ててしまった魂は、冥府や冥界の底にてゆっくりと溶かされ、やがていずこかに消え去ってしまう。
そんな場所だから、当然その地を管理や守護する者が居る。
神性、魔獣、地獄の獄卒である鬼等々。
例えばベラも、元々は冥府に異物が侵入する事を防ぐ門番をしていた魔獣だ。
今居るこの地とは別の場所だが、それでも冥府や冥界の危険性に関しては誰よりも詳しい。
傷付いた魂の休息を邪魔させぬ為、魂の最期を安息に満ちた物とする為、冥府や冥界は外敵に対する備えが恐ろしい程に堅固である。
傲慢な超越者が冥府に攻め入り、踏み入った途端にそのまま底まで落下して、囚われて泣いて詫びを入れたなんて神話の類は、僕も幾つか耳にした事があった。
実際の話、多くの場所では比類なきと言っても良い位に、強い力を持つ僕だけれど、この地で行使出来る力は一割程だ。
だからこそ僕は階段を踏み外しそうになって慌てたし、ベラは僕にもっと慎重になれと促したのだろう。
つまり、そう、今回は僕が完全に悪い。
でも言い訳をさせて貰うなら、冥府や冥界の管理者は、基本的に悪魔や天使を嫌ってる。
だって悪魔は、本来なら他の世界に転生するか、冥府や冥界にやって来る魂を、契約や信仰に依って奪い去ってしまうから。
故に悪魔にとって冥府や冥界とは、契約を結びようがない魂ばかりで関わるメリットがない上に管理者からは嫌われ、しかも本来の力が発揮出来ないと言う危険な場所なのだ。
今にして思えば、初めて会った時にベラが僕をかなり敵視していたのは、その辺りの事情も絡んでいたのかも知れない。
その後にベラが懐いてくれたのは……、あぁ、あの頃の僕はまだ魂を得た経験がなかったからだろうか。
成り立ての悪魔だった僕は、知識もなく、精神も未だ殆ど人間だった頃のままだった。
まぁ今では立派に王なんて呼ばれる悪魔だが。
グラモンさんが召喚し、契約を譲ってくれたから成り立ったとは言え、僕とベラの関係は思えば奇跡の産物だっただろう。
……さて、そんな風に悪魔にとって危険な冥府、冥界なので、やっぱり僕だって気は進まない。
けれども僕は足を動かし階段を下る。
何故なら僕には、気は進まなくても、ここでやらねばならない事が一つあった。