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109 僕と彼女の決戦



 学院生となって三年目の冬、学院生活では最後の長期休暇に、僕と彼女はミケーヤの眠りし神殿に赴く。

 神殿の守り手は、不死の鳥。

 羽の一枚一枚は炎で出来ており、並の手段では傷付ける事すら叶わない。

 仮に其の身に刃を届かせて殺したとしても、燃え尽きぬ炎の中から蘇るとされるフェニックスだ。


 ……成る程、確かに此れを突破しながら隔離領域に入り込む事は、人間には不可能だろう。

 神や悪魔では殺せない相手を殺す為に、人間を使うってのはオーソドックスな手段だから、当然対策をしてるとは思っていたが、人には殺せない守り手を用意するのが其れに対する答えらしい。

 まあしかし、例え殺せぬ相手であろうと、其処に居ると知っていれば、対策手段も幾らかはある。

 此れがミケーヤの人間への対策だと言うのなら、矢張り神性は人間を舐めていると言わざる得ない。

 僕は『霊子と魔素の視認』の腕輪の他に、ヴィラが創った宝具、演算処理を助けてくれる『知恵の悪魔の額冠』を身に付けて、魔術でふわりと空を飛ぶ。

 フェニックスの瞳が空飛ぶ僕を捉えるが、単なる人間など脅威にも思わないからだろう、彼方から手出しして来る事は無い。


 だから僕は、此の世界に来てから初めての魔法を、ゆっくりと完成させる事が出来た。

 詠唱と共に、口から血が零れ落ちる。

 赤黒い血だ。

 恐らく魔法行使の負荷に、喉の一部が傷付いたのだと思う。

 肺が傷付いていたならば、吐く血はもっと真っ赤だから。


 発動した魔法に空には分厚い雲が生まれ、大きく重たい雨粒が激しい勢いで降り注ぐ。

 世界の魔力を取り込んだ、冷たく鋭い魔水の雨だ。

 火の鳥であるフェニックスなら、此れで死ぬ事は無くとも激しい痛みを覚えるだろう。

 フェニックスは魔水の雨に対抗する為、身に纏う炎を一層激しく燃え上がらせて、敵と見做した僕を殺す為にバサリと空へ舞い上がる。


 魔法を使用する度に、僕の身体はダメージを負った。

 フェニックスの炎をいなすのにも、其の身に傷を負わせるのにも、魔法はどうしても使用せざるを得ない。

 多分このまま削り合いを続けても、復活するフェニックスに阻まれて僕は隔離領域をこじ開けられないだろう。

 けれども此の世界に生まれた化身は僕一人ではないのだ。

 降り注ぐ雨も、僕の戦いも、フェニックスの注意を彼女から逸らす為の物。


 聖天使カリエラの化身であるアーネは今、聖遺物の鎧兜を身に纏って、秘蔵の聖剣を握り締め、隔離領域をこじ開ける為の力を溜めてる。

 そして其の力が溜まり切れば……、振るわれた聖剣は光を放ち、ザクリと隔離領域を切り裂いた。

 光と衝撃、振動にフェニックスの注意がアーネへと向いた瞬間、僕は門の魔術で彼女の隣に移動して、二人は一緒に隔離領域の中へと飛び込んだ。



 駆け込んだ隔離領域の中で、荒い息と共に残った血を全部吐き出す。

 彼女が心配そうに僕の顔を見ているが、問題は無いと笑みを浮かべる。

 そう、この程度なら実際に然程問題は無い。

 何故なら此処から先は、一切の出し惜しみは無しだから。

 僕は収納から取り出した、錬金術に依る回復薬を一気に呷った。


 強引に隔離領域に押し入ったにも拘らず、眼前に浮かぶ神性、ミケーヤの瞳は開かない。

 進化の為の眠りとは、それ程までに深いのだろう。

 此処で一番怖いのは、寧ろミケーヤでは無く、其れを唆した黒幕なのだが、本体等が動いているので僕等の前に出て来る事は無い筈である。

 僕はもう一度、今度は目から血を流しながら、アーネに対して強化魔法を施して行く。

 聖遺物を身に纏い、聖剣を持つ今の彼女は、並の人間よりも遥かに丈夫だ。

 故に魔法での強化にも充分耐え得た。


 力を溜め込み、更に魔法での強化を得た彼女の一撃は、無防備なミケーヤの存在を大幅に削り、その眠りより引き摺り起こす。

 さあ、此処からが本番である。

 アーネがオフェンスで、僕は彼女が全力で攻撃し続けれるよう、守って支援を行う役割だ。

 僕って存在が擦り切れて無くなってしまわない限り、アーネへの攻撃は決して通しはしない。

 相手が強大な神だとしても、その存在に対して出来る限りの準備は行って来た。

 負ける要素は、……多分無い。



 アーネに向かって降り注ぐ神罰の雷光を僕の張った障壁が弾き、思わぬ事態に隙の生まれたミケーヤの身体を彼女の聖剣が切り裂く。

 理解不能と言った様子のミケーヤに、二撃、三撃と叩き込まれる斬撃。

 苦し紛れの反撃も、やっぱり僕の障壁が弾いた。

 そりゃあ理解不能だろう。

 僕の張った障壁は魔術や魔法ではなく、生命力と精神力のバランスが生み出す不思議な力、世界を渡り歩いた悪魔王だからこそ偶然に観測出来た異能『生神力』による障壁だ。

 人間となったこの身なら生命力と精神力のバランスを取る事は難しくなく、対神性用の手札の一つとして使用出来る要素を魂に刻み、此の世界に持ち込んで鍛えた技術である。

 とは言え、先程は攻撃のチャンスだったので連続使用したが、本来は多用すべき力では無い。

 本体であるレプトが観測、分析して真似た様に、頼り切って多用すれば直ぐに対策は取られてしまう。


 しかしだからこそ、生神力を観測する為の次の攻撃は読めていた。

 わざとわかり易く、生神力の使用を誘う様に放たれた極光は、僕の出した門の魔法に飲み込まれ、出口を通ってミケーヤの身体に突き刺さる。

 そしてミケーヤが自爆した隙を突いて、攻撃を放ち続けて体力の減って来た彼女に治癒魔法を飛ばし、僕は自身の負傷を回復薬で癒す。

 回復薬に依って血の流出は止まったが、其れでも身体の痛みは止まらなかった。

 恐らく強い魔法の連続使用による負荷で、僕の存在が少しずつ削れて来てるのだろう。

 悪魔だった記憶を持つ身からすれば、全く持って人間の身体は不便である。

 でも此の痛みは、マリアルとしての僕が全てを掛けてアーネを守ってる証だから、決して嫌な物じゃないのだ。


 悪魔王レプトの化身、欠片である僕がこんな風に思うのはきっとおかしな話なのだけれども、それでも僕は本体に対して感謝をしたい。

 何故なら僕がアーネを支えて戦えるのは、レプトが数千年掛けて集めた技術の中に、人間にも扱える物が多く在った御蔭だから。

 悪魔は、本来魔法だけを扱えれば其れで充分だろう。

 けれどもレプトは活動の中で、ヴィラに錬金術を覚えさせ、生神力を真似て、スキルを実用化した。

 アプセット大陸で人間に破壊神を倒させた記憶が、僕に人の身で神に挑む勇気をくれている。

 

 だからそろそろ、決着だ。


 ミケーヤの存在はもう残り僅かだろう。

 悪魔狩りの神性は外敵に強いが、しかし此の世界に属する僕等に其の力は発揮されない。

 更に強引に眠りを中断された事により、彼の存在は最初から大きく傷付いて居た。


 僕の指の動きに導かれる様に、彼女から貰った聖剣が、生神力の力に動かされて、死角からミケーヤの首に突き刺さる。

 ずぶりと柄まで埋まる聖剣にミケーヤの表情が歪み、そして其の表情ごと、僕の生み出した足場を駆けて宙を舞ったアーネの剣が、深々と顔から縦に裂く。

 今の一撃には、不滅の身体を霊子から破壊する魔法がキッチリと乗せられていた。

 ミケーヤの存在が塵と化し、彼女が高々と聖剣を天に掲げるのを見届けて、僕の意識は暗転していく。





 見渡す限りの暗黒空間が続く魔界の片隅で、僕は自分の胸を抑える。

 其処には、長い役割を終えて帰って来た僕の一部が居た。

 僕は、僕が何を感じて何を想い、何を守って生きたのかを読み取って、深い溜息を吐く。

 ……否、僕って言い方はもうきっと正しくは無いだろう。

 彼は途中からは、僕とは掛け離れた人間だった。


 ミケーヤとの戦いの後、彼は即座に死んだ訳ではない。

 けれどもあの戦いでの魔法の多用は、確実に彼の寿命を削ったのだ。

 

 彼の死は三十半ばの事である。

 しかし彼は最期まで彼女と、自分達の子供を想っていた。

 終わりの記憶は、悪魔である僕にとって、とても甘い毒だ。

 僕はもう、きっと二度と化身は創らないだろう。

 此れ以上こんな記憶を得てしまったら、僕はきっと、僕に悪魔としての存在をくれた儂さん、悪魔王グリモルが、何故終わりを望んだのかを理解してしまいかねないから。


「おかえり、マリアル。お疲れ様。よくやってくれたね」

 だから僕は胸に手を当てて呟く。

 彼は僕じゃないのだと。

 人間として終わる事を選ばなかった僕より、人間として立派に生き抜いたマリアル・ハスタネアなのだと、僕と彼に言い聞かせて。

 静かに、ゆっくりと、マリアルは僕の中に溶けて行く。


 嗚呼、カリエラはアーネの記憶を、一体どのように受け止めるのか。

 僕は彼女と話したい焦がれと、会いたくないとの恐怖を抱き、膝を抱えて俯く。

 ……でも、どれ位そうしていただろう。

 こんな姿を配下達には見せられやしない事は、誰より僕が承知していた。

 大きく、大きく溜息を吐き出して、僕は立ち上がって歩き出す。

 今回の件の黒幕であった『虚飾の鏡』アウルザルも、化身のミケーヤ討伐と同時に討ち滅ぼしている。


 後はそう、グラーゼンと同盟を結ぶ悪魔王達にあの世界での経緯を報告すれば、今回の件は全て仕舞だ。

 少しばかりの揶揄をされる事は覚悟するとしても、あまり酷い様ならば、ぶちのめして黙らせよう。

 そう決めて、僕は身の内でのたうつ感情に蓋をした。


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