103 十三歳
「効率を考えればこうなる事は予想出来たけれど、婚約者の正体が悪魔って言葉の響きはゾッとしないわね」
漸く、マリアルとアーネでは無く、レプトとカリエラとして話せるようになった彼女の一言目は其れだった。
と言っても其の表情には険しさは無く、其れが冗談交じりである事はちゃんと察せる。
例え悪魔と天使の化身でも、今は人間なのだから、仲睦まじい婚約者として一年間も熱心に振る舞えばお互いに其れなりの情も湧く。
もし仮に、彼女が心底嫌悪を露わに先程の言葉を言っていたら、僕も少し傷付く位には。
「其れはお互い様だよ。今回の件を報告したら、他の悪魔王からは散々に揶揄われるだろうね。特にグラーゼン辺りから」
嬉々として揶揄って来るだろうグラーゼンを思い浮かべて、僕は唇に苦笑いを浮かべる。
彼女はそんな僕を見て少し目を細め、矢張り笑みを浮かべた。
「揶揄われる位なら穏やかで良いじゃない。こっちは対応をミスしたら、悪魔に汚染された裏切者って言われて過激派に戦争吹っかけられるのよ? 悪魔側の方が内実は穏やかだなんて冗談みたい」
どうやら天使側も色々と大変らしい。
勿論悪魔側だって皆が仲良しこよしな訳では無いが、大体の五月蠅い口は力で閉じさせられるのだ。
「まあ今の僕等は人間だ。先の話は此れ位にして、此の世界でどう振る舞うかを決めようか」
僕等は互いに本体じゃ無い。
例え此処で僕が、天使としての彼女を助けたいと思ったとしても、本体の悪魔王レプトが同様に考えるかは別の話だった。
此の世界での役割を終えて、この魂が再統合された際には、ある程度の影響は与えるだろうけれども。
だが其の影響を与える為にも、先ずは進化の過程にある神性、ミケーヤを打倒せねばならないだろう。
僕は収納魔術を使用し、ミケーヤ打倒の為に用意していた道具類を取り出して行く。
此れ等は僕が未だ本体から分割されたばかりの欠片だった頃に収納し、此の世界へと持ち込んだ装備品だ。
その中でも最も重要なのが、とあるスキルを付与したブレスレット。
一度装着すれば破壊されない限りは二度と外れないが、他者から見えなくする事は出来る。
そして其のブレスレットに付与されたスキルとは『霊子と魔素の視認』。
人間は自力で霊子と魔素を視る事は不可能だが、スキルで付与してやれば話は別だ。
天使や悪魔だった頃の経験を持つ僕等は、視れれば霊子と魔素を操れた。
そう、霊子と魔素を視認出来れば、僕等は魔法が扱える。
人間の器や処理能力では、魔法は強すぎる力の為、多用は出来ないだろう。
でも神性であるミケーヤに止めを刺すには、魔法の力は必須なのだ。
「此れ貴方の所の秘匿技術じゃないの? 大丈夫?」
彼女の分も手渡せば、何故か心配されてしまった。
まあ確かにスキルの実用化には其れなりの時間とコストを掛けたけれども、ミケーヤの打倒に確実を期すなら、技術流出を恐れても居られない。
其れにスキルの実物を幾つも手に入れ、尚且つ解析を得意とするヴィラが居てさえ、実用化には結構苦戦したのだ。
穏健派であるが故に強引な手段を取らないから、決して大きな派閥とは言えないカリエラの所では、例えこのブレスレットを持ち帰った所で、そう簡単に再現は出来ないと思う。
勿論其れを正直に伝えれば彼女の機嫌を損ねるだろうから、ミケーヤの打倒に確実を期す為とだけ言っておく。
彼女の側からも装備品の提供はあったが、正直僕に聖剣の類を扱う才は無い。
万一の為に一応預かってはいるけれど、僕のへたっぴな剣の腕には荷が勝ち過ぎだ。
さて今後の動きを決めるにあたって、留意すべき点は幾つかある。
先ず絶対に必要なのは、僕と彼女の認識と価値観のすり合わせ、妥協点を探る事だった。
此れを怠れば、此の世界では唯一の味方である彼女との争いになりかねない。
例えば僕は、此の国の王座を乗っ取り、周辺国を武力併合して巨大国家を誕生させ、ミケーヤを貶める為に邪神として認定、更に彼の神殿がある国を次々と攻め落として焼いて行く、なんて真似も普通に可能だ。
或いは其れが、ミケーヤの進化を阻害する可能性があるから。
勿論無関係の人々を巻き込む事に心が痛まない訳じゃ無いが、目的の為なら、ミケーヤが進化して目覚めればどうなるかを考えれば、その痛みは一旦無視出来た。
しかし彼女は、アーネとしてもカリエラとしても、其れは恐らく受け入れられないだろう。
僕は悪魔の化身だし、貴族家の一員として周辺国と戦争になった際には、嫡男の長兄に代わって出陣する為の教育も受けている。
だが彼女は穏健派の天使の化身で、受けている教育も令嬢に対しての物だろうから、両者の価値観には隔たりがあって当然だった。
故に話し合いが大切なのだ。
世界への影響をどの程度まで許容するか、何処まで手段を選ばずに行動出来るか、人間として僕等に此の世界で守りたい物がどれだけあるか等、婚約者同士の逢瀬にしては色気の無い、物騒な確認は続く。
当然この薔薇園には誰も近寄らないように命令しているが、其れでも警戒は怠らない。
彼女が連れて来た護衛や、ハスタネア侯爵家の使用人等は、僕の命令に逆らってまで覗きを試みる事は無いだろう。
でもこの家には僕の命令なんて聞く義理が無く、尚且つ僕と彼女の関係に関して興味津々な人間が数名居る。
父や母や、二人の兄と言った僕の家族達の事だ。
勿論彼等は此れが家の為の婚約であるとも理解しているし、流石に大人なので、好奇心に任せたはしたない覗きなんて真似はしない。
母だけは僕と彼女がどんな話をしてるのか等、興味津々に聞いては来るが。
けれども一人だけ、そんな大人の事情はお構いなしの人間が此の屋敷には居た。
僕はその人物の気配が近付いて来るのを感じ、唇に指を当てて、敢えて別の、初心な婚約者同士らしい話題を選んで口にし始める。
彼女も直ぐに僕の意図を察した様で、カリエラとしての気配は消えて、アーネとして振る舞い出す。
マリアルとしての僕の言葉の一つ一つに、頬を赤くして俯いてアーネの反応はとても可愛らしい。
其の姿を見るだけで、僕も自然と頬に熱を感じた。
そんな二人の時間を邪魔する様に薔薇園に向かって突っ込んで来たのは、
「お兄様っ!」
八歳になった妹のミュール。
がばっと僕の腕に抱き付いて、アーネから離す様に強く引っ張る。
可愛い妹の仕業だから振り払ったりはしないけれど、其れでも婚約者同士の会話を邪魔するなんて真似は、貴族の令嬢としてはしてはいけない事だ。
後で叱る事を決め、僕がごめんねと謝ると、アーネはやんわり微笑んで其れを許してくれて、其れにまたミュールはむくれた。
何にせよ、僕等が動くのは二年後の、十五歳になって此の国を支える人材を育てる学院に入学してからになるだろう。
家に縛られた状態では碌な活動が出来やしない。
今はこの身、器を鍛える事に専念しながら、時折父や兄に付いて領内、領外への視察に同行しておく。
そうしておけば門の魔術での移動も容易になり、動ける様になった際の活動範囲が大きく広がる。
出来れば神性、ミケーヤとの決着は、学院に居る三年の間に付けてしまいたい。
其れより後は、僕には国に仕えての仕事が与えられるし、アーネは子を産む事を求められるだろう。
……或いは多分、此のまま関係を構築して行けば、周囲だけじゃ無くてマリアルとしての僕も求める。
そうなれば命を懸けた神との戦いに挑むなんて真似は、矢張りどうしても難しくなるから。
化身ってのは厄介な物だ。
僕だって、レプトとしての目的意識を、マリアルとしての感情が時折上回る。
何方も僕だから別に其の二つが乖離してるって訳じゃ無いけれど……。
まぁ暫くは、時折訪ねて来てくれるアーネとの逢瀬を励みに、自己鍛錬に励むとしようか。