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128 亡国の剣


 ボロボロの筈の大剣が、ミノタウロスの大斧の振り下ろしをガチリと受け止めた。

 本来ならば大斧が剣ごと持ち手を両断し、生意気で哀れな剣闘士の死により観客達は溜飲を下げる。

 そんなシナリオが書かれていたのだろう。

 興業主催者の驚きに歪む表情が実に愉快だ。

 武器が不良品でさえなければ、剣闘士の実力はミノタウロスを上回る。

 鎧も無く半裸でも、剣さえ信頼出来れば負けはしない。

 振るわれた砥がれてすらない大剣の刃は、其れでもミノタウロスの首を刎ね飛ばす。


 歓声と罵声が入り混じる中、剣闘士、クランスが控室に戻って来た。

 見世物になり、好奇と敵意を向けられている彼は、部屋に入るや否や大きな溜息を吐く。

「おかえりクランス。また随分と露骨に殺しに来てるね」

 控室には、クランス以外には見えないように認識阻害を掛けた僕と彼のみ。

 クランスは一度頷き、僕が出した水を飲む。

 此の国には、彼にとっては敵しかいない。

 観衆の前で殺す為、致死毒こそ盛らないが、弱らせる毒なら当たり前に食事や水に仕込んで来る。

 だからクランスは、僕が出した物しか口にはしなかった。


 何故彼がこんなにも殺意を向けられ、観衆の前で殺す事に拘られているのか。

 其れは、クランスが此の国とは敵対していた王国の、英雄と呼ばれる将軍だったが故に。

 此の国は強国だが、クランスの率いる軍には最後まで勝てなかった。

 しかし此の国は強国だったが故に、クランスを擁する王国には勝てたのだ。

 つまりは周辺国に圧力を掛け、経済的に封鎖して王国を降参させたのである。


 そして此の国は降伏条件としてクランスの身柄を要求し、王国と彼を引き離してから、結局は難癖を付けて滅ぼしてしまう。

 クランスの居ない王国では、国力差の多大な此の国からの侵略には抗う術はない。

 戦う事すら出来ずに故国を滅ぼされて嘆き悲しむクランスを、更に此の国は奴隷剣闘士の身分に落とす。

 自分達を敗北させ、その名誉に泥を塗ったクランスを、此の国は恨み、憎んでいたから。


 希望を持たせ、其れを奪い、嬲り殺しにする為に。

 無惨に、塵芥の様に、踏み躙って泥を塗られた名誉を回復する為に。

 此の国の王はクランスに向かって言った。

『一ヶ月で、三十の戦いに勝利したなら、其の武勇を称えて貴様の罪を許し、身柄を解放しよう』と。

 勿論、そんな結果にする心算は毛頭ない癖にだ。



 だが本当にまともに勝負をさせたなら、英雄であるクランスは三十戦を本当に勝ち抜いてしまう可能性がある。

 故に彼は、武器は今にも壊れそうな粗末な物を与えられ、食事や水に力を弱らせる毒を混ぜられた。

 単なる人間相手なら其れでも勝利を収めたが、鎧も無しで魔物と戦わされれば、弱った身体では傷を負う。

 其のままなら三十の三分の一にも辿り着けずに、クランスは死を迎えて居た筈だ。

 そう、僕と出会わなければ。


 僕と彼の出会いは偶然である。

 別件で此の世界に来ていた僕は、強い嘆きに興味を惹かれ、ふらりと訪れた牢獄で彼と出会う。

 負った傷と仕込まれた毒が反応し、腐りかけている死に掛けのクランス。

 しかし目だけは爛々と、此の国への憎しみに燃えていた。


 生きたいかと、問うた僕に彼は首を横に振る。

 守るべき国を守れなかった今、最早生きる事に未練はない。

 唯、憎むべき敵の胸に、己の刃を突き立てられぬ事だけが悔しいと、クランスは僕にそう言ったのだ。

 だから僕は死に掛けの彼を癒し、契約を交わす。

 クランスが三十勝目を挙げた時、解放を告げる為、或いは矢張り処刑を告げる為に近くに来る王の胸に剣を突き立てるまで、彼の手伝いをするって契約を、其の魂を対価として。



 勿論僕は闘技場での戦いに手は出さない。

 此れはクランスの戦いで、僕は手伝いに過ぎないから。

 ただ思い切り武器を扱っても壊れない様に付与魔術を施し、連戦の合間に傷と疲れを癒し、毒の入った食事や闇討ちを排除して、彼が全力で一戦一戦を戦える様にサポートするのみ。

 まあのみって言っても、万一クランスが勝ち抜いて王の不興を買えば、全員の首が飛ぶ闘技場関係者も必死なので、やるべき事は結構多いのだ。

 でもたかが人間の王の威が、悪魔王の加護に敵う道理は無いだろう。

 執拗に妨害を行おうとした闘技場の人間は、僕の、悪魔の気に充てられて、心を失って生きてるだけの肉塊になる。


 クランスの戦いが二十を越える頃、彼の鬼気迫る戦いも相俟って、闘技場ではこう噂される様になった。

 亡国の将軍には、滅ぼされた王国の怨念が憑りついてる……と。


 けれど其れでも戦いは行われる。

 何故なら其れを中断してしまう事は、王の面子を潰す事に他ならないから。

 其の噂に怯んでしまえば、此の国は、滅びた王国に負けたのだと言われ、国威に傷が付きかねない。

 故に戦いは毎日行われて、遂に三十日目に、敵王の姿をその瞳に捉える所まで、クランスは辿り着く。

「悪魔殿、……行って来る」

 感謝の言葉を口に仕掛けたクランスに、僕は其れはまだ早いと首を振り、頷く彼は闘技場へと足を進める。


 ……だが最後の戦いの相手は、思いもよらぬ相手だった。

 本当に形振り構わなかったのだろう、王の不興を避ける為、多大な対価と引き換えに用意されたのであろう相手は、何と中位悪魔。

 二足歩行形態だが、人とは明らかに違う其の姿。

 頭部には山羊の角、蝙蝠の様な翼に尖った尻尾、そして踵の無い、オーソドックスなタイプの巨体の悪魔だ。

 如何に剣の腕が立とうとも、魔力も籠らない粗悪な剣では、中位悪魔を打倒するのは不可能に等しい。

 極稀に其れを成し遂げる例外的な人間は居るけれど、少なくともクランスは其処まで逸脱した強者では無かった。


 こんな相手を用意されれば、確かにクランスに勝ち目はないだろう。

 でも其れは、双方が本当に百パーセントの力で、全力を以って戦えばの話だ。

 クランスを、そして背後から彼を見守る僕を見た、中位悪魔の瞳が驚愕と恐怖に見開かれる。

 僕は此の中位悪魔を知らないが、彼方は僕を知ってるのだろう。

 此れはクランスの戦いなので、当然僕は手を出さないし、契約上出せない。

 けれども其れでも、悪魔王の目の前で、其の加護を受けた人間を害せる器があるのなら、中位悪魔なんかに収まってる筈もないのだ。

 本当に僕は見ているだけだったけど、悲痛な顔で此方に配慮した中位悪魔が、クランスの一撃であっさりと塵となる。


 流石に少しばかり、あの悪魔には申し訳無い事をした。

 さっきの中位悪魔は覚えたし、何処の誰かを調べてから、上役である悪魔王に詫びの品でも送るとしよう。

 悪魔の世界も、本当は意外と世知辛い。

 でも其れは後の話で、今は漸く辿り着いた、クランスの戦いの結末を見届けようか。



 罵声が響き渡る中、不機嫌そうな顔をした王が、大勢の護衛を引き連れて闘技場へと降りて来る。

 王が闘技場へと降り立てば、流石に観衆の罵声は止んだ。

 クランスには兎も角、王に罵声を浴びせたならば、此の国の民も首は飛ぶ。

 王はクランスの足元に貨幣の詰まった小袋を投げ、告げた。

「薄汚い野良犬め。其れでも寛大な余は、約束通り貴様を解放してやろう。慈悲である。その路銀を拾って消え失せよ。そして王国の廃墟で惨めに死ね」

 小袋を拾って顔を上げたクランスの目に浮かぶのは、殺意の光。


 当然その反応も予測していた護衛達は咄嗟に王の前へと割って入って壁になろうとするけれど、しかし其の足は動かない。

 勿論僕の魔法の仕業だ。

 僕はクランスの戦いには手を出さないが、今は『クランスと敵王の戦い』であると見做せば、護衛達は僕が排除すべき邪魔者だった。

 クランスの投げた小袋が、逃げようとした王に当り、その足を転ばせる。

 小さく何事かを呟いたクランスは、疾風の様に駆け抜けて、背から王の胸を剣で貫き、更に刃を閃かせて首を刎ね飛ばす。


 そして次の瞬間、全ての戦いを終えて契約を果たした事で僕の助力が終わり、動き出した護衛達の槍が次々にクランスの身体を突き刺して行く。

 僕はクランスの魂を此の手に収め、魔界へと帰還する。

 その気になれば闘技場の人間を呪う事も、あの国を亡ぼす事だって出来るけど、其れは無粋が過ぎるだろう。

 あの時クランスが最期に呟いたのは、僕に向けての言葉だった。

「世話になった。感謝する」

 ……と。

 僕はクランスを手伝って、彼は望みを果たしたのだから、それ以上は必要が無い。


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