130 千と五十と一
「うぉぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
雄叫びと共に振るわれる戦士の剣が、醜悪な形相の下位悪魔の肉体を切り裂く。
本来悪魔の肉体に剣の攻撃などは意味を成さないが、今は剣に後衛の女魔術師が渾身の力で施した魔力付与が掛かっている。
流石は迷宮の下層付近まで降りて来れる実力者達と褒めるべきだろうか、真っ二つに切り裂かれた下位悪魔は其のまま塵と化す。
反撃にと他の下位悪魔が放った炎の矢は、盗賊の投擲したナイフが腕に刺さった事で狙いが僅かに逸れ、戦士に軽傷を負わせるに留まった。
すかさず女僧侶が癒し魔術で其の負傷も治し、戦士の行動に遅滞を産まない。
彼等は実力、連携、共にとても優れたチームだ。
けれど其れでも、此の先の階層に進むには未だもう少し足りないだろう。
「っ! 危っ?!」
其れを察知し、警告の声を発しながらも間に合わない事に気付いた盗賊が、女僧侶を体当たり気味に突き飛ばす。
咄嗟にしては実に良い反応だったが、しかし残念ながら、盗賊は女僧侶は守れても、己が身は守れなかった。
不意に現れた中位悪魔が指先から放った光線は、盗賊の胸を貫通する。
血を吐く事すらなく倒れた盗賊は、迷宮の保護機構の働きで光と化し、死だけは免れて入り口へと転送されて行く。
まあ一月近くは立ち上がれもしない程に精気を抜かれるので、本当に死なないだけって感じなのだが、其れでも充分過ぎる有情だろう。
此の迷宮の主である吸精姫は、無用な死を好まない。
「クソっ、此の状況で中位悪魔だと!?」
故に残された冒険者達も、盗賊が死んだ訳では無い事は理解しているので、動揺で戦線が崩壊したりはしなかった。
でもまあ、只でさえ中位悪魔の相手は厳しいのに、多彩な攻撃で相手を阻害、味方の支援をして状況をコントロールしていたリズムメーカーの盗賊を欠いてしまっては、普通に勝ち目が無いのだが。
其れから程無く、多少粘りはしたものの、冒険者達は悪魔の群れに蹂躙されて盗賊の後を追う。
僕は迷宮の最下層で其の様子を確認してから、倒された下位悪魔相当に分割した僕を再吸収し、更にもう一度分割して復活させる。
見た目は物々しい、如何にも凶悪な悪魔風にしてあるが、其れでも此の僕は僕の一部だ。
ちょっと混乱するね。
「アハハハ、キミ、ほんっとーにすっごいねぇ」
其の光景が余程珍しいのか、上機嫌で手を叩くダンジョンマスター、吸精姫ことアーミリナ。
まあ確かにこんな真似が出来る存在は、滅多に会えないだろう。
何せ吸精姫の遊技場と呼ばれる、此の九十九階層の迷宮に存在する悪魔、下位一千と中位五十の全てが、分割した僕自身なのだから。
中枢である僕を含めれば、一千五十一人の僕が、此の世界には存在していた。
因みに当たり前だが、僕も普段からこんな自分を細かく分割するような仕事を引き受けてる訳じゃ無い。
本来、此の迷宮で敵役の一種として活躍する下位や中位の悪魔は、グラーゼン派閥の悪魔達だ。
下位一千と中位五十って数は、其れなりに大口の召喚契約と言えるだろう。
では何故本来はグラーゼン派閥の悪魔達がこなす契約を僕が代行しているのかと言えば、彼等は現在パーティに出席中だからだった。
と言っても彼等だけでなく、グラーゼン派閥の全ての悪魔がそのパーティには出席している。
何人目なのかは知らないが、とある女悪魔がグラーゼンの子を産み、誕生を祝うパーティが開かれているのだ。
今頃は、莫大な数のグラーゼン派閥の悪魔が一堂に会しているだろう。
グラーゼンの子を産んだ女悪魔とは、友人でもあるザーラスなので、当然ながら僕も贈り物を持って其のパーティには出席している。
そう、つまり此の世界では中枢を務める僕も、分割された一人に過ぎない。
と言うか其れどころか、現在僕が同時に分割してこなしてる最中の派遣の数は、なんと二千百四十五件にも及ぶ。
グラーゼン派閥が抱える契約数は悪魔の数と同じく莫大なので、其の代行は同盟を結ぶ悪魔王達が皆で分担しているのだが、やはり序列の関係上、僕への割り当てが一番多かった。
配下の悪魔達も総出で派遣をこなしてくれてはいるのだが、到底手が足りそうにないので、僕が自身を分割して数をこなす事になったのだ。
自分を分割して働くなんて、ブラックどころじゃない過酷な労働形態だが、……まぁザーラスが長年胸に抱いていた想いが少しでも叶ったのだから、今回だけはしょうがない。
故に此の世界では中枢の僕も、並の高位悪魔程度の力しか分け与えられては居なかった。
無論、普段は下位や中位の悪魔のみでこなしてる派遣なのだから、高位レベルの力は寧ろ過剰と言えるだろう。
迷宮には悪魔以外の敵役、魔物の類だって大量に配置されている。
だから契約を果たす上では特に問題無いのだが、……普段は当たり前に持ってる力が手元に無いのは、何となくこう、心細い。
その気持ちを例えるのなら、そう、財布に小銭しか入っていない様な心持だ。
特に契約主であるダンジョンマスターのアーミリナが、此の状態の僕よりも強い力を持っているから猶更である。
しかし不安だからとあまり分割した僕等に力を割いて、パーティに参加中の大本の、まあ謂わば本体の僕が弱り過ぎても都合が悪かった。
何せそのパーティには他の悪魔王も出席するので、其の中の一人、序列十二位『不出来な暴食』マーマールの面倒を見なければならない。
彼女も大分無差別な暴食を制御出来るようにはなっているが、万一の際にストッパーとして、喰われない程度の力は必要なのだろう。
まさか子の誕生を祝うパーティで、グラーゼンがマーマールの面倒を見る訳にもいかないし……。
まぁ要するに、彼方は彼方で大変なのだ。
さてアーミリナの正体は不明だが、恐らくは悪魔か天使、或いは神性の血を引く人型の魔物である。
吸精姫って二つ名から連想するのはサキュバスの類だが、彼女は直接人を襲って精気を吸収したりはしない。
深い迷宮に宝と障害、魔物や罠を用意し、欲深な人間を戦闘不能に追い込んで精気を徴収していた。
命を奪わずに精気だけを取る彼女の迷宮は、実に情け深いと言えるだろう。
故に此の迷宮は吸精姫の遊技場と呼ばれるのだ。
用意された魔物は兎も角、命をチップにせずとも宝を手に入れられる人間も、召喚契約を得られる悪魔にも、精気を集められるアーミリナにも、全ての存在にとって都合の良い、とても優しい迷宮である。
因みに此処で言う精気とは生命力や魔力なので、ごっそりと抜かれれば多少は寿命が削れる事もあるだろうけれども。
「悪魔は良いよねぇ。倒されても本当に死ぬ訳じゃ無いから、呼び直せば済むから気楽だし。キミなんて呼び出す手間も要らないなんて素敵! ねぇもうずっとキミがウチで働かない?」
何て風に言って来るアーミリナだったが、僕は其の言葉に苦笑いしか返せない。
実に優しい契約主だ。
殺し殺されで恨みを買うのが嫌な訳でなく、純粋に誰かが死ぬのが嫌いなのだろう。
しかしだからって迷宮の敵役を悪魔だけにするのも不可能だけれど。
其れにやってみて理解したが、多数への分割は結構危険だ。
力だけでなく、知能や判断力も結構低下してる風に思えた。
中位なら兎も角、下位相当の僕なんて、果たして僕だって確固たる自己認識があるかどうかも少し怪しい。
此の中枢たる僕だって、元の悪魔王レプトから比べたら大分思考力が劣る。
だから今回は仕方ないにしても、多数へ分割して複数の仕事をこなすって方法は、今後は成るべく避けるだろう。
何より、忙し過ぎるのは好きじゃない。
まぁ此の状態もグラーゼンの所のパーティが終わるまで、期間にすれば約一ヶ月ほどの辛抱だ。
そして其の時、迷宮の探知機構に反応がある。
新たな冒険者が表層、上層を抜けて、中層へと降りて来た。
中層からは下位悪魔が出現するって設定なのだ。
どうやら降りて来た冒険者達は、今日が中層デビューらしい。
ならば是非、中層の洗礼を受けてから戦闘不能の転送で御帰り願おう。
中枢を除いた今の一千と五十の僕達は、吸精姫の遊技場を彷徨い守るワンダリングモンスターなのだから。