53話 契約成立
「……また、吸血鬼か……」
何故かどこなのか、よく分からない空間の中で立ち尽くしていた俺は様々な疑問を抱きながら解決しようと考えを巡らせていたが、俺の背後から突として姿を現した痩躯の男が口にした吸血鬼だ、という言葉を耳にし、訝しむような眼光を容赦なく浴びせる。
そして、赤錆色の長い髪の奥からは静謐な鮮血を想起させる燃えるように赤い双眸がのぞかせながらシヴィエルが名乗りあげた直後、嫌そうな表情を浮かべながら身構えた。
「あー、待て待て。別に取って食うってわけじゃない。ただ、ちょっとした頼み事を聞いて欲しいってだけだ」
「……頼み事?」
警戒心をあからさまに高める俺を見てシヴィエルが右の手のひらを突き出して待ってくれとゼスチャーをする。難色を示しながらも問い返した俺を見て会話を交わす事が可能、という事を確認できたからか安堵のため息を吐きながら口を開いた。
「あぁ、そうだ。とは言っても頼み事をするからには私の事情を話すのが礼儀というもの。幸い、この空間には時間という概念が存在しない。まぁ、ちょっとした昔話を交えながら話させてくれ」
まるで心でも読んだかのように、ギャズ達がどうなったのかと心配し始めていた俺に釘を打つ。そしてそのまま腰を下ろし、造られた偽物の蒼い空を一度仰いでから視線を俺に戻して話し始めた。
「……私が生きていた頃の世界は争いが絶えず、魔族と……そして人間同士が殺し合いをする荒れた時代だったんだ。本当かは定かではないが、争いは私が生まれた時にはもう数百年目に突入していたらしい。……そんな戦争の最中、ある科学者が戦争を終わらせようと人体実験を始めたのが全ての始まりだ」
過去を懐かしみながら話すシヴィエルは何故か話慣れていた。
恐らく、この話をするのは今回が初めてではないのだろう。
「被験体として1000人程の赤子を含む人間が男女問わず、集められた。……私はその中で個体の違いが分かるようにと“被験体『No.012』”という名前をつけられた。そして、毎日よく分からない液体や固体等を身体に打ち込まれ、そして埋め込まれ……それはもう散々な日々だった……そんな日が数年続いたある日。敵対していた人間国側が戦争兵器として、機械人形を造り上げてしまったんだ」
悠々とした表情でシヴィエルが口に出していく。
恐らく、もう過去の事だと吹っ切っているのだろうが、彼の表情とは裏腹に話の内容は凄まじく重いものだった。
「それらは恐ろしい兵器だったさ。悉く敵を焼失させていく姿から、悪魔の使徒なんて呼ばれてた程に……な。で、そんな機械人形を目の当たりにして切羽詰まっていた科学者達は事もあろうか、私達被験体に魔物の体の一部や魔族の遺伝子を無理矢理、体の中に内蔵させようとしたんだ」
右手を一度、そして二度と彼が翻す。
昔、右手に何かを埋め込まれたりしていたのか、冷淡な瞳で自身の手を射貫いていた。
「……結果は酷いものだった。1000人も存在していた被験体達は3人を除いて全員が発狂、もしくは自傷行為等の末に死んでいった。そして数多くの犠牲者を出しながら完成したのが今や吸血鬼呼ばれている者達だ。血を吸い、もしくは自身の血を体内に流し込まれた人間を己が僕とする能力を持った者達。……まさに人を滅び尽さんが為に生まれてきた最悪にして最強の生物だ。だが、長きにわたって行われた人体実験によって私達の自我は、とうの昔に消え去っていた」
そう口にしながら表情を苦虫でも噛み潰したかのような顔へと一変させながらシヴィエルは再び偽物の空を仰ぐ。
「理性などは無く、本能のまま行動した私達は無差別に破壊を巻き散らした。……結果、世界の9割が焦土と化し、人口は全盛期の人口の1%程にまで減少してしまった。そして戦争は私達の手によって終わりを告げたのだが、戦争が終わった途端に何故か私達3人の自我が戻った。1人の例外もなく……な。そして何の悪戯か……人々を殺し尽くしていた時の記憶は頭にこびりついていた。……そして自我が戻ったその日から、私達の贖罪が始まった……ふふっ、笑えるだろう?」
シヴィエルの話が本当ならば、被験体として散々な扱いを受けながらも、元はといえば全て科学者達の非と言えるものを業として背負い、日々苛まれながら生きてきたという事だ。
神妙な面持ちで話す彼が嘘をついてるようには思えず、自嘲気味に笑うシヴィエルを見て俺は思わず目を大きく見開いていた。
「私達が血を吸う、もしくは血を与えた人間は例外なく“死徒”と化す……それは死して尚、吸血鬼の血によって突き動かされる者……いわば人形だな。私達はまずその動く屍を殺していった。だが、死徒の中にも例外があり、稀に自我を持った死徒が存在する……そいつらが今の吸血鬼達の先祖だ。出来る事なら吸血鬼という種族を私達の手で滅ぼしたかったんだが、自分達のせいで吸血鬼となった者達を殺す事は出来なかった……吸血鬼になりながらも懸命に生きる自我を持った者となると尚更……な」
苦笑いをしながらそう声を出す。
それは先程までと比べると酷く弱々しいものだった。
「……悠遠の時を生きる私達の贖罪はただ1つ。人間達が同じ過ちを繰り返さないようにする事だ。そしてそんな誓いを2人の私と同じ被験者達……いや、吸血鬼達と立ててから数年後、私は1人の女性に惚れてしまった……そしてそれは
―――実の姉だった!「姉なのかよ!!」私がかつての戦争にて殺した死者達の死に際の記憶等に苛まれていた時に、人間だったにも拘わらず私を励まし、支えてくれた女神だ」
どんな感動物語かと思えばコイツ、ただのシスコン野郎だった。
見た目からして20半ばといった風貌だが、そんな歳までシスコン拗らせるってキモすぎるよ?
…………ブーメランだったや。
「姉に惚れてから数年後か……私はアプローチを幾度無く続けた結果……は言わずとも分かるだろう? 努力が実を結んだ結果、君が存在している。……だが、私は悠遠の時を生きられるが彼女はただの人間。いっその事、自我を失わない事を祈って牙を突き立てるか? とも思ったが答えはノーだ。結局、私は彼女と時を一緒にして死ぬ事を選んだ……「実際は?」……実際は最後まで牙を突き立てようかと私はグズってたんだが、彼女が私を包丁で滅多刺しして強制心中したってのが本当の事実だ」
「……ぶっちゃけたな、おい」
素晴らしく綺麗な過去を小刻み震えながら口にしていたので「実際は?」と尋ねてみたら直ぐにゲロってくれた。
そしてなによりも包丁。
世間の姉は皆、包丁捌きが恐らく上手いのだろう。
「だが、死んでも尚、私はここ居る。……私達は死にたくとも死ねないんだ。体が朽ちようとも魂は永久不滅……そして肉体を失った結果、私は自分の子孫。それも、もう引き返せない程にどうしようもないシスコン野郎の時だけ意識を割り込める事が出来るようになっていた。そしてもう1つの割り込む条件、それが吸血鬼との接触だったワケだ」
鼻で笑いながらどうしようもないシスコン野郎。という部分を妙に強調しながらシヴィエルが口にする。言っておくがテメーもブーメランだかんな!!
「君の人生を奪う気は毛頭無い。然るべき時が来たら消えさせてもらう予定だ。だから、私の贖罪を手伝って貰えないか? 私の親友達は贖罪を今も尚、続けてる筈なんだ。私だけやらないというワケにはいかないんだ。協力してくれる場合はちゃんとそれなりの対価を用意する」
「……対価かぁ……ちなみにどんな対価?」
シヴィエルが口にした対価。
という言葉に耳聡く反応し、問う。
俺は金で動く程安い男じゃねーぞ! リファか美月の頼み事以外は一切聞く気は
「……君の身体は今、瀕死の状態にある。それを元通りにし、相手の吸血鬼を追い払おう。それと……
――――姉の攻略方法を伝授すると共に、最大限サポートしようじゃないか!「やります!! 宜しくお願いします。シヴィエルさん!!」」
前言撤回。
なんて素晴らしいシスコンお兄さんなんだろうか。
「こちらこそ、宜しく頼む。それとシヴィエルでいい。堅苦しいのは苦手なんだ……あぁ、それと1つ言っておく事がある」
そう真剣な眼差しを向けながらシヴィエルは右手の人差し指を立てる。
「姉を攻略したいなら……例え、写真集だろうと他の女に色目を使うな……かつてこんな事件があった。『水着写真集オカズ抜き事件』というものがだな……私が隠し持っていた写真集がいつの間にか見つかったらしく、晩御飯のおかず代わりに食卓に置かれてたんだ……そして、「今日は私がおかずにソースをかけてあげるわね?」と言いながら写真集に揚げ物用のソースをどっぷりかけられたあの時の記憶……一度も忘れた事がないさ……」
「……りょ、了解!」
『水着写真集オカズ抜き事件』……なんて恐ろしい事件なんだっ!?
そう思いながら俺は酷く戦慄していた。
それよりも、シヴィエルのお嫁さんの行動って何から何まで美月そっくりなのは気のせいだろうか。
「……あぁ、それと体の持ち主はあくまでも君だ。だから無理やり私が奪う事はしないし、見られたくない事があれば視覚や聴覚といった私の五感を一時的に消す事が出来るからそういった心配は要らない」
唯一といってもいい残りの懸念事を消したシヴィエルは言うが早いか、俺に向かって右の手のひらを向けていた。
「それじゃあ少しの間、体を借りるから。もしかすると殺し合いになるかもしれないんでね……君にはまだ刺激が強いかも知れないから……寝ておいてくれ」
シヴィエルがそう申し訳なさそうに口にした直後、何かの魔法を使用されたのか、俺の意識は闇の中へと薄れて消えていった。