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115 悪趣味な芸術家

 白いキャンバスにザックリとした線が引かれ、上に色が載せられて少しずつ絵が完成して行く。


 誰が描いているでもなく、ひとりでに、勝手に、ゆっくりと。





 イラストレーターが製作の様子を撮影した動画を彷彿とさせる光景だが、このキャンバスの上で行われている事は、実は非常に凄惨な物だった。


 肉体を失い、記憶を失い、描くと言う想い以外には何も持たなくなった画家の魂が、自らを絵具としながらキャンバスを塗り重ねている。


 もはや画家の魂は、何故自分が絵を描くのか、その理由さえも覚えてはいないだろう。


 だがそれでもその魂は決して止まる事なく、止まる事なんて考えもせずに、ひたすらに自分を材料にして絵を描き続けるのだ。





 更に何よりも性質の悪い事に、この絵は決して完成しない。


 何故なら画家の魂がある程度の色を塗ったなら、一匹の悪魔がそれを舐め取ってしまうから。


 その悪魔にとって、魂の絵具で描かれた絵は、極上の菓子にも等しい物だ。


 しかし己の絵が舐め取られた事にも気付かず、画家の魂は絵の完成を目指して描き続けるだろう。





 この絵のタイトルは『未完』。


 画家の魂が同じ線は引かず、同じ色は塗らない為、その悪魔にとっては味が変わり続けるスイーツとなった。


 最終的には、画家の魂が自分の全てを塗り込めて、それすらも悪魔が舐め取り、絵は真っ白に戻る。





 絵を完成させる事を目的にした画家には、吐き気がする程に残酷で悪趣味な行為だろうと思う。


 でもその悪魔は、それでも画家を、才能も情熱も全てひっくるめて愛していた。


 故に全てを舐め取りたいし、最期の最期まで描き続けて欲しいと思ってる。


 その為に生前から、探し求めて、囁き続けて契約を交わし、環境を整え、閃きを与え、才能が花開く事を懸命に助け続けるのだ。





 僕はその悪魔を、どうしようもない程に悪魔らしい悪魔だと思う。


 勿論それと好悪は別物だし、悪趣味だとはこの上なく感じるが、それでも彼の行いに口出しをする心算は毛頭ない。


 敵対関係にならなければ、との前提は付くけれど。





 そして今日は、その敵対関係にならない為の話し合いに、僕は彼を訪れたのだ。








 しかし実は、僕の側にはその芸術家を愛する悪魔、『貪欲なる偏執』グロルダ・ポルルガと良い関係を結ぶ積極的な理由はない。


 何故なら彼は僅かに一個の軍団しか持たぬ、つまりは腹心たる高位悪魔を一体しか従えて居ない、非常に小規模の悪魔王だからだ。


 まぁ『不出来な暴食』マーマールの様に単騎でも桁外れに強い例外も居なくはないが、グロルダは別にそう言ったタイプでもなかった。


 そもそもが、向こうから申し出た僕との関係も、従属であり庇護である。





「如何ですか暴虐の王! 吾輩のコレクションは!」


 未完の絵画はほんの一例で、それ以外にも大量に悪趣味な芸術品、グロルダのコレクションを見せられた僕は、曖昧な笑みを浮かべてその質問を躱す。


 流石に従属すると言ってきた相手の自慢の品を、悪趣味だと切って捨てる無慈悲さを僕は持ち合わせていない。





 それに悪趣味である事さえ除けば、グロルダの解説は中々に上手くて聞き応えはあったのだ。


 例えばあの未完の絵画に関しては、


「吾輩はこの未完に、人間の無限の可能性を見ておるのです!」


 なんて風に語ってた。


 確かにそれは間違いじゃない。





 絵具となる魂は有限だが、千変万化する線と色はまさに無限の可能性を表現している。


 未完の絵画が次にどんな表情を見せるのかは、鑑賞者は勿論、描いてる画家の魂にすらわからないのだ。


 問題があるとすれば、その無限もグロルダに舐め取られて何れは零になる事だけれど、一瞬のみ魅せる表情に味があると言われれば、そうなのかなぁとも思わなくもない。


 但し残念ながら、僕の趣味では全くないが。








 けれども、グロルダは僕の曖昧な笑みを見て、我が意を得たりとばかりに嬉し気に頷く。


「やはり、素晴らしい。私の見る目に狂いはなかった! 暴虐の王、貴方は私のコレクションに一定の理解を示し、そして全く興味がない! それでこそ吾輩が従属するに相応しい王ですぞ。理解をするから無意味な破壊は行わず、興味がないのなら差し出す必要もないですからな!」


 あぁ、成る程……、そう言う理由か。 


 どうやらグロルダはコレクションを差し出せと強要すれば、諸共に自爆するタイプらしい。


 昔習った歴史に、そんな人間が居た気がする。





 僕はまた一つげんなりさせられるが、でもグロルダに対する評価は、決して低くはなかった。


 彼は、そう、立ち回りが非常に上手いのだ。





 芸術趣味に走り過ぎ、小さな勢力を大きくしないグロルダを侮る悪魔は多い。


 実際今は、未完の魂を舐め尽くすまでは、彼は刻一刻と変化するあのキャンバスを眺め続け、舐め続けて、悪魔としての活動は殆ど行っていない筈。


 しかし仮にグロルダの興味が芸術方向でなく、派閥を大きくして支配領域を増やす方向に向いていたなら、彼は途轍もなく強力な悪魔王になっていただろう。


 そう思える位に、彼は小規模勢力でありながら小器用に生き残り、何より欲が粘着質で強かった。





 ……とは言え、幾ら能力に見る所があったとしても、それは僕がわざわざ出向く理由にはならない。


 グロルダが僕に従属するかどうかは、言ってしまえばどうでも良くて、僕は彼にどうしても一つ確かめたい事がある。


 恐らく正面から聞いたところで、決して口を割らないだろうけれども。





「……そう、まぁ君の事情はどうでも良いんだけれど、一つ聞かせてくれないかな。何故、僕に従属するの?」


 先程グロルダが、見込んだ通りに従属するに相応しい王だと称した。


 グロルダの様な小規模の勢力が生き残る為には、強い力を持った悪魔王の庇護を必要としている。


 勿論、それが答えである事はわかりきった話だ。


 けれども僕はそれとは別の答えを引き出す為に、グロルダの事情はどうでも良いと切って捨て、敢えて理由を問うていた。





 グロルダと僕の視線がぶつかり、互いの腹の内を探り合う。


 一分、二分と沈黙が続くが、僕は幾らでも待つ心算で居た。


 例えそれが一日であろうと、一週間であろうとも。








「…………むぅ、成る程。では何故暴虐の王を選んだのかと言う理由ではなく、選ばざるを得なくなった訳を話すべきですかな。それは、吾輩の以前の庇護者が、悪魔王同士の戦争で滅んだからに他なりませぬ」


 どれ位の時間が経っただろうか。 


 根負けした、或いはそれを装って、グロルダはそれを口にした。


 僕が何を問いたいのかは、確かめたいのかは、グロルダも察しているだろう。


 尤も、それをグロルダがハッキリと口に出来ない理由も理解出来る。


 何故なら、グロルダは以前庇護してくれていた悪魔王に義理があるからだ。


 その義理を無視して情報を売れば、新たな庇護者である僕の事も何れ裏切るだろう相手だと見做されてしまう。





 つまりは、そう、


「以前に君を庇護していた『虚飾の鏡』アウルザルは、どうやったのかは知らないけれど生き残ったんだね」


 義理立てすべき相手がまだ生きて居るって話に他ならない。


 僕の言葉に、グロルダの瞳がほんの一瞬だけ、揺れる。





 まぁ呆気なさ過ぎるとは思っていたのだ。


 幾ら『死の大公』バルザーと僕が二人掛かりで攻撃したとは言え、色々と画策、暗躍していたアウルザルの滅び方はあまりに素直だったから。


 どうしても僕がアウルザルに抱いていた印象と、その滅ぶ様が合致しなかった。





「吾輩を庇護してくれていた虚飾の鏡は、確かに割れて砕けて消滅しましたぞ」


 なんて風にグロルダは言うが、確かにそれはハッキリと僕もこの目で見ている。


 故に僕とバルザーが倒したアウルザルは幻影や影武者、偽物では決してなく、本物だったに相違ない。


 であるならば、いやいや、実に驚くべき事だけれど……、


「……成る程、自分を分割してバックアップを隠してたんだね。あぁ、もしかすると魔界も一部を分割してて、今も悪魔王で在り続けてるのかな」


 保険を掛ける為に自らを割いて居たのだろう。





 普通の悪魔が好む方法では決してない。


 自分や魔界を分割すれば、分割した分だけ確実に弱体化するし、バックアップとして本体になれる程の分裂を行えば、最悪の場合は別個の存在として離れて行く恐れだってあるのだ。


 それ位ならば百パーセントの自分で居た方が安全だと、多くの悪魔はそう考える。








 僕の言葉に、グロルダは黙って目を伏せた。


 これ以上何かを悟られまいとするかの様なその振る舞いは、僕の想像がおおよそ間違いではない事を示してる。


 他にも何かを知ってる可能性はあるけれど、それを引き出す手を今の所僕は持たない。


 ならばもう充分だろう。





「『貪欲なる偏執』グロルダ・ポルルガ、君の従属を歓迎するよ。条件はそちら側が申し出た通りで良い。言えない事を探って悪かったね」


 僕の主な用事は満足のいく結果になったのだから、グロルダの望みも叶えて置こう。


 恐らく今回のやり取りをそのまま伝えれば、真面目なヴィラ辺りはグロルダの従属に反対しそうだから、今ここでそう決める。





 元よりアウルザルの件を除けば、グロルダの従属に問題はなかったのだ。


 グロルダは素直にアウルザルの存在を吐いた訳ではないけれど、かと言って情報を完全に伏せた訳でもない。


 アウルザルへの義理を果たしつつも、僕と言う悪魔の性格を見切って、必要最低限のヒントは出していた。


 それに彼を庇護していた悪魔王のアウルザルが滅びて困っていたのも、僕の庇護を必要としているのも本当だろう。


 ならばそれに応じる位の度量は僕だって持っている。


 何せ僕だって以前は、グラーゼンの庇護を受けていたからこそ滅びずにやって来られたのだから。





 そしてもし万一、以前の縁を頼ってグロルダをアウルザルが訊ねて何かを企んだならば、それはそれで都合が良い。


 あの手のタイプは見えない所、手の届かない場所で動かれるのが一番厄介なのだ。





 何れにせよ、この話を受けるにあたって僕は損を感じなかった。


 グロルダは僕とは趣味の合わない悪魔だが、筋道を立てて考えたならその思考はそれなりに読める。


 上手く使えるかどうかは僕の器量次第と言った所だろうか。


 まぁ例え使いこなせなかったとしても、芸術趣味に耽溺してくれているなら放っておいても害はない。





「おぉ、暴虐の王よ。庇護と引き換えの忠誠を貴方に」


 僕は膝を突いたグロルダに対して片手を上げて応じると、背を向けて歩き出す。


 決してグロルダを嫌う訳ではないが、趣味が合わない相手と長々と一緒に居ても楽しい事は一つもないから。





 そう言えば、わざわざグロルダが名前でなく暴虐の王と僕を呼ぶのは、その暴虐を自分に向けてくれるなとの牽制なのだろうか。


 次に彼と話をするのが一体どれだけ先になるかわからないけれど、覚えて居たら聞いてみよう。


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