魔族大公小話 魔族にお正月などありません
その日の謁見は数は多かったものの、誰も話の短い者ばかり。しかも午後から急ぎの仕事もないというので、俺は久しぶりに妹たちとゆっくり食事をとることにした。
家僕のイースがやってきたのはそんな日、ちょうど談話室に移った頃のことだった。
「旦那様、よろしいでしょうか」
「うん?」
本を手に立ち上がりかけた俺は、もう一度、長椅子に腰掛ける。
「あ、申し訳ありません。どちらかにお出かけだったでしょうか?」
「いや、気にしないでいい。ちょっと部屋を移動しようと思っただけだから」
いったん長椅子に座って『世界を騒がせた伝説の魔剣』とかいう、人間が書いた分厚い本を読もうとしていた俺だったが、すぐにそれはこの部屋では無理そうだと判断した。
なぜって、未だ幼い我が妹と、二十五人にもなる未成年のマストレーナたちが、わいわいきゃあきゃあと愉しげな声をあげながらカードゲームに興じていたからだ。
残念ながら俺は読書に関して、「騒音の中でもへっちゃらよ!」と胸を張って言えるほどの集中力はない。
それで静かな図書館にでも場所を移そうと思って腰を上げたところだった。
「それで、どうした?」
「こちらを、どうぞお納めください」
見上げるイースのその頬が、赤く染まって――いや、そもそも赤ら顔の猿だったわ。
彼は、手に持っていたカードの束を差し出してきた。
どれも片面にはたった一行――おそらく名前なのだろう――が記されており、もう片面に、それぞれの手によるものと思われる長短の言葉が書かれている。
「これは?」
数多いる領民からの訴えでも届いたのかと思ったのだが、そうでもないようだ。見たこともない名前ばかりが並んでいるのだから。
それにそもそも、俺に何か言いたいことがあるのなら、謁見にくればいいわけだしね!
そのための謁見だしね!
「旦那様は覚えておいででしょうか? 氷漬けの人間どもの巣を」
巣って!
イースが言っているのは、ベイルフォウスが腹立ち紛れに氷漬けにしてしまったあの町のことだろう。
「あの巣の者どもが、近くの森に祭壇を造ったのをご存じでしょうか?」
「祭壇? いいや……」
「え、なになに? なんのお話?」
マストレーナたちと、手元に持った二枚の柄同士を合わせるカードゲームに興じていたマーミルが、どうやら一番に負けたらしく、ピョンピョンと跳びはねながらやってきた。
俺の妹だというのに、マーミルはすこぶる勝負事に弱い。年下の子供たちも交えた簡単なゲームでも、だいたい一番最初に負けている。俺の妹なのに!
まあでも、カードゲームでくらい、いくら負けてもいい。命をかけた魔術での戦いにさえ、敗北しなければ。
「前にお前とも行ったことのある人間の町があったろ? その側の森に、祭壇ができているんだそうだ」
「祭壇……って、なんですの?」
そうだよね、そもそもそれがピンとこないよね。まず、魔族の社会には存在しないものだもんね。
「祭壇というのは、人間どもが自分より上位と信じる存在に対し、供物などを奉じる壇のことでございますよ、マーミル様」
「ふぅん……」
きっと、全く理解していないに違いない。
「そしてその森の祭壇というのが、旦那様に対するものであるらしいのです。なにせ、『金色の薔薇の魔族大公、御君に捧ぐ』という掛札がございまして」
「え、俺? なんで……」
なんだって人間が俺を対象に祭壇を?
そりゃあもちろん、魔族は人間より『上位』だが、普通は恐れるばかりなんじゃないの?
「それはもちろん、旦那様の尊い御慈悲に、あの羽虫も同様の人間どもが感謝してのことでございましょう! 当然でございます!」
ああ、うん……相変わらず、人間に対しては強気だね、イース……。
「いかがかとも思いましたが、本日は旦那様になんとしてもお届けください、と、人間どもから直接そちらの束を手渡されたのです」
会ったのか。なんやかんや言って、時々その『羽虫も同様』の様子をうかがいにいってるのだとしたら、イースってば実は隠れ人間好きなんじゃないのだろうか。
もしかして……これが俗に言うツンデレ!?
「もちろん、私は説教をしておきました。むしろ持てるすべてをなげうってでも、旦那様への感謝の気持ちを表すべきでしょう! それをこんな紙切れですまそうとは! と!」
あ、これ単に面倒くさいやつだ。
「ねぇ、お兄さま! それで、なんて書いてますの?」
「ああ、そうだな……」
こんなに沢山の人間たちが、わざわざなんだろう。
俺はとりあえず目を通してみることにした。
ちなみに、俺が人間の本を集めて読んでいることからもわかるように、彼らの使う文字と、俺たち魔族の使う文字はほぼ同じだ。
なぜって、そもそも世界を支配しているのは魔族。人間はそれに倣って、文字を使用しているに過ぎない。
さて、一枚目は――
〝サイズ・チイサイ・フクシカナーイ・ソトニ・デラレナーイ〟とかいう名前の書かれたカードの裏面には、小さな――それもなんとも癖の強い字が、色とりどりのペンを使って、びっしりと書き込まれていたのだ。
目がチカチカする。
しかも、なぜか内容を読む前から寒気がした。
『新年、明けましておめでとうございます! 突然ぶしつけにもこのようなものをお届けすることを、お許しください。けれど私の心は浮き立っております! 他ならぬ高貴でこの上なくお美しい貴方様に、こうしてお便りを出す機会が巡ってこようとは! 私のことは覚えておいででしょうか? そう、そうです! 私は美しくもお強く、高貴な貴方様がお救いくだすった、町の領主でございます。私は、貴方様とお会いして以降、そのお姿が朝も昼も夜も、起きている間も寝ている間も夢想している時ですら、目の裏に焼き付いて離れず……』
俺は読むのを止めた。寒気が止まらなかったからだ。
一枚目のそれほど、文字と得も言われぬ不気味さで埋め尽くされたカードはなかった。
そのほかのカードの中には、言葉の代わりに美しい風景画が描かれたものなどもあった。それから自画像なのだろうか? 女性の肖像画が何点か。
とにかく絵でも文字でも、共通するのはたった一つ。
どれにも『新年、おめでとうございます!』という一言だけは添えられている。
「なあに、この言葉。おめでとうって、何がおめでたいんですの?」
何枚かを手に取って見ていたマーミルが、不思議そうに首をかしげる。
「マーミル様。人間どもは憐れなほど非力なのです。濡れた大地を這いずりまわり、泥にまみれ、日々を必死に生き抜いているのです」
イースがさも慈悲深い、と言わんばかりの表情を浮かべている。
「ですから、なんとか生き抜いた、という区切りがほしいのですよ。それで殊更、年が改まったということをありがたがるのです。その生き抜いた、という感謝を、命をお救いいただいた旦那様に伝えたい、そう思ってのことであれば、いっそ健気ではないですか」
ものすごい上から目線だけど、無爵で弱者たる君も、毎日「なんとか生き抜いた」なのではないだろうか。俺からすれば君の非力さも、人間と大差ないのだが。
まあ、口にはしないけど。
「そういえばその時に、お互いに『おめでとう』と言い合って、『年賀状』と呼ばれるカードを送り合うのだと聞いたことがある。これがそれなんだろう」
しかし正直、名前を見てもほぼほぼ誰が誰かわからない。
唯一、しっかりと覚えのあるイーディスからのカードはこうだった。
『新年、おめでとうございます! またうちの店にご飯を食べにきてくださいね! サービスしますよ!』
いっそ清々しいではないか。っていうか、俺の正体がわかった今でも、きっちり金を取るつもりなのか。
「ふぅん、なんかよくわからないけど、カードを送り合うというのは楽しそうですわね。ね、お兄さま、これ、みんなにも見せていい? それで、私たちもカードを送り合うの!」
「ああ、いいよ」
俺が許可をしてやると、ゲームに負けてばかりの妹は勝ち負けの判定のない遊びを見つけて嬉しかったのか、すぐマストレーナと『年賀状』を作成する遊びに興じだした。
さっきまで子供の遊ぶ声で賑やかだった談話室が、どの子もカードに集中しだしたせいで、うそのような静寂に包まれる。
俺はいったん側机においた本を開き、栞紐を抜いた。
それからどのくらい経っただろうか。
「……にいさま、お兄さま!」
妹の声に顔を上げてみると……。
「はい、これ、お兄さまに! みんなから!」
妹が、自分ばかりでなくマストレーナも含めた俺宛のカードを、差し出してきたのだ。
「なんだ、俺にも書いてくれたのか」
「もちろんですわ!」
「ありがとう」
もらってすぐ、読もうとすると、「ちょっと待って!」と止められた。
「駄目よ、お兄さま! おめでとうのカードは、お部屋で読んで!」
「え、なんで?」
「だって、私はいいけど、自分の書いたものを目の前で読まれると恥ずかしい、って子もいるもの!」
「ああ、うん……」
別に俺は採点するわけでもないのに? 恥ずかしいってのはよくわからないが、とにかく妹の言うとおりカードは懐にしまって後で読むことにし、それならばと読書を再開しようとすると――
「今すぐ読んでくださらないの?」
は?
「いや、今ここで読むなって……」
「ですから、ご自分のお部屋で読んでって!」
え、なにそれ……つまり俺にここから出て行けってこと?
談話室から出て行って、自分の部屋にとっとと帰れってこと?
え、もしかして、俺……いるだけでも邪魔だとか、目障りだとか思われてるってこと!?
「あ、もちろん、お返事ちょうだいね!」
は?
「だってお兄さま、言ってたでしょう? カードは送り合うものだって!」
「いや、それはあくまで人間たちの風習で……」
「みんな、心を込めてかいたのよ! お兄さまのお返事、楽しみにしてますわ!!」
「いや……」
その時、俺は気づいてしまったのだ。マーミルだけじゃない……その後ろに控える、二十数人のマストレーナたちの期待に満ちた目に……。
「旦那様」
イースがさっき人間を語る時に見せたような、慈悲深い目で俺を見つめ、ぐっと握りしめた拳を胸の前ではずませた。
「頑張ってください!」
「……」
俺はその日、珍しく午後から仕事もなく、ゆったりとした気持ちで読書を楽しむつもりだった。
それなのに、どうしてこんなことに……。
こんなことなら、最初から図書館にこもっていればよかった……。
二十数枚のカードを手に、居住棟の自室に戻りながら、俺は後悔したのだった。
その後、マーミルが始めた〝新年のカードの送り合い〟は、あろうことか我が城の勤め人を巻き込み、我が大公領全体に広まった。そればかりか、ベイルフォウスにまで送りつけ、さらにあの男が「面白い」と付き合いのある何人もの女性に送ったことで、しばらく、魔族社会の新たな流行となったのだ。
もっとも、返事を強要されるというありがた迷惑なおまけつきだったために、数年ですぐに廃れることになったのは、魔族の性質上、やむを得ぬことであろうと思われる。
というわけで、俺はそれからしばらくこの言葉を見るのも嫌になった。
なんだよ、『新年、明けましておめでとう!』って!