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聖女フェス*7

 翌朝。

「おはよ、ナビス!」

「おはようございます、ミオ様。……ふふ、あったかかったですねえ」

「ね。このお宿、ちょっと隙間風すごかったし。丁度よかったかも」

 澪とナビスは、1つのベッドの中で仲良くもそもそしながら目を覚ました。

 ……有言実行である。澪はしっかりばっちり、ナビスと1つのベッドに入ってむぎゅむぎゅやりながら眠り、そして、ぬくぬくの朝を迎えたのである。

「じゃ、朝ごはんの準備だ!」

「ええ!たっぷり作りましょう!」

 そして2人揃って元気にベッドを出ると、早速身支度を始める。

 2人はこれから、朝ごはんを『作る』のだ。




「はーい!聖女ナビスが作ったポルタナ風スープはこちらで配布中!順番に並んでねー!」

 澪が元気に声を掛けると、がやがやと人が集まってくる。やってきた人々に、澪とナビスは手早くスープをよそっていく。合わせるのは素朴なパンだ。朝食として十分なボリュームで、かつ、冬の朝に嬉しい温かさである。

 ……そう。各所では、聖女達が炊き出しを行っていた。

 澪とナビスのブースでは、ポルタナ風のスープ。干した魚と干したドラゴン肉を丁寧に水で戻して、野菜と一緒に煮込んだものだ。

 マルガリートのブースでは、クリームシチューとパンのセットを配っている。シチューには癖の少ないチーズを溶かしこんであるらしく、濃厚な旨味がとてもいい。……澪は密かに、『マルちゃん……チーズ……マルチーズ……』と頭の中で考えていたが。

 パディエーラのブースでは、干した果物を練り込んで焼いたパンに、珍しくも果物入りのスープが配られている。味見をさせてもらったら、干し肉の旨味と強めの塩味に果物の甘みが溶け込んで、これが中々美味しかった。ジャルディンの郷土料理らしい。

 他にも、聖女達はそれぞれに炊き出しを行っている。それぞれに異なるものを出しているので、観客達は『どれにしよう』『あれも美味しそう』というようにあちこちきょろきょろしながら列に並んでいる。

 観客達は会場内の宿泊施設に泊まったり、無料のテントの中で過ごしたり、ブランケットに包まって野原でそのまま眠ったり、はたまた酒をちびちびやりつつ徹夜したりして朝を迎えたらしい。そんな彼らは、のどかながら皆がそわそわわくわくしている空気に触れて、皆がそわそわわくわく、楽し気にしていた。

 今回は入場者全員にフードチケットを配布している。夜、朝、昼、おやつまたは夜食、の計4枚1セットとなっており、それぞれの時間帯で1度ずつ使える。なので、貧しい者でも最低限の食事にありつくことができるという訳だ。それが自由に選べるようになっているというのだから、どんな者でも多少は楽しくなるというものである。

『選ぶ』という行為は、楽しみと直結している。澪はそう考えている。だから来場者達が、参加するライブや、食事や、はたまた応援する聖女を『選ぶ』ようにこの祭典を設計してあるのだ。


 聖女達が腕によりをかけて作った聖餐は、大量に用意しておいたが然程余らずにはけた。

 ……フードチケットを使った後でもう1食分食べたい場合には自腹、というルールだったのだが、『金を払ってでももう一杯食べたい!』『金を払ってでも別の聖女の聖餐も食べたい!』という者が案外多かったのである。

 今回の祭典は、宿泊施設やおやつ、そして富裕層からの寄付によってなんとか赤字を減らすように設計しているのだが……宿泊施設は全て満室であったようだし、昨夜は夜食や酒、おつまみの類が非常によく売れていたようだし、この分だと赤字は限りなくゼロに近い値になるかもしれない。


 さて。

 人間というものは不思議なもので、よく食べて、よく眠って、そしてまた食べると、元気が出てくるものである。

 昨夜はどの聖女達も、静かに、あるいは優しい悲しみに満ちて、歌や踊りを披露していた。それによって観客達は深く静かに沈む『夜』を過ごし、そして今、朝を経て、元気に立ち直りゆく『昼』を迎えようとしている。

 そう。これは『月と太陽の祭典』なのだ。

 夜の後には朝が来る。沈んだ後には盛り上がる。そのための、1日がかりの祭典なのである。




 朝食の炊き出しの片付けが終わったら澪は早速、トランペット片手に自分のステージへ向かい、そこに屯していた者達に向けて数曲、演奏することにした。

 ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』とポルタナの舟歌を演奏した。どちらも激しさは無い、どちらかと言えば静かな悲しみに親しみやすい曲調ではあるのだが、太陽の光の下、澪の元気なMC付きで演奏した曲は、観客達の気分を穏やかに盛り上げることに成功したらしい。

 ……音楽は人の心を左右しやすいと澪は思っているが、それも雰囲気次第だ。

 ホラーのBGMに使われるクラシックやキャロルは妙に怖いが、音楽ホールで聴けば怖さなどどこにも無い。それと同じで、太陽の光の下での音楽は、やはり何か明るい気分を盛り上げてくれるものなのである。

 ……ましてや、ここの観客達はどうやら、昨夜の澪の演奏を聞いていた観客達であるらしい。

 彼らが幾分明るい顔で、満足気に澪の演奏を聴いているところを見ると、どうやら彼らは気分が多少、慰められて元気になりつつある、というところなのだろう。澪はこれに内心で『よしっ!』とガッツポーズしつつ、いよいよ盛り上がる昼過ぎのライブまで、しばしステージを離れることにするのだった。


「あなたの演奏、やはり、一角のものですわね」

「今日はマルちゃんだ!」

 ステージを下りた澪を待っていたのは、マルガリートであった。マルガリートは『今日は、ってなんですの……?』と不思議そうにしていたが、澪としてはここでまたシベッドが来ていたらなんとなく気まずかったので、マルちゃんでよかった!と思っている。

「もしかして、聞いててくれたの?」

「ええ。ラッパの音は良く響きますもの。そちらの木陰に居ても聞こえますのよ」

 どうやらマルガリートは休憩中だったらしい。澪の記憶では、確か、マルガリートの出番は昼のダンスステージと、おやつ時からの礼拝式、といったところであったはずだ。ステージまでの暇潰し、ということでここに来てくれたのだろう。

「あなたの演奏を実際に聞いてみて、納得できましたわ」

「はえ?納得?何が?」

「朝、炊き出しの後に様子を見回っていたら、喋っている貧しい身なりの者が居たのですけれど……『あのラッパのおねーちゃんが頑張って炊き出しやってんの見てたら、なんか元気出るよなあ』『この後もまたやるみたいだ。聞きに行くか』というような話をしていましたのよ」

 澪は、ぽかん、とするしかない。一方のマルガリートは、我が事のように嬉しいらしく、じんわりにんまり、笑っている。

「確かに、もう一度聞きたくなる音楽ですわ。なんだか元気が出ますもの」

「え、えーと……そ、そう?えへへ、照れるなあ……」

 マルガリートが褒めてくれるのだから、お世辞ではないだろう。彼女はお世辞は言わないタイプだと、澪はもうなんとなく理解している。そんなマルガリートに褒められた、ということは、澪が思っていた以上に、澪を照れさせる。嬉しい。

「……ミオ、あなた、そういう顔もしますのね……?」

 すると、マルガリートが何やら目を輝かせて澪をじっと見つめ始めたのである。

「やだー!あんま見ないで!なんか恥ずかしいから!」

「そう言われると見ちゃいますわ」

「意地悪!マルちゃんの意地悪!」

 澪とマルガリートはそのまましばらくじゃれ合っていたのだが、観客達がそれを眺めて『なんかいいな……』『なんかいい……』とにこにこしていたのはまた別の話である。




 さて。昼食もまた、炊き出しである。ただし今度は聖女ごとに炊き出しがある訳ではなく、レギナ大聖堂の神官達や聖女見習い達といったスタッフがメインとなって一律同じ食事を配るだけである。

 とはいっても、じっくり煮込んだスープもといごった煮は中々の美味しさで、誰からも文句は出ない。安い食材でも、丁寧に下ごしらえしてじっくり煮込めば最高のスープになるものだ。

 今回のスープにはコニナ産の切り干しマンドレイクが入っているのだが、それがまた良い出汁になっていた。やはりマンドレイクは美味しいのである。

 そんな中、飲み物やおやつの屋台が出始める。これらは場所代を取って、検査をして、あとは勝手にどうぞ、という形態で出店してもらっているので、澪やナビスの管轄するところではない。

 だが、商魂たくましいレギナやメルカッタの屋台が並ぶ様子は正にお祭りといったところだ。肉の串焼きや果実のジュース、素朴な焼き菓子に凝った細工の飴菓子などが並び、ついつい、といった具合に人々が財布の紐を緩めていく。

 ついでに、聖女達の物販の屋台も出ている。ポルタナグッズを売る屋台は、ポルタナのおばちゃんズが運営してくれている。ポルタナの塩はここでも人気の商品であった。

 ……そして何よりも、ペンライトが、よく売れた。

 少々強気で値段設定したものでさえ、売り切れた。夜光石のついた棒、それも細工の美しいもの……聖女ナビスの杖を象ったものだ、となれば、欲しくなる人々が案外多かったらしい。

 澪としては、ナビスのライブの後にこそ杖型ペンライトが売れるだろうと思っていたので、これは予想外であった。

 これだけのペンライトを生産してくれたブラウニー達に感謝である。ブラウニー達には今回の祭典のお土産を持って行ってあげよう、とナビスと一緒に相談している。

 ……だが、お土産は不要かもしれない。

「あれっ?……んんん!?」

 何か動いた気がして、澪が目を凝らしてみると。そこには……揚げ菓子の屋台の後ろで、屋台のおっちゃんから揚げ菓子の入った紙袋をこっそり貰ってにこにこ笑顔のブラウニーが居た。

 ……多分、ポルタナ街道脇の森のブラウニーである。何せ、ナビスグッズを身に付けているので。

 よくよく見てみると、時々、木の枝の上や花の陰などに、ナビスの杖型ペンライトを背中に背負っておやつを食べるブラウニー達の姿を見ることができた。

「……堪能してるぅ」

 案外、ブラウニー達は器用である。

 ブラウニー達はふと澪に気付くと、むう、と膨れた顔をしていた。どうやら、『こういうお祭りがあるなら誘って!』ということらしい。澪は『ごめんごめん』と手を合わせて謝りつつ、ついつい顔が緩んでしまう。

 ブラウニー、かわいい。




 そうしている間に、ナビスのライブの時間がやってくる。

 今回は、澪がMCだ。ようやく、聖女と勇者が一緒に揃っての登場、となるわけで、ポルタナ礼拝式にも参加している者達は『待ってたよミオちゃーん!』『良かったねナビス様ー!』と歓声を上げてくれた。やはり、澪とナビスは2人でセット、という状態が定着してきているようだ。これは良い効果が確認できた。

「みんなー!今日は盛り上がっていこーねー!」

 澪が声を掛けると、主に、既にポルタナ式礼拝式を知っている者達が歓声を上げる。すると、ご新規様も『こういうものなのか』とばかり、それに合わせて歓声を上げてくれる。

 そして、早速ナビスの歌が始まる。それに合わせて、澪はドラゴンの太鼓を叩く。なんだかんだ、パーカッションは大切なのだ。

 低音のビートが響く中、ナビスが杖を構えて歌い始める。歌うのは、メルカッタの戦士達の歌。観客がノリやすく、そして実際、陽気な良い曲である。

 ナビスの声は、静かな美しい聖歌だけではなく、こうしたノリの良い勇ましい曲にもよく映える。

 太陽の光よりも眩く温かく、そして強い。そんな歌声が会場に響けば、観客はその空気に呑まれてくれる。皆、元気になってくれる。


 試しに、2曲目は冒頭で、澪は手ぬぐいを振ってみた。ライブでタオルを振るがごとく。

 ……すると、皆が『こういうものか!』と手ぬぐいを振り始めた。

 体を動かせば、より一層心が動いていく。2曲目もノリのいいメルカッタの歌だったが、2曲目が終わる頃には観客はすっかりノッてくれていた。昨日、あまり元気がなかった者も、『こういうもの』の中でナビスの歌を楽しんでくれている。


 ……だが。

 手ぬぐいを振りつつ、皆が3曲目を楽しんでいると。

 急に、ステージの向こうから緊迫した空気が迫ってくる。駆けてくる人の姿に、澪もナビスも、ステージ上で演奏を止め……そして。

「大変です!魔物が!」

 ……その知らせに、会場がどよめくのだった。


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