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聖女フェス*5

「結構、人、集まってるね」

 その日の夕方。太陽が傾き、空が淡く虹色のグラデーションに彩られ、長い影が地上に踊る時刻。

 会場には大勢の人が詰めかけていた。


 広々とした自然公園のような会場だが、あちこちに人が居る。この広さでこの人口密度なのだから、相当に大勢が集まったということだろう。

「やはり、暖かい場所というのはいいですね」

「ね。ポルタナの技術が活きてて嬉しいなあ」

 この会場に集まってきた人々は、単に娯楽や気分転換を求めて来た人々だけではない。恐らく、『聖女達の力によって会場には防寒の結界が張られています。冬を忘れ、暖かい場所でのんびり過ごしませんか?』という宣伝に惹かれて来た者達も、それなりに居る。

 ……要は、その日暮らしの路地裏暮らしをしている者達にとって、凍死を免れることができる会場は、それだけで訪れる価値のある場所なのだ。食べ物が配布される、ともなれば、余計に。

 配布されている食べ物自体は、簡素なものだ。よくある平焼きパンに、様々な具が挟んであるものである。具の種類はまちまちで、月鯨の肉を甘辛く煮込んだものであったり、コニナ村の野菜にドラゴン肉のハムを合わせてあったり、はたまた、ジャルディンの果物をゴロゴロと煮込んだものも用意されている。

 売り切れ次第その味は終了、ということになるが、聖餐を自分で選べるという仕組みに観客達は盛り上がっているようであったし、何より、この形式だと、安い。

 ……来場者全員分を賄えるほどの食材を大量に用意するのは大変だが、このように数種類ずつ用意する分には、量が半端であっても問題が無い。各地の余っている食材を買い集めていくだけでなんとかした聖餐なので、安上がりであった。その分、調理の手間は多少、掛かるが。

「ポルタナの屋台も出ていますね。あら、こんばんは」

 ナビスが笑顔で挨拶していくのは、ポルタナの屋台である。澪も覗き込んでみると、そこには見覚えのある顔があった。どうやら、ポルタナからやってきて、ここの屋台で小金を稼ぐつもりであるらしい。メニューは魚のスープと月鯨の串焼き、とのことで、早速、それなりに人気を博しているようであった。

 何せ、今は冬だ。寒い。そして今は夕方だが、これから夜になるにつれてより一層冷え込んでいく。そんな中には、温かいスープが嬉しいのである。

 ……とはいえ、やはり、寒さはかなり和らいでいる。杖を設置した場所からそう離れなければ、そうは寒くない。

 だが、今日、星を眺めるつもりでやってきた者や、そもそも隅っこの方に居たい者については、杖があるエリアから離れて、人気のない方へと行きたいのだろう。彼らはこぞって、温かい飲み物や食べ物を買って、人気のないエリアに向かって進んでいった。

「……さて。じゃ、私達もそろそろ移動しよっか」

「はい。……あっ、でも、あちらの屋台を見てからでもいいですか?」

「ん?あー、うん。あれは気になるね。よし。見てから行こう。ああいうよく分からないの、私、結構好きだよ」

「ふふ、私もです」

 澪とナビスは連れ立って歩く。『ポルタナ鉱山名物ホネホネ茶!ポルタナの塩で焼いたドラゴン肉と共にどうぞ!』という張り紙に惹かれて、鉱夫がやっていた屋台で茶を買い求めつつ……。




 今回のフェスは、夕方から開催している。それは、夜の時間を大切にしたかったからだ。

 明るい太陽の光の下ではなく、ほやりと浮かぶ魔除けの光の中、星空の下で、それぞれにゆったりとした時間を楽しんでもらいたい。やはり、物思いに耽るのも、悲しみをじっくり味わうのも、昼よりは夜の方がいい。

 なので、今回は夕方少し手前から開場して、各所でちょっとした礼拝式を並列して行ったり、屋台が食事を出したりしているところを楽しんでもらってから、夜の礼拝式に繋げていく形を取った。

 物見遊山で来る人々も、仕事が終わってからの夕方であるならば、案外来やすい。レギナ以外の町からやってきた者達についても、朝に出発すれば夕方にはレギナ開拓地に到着するのだから、やはり夕方からの開催は丁度良かったのである。


 さて。こうして開催することになった夜の礼拝式だが……それぞれの聖女がそれぞれのエリアで、各々のコンセプトに沿ったライブを開く形となっている。

 例えば、パディエーラは彼女自身が言っていた通り、高級酒とハーブティーを提供しつつ、じっくりと夜の時間を楽しんでもらう場を設けているようであるし、マルガリートは彼女が得意とする踊りを、伴奏曲以外の演出抜きで披露するらしい。

 マルガリートの踊りは、元々、非言語コミュニケーションの最たるところだ。静けさの中の舞は間違いなく美しいものだろうし、それをただ見つめるだけの時間というものは、誰から強制されるでもない祈りの時間になるのかもしれない。

 パディエーラのやり方は、多少、皆の気分を高揚させるだろう。ある種、酒と『寂しさ』に酔うための空間づくりだ。だが、寂しさや悲しみや、そういったものを味わって楽しむのもまた、悲しみとの向き合い方の1つなのだ。

 ……そして。

 ナビスのステージは……歌だ。




 ナビスが歌う。

 野原の上にぽつんと建てられた、仮拵えのステージの上。エリアの端の方に位置するここは、ぽや、と漂う魔除けの光もそう多くはなく、光もぬくもりも、少しばかり遠い。

 そして、ステージの前の草原の上には、上着を着こんだり茶のカップを両手で包むように持っていたり、そんな人達がちらほらと集まっている。

 皆、ナビスの歌を聞いていた。

 いつものナビスの礼拝式のように、コールアンドレスポンスがあるわけでもなく。澪の元気なMCが入るでもなく。ただ、淡々とナビスが歌うのを皆が聞いている。

 ナビスの歌は、静かで物悲しい、ゆったりとした曲だ。澪が書いた楽譜の曲も混ざりつつ、メルカッタの戦士達の歌をゆったりとしたテンポにアレンジして歌い上げたり、ポルタナの舟歌の優しい旋律を何度もリフレインしたり。

 ナビスの手には、聖銀の杖がある。神秘的に美しくきらめく聖銀と、そこに嵌め込まれた宝石と、そして何より、ナビス自身の美貌。これらが星の光の下にあると、何とも神秘的で美しく、どこか現実味すら失せたように見えるのだ。

 ……観客達は、静かに祈りを捧げたり。どこか冷めた目で、しかしそれで居ながらどこか懐かしむようにナビスを眺めていたり。過ごし方こそ様々だが、この場を不愉快に思う者は居ないようだった。

 澪もまた、緩やかに響くナビスの歌声を聞きながら、のんびりと、ぼんやりと、その心地よさに身を委ねていた。


 だが、澪も、ずっとナビスの傍に居るわけにはいかない。

 ……そう。今回は、澪も、澪だけのステージに上がる予定なのだ。




 澪はトランペットに息を吹き込んで、楽器を温める。

 冷えた楽器は、上手く鳴らない。寒い冬に美しく鋭く音を響かせるには、こうして息を吹き込んで楽器を温めてやる必要があるのだ。

 澪は、この時間が案外好きである。自分の手の中で、自分が息を吹き込んだトランペットが徐々にぬくもっていく。まるで、命を与えられたかのように。

「……よし」

 ある程度、トランペットが温まったら、澪は唇を軽く慣らし、マウスピースだけで音を出して調子を見て……それから数度、トランペットを響かせる。

 B♭、F、B♭。次は、A、E、A。そのまま半音ずつ音を下げながら音を出していき、ある程度のところで止める。

 ハイトーンの練習はしない。練習とはいえ音が出るので目立つし、夜の静かな空間には不釣り合いだ。ハイトーンともなれば、尚更である。

 それに、今回のステージでは、最初の方の曲は全て、低めの音だけで演奏することにしている。いくらかキーを下げてでも、低めに揃えた。

 ……やはり、人を落ち着かせるのは高音ではなく、低音。澪はそれを知っている。本当ならトランペットよりもホルンやユーフォニウムの方が人を落ち着かせてくれる気がするのだが、澪にはトランペットしか無いので仕方がない。

 曲目の最後の方にはハイトーンも出てくるが、その時には既に数曲演奏した後だ。唇は慣れているだろうし、きっと問題無く、高音も当たる。

 澪は自分自身を勇気づけつつ、トランペット片手にステージへ向かっていく。

 ……ステージの周辺の草の上には、既に何人もの観客が座って待っていた。




 澪がステージに上がると、観客の目が澪に向く。普通ならここで挨拶でもするのが普通だろう。ナビスも礼拝式の時には、最初に挨拶をしてから礼拝式を始める。

 だが、澪はそうしない。

 黙ったまま、ただ観客らに向けて笑って、手をひらひらと振ってみせる。それだけ。

 堅苦しい挨拶は無し。ここにきている人達は澪を信仰したくてきている訳ではなくて、ただ何となく、『聖女』以外のものの所へ行きたかっただけなのだろうから。

 澪はステージ上に用意しておいたスツールに腰掛ける。観客達に対して斜めを向くように座れば、観客達も物珍し気に澪を見ていた。

 澪は尚も、観客達を然程意識しない振る舞いを見せる。ただトランペットにだけ視線を落とし、数度、息を吹き込んで……そして。

 じわり、と、トランペットから音が滲み出す。

 音量は、ピアニッシモ。澪の技術の限りを尽くして、小さな、それでいて正しい音を当てていく。

 ……どんな楽器でもそうだろうが、力いっぱいのフォルテシモより、限界ギリギリのピアニッシモの方が難しい。澪も、然程得意ではない。特に、澪の担当していたセカンドトランペットのポジションは、音量が求められることが多かったので。

 だが、努力の甲斐あって、無事、澪の想定したとおりの音が出た。華やかではなく、鋭さも然程無い。そんなトランペットの音は、観客達には物珍しく聞こえたらしい。

 どこか、コルネットにも似た柔らかな音で、澪は旋律を奏でていく。奏でる旋律は、ベートーベンの『月光』の第一楽章。

 ……本来は、ピアノ曲である。澪も小学生の頃に通っていたピアノ教室で弾いたことがあるが、左手がベース、そして右手がハーモニーとメロディーの兼任だ。この曲は、3つのパートが混ざりあって成り立つような曲である。

 なので当然、トランペットのソロ向きではない。……だが、澪はハーモニーにあたる音を混ぜながら主旋律を奏でることによって、トランペット一本でも成り立つ曲に仕上げていた。

 主旋律の音が、あまり動かないのがいいと思ったのだ。ゆったりとして、動きが少なくて、聞いていて疲れない。

 聴き映えは、しなくていい。技術を誇示するような連符も要らない。ただ、トランペットの音が夜空に染みていく感覚だけを、楽しんでもらえればいい。それでいて、最低限の曲の形をとることで、不快にはならずに済むように。

 ……澪は、最後の音を低く吹ききって演奏を終える。

 拍手がまばらに起こる。先ほどより、澪を見ている者が多い。これでいい。

 澪は観客達に構わず、続けてまた、次の曲を吹く。


 次は、『韃靼人の踊り』。ナビスも歌っているかもしれないが、澪も演奏する。

 トランペットだけで演奏する韃靼人の踊りの、このかんじが澪には好ましい。

 ただし、ポルタナで演奏した時とは違って、夜空を裂くように高らかに演奏するのではなく、あくまでも、人々に寄り添うように。

 ……そうしていると、観客の耳が、澪のトランペットの音へ傾けられていくのが分かる。

 彼らの目は、顔は、こちらを向いていない。彼らの目はあくまでも、ちびちびとやっているホットワインや茶のカップ、或いは足元の草などに向けられている。

 だが、聴いている。

 確かに、彼らは澪の音楽を聴いている。曲に合わせて微かに体が揺れたり、時折、ちらり、とだけ澪を見たり。


 次の曲は、ホルストの『木星』。

 こんな星空の下、トランペットで奏でるのも中々乙な曲である。

 一番有名であろう、サビにあたる部分の手前、勇ましさも感じられるような箇所は、少し音量を上げて吹く。観客達は、徐々に大きくなっていく音量に気付いているだろうか。


 そうして3曲目も終えた澪は、ここでようやく、聖銀の杖を手に取る。

 ナビスが力を込めていってくれたもので……要は、マイクだ。

「『あー、あー、えーと、よし、ちゃんと音、入ってるね』」

 澪が話し始めると、観客達は多少、戸惑ったような様子を見せた。『まさか喋るとは』というような顔だが、まあ、澪は喋るのである。

「『えーと、みんなー、こんばんはー。今日はここに来てくれて、ありがとね。まあ、ゆっくりしてってよ。多分、外よりはあったかくて居心地、いいでしょ?』」

 澪がマイク越しにそう喋り出すと、観客達は皆、怪訝な顔をした。

 ……恐らく、彼らは『勇者』と聞いて、もっと仰々しいものを想像していたのだ。それこそ、勇者エブルや勇者ランセアのような、もっと勇者らしい勇者を。

 だが、澪はコレである。あくまでもゆるく、まったりと、澪は喋る。きっと、彼らが望んでいる『勇者』は、こうだろう、と思いながら。

「『別に、祈らなくていいよ。寝ててもいいよ。どうせそんな眠れてない人、多いでしょ?眠れるんなら寝ちゃってよ。多分、寝ても風邪ひかないくらいのあったかさ、あるし。あ、そっちに貸し出し用ブランケットあるから、寒かったら持ってって被ってね』」

 澪の言葉は、いよいよ観客達を困惑させる。まさか、礼拝式中に居眠りすることを推奨する勇者など、他には居まい。彼らの困惑も尤もである。

「『じゃ、次の曲、やるね。さっきまでの3曲は私の故郷の……まあ、ずーっと遠くの曲だったんだけどね。次は知ってる人いそうなやつ、吹くから』」

 澪は笑って、またトランペットを構える。次に吹く曲は、メルカッタの戦士達の歌だ。

 ……今や、観客達は皆、澪を見ていた。

 澪を見に来たわけではなかったであろう者達も、澪を見ていた。

 澪が何か、今まで自分が思っていた『聖女、勇者』とは明らかに違うことを知って、それに何かの期待、何かの予感をしながら。

 まるで、祈るように。


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