名探偵はお嫌いですか?
「名探偵はお嫌いですか?」
町を歩いていると、突如としてそのような台詞と共に現れた男がいた。年齢は――どうにも判別に苦しむところだが、二十台半ばくらいだろうか。一瞬、どこかのホストかと思うような、奇抜かつ人目を惹く派手な服装をしている。
真っ青のスーツ。その下には真っ白のシャツ。髪は真っ黒だが、丁寧に撫で付けられ、更にワックスか何かで固めたようにつやつやしている。顔立ちも一見上品な美形。しかし、よくよく見ると、どこか軽薄そうな、もしくはずるそうな、そういう顔をしている。――なんだ、こいつ。
「名探偵はお嫌いですか?」
そいつはまたも、そんなことを言う。私は念のためきょろきょろと辺りを見回す。だが、夕方ならまだしも、平日の昼日中にこんな場所を歩いている人間など、他に見当たらない。ということは、この妙な格好をした人間は、私に向かって話しかけているということだ。
「名探偵はお嫌いですか?」
三度目の問いかけに、私は無視を決め込むことにし、再び歩き出した。男は若干焦ったように私の横について、尚も同じ台詞を繰り返した。――うるさい奴だ。
私は少しいらついて、足を止める。ほっとしたような表情の男に向き直り、言ってやる。
「嫌いだ」
「――――」
男は、見る見るうちに顔を歪めた。お、何だ何だと思ったときにはすでに遅く、うえうえと泣き始めてしまった。大の大人がうえうえと声を上げて泣きじゃくる様はなかなかに珍妙かつ興味深い光景で、私はじいっとそれを見守る。――面白い奴だ。
「何、あんた、探偵なわけ?」
私は、面白い光景をじっくり見せてくれたお礼にと、そう声をかけた。その瞬間男はがばと顔を上げ、涙と鼻水まみれになりながらも、首を振る。
「違う。名探偵です」
「あ、そう」
「名探偵がお嫌いなんですか」
先ほどまでとは微妙に違うニュアンスに変更された言葉を、男は口にする。私は肯く。
「うん。嫌いだ」
「うえ……うえ」
また同じような光景を見せられても、と、私は歩き始める。
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
男がたったか走って、私に追いつく。私はため息をつきつつ、振り返って足を止めた。
「何」
「あなた、私のような人間を欲していらっしゃるでしょう」
「欲していらっしゃりません」
冷たく言い放った私の言葉に、男はまたも顔をくしゃくしゃにする。それでも、今度は頑張って、すぐに口を開いた。
「でもあなた、殺人事件の香りがします」
「しません」
「いえいえ、名探偵の私には分かるのです」
「分かってません」
「う……」
私が一向に取り合わないので、男はうめいて、薔薇の刺さった胸ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。手渡されたのでそれを破く。男は再度うめき、それでもめげずにもう一枚取り出した。しかたなくそれを受け取って、またそれを破く。
「ええっと。私はですね。名探偵の覆水再起と言います。覆水探偵事務所を経営しております」
名刺を手渡すのを諦めたのだろう。男はそう名乗りを上げた。
「ああ、そう」
私はいい加減に肯き、それでも歩き出さない。――何だか面白そうだ。
「それで、私に何の用」
「それはですね……、」
ようやく本題に入れるのが余程嬉しいのか、男は――覆水は、顔を輝かせた。いや、もしかしたら、顔中に貼りついた涙と鼻水が輝いて見えただけかもしれないけれど。
「それはですね。あなたがこれから遭遇するであろう殺人事件の解決をして差し上げようかと思いまして」
「不要」
私はびりびりに破いた名刺二枚分の紙くずを、覆水の顔に吹き付ける。覆水はまたも「うえ」、と言いかけたが、それをどうにか飲み込んで、紙切れを顔から引き剥がした。
「どうしてですか。あなたはこれから、難解な殺人事件に遭遇しますよ。名探偵である私には分かるんです」
「そんなこと、私にだって分かる」
「え?」
首をひねり、覆水は私を見る。そして、言った。
「あなたも名探偵だったんですか」
「違う。私はそんな微妙な生き物じゃない」
「微妙って……」
覆水は哀しげに眉を寄せる。でも、名探偵なんて生き物は微妙な存在に決まっている。
「それじゃあ、何故分かるんですか?」
「決まっている。その殺人事件は、これから私が起こすからだ」
私が堂々とそう言うと、覆水はきょとんとし、次いで慌てたような顔になり、最終的にはほとんど恐慌状態に陥っていた。――面白い。
「起こすって、それじゃああなたから立ち上ってきたあの高貴な殺人事件の香りは……」
「無論、私がこれから起こす事件のものだろう」
「い、いや。それはちょっと止めておいたほうが良いですよ。殺人なんて、あなたのようなか弱そうな女性が行うべきものではない」
「か弱そうでもかわうそでも。私は殺人事件を起こすよ」
私は、目を白黒させる覆水に、断言した。覆水はわたわたと手を動かし、私の進行方向に立ちふさがった。
「だ、だめです。犯罪など、犯してはいけません」
「でも、その犯罪のおかげで、あんたは口に糊してる」
「う……」
そう、名探偵というものは、犯罪なくして成立し得ない。だからこその名探偵であり、彼らには本来、犯罪を犯すべきではないなどと言う、正統なる理由の持ち合わせはない。そういう意味で、私は名探偵という生き物を微妙な存在と考える。
目の前で慌てる名探偵は、そういう矛盾に気がついていないのだろうか。――それはそれで面白いけれど。
「け、警察……と言っても、まだ犯罪が行われていないのに呼んだって仕方ないし……」
「良いから、そこを退け。私が殺人事件を犯した後で、あんたがそれを解決するなりすれば良いだろう」
「い、いや。そういうわけには行きませんよ。仮にも名探偵を名乗る私が、これから犯人になろうとする人間を、見逃すわけにはいきません」
「でも、私はまだ何もしていない」
「うう」
「まだ起こっていない殺人事件を、あんたはどう解決するつもりだ」
「うううう」
困りきった覆水を避けて、私は歩き出す。――もうこれ以上、この男は私を楽しませてくれそうにない。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、先永美寿寿さん」
「…………」
私は、言われたとおりに立ち止まった。
「ああ、良かった。思いとどまってくれましたか」
「何故私の名前を知っている」
「え? ああ、いや、だって私、名探偵ですから」
「…………」
決して理由になりえない理由を口にして、覆水は笑う。
「しかし、どうにも福のありそうな名前ですよね。すごく長生きしそうです」
「黙れ。私は今から、私にその名前をつけた男を殺しに行くんだ」
「ってことは、叔父さんの先永遠さんを殺すおつもりですか」
私が黙っていると、覆水は快活に言う。
「止めた方が良いですよ。先永遠氏なら、もうすぐ放っといても病気でお亡くなりになりますから」
「それはどういう意味だ」
私は驚いて、覆水に詰め寄る。
「言葉通りの意味です。先永遠氏は、末期の肺がんですよ」
「な……」
私は絶句し、覆水は微笑する。
「ですから、わざわざ殺す必要もありません」
「あの遠叔父が、肺がんだって? 私はそんなこと、知らないぞ」
憤る私に、覆水は余裕の態度で(未だ顔には涙や鼻水の跡、加えて名刺の残骸が張り付いているが)、言った。
「そりゃあ、そんな弱みを先永遠氏が他人に言うわけはないでしょう」
「……それじゃああんたはどうしてそれを」
「私が名探偵だからですよ」
答えになっていない。
「しかし、あの遠叔父が肺がんだと? あのいやらしい金持ちの腐れぼんぼんが、病気でもうすぐ死んでしまうだと?」
「ええ。本人がそう言ってましたからね」
「本人が? ……それはどういうことだ」
私が睨むと、覆水は「しまった」という表情をし、そっぽを向いた。だが、それで追求の手を緩める私ではない。
「おい、名探偵覆水再起。お前、遠叔父を知っているんだな」
「…………」
そっぽを向きっぱなしの覆水の腹に、思いっきり拳を叩き込む。
「あいててて。か弱そうに見えて、なかなか力はあるんですね」
言いながら、覆水はこちらに向き直った。
「良いから、さっさと答えろ。返答しだいでは、殺人を思いとどまってやっても良いぞ」
「本当ですか」
覆水は嬉々として、顔をほころばせた。
「じゃあ言いますけど。実は私、先永遠氏からある依頼を受けていましてね。その際に、病気のこともお聞きしたんですよ」
「なに。依頼だと?」
「ええ。まあ、勿論部外者のあなたに教えて差し上げる義務はありませんが。でも、これであなたは殺人など犯す必要はない。……良かったですね」
「良いも悪いもあるか」
私はもう一度、覆水の腹に拳を入れる。
「あいたたた。何するんですか」
「その依頼というのは、どういうものだったんだ。それを教えてもらわねば、腹の虫が収まらない」
「腹の虫って何です? サナダ虫のことですか? あいたたたた」
私は覆水の髪の毛を引っ張り、答えを強要する。覆水はしばらくもんどりうっていたが、やがて目に一杯涙を溜めながら、言った。
「分かりました分かりました。教えます、教えて差し上げますから、手を放してください」
私は無言で、手を放す。
「ええっとですね。先永遠氏の依頼内容は、自分は放っといてももうすぐ死ぬのだから、無闇に自分を殺そうとしている親族たちを止めてやってくれ、というものでした」
「…………」
何だそれは。
どういう依頼内容だ、それは。
「つまりですね。先永遠氏は、親族達に、無益な殺人など犯させたくなかったのですよ」
「馬鹿な。そんな高尚な理由ではないに決まっている。病気だっていうのも、そのためのでまかせかもしれない」
「でまかせじゃありませんよ。そんなちゃちなでまかせなら、この名探偵・覆水再起に見破れないはずがありません。それに、ちゃんと医師の診断書も見せてもらいましたし。お金も前払いで受け取ってますし」
どうも、最後の理由が大きそうだ。
「馬鹿な……。それなら、私は何のためにここまで来たというのだ」
私は呟いて、ふらふらと後ずさる。遠叔父の家までは、この道をあと五分ほど歩けばたどり着くのだ。それなのに、こんなところで目標を見失ってしまうとは。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。……しかし。遠叔父はどうして今更そんな仏心を出したのだ。私たち親族に、今までどんな仕打ちをしてきたか、あんたは分かるか。非道も非道。極悪もいいところだ。遠叔父なら、私たちに無益な殺人を犯させて、あの世で笑おうと考えるはずだ。何故、今頃」
私は首を振る。訳が分からなくて、腹が立つ。
「先永遠氏は、莫大な財産を所持しています。それは知っていますね?」
覆水は、スーツの内ポケットから取り出した真っ赤なハンカチで顔を拭きながら言う。私は肯く。
「知っている。だからこそ遠叔父は私たちを虐げた。私たちを嘲った。弄んだ。だからこそ、私たち親族は遠叔父を殺そうと考えたのだ」
そう、あの性根の腐れきった遠叔父。一人娘には家出され、細君からも離婚届を突きつけられ、それでも平然と金に溺れた遠叔父。あんな人が、私たち親族を案じることなどないはずだ。
「先永遠氏はですね。その莫大な財産を、あなた方親族に、配分するおつもりなのですよ」
「何……?」
覆水は、嘘をついているようには見えない。けれど、こんな小ずるそうな顔をした男の言うことなど、信用したくない。
「先永遠氏は、死を覚悟してから、あなた方にたいする今までの仕打ちの酷さに気付いたのです。そして、反省したのですよ。それで、自分が病気で死んだ時には、残った親族全てに、自分の財産を平等に分けるようにという、遺書を書いたのです」
「まさか……。あの遠叔父が、そんなことをするはずが」
「ですが、したのですよ。分かりますか? 彼の余命はもう一ヶ月もない。今あなたが彼を殺しに行ったところで、よぼよぼの病人をいたぶることになるだけですよ。止めておきなさい」
覆水は、優しげに言う。
「そんな。そんなことって。酷い、酷すぎる」
「でも、人を殺すよりは良いでしょう。だから、思いとどまってくださいな」
「…………」
私は黙って、方向転換した。これ以上覆水の言葉を聞いていると、混乱して頭が破裂してしまいそうだ。――くそ、面白くない。
「覆水再起」
私は、もと来た道をふらつく足で辿りながら、言い捨てた。
「私はあんたを、一生恨む」
「それはそれは」
後ろから聞こえた覆水の声は、のんびりとしていた。
「有難う御座います」
「それで。覆水先生、また殺人事件を未然に防いでしまいましたね」
「そうだねぇ」
覆水探偵事務所、と小さな看板が掲げられた事務所内で、覆水と、もう一人、眼鏡をかけた女性が話していた。女性は長い髪の毛を二つで結んでいるが、可愛らしさとは無縁の、凛々しい顔立ちをしている。彼女は手に持った札束を一枚一枚数え、言う。
「でも、まあこれだけ報酬は頂きましたし。良しとしておきましょう」
「でしょ」
覆水は長いすに寝そべり、まぶたを閉じた。
「でも覆水先生。いつになったら探偵的手腕を発揮なさるおつもりなんです。こうも殺人事件を未然に防いでばかりいては、その灰色の脳細胞も使われずじまいに終わってしまいます」
「良いんだよ、それで。私のは名探偵的手腕だからね。名探偵というものは、殺人事件が起きる前にそれを解決してしまうものなのさ。灰色の脳細胞なんて、使わずに済むならそれが一番だよ」
覆水は穏やかに、そう言った。
「でもまあ、今回のは一つの石で二鳥を得たようなものだったね。彼女が先永美寿寿さんだってことに気付いたのは、声をかけた後だったから」
「それでまあ、よくああも言いくるめられましたね。最初、見ていて痛々しかったです」
女性は、先永美寿寿が覆水にした数々の仕打ちを思い出したのか、形のいい眉をひそめた。それでも、覆水はあっけらかんとしている。
「良いんだって。結果オーライさ。名探偵は、凡人の非道な仕打ちなんぞに負けはしないんだ」
「そういうものですか……」
女性は感心したように覆水を見つめ、また札束を数え始めた。
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