用務員さんは面倒くさい
数多くの生徒が通う学園。
その中でも魔法使いが進路を進める王立魔法学園。
治癒魔法、付与魔法、攻勢魔法等々。
魔法の種類は数多く、日々学園施設に掛かる負担は大きい。
攻勢魔法の練習には、専用の施設が必要であるし、力強き未熟な者達が扱う魔法は容易く壁を削り取る。
研究肌のものは、日々研究棟に爆風を巻き起こし、行き過ぎた治癒力は庭の草木を枯れさせる。
生徒、教師もそのことに頓着は無く、いつの間にか元通りになっている施設草木に気が付くものはいない。
『―――生徒代表―――』
学務棟に隣接する一等大きな講堂にて、初々しい新入生たちの姦しい声を子守歌に、深くフードを被り立ったまま寝る男がいた。
隣に立っていた教師が気が付き肘で起こそうと試みるが効果は無い。
この男、器用なことに寝たままの状態で、音を遮断する尚且つ自分の体をぴったり覆うように物理結界を構築している。
隣の教師も、横の男がそのような壮大な才能の無駄遣いをしているのなど想像できるはずもなく、肘にぶつかる硬質な感触に首を傾げている。
結局彼は、学園長の祝辞も長い王の祝辞すらもその態勢でやり過ごし、新入生が退場する動きと共に目を覚ました。
「終わったか…、帰るか…」
隣の教師が何か言っていたが、結界を維持していた彼はその声に気が付くことなく講堂から姿を消した。
その日、彼のもとに早速仕事が舞い込んだ。
新入生代表ととある男子生徒の決闘。
入学式から一週間、この国の創設者の王家と肩を並べる三大宗家、その一角である北のマギラシ―辺境伯の娘と彼女のクラスメイトである男子生徒が諍いを起こし決闘を行うらしい。
それは、この学園においていま最もホットな話題である。
剣のマギラシ―。
6英雄と呼ばれる建国の英雄たちの中でも付与魔法に秀でており、剣に魔法を付与すれば一騎当千と歌われるマギラシ―辺境伯家の次代を担うとされる少女。
その名の付加価値は高く、決闘の勝利者予測は圧倒的に彼女に傾いている。
対する少年は、無名も無名。
名前もナナシと家名もなく平民の出、いや流民の出であると噂されるほど貴族が多いこの魔法学園において常識が無い少年らしい。
特待生らしく、寮も食費も学費も免除されている彼だが、よく授業を抜け出しては学園中を放浪している姿を見かける。
そう、たった一週間しかたっていないのにほぼ生徒と接することがない用務員が彼をよく見かけるのである。
決闘の発端もそのような彼の態度にあるらしく、貴族観が深く根付いた今の学園においてそのような彼はふさわしくないと、新入生代表、新入生一の優等生である少女が彼を窘めたことから始まったらしい。
折れることなく授業放棄する少年と、それに業を煮やした少女。
言い争いはヒートアップし、ついには実力行使によって雌雄を決することと相成った訳だ。
「つまり、君の今回の仕事は二人の決闘の場の準備、そして、決闘中におけるあらゆる不確定要素の排除だ」
目の前の妖艶な風体の女性。
御年20歳の魔女である学園長のしたり顔を彼は眠たげに見つめた。
「場所は訓練場でいい……ですか?」
「うむ、闘技場を構築するほど大ごとにはするつもりはない、だが、ある程度人の目は必要だ。ならば、訓練場が最適だろう?」
「あらゆる不確定要素の排除……ですか?」
「彼女は、英雄の系譜。
剣の申し子だ、彼女が押されている姿を見た時、周りが善意で動く可能性がある。
わかるだろう?」
「わかった……ました」
途切れ途切れの言葉、つたない敬語。
学園長の秘書官である女性が顔を顰めるも、学園長は彼の態度に気分を害した様子はない。
「……失礼しました」
「あぁ」
軽く頭を下げて彼は学園長室を退出した。
「はぁ…メンドイ」
その日、庭園の草木の手入れをしてやる予定だった彼は、ひどく気だるげな表情でその歩みを訓練場に向けた。
この学園の訓練場は、一見無駄に豪華である。
魔力の浸透力の高いシードリア鋼を素体とした壁と床は、白く艶があり、高級な大理石にも劣らない美しさを持ち。
訓練スペースの四方に置かれた要石は細緻な文様を彫り込まれた芸術品である。
学園長は知らないことであったが、現状これらの設備を完璧にメンテナンスできるのは彼だけであり、今回の下準備を彼に委ねたのは間違いではなかった。
その彼は、魔法錠によって施錠されていたはずの扉が開いていることに首を傾げながら、訓練場に足を踏み入れたところである。
そして、要石の中央にて剣を振るう少年を見て、彼は静かに気配を消した。
そこにいたのは件の少年である。
銀に近い白髪、青い瞳。
髪は一見ボサボサ、制服も着崩してだらしがないように見えるが、よく見ればその顔は整っており、荒々しい雪の精を彷彿とさせる姿である。
そして、その手に握られているのは、魔剣の類のようだ。
赤い干渉光を放ちながら空気を裂く姿は禍々しい、しかし、どこか見たものを惹きつける妖しさを持った漆黒の大剣であった。
はっきり言って、技量が足りていない。
それが、その光景を見た彼の感想である。
干渉光は外気に含まれる魔素と魔力がうまく親和せずに起こる現象だが、彼に言わせればこの干渉光は相手に向かって「魔法を打ちますよ」と宣言しているのに等しく、魔力も無駄に消費する行動である。
しかし、特に指摘も指導もすることなく、気配を消したまま彼は淡々と作業を行っていた。
四方の要石に一度ずつ、さらに要石を起点にさらに訓練場の壁にも等間隔に触れていく。
訓練場が広いため歩くのにそれなりに時間がかかったが、彼が必要としたのは精々20分程度。
その光景を周りから観測したものがいたとすれば、訓練場の中央で一心不乱に剣を振るう少年とその周りを音もなく徘徊する黒いローブの男が見えたことだろ。
あっさりと仕事を終わらせて、彼は訓練場を後した。
一人残された少年は、我武者羅に剣を振り回し続けていた。
後日。
先日行えなった庭園の整備に彼が歩いていると、その背中に声がかけられた。
「お疲れ様だな、用務員殿」
声の主は学園長。
今日はお付きの秘書官を連れておらず、一人でこんな辺鄙な場所に来たらしい。
「先日の決闘の件だ、君はその場にいなかったから結果を伝えようと思ってね」
「必要ない……です」
「おや、興味はないのかね?」
不思議だと肩をすくめて大げさに表現する学園長。
その姿はどこか嘘くさい、背伸びした妖艶さを振りまきながら彼女は彼に近づいてくる。
「結果は、マギラシ―のご令嬢が負けたよ」
すぐ目の前に立ち、視界一杯に彼女を収めて彼はその違和感の正体に気が付いた。
妖艶な雰囲気を纏っている割には小さい。
身長と主に胸部が。
決してまな板ではないが香るような色気を振りまいている割に、そこだけ妙に健康的といえばよいのか、残念と言えばよいのか。
結局、他人に興味がない彼はあっさりその思考を放棄して無感情な瞳で彼女を見つめた。
その一瞬の葛藤に気が付くことなく彼女はまるで戯曲の主演女優のように、その光景を語った。
曰く、さすが剣の英雄の跡継ぎと目されるマギラシ―嬢の魔法剣は素晴らしかったこと。
曰く、それを受ける少年の剣も粗削りながらなかなかの技量であったこと。
試合は終始マギラシ―嬢が押しており、少年も善戦したが勝利は彼女がとるだろう確証があったこと。
しかし、試合の中で打ち合い少しずつ洗練され始めた少年の剣が徐々に彼女に届き始めたこと。
そして、勝利を決めに行った彼女の全力の一撃。
それを受けきり返す一撃で、彼が辛くも彼女に一撃を入れ彼が勝利したこと。
将来を期待される二つの芽。
確実に次代の英雄たちが育ち始めている喜びなどなど。
学園長は止まることなく一気に彼に詰め込んだ。
返ってきたのたった一言。
「学園長……、彼の剣は、干渉光を起こしていたか?」
彼女は思い出すように首を傾げ。
それを見て、彼は満足そうに微かに口角を上げて、静かにその場を立ち去った。
向かう先は、庭園から訓練場へと変わっていた。
彼の目には、研ぎ澄まされた最後の一撃が無駄なく大地を割る光景が幻視えていたから。
「ああ…、面倒くさい」
すでに口元から笑みは消え、いつもの気だるげな表情で男は訓練場へと姿を消した。