110 夜桜
「こんばんは、綺麗ですね」
夜桜の下で、貴方は言った。
本当にそう、今年は行き成り気温が上がったから開花も突然だったけど、だからこそ一斉に開いた桜はとても美しい。
私は桜の樹を見上げて、
「えぇ、本当に」
そう呟く。
でも貴方は少しだけ困った様に笑う。
首を傾げた私に貴方は、
「いえね、桜もですけど、月がね? あぁ、あと勿論貴女もです」
なんて風に慌てて言って。
本当に、不器用な人だなと、私は思わず笑ってしまう。
不器用なのに、格好付けで。
「ついでみたいに言われても、喜べません」
別に本当に怒ってる訳では無いけれど、私が笑顔のままに頬を膨らせて見せれば、貴方は困ったように頭を掻いた。
コホンと、一つ咳払い。
チャンスはもう一度だけ。
私の意図を察したのか、貴方もサッと居住まいを正す。
「こんばんは、桜と、月が綺麗ですね。でも、私にとっては貴女が一番綺麗です」
何て真顔で言う物だから、やっぱり私は笑いそうになってしまったけれども、嬉しかったので合格としましょう。
そんな、春の夜の思い出から、何度も何度も桜は咲いて、そして散って。
ついでに貴方の頭の髪の毛も散ってしまって。
この春の、桜の開花を見届けて、貴方は旅に逝ってしまった。
えぇ、順番ですもの。
ゆっくり最後まで沢山話して見送りましたから、今更涙は流しません。
でもね、貴方。
きっと私はもう夜桜を見る事は無いでしょう。
だって夜桜を見上げる時に、少し冷たい春の夜風を遮る貴方の身体が無くては、きっと風邪を引いてしまいますから。
「もう満足出来た?」
僕は桜の樹に手を当てて問う。
返って来たのは、少しの肯定と、其れを上回る残された彼女を心配する心。
うん、だったら仕方ない。
あの老女はとても強くて可愛らしい人だけれども、だからって心配じゃ無くなる訳では無いのだろう。
「いいよ、じゃあ来年も咲く力を渡しに来るよ」
彼と彼女が結ばれる所を見ていた桜は、其れからもずっと毎年の様に、彼と彼女の姿を見れる春を楽しみにしていた。
桜の樹は彼と彼女よりも年上だったから、本当はもう咲く力は余り残っていない。
けれども桜は最後まで、彼と彼女に嬉しそうに見上げて欲しかったから。
僕との出会いは偶然だけれど、桜はそう願ったのだ。
全てが終われば桜は僕の魔界の彩りとなる。
どうせ此れは道楽だ。
あと数年付き合った所で、大した違いはありはしないだろう。
それに何より僕だって、この季節は桜と一緒に、彼と彼女を、今は彼女だけになったけれども、だからこそ余計に見守りたい。