127 強欲と暴虐
途方もなく大広間の中央に敷かれた赤絨毯を、僕はベラの背に乗って進む。
否、その表現が果たして正しいのかどうかは謎だ。
何せこの場所は、グラーゼンが悪魔王としての力で創り出した大広間風の空間であり、正しくは建造物の中と言う訳ではないのだから。
周辺を囲むのは、グラーゼンが配下の百個軍団を越える軍団長と、その配下の部隊長達。
流石にグラーゼンの有する全ての軍団が集まって居る訳ではないし、最も数の多い下級悪魔はこの場に居ないが、それでも恐ろしい数の悪魔が広大な空間を埋め尽くしてる。
正直な話、途轍もなく居心地が悪い。
何せ彼等の多く、特に軍団長たる高位悪魔達は、嘗ては己が世界で有数の大英雄だった者ばかりだろう。
仮にそうでなかったとしても、それに匹敵する優れた資質の持ち主か、或いは特異な経歴の持ち主だった筈だ。
それに引き換え、僕は仮に病で死に掛けず、人間としての人生を生きて居たなら、間違いなく凡人だった。
魔術の存在する世界でなら、ひょっとすれば秀才と呼ばれる程度にはもてはやされたかも知れないが、それでも、そう、例えばグラモンさんの様な天賦の才は持ち合わせて居ない。
今現在を顧みれば、大きな悪運と、悪魔として生きる才は持っていたのだろうが、外様の天才たちを目の当たりにすれば、どうしても僅かな引け目を感じてしまう。
もし彼等に、何故お前はそんなに恵まれているのかと問われれば、……僕はその答えを持ち合わせて居ないから。
思わず溜息を吐きそうになるが、その時、ベラが低く唸る。
まるで少し弱気になった僕を咎める様に。
あぁ、いや、実際に咎めているのだろう。
ベラは僕と、一番付き合いの長い悪魔だ。
離れた場所に居るなら兎も角、僕を背に乗せているなら、顔を見ずとも気持ち位は察してくれる。
まぁ確かに、ベラを含めた配下達の事を考えたなら、僕が弱気になるのは彼等に対する侮辱に他ならない。
そしてそれをさて置いても、この場所で憂鬱そうな表情を見せるのは、決して良い事でないのは確かだった。
何故なら、僕がこのグラーゼンの配下が集う式典らしき物に招かれたのは、王の称号を持つ二つの派閥の長が、未だ変わらぬ盟友であると友好関係を強調する為なのだ。
実際の数が幾らなのかは数えるのも面倒なので知らないが、百を越える軍団を保有し、更には十二の悪魔王が集う同盟の盟主になったグラーゼンには、最早脅威と呼べる存在は極僅かしか存在しない。
例えばグラーゼン以外の王の称号を持つ悪魔王や、それに匹敵する天使、或いは次元を越えた何処からかやって来る侵略者。
けれどもグラーゼンは兎も角、その配下の多くにとって、そんな何時現れるとも知れぬ敵よりも、もっと身近に脅威となり得ると考えてしまう存在が居た。
そう、それこそが、十二の悪魔王が集う同盟でグラーゼンに次ぐ序列に並べられ、不本意ながら『暴虐の王』なんて呼ばれる、王の称号も持った悪魔王たる僕である。
残念ながら、身近な相手の方が仮想敵として想定し易いのは、人間であろうと悪魔であろうと然して変わらぬと言う話なのだ。
だからグラーゼンと僕は、度々公的な場で友好関係を強調する必要が、どうしてもあった。
勿論グラーゼンと僕は、私的な場では普通に友人と呼び合って良い関係だろう。
僕と一緒に居る時のグラーゼンは普通に冗談も言うし、時折馬鹿じゃないのかなって疑いたくなる様な行いもする。
召喚等で僕が長期間魔界を留守にし、尚且つ土産を忘れて帰った時のグラーゼンの拗ねっぷりは、普通に心底鬱陶しい。
だが派閥の長として、グラーゼンは配下にそんな威厳のない姿を安易に見せる訳には、……既に知ってる側近以外に見せる訳には、多分いかない筈。
故にこんな面倒臭い催しに、グラーゼンは時折僕を招く。
互いに悪魔王として派閥を抱えていると、どうしても極稀には、何処かの世界で対立する相手にそれぞれの配下が召喚される事だってある。
そんな時に配下の悪魔達が、『どんな結果に終わろうとも双方が契約を果たす為に尽くした結果だから仕方ない』と考えて穏便に流すか、『許さねえ。あの野郎何時かぶっ潰してやる』と根に持って火種を抱えるかは、僕とグラーゼンが友好関係をどれだけ強調しているかで大きく変わるのだ。
「友よ、良く来てくれた。どうだろうか、我が自慢の軍団は」
赤絨毯の終点で、二つ並んだ玉座の片側に腰掛けていたグラーゼンが、僕の到着を立ち上がって歓迎する。
僕はベラの背を下りて、差し出されたグラーゼンの手を握った。
うん、実に茶番臭い、見世物染みた振る舞いだと、多分お互いに思ってるだろう。
「勇壮。絢爛。剛健。褒め称えるべき点が多過ぎて言葉に悩ませてくれるよ。グラーゼン」
僕は世辞でなく、九割九分本気でそんな事を口にする。
元々この場では世辞であっても褒め称える言葉を言わねばならないのだが、困った事にグラーゼンの軍団に関しては世辞を言っても単なる事実にしかならないのだ。
何せ悪魔の中でも最大派閥の長であるグラーゼンが、心血を注いで育て上げて誇る軍団だ。
他に並ぶ者はなしとの言葉は、彼等の為にあると言っても過言じゃない。
しかしその時、僕の返答を聞いたグラーゼンの唇が、元より笑みを浮かべてはいたのだけれど更に少しだけ吊り上がる。
グラーゼンの顔をまともに見れない他の悪魔なら気付けないだろうが、僕は彼の顔を長年ずっと見て来たからそれはすぐに理解出来た。
即ち『あ、コイツ、何か要らん悪戯を思い付きやがったな』と。
「では友に問いたい。もし、仮に、だ。私がこの場でその勇壮な配下に、友を仕留めよと命じたならば、友は如何対応するかね?」
グラーゼンの発した問いに、大広間が、集まった彼の軍団がどよめく。
それはまるで、僕の返答次第では本当にそうせよと命じられると思い込んだかの様で、……僕は思わず楽しそうなグラーゼンを殴りたくなった。
気の早い悪魔は、既に何時でも飛び掛かれる様に重心を傾けて足を溜めてる。
まぁ高位の悪魔なら兎も角、中級以下が幾ら攻撃して来た所で僕には傷一つ負わせる事は出来ないだろうが、一番槍を付けたと言うだけでも誉れであり功績だから、気が急くのは仕方ない。
そんな状況に、僕は一つ溜息を吐く。
全く、本当に、僕が一体誰の為に、こんな面倒臭い式典に来たと思ってるのか。
招いた本人が早くも飽きて悪戯を仕掛けて来るんじゃない。
こんな言い方をすればグラーゼンの威厳は台無しだろうが、基本的に僕に対しての彼は構ってちゃんである。
「一つ忠告しておくけれど、僕を仕留めたいなら、軍団を嗾けるんじゃなくて、君が直接来るべきだよ。君以外が相手なら、僕とベラなら、ある程度の時間は耐えれるからね」
確かにグラーゼンの軍団が総出で掛かって来たならば、流石の僕でもこの場では耐える事しか出来ないだろう。
でも逆に言えば、ある程度は耐えられるのだ。
僕の言葉に、グラーゼンの笑みは深くなる。
あぁ、本当に殴りたいその笑顔。拳に思い切りの魔力を込めて。
「ほう、確かに友なら我が軍団の攻撃にも耐えられよう。しかしそれでどうする。友の配下が駆け付けるのを待つのかね?」
楽しそうなグラーゼンが再び問う。
それこそまさかだ。
僕の配下は選りすぐりだから、もしかすると駆け付けて何とかしてくれるかも知れないが、被る損害は計り知れない。
残念ながら僕には失いたくない物が多過ぎた。
だからこそ、仮に被害が避けられないのなら、何を失うかは僕が決める。
グラーゼンの問いに僕は首を横に振り、
「いや、僕の魔界を全力で君の魔界にぶつけるよ。グラーゼン」
彼の目を見てそう言った。
自分の魔界は僕の意のままに動かせるし、僕がここに居るのだから、その座標目掛けて魔界を全力移動させるだけだ。
流石に予想外の答えだったのか、グラーゼンの目が見開かれる。
「随分と破れかぶれの答えだが、それで私が討てるとでも?」
三度グラーゼンが問い掛けるけれど、僕はやっぱり首を横に振った。
どうやら彼には、まだ僕の考えが読めてないらしい。
「いいや、それこそまさかだよ。グラーゼンを討ったら話にならない。お互いの魔界がぶつかれば双方共に大きく損壊し、僕と君の力はやっぱり大きく減じるね。魔界は僕等の力の源でもあるから」
そう、だから通常、悪魔王同士の戦いでも魔界をぶつけ合ったりはしないのだ。
勝っても負けても被害が大き過ぎるから。
そもそも今の様に相手の魔界に我が身で乗り込んでたりしなければ、正確にぶつける事は不可能だし、ある程度魔界の大きさ、保有する力が近しくなければ、小さい方が壊れるだけの結果に終わる。
大きい方は普通に相手に勝利して魔界を接収した方が利が大きいし、小さい方は単なる自殺になるだろう。
では何故僕は魔界をぶつけ合う様な真似をするのか。
「僕も君も敵が多いからね。力を大きく減じたならば、ここぞとばかりに有象無象が攻めて来るよ。同盟の面子だって来るかもね。弱い盟主やその次席なんて、蹴落とすのを躊躇う様じゃ悪魔じゃない」
つまり僕もグラーゼンも凄まじい窮地に陥るだろう。
損壊した魔界が元通りになり、力を取り戻すのに千年は優に掛かる筈。
「だったら欲しくなるよね。気心が知れて、利害が一致して、共に窮地を乗り切る為のパートナーが。目の前の戦いを後回しにしたくなる位には」
そう、これが僕の答えであった。
勿論最終的にはあらゆる手段を講じてグラーゼンに対しての復讐も果たすだろう。
その時は、絶対先手は譲らない。
「は、はははははははっ! 流石我が友だ。私の戯れを許して欲しい。さて、見たか、聞いたか、我が配下達よ。これこそが我が友、『暴虐の王』だ。どんな状況でも相手の喉笛に喰らい付く真に強き者」
意表を突かれて満足そうなグラーゼンに、僕はもう一度溜息を吐く。
彼が今度、僕の魔界にお茶を飲みに来たら、絶対にその顔に拳を叩き込む。
まぁグラーゼンが楽しかったのなら、それ位で許してやろう。
何せ彼は僕の友人だから。
「下らぬ諍いで我等の友誼に陰りが出れば、その損失は計り知れないと知れ。では友よ、改めて来訪を歓迎しよう」
僕はグラーゼンに促され、彼の隣の玉座に腰掛ける。
並び立つ対等の相手である事を、この二つの玉座は示すのだろう。
そしてベラが僕の足元に寝そべって、改めて僕は、真正面からグラーゼンの軍団を見回した。
あぁ、もうあまり、引け目は感じない。
今、もし彼等に、何故お前はそんなに恵まれているのかと問われれば、僕が悪魔王レプトだからだと、胸を張ってそう言える。
余談だが、
「因みに友は、私が直接攻撃して来た場合はどんな風に対応するつもりだったのだ?」
式典の最中にグラーゼンがそんな馬鹿な事をこっそり聞いて来たのだが、僕は笑って答えなかった。
その時は、当然切り札を使って対抗する。
でも切り札は伏せてこそ切り札だから、グラーゼンが相手であっても内緒だ。
けれどもここでのみ、こっそりと言うならば、先程のあの場で切り札となるのはベラだった。
僕の切り札は、グラーゼンは勿論、他の悪魔王も決して真似をしないだろうが、限られた配下への譲位である。
力の源である魔界、悪魔王の座をベラやヴィラと言った側近に明け渡し、僕の力を丸ごと譲り渡す。
僕は力の保有量は桁外れに多いけれど、戦いの才は凡庸だ。
だからこそ僕の力を戦いの天才であるベラに譲れば、ベラはグラーゼンとだって戦えるだろう。
そして力の大半を失って一介の高位悪魔にまで成り下がった僕を守る為に戦う限り、ベラに敗北はない。
一応は他にも切り札はあるけれど、それも特定の配下が居る事が使用前提だ。
つまりはそう、悪魔王レプトの強みは、僕自身が凡庸であるが故に手段を選ばぬ事と、僕の半身とも言うべき信頼出来る、優れた配下達だろう。
今回のグラーゼンの悪戯は、それを再確認させてくれた。
なので殴るのは、一発だけで我慢をしようと、そう思ってる。