131 不出来な暴食
ドォンと地が爆ぜ、ぽっかりと開いた穴から、その巨体が飛び出して来る。
しかし面白い事に、確かにそれは大きく太く巨体であるのだが、それよりも長さが途轍もない為、遥か彼方から遠目に見ると、細長く見えてしまう。
その正体は、世界の全てを喰らい、最終的には己の身体も喰い尽して無と化す大蛇。
似た様な存在は、他の世界でも幾度も発生していた。
その姿は大蛇だったり巨狼だったり、はたまた不定形だったりと様々だが、いずれにせよそれは世界を滅ぼす存在の類だ。
発生理由は様々だし、神性との戦いに敗れて封印されたり消されたりして、結局世界を脅かしただけで終わる事だってある。
今回発生した全てを喰らう大蛇、その体色から黒の災厄と呼ばれるソイツは、この世界の神性の不手際によって生まれたと言う。
何でもソイツは、元々はとある神性のしもべである、白き竜として生まれる予定だったらしい。
にも拘らず、黒い体色で、しかも蛇の様な姿に生まれてしまったソイツを、その神性は呪われた地に捨ててしまう。
呪われた地とは、昔この世界に起きた神々の戦いにて、破れて滅びた神性の骸がある大地で、強烈な怨念が渦巻き生き物が棲める環境では到底ない場所だったそうだ。
要するに、その神性は直接殺して手を穢すのが嫌だから、環境に殺させようとソイツをそこに捨てたのだろう。
けれどもソイツは生き延びた。
最初は己が割って這い出た卵の殻を喰らい、次に呪われた地の土を食み、襲い来る怨念を飲み込んで、孤独と飢えに苦しみながらも貪る様に全てを喰らった。
この世界の神性が、見る事すら厭う呪われた大地で、確かにソイツは生き続けたのだ。
そして少しずつ、本当に少しずつ大きく成長したソイツは、やがて長い時の果てに、呪われた地を呪われた地たらしめる元凶、滅びた神性の骸を喰らう。
それは、そう、怨念の塊の様な物。
生者にとっては触れるどころか、見るだけでも命に関わる。
そんな物をソイツは飲み込んだのだ。
苦しみ、苦しみ、のたうって、それでもソイツは、死ななかった。
何故なら、ソイツはまだまだ飢えていたから。
勿論少しずつ怨念を喰らい続け、耐性を得ていた事も大きいだろう。
しかしそれ以上に、ソイツは満足を知らなかった。
満たされぬままに死にたくないと、苦しみの内にも折れなかった。
そしてそいつは、滅びた神性の怨念すらも消化して、世界の全てを喰らう者へと進化を遂げる。
否、或いは、成り果ててしまったと言った方が、より正しいだろうか。
地より飛び出して来たソイツ、黒の災厄に対し、迎え撃つのは隊列を組んだ神性達と、その配下である神兵の軍隊だった。
彼等が黒の災厄を撃滅出来れば、僕に出番は回って来ない。
呼び出された分の、些少の対価だけを貰って今回の役割は終了だ。
……でも黒の災厄に対して攻撃を放とうとする彼等を見る限り、僕の出番はあまり遠くなさそうだと、そう思う。
そして一斉に放たれたのは、光。
炎や氷等の減衰し合う属性は使わず、純粋に高エネルギーの光を神性達と、神兵の軍は黒の災厄に叩き付けた。
そう、言うまでもなく、悪手である。
下手に近寄って喰われる事を恐れ、力を束ねた遠距離攻撃でケリを付けようとしたのだろうが、残念ながら黒の災厄は世界の全てを喰らう者だ。
怨念や、その源であった神性の骸すら喰うソイツには、光の奔流も餌に過ぎない。
ガブガブと光を飲み込んで行く黒の災厄に、神性や神兵は絶望の悲鳴を上げているが、
「あの子、嬉しそう」
僕の傍らに居る、同盟の序列十二位『不出来な暴食』マーマールは、不意にそんな風に呟いた。
あぁ、そう、今回の件はグラーゼンを通して持ち掛けられた契約で、丁度その話をして居る場にマーマールも居合わせたのだ。
と言うよりも、マーマールの元を訪れてお茶会をしている最中に、グラーゼンはいきなりその話を持ち出した。
当然マーマールがその話に興味を持ち、僕が同行の申し出を断らないだろう事を読んだ上で。
まぁグラーゼンが何をしたいのかは、何となくだが予想は付いてる。
本当にそうなるかどうかは兎も角として、それはマーマールにとっても別に悪い事じゃ無い。
「なのに、レプト、食べる事は、駄目なの?」
マーマールの視線は黒の災厄を見た後、恐怖に震えながらも攻撃の手を休めない神性や神兵を見て首を傾げた。
うん、まぁ攻撃の手を止めたなら、光を食べ終わった黒の災厄に次は自分達が食べられるのだから、神性や神兵が必死になるのは当然だろう。
しかしそんな些事よりも、マーマールから飛び出した質問に、僕は少し嬉しさを覚える。
不出来と呼ばれるマーマールが、他人の感情を察し、しかも食べる事に対して疑問を持つなんて、彼女の成長の証左であった。
だからこそ、この質問には、慎重に答えねばならないだろう。
僕は瞳を閉じ、ほんの一呼吸だけ考える。
「食べる事は、良い事だよ。多くの者は、何かを食べなきゃ生きられない」
指を一本立て、僕はマーマールの目を見て、そう語り出す。
そう、食べる事は生きる為に必要で、尚且つ素晴らしい楽しみだ。
それは身体だけじゃなく、心も豊かにしてくれるから。
「でも食べ過ぎは時に悪い事でもあるんだ。例えばこの前に君が食べたクッキーは、麦の粉や卵や砂糖で作ったけれど、麦は畑で育てなければ採れないし、卵は鶏が生まなきゃ貰えない」
僕はもう一本指を立て、噛んで含める様に言い聞かせた。
まぁあのクッキーには他にもバターとか色々使ったけれど、説明がややこしいのは省略しよう。
「畑の地を飲み込めば、当然麦は採れないね。鶏を全部食べてしまえば、卵だって貰えない。つまり食べ過ぎると、あのクッキーは二度と食べられなくなる」
そんな言葉に、幼い少女の姿をしたマーマールは、眉根を寄せて苦悩する。
先日のお茶会で、マーマールは僕の作ったクッキーを随分と気に入っていたから説明に使ったが、どうやら効果は抜群らしい。
「それだけじゃないよ。食べ過ぎると自分自身に悪い事が起きる場合もある。人間なんて食べ過ぎると太るし、太り過ぎると死んじゃうからね」
立てる指は、三本目。
人は拒食でも死ぬが、過食でも死ぬ。
悪魔の場合は人間ほどに単純ではないが、欲張り過ぎて悪いモノを取り込んだ場合、滅びに繋がる事も充分にあり得る。
例えば序列五位『死の大公』バルザーの魔界にあるアレとか、あんな物を食べたがる悪魔は居ないと思うが、食べれば僕でも拙いと思う。
勿論マーマールの場合は大抵の物を取り込んだ所で平気だろうが、それは特異な例なのだ。
僕が言いたいのは、適量が大切って事だけれど、その結論は口にしない。
これまで述べたのは、単なる事実の羅列。
その先の結論を出すのはマーマール自身。
彼女の考えた結論が、僕のそれとは異なる可能性だってあるだろうし、それはそれで良いと思う。
「……なら、あの子は?」
潰走し始めた神性と神兵に、もっと寄越せとばかりに咆哮を上げる黒の災厄を見て、マーマールは問う。
どうやら彼女はグラーゼンの思惑通りに、世界の全てを喰らう者を、自分に重ねてみているらしい。
問答の時間は残りも僅かだ。
そろそろ動いてやらないと、神性と神兵が喰われてしまう。
もう出番だと言われた訳ではないけれど、状況的に見て、助けてやった方が良いだろう。
「食べ過ぎの最たる物が、マーマールの言うあの子だよ。アレは世界の全てを食べ尽すと、食べる物を失って更に飢えて、自分を食べて無に還る」
それが幸か不幸かは、僕には判断が付かないけれど、それだけで終わるのは少し寂しいだろうなと、そう思う。
でも僕には、世界の全てを喰らう者に別の道を示す事は出来ない。
何故なら飢えに狂って猛る気持ちが、想像は出来ても共感が出来ないから。
だから僕には、黒の災厄を殺す事しか出来ないのだ。
もしもアレを違う道に連れて行けるとするならば、それはきっと、マーマールだけだろう。
グラーゼンと同じく、僕もそれを、少しだけマーマールに期待していた。
「あの子は、……構って貰えて、嬉しそうだった」
魔法の準備を始めた僕に、マーマールは言う。
あぁ、皮肉すぎる事だけれど、神性や神兵の攻撃は、孤独な黒の災厄にとっては、貴重な他人との関わり合いだったのか。
やはり僕には理解が出来ない。
僕とは原点となる渇望が異なっているから。
「ならマーマール、君は如何したい? その飢えと孤独を理解し、共感出来る、君の選択を尊重するよ」
既に僕の魔法は発動寸前となっていた。
あらゆる物を喰らう特性は多少厄介だけれど対処法は幾らでも存在するし、ましてや今の様に大蛇としての姿を取るなら、物を喰らえるのは口だけだ。
殺す事は、僕なら容易い。
でもマーマールは僕を制して、グラーゼンの思惑通りに、そして僕も期待してしまった通りに、前に出る。
「あの子が、欲しい」
それはマーマールの欲。
大切な同盟相手が見せた、悪魔としての欲だ。
散り散りに逃げる神性や神兵よりも、前に出て来たマーマールに興味を惹かれたのか、黒の災厄はその大口をガバリと開き、彼女に向けて首を伸ばす。
ほんの少しだけだが僕にもその行動が理解出来た。
恐らく黒の災厄は食べる事しか、他との関わり方を知らないのだろう。
僕とグラーゼンに出会うまで、マーマールがそうであった様に。
そして黒の災厄がマーマールを飲み込まんとする寸前で、不出来と蔑まれながらも同時に怖れられる悪魔王、『不出来な暴食』マーマールが小さな口を開く。
それから起きた出来事は、実に理不尽で不可解な物だった。
サイズを無視して、巨大な質量も気にせずに、マーマールの口は黒の災厄をするすると飲み込んでしまう。
まるで蕎麦や饂飩を啜る様に、ぺろりとあっと言う間に。
逃げ惑っていた筈の神性や神兵達も、あまりの光景に足を止め、ぽかんと口を開けて間抜け面を晒してる。
まぁ僕だって、結果は知っていたけれど、それでも見た目のインパクトには苦笑いを禁じえない。
こくりと喉を鳴らして飲み干して、マーマールは愛し気に自らの腹を撫でた。
「ごちそうさまでした」
僕の教えた通りの言葉を、マーマールは口にする。
喰らう事でしか他人との関わり方を知らぬ黒の災厄に、マーマールはやはり喰らう事で関わり、その存在を受け止めた。
今彼女の腹の中では、一体どんなやり取りが為されているのだろうか。
恐らく、きっと、僕とグラーゼンがそうした様に、マーマールは腹の中の黒の災厄に、関わり、色んな事を教えるだろう。
その末に黒の災厄がマーマールの中に溶けてしまう道を選ぶのか、それとも生み直されて悪魔として、眷属として彼女と共にあらんとするのか、結果が出るのはまだまだ先の話になる。
何せ今は、マーマール自身がまだまだ未熟で、不出来と称される悪魔王なのだ。
だからこそ僕やグラーゼンはマーマールから目が離せなくて、そして可愛くて仕方ないと思ってる。