聖女フェス*3
その晩、澪はレギナの宿の部屋で、譜起こししていた。
「えーと、たたたーたた、たたたー、だから、八分、四分、八分、八分、四分……」
澪の記憶にある音楽を楽譜に起こしているのだが、これが中々難しい。簡単なコードも一応書き記しているが、それはあくまでも澪の為のメモ代わりだ。
……澪が書き起こしている楽譜は全て、物悲しい旋律のものばかりだ。だが、悲しさの中に勇ましさがあったり、ほわりと温かさを感じられたり、悲しさにも色々ある。白には200色あるらしいが、悲しさにも200種類ぐらいあるのだ。多分。
「よし、韃靼人の踊り、完成!」
そうしてなんとか一曲分の譜起こしが終わって、澪は椅子の背もたれに体重を預ける。『韃靼人の踊り』はそう長くないフレーズを繰り返す曲なので、然程大変ではなかったはずなのだが、それでも慣れない譜起こしは澪を十分疲労させた。
だが、疲労以上に、澪は達成感で満ち溢れている。
「あら、完成したのですか?どんな曲ですか?」
「うん。えーと、これ。……あ、ナビス、楽譜は読める?」
「がくふ……?」
「あ、そっか。じゃあ楽譜の読み方は後で説明するとして……」
そういえばこの世界の楽譜は見たことがない。もしかしたら、音楽は全て口伝かもしれないなあ、と澪は少々恐ろしく思いつつ……ひとまず、出来上がった楽譜の確認も兼ねて、澪は『韃靼人の踊り』のフレーズを口ずさみ始める。
伴奏も何もないアカペラになってしまうが、フレーズの確認にはこれで十分だ。澪が『懐かしいなあ』と思いつつ歌っていると、ナビスはそんな澪を見つめて、ほう、と感嘆のため息を吐きつつ目を輝かせる。
……そうして澪が歌い終わると、ナビスは小さくぱちぱちと拍手をしてくれる。改めて、このようにされると少々気恥ずかしい。澪は、当然音感はある程度あり歌も下手ではないが、取り立てて上手いというほどでもないはずであるので、余計に。
「すごい……ミオ様の歌、初めて聞いた気がします」
「あれ、そうだっけ……あ、そうだったかも」
確かに言われてみれば、澪が歌ったことは無かった、かもしれない。何せ、この世界に来て割とすぐに聖銀のラッパを手に入れてしまったものだから、トランペットの演奏の方が主となっていた。
歌は楽器も要らず、手軽でいい。自分自身が楽器なので、すぐに演奏を始められるところもいい。澪は改めてそんな感想を持ちつつ、楽譜をひらひらさせて、ナビスに聞いてみる。
「で、えーと、この曲、どうかな」
「ええ。大変すばらしいと思います。確か、ミオ様が初めて人前でトランペットを演奏された時の曲、ですよね?」
そういえば、澪はこれをかつて、ポルタナの礼拝式でも吹いた気がする。好きな曲なので、まあ、そんなものである。
「どこか暖かくて、でも冷たくて……満天の星の下、1人で焚火をしていたらこんな気分でしょうか」
「分かる分かる。私もそういう気分になるから、これ、好きなんだ」
ナビスの感想に、澪はほっとする。どうやらこの世界でも、澪の世界の曲は通用しそうである。
……『韃靼人の踊り』は、もともとはオペラ用の曲だ。吹奏楽曲のアレンジもあるが、どちらにせよ、それなりの人数の編成で演奏するものである。また、『韃靼人の踊り』はそのオペラの中では、『勇敢な将軍を敵軍が讃えて宴会を開いた時の曲』なので、そこだけ聞くと大分賑やかな印象ではある。
だが、その旋律だけを1人で歌えば、華やかさはすっかりなりを潜めて、旋律の物悲しくも優しい雰囲気だけを伝えてくれる。澪はこれを1人、トランペットで演奏するのが好きだ。オーボエやクラリネットの方が向いているような気もするのだが、それでも、澪にとってこれは、トランペットのソロの曲でもあるのだ。
「他にもいくつか、私の世界の曲、譜起こししてるからさ。気に入ったのがあったら、ナビスも歌ってみて」
「はい。是非。……その前に、がくふ?の読み方も教えてくださいね」
「あ、そうだった」
澪はナビスに早速、『えーと、まずは拍の概念から……』と教え始める。自分がかつて習ったことをなんとなく思い出しつつ教えていくと、なんとも楽しい。ナビスが一生懸命に学ぼうとしている様子は、なんとも澪を元気づけた。
そうして翌朝。
「案、考えてきたわ。私はお茶とお酒を用意しようと思っているの」
いつもの喫茶店に集まると、パディエーラがそこで早速、にこにこと話し始めてくれた。
そう。皆でそれぞれに、『悲しい気持ちに寄り添えるお祭り』の案を出しているのだが……。
「お酒、ですか?となると、賑やかになるのでは……?」
パディエーラの案を聞いたナビスが、こて、と首を傾げる。だが、パディエーラはそれにころころと笑った。
「あらあら。お酒って、飲んで騒ぐためだけのものじゃないのよ。……お酒を飲んで騒ぐんじゃなくて、いいお酒をちびちびやりながら星空を見上げてもらうの。悪くないでしょう?」
パディエーラの意見に、成程なあ、と澪は思う。生憎、未成年である澪にはそのあたりの機微が分からないが、それでも、高級酒をちびちびやりながらゆったりする、という大人の在り様については肯定的な印象である。
「ほら、いいお酒って高いでしょう?けれど、ほんの少し、酔うためじゃなくて楽しむために味わう程度の少量ずつなら、そんなに高くないわ。悪くないでしょう?」
「成程。ちょっと夢見られていいかんじだね」
更に、パディエーラのサービス精神と現実主義がいい線をついている。
一瓶買うには高い酒も、少しずつ、味わって楽しむくらいの分量ずつ配るならば、そうは高い出費にならないだろう。それなら、戦士崩れ達にも手が出せる。
「お茶は落ち着く香りのハーブティーがいいかしらね」
「あら。それでしたらパディ。前にあなたが作ってくれた、リンゴの香りのするお茶。あれがよろしいんじゃないかしら」
「じゃあ、それに合わせて軽食も。お酒のつまみになりそうなやつ、って考えると味の濃いもの?」
「お茶請けと考えるなら、焼き菓子の類が良いかと思います。2種類、用意してみましょうか?」
更に皆からアイデアが出て……さて、聖餐については、いい具合にまとまりそうである。
「それから、私は企画について考えてみたのですけれど。まあ、こちらをご覧になって」
続いて、マルガリートが卓上に紙を広げる。そこには、レギナ近郊の開拓地の図と、レギナ大聖堂の図が簡単に描いてあった。
「大聖堂で行うのならば、大礼拝堂と小礼拝堂2つをそれぞれ舞台として、それぞれで並行して聖女達が礼拝を行えばよいと思いますの。3か所で同時に合同礼拝式ができる、といった具合ですわね。中庭は飲食の場にすればよくってよ」
まず、レギナ大聖堂で行う場合の案がそれであるらしい。
レギナ大聖堂には大小合わせて礼拝堂が3つある。それら全てを同時に使う、というアイデアは、中々悪くない。3つの礼拝室を接続するような位置に中庭があるのもいい。そこで聖餐を配布したり、人々が休憩したりできるように設営して、かつ大聖堂の入り口付近に食べ物の屋台などを誘致していけば、多少手狭でもなんとかなりそうだ。
「続いて、開拓地をお借りする方ですけれど……これでしたら、使える広さに限りがほぼございませんものね。好きなように好きなだけ、好きなことができますわ。敷き布を安価に販売しておけば、草原に座って休憩することもできるでしょうし、多少、設備が整っていなくてもなんとかなりますわね」
そして、開拓地での開催の場合は、使える土地がとてつもなく広くなる。エリアの区切りも簡単にできるし、屋台の位置も数も、制限する必要が無い。
何より、設備が無くとも『まあ新しい開拓地なのでこういうものだ』と割り切ってもらえる。草原にレジャーシートを広げて寝転んだり、そこでお昼ご飯を食べたり、はたまたパディエーラの用意するという酒とおつまみでのんびりしたり……というのも、悪くはないだろう。
「レギナの、他の聖女達にも声を掛けてみましたの。参加したい、と意気込む者ばかりでしたわ。彼女らの参加も見込めますわね」
「おおー、それだったら余計に開拓地の方がいいかな。場所が広ければ、人数が増えても大丈夫だもんね」
「まあ、冬は寒いでしょうから、屋外での行動ばかりになりがちな開拓地での開催は、少々躊躇われますわね……」
マルガリートが考えてくれた企画と会場の案については、諸々詰めて考えていく必要がありそうだが、ひとまず、企画段階でわくわくできるのが良い。
折角なら、観客だけでなく、澪達主催者側もまた、楽しまなくては損というものである。
「で、私達からは音楽の提案!」
そして最後に、澪とナビスからの提案だ。
「是非皆さん、悲しい曲を歌ってみてください」
澪とナビスが笑ってそう言えば、マルガリートもパディエーラも、きょとん、とした。
「悲しい曲……ですの?」
「そう。悲しい人に寄り添ってくれるのはきっと、悲しい曲だと思うから」
ね、と澪がナビスに微笑むと、ナビスは嬉しそうに、はい、と頷く。
「そうねえ……それだと、落ち込みっぱなしにならないかしら?」
「うーん、その場合は、悲しい曲からだんだん暖かい曲に変えていくっていうのも1つのやり方だと思う。或いは、私だったら、悲しい曲から段々、ヒロイック音楽に変えていく」
澪が説明を始めると、マルガリートもパディエーラも、澪の手元……楽譜を覗き込みつつ、澪の説明を聞いてくれる。
「えーとね、ヒロイック音楽、っていうのは、悲しいけれど勇ましいかんじの曲。悲しさと勇ましさって相性いいじゃん?ついでに、戦士崩れの人達の共感は呼べると思うんだよね」
イカしていたらクールだが、冷たくてもクールなのだ。格好いい曲と悲しい曲は紙一重。悲しい曲から格好よく勇ましい曲へと徐々にシフトさせていけば、1人孤独に悲しみを味わった後、自然と心を奮い立たせてくれる構成になるはずである。
「成程ねえ……確かに、女性が1人で軍歌を歌うようなことがあれば、勇ましくはあっても同時に悲しくて、そして美しいでしょうね」
「落ち込むよりも、奮い立てるかもしれませんわ」
悲しみから勇敢さへと、シームレスに人の心を動かすことができるのも、音楽ならではの力だろう。こればかりは、言葉ではどうしようもない。音楽の、音楽だけの特権なのだ。
「……ってことで、問題は会場かー……」
さて。
色々なアイデアが出たところで、澪はいよいよ、悩む。
「会場については、もう少し悩むこともできるんじゃなくって?会場が決まっていなくとも、企画の準備は進められますわ」
「いや、確かにある程度はそうなんだけど……食べ物も音楽も、会場に結構左右されちゃうでしょ?」
そう。会場の問題は、大きい。
会場がレギナの大礼拝堂……音楽ホールのような場所であるか、はたまた屋外の、何も無い野原になるかでは大分事情が違う。
「屋外だと寒いし、音が響かない。ただ歌っても聞こえにくいし……複数の聖女が別の舞台で同時にやってたら、もっと大変な気がする」
「成程……」
「た、確かにそうねえ。同時に礼拝を行うとなると、そういうところが大変なのね……?」
「元々、礼拝式が大規模になればなるほど、このあたりの問題は出てきてたんだよなあー……」
澪は悩む。元々、ポルタナでの礼拝式で、既にこのあたりのことについては悩んでいた。
ポルタナ礼拝式は、その実がほとんど、屋外礼拝式だ。ただ、規模が大きくなったとはいえまだ500人を下回る程度の人数しか集まっていないがために、まだ、マイクもアンプも無しになんとかやれている、というだけである。
ナビスの武器は、何よりもまず、歌だ。だから、歌が聞こえない礼拝式にするわけにはいかない。
聖女ナビスをプロデュースしていく上でも、今回のお祭りでも、音響装置は必要不可欠なのだ。その点、レギナの大聖堂は音が良く響く、良い場所なのだが……。
「……でも、私はできれば、開拓地で開催すべきだと思いますのよ。『大聖堂』というものに反感を抱く者も、きっと居るでしょう?」
マルガリートの言う通りである。今回のお祭りが、『世界の終焉を望む者』達の救済のために行われるのであれば、その会場はきっと、大聖堂ではない方がいい。
権威を笠に着るのではなく、あくまでも、さりげなく。彼らにも、参加しやすいように。……そう考えると、やはり、大聖堂ではなく開拓地での開催を目指したいのだが……。
「……ミオ様。そのような時に丁度いい道具に、何かお心当たりがおありではないですか?」
澪が悩んでいると、隣から、そっと澪の袖をくいくい引っ張りつつ、ナビスがそう、問いかけてくる。その目は澪の心の底まで見通すようで、澪は、『やっぱりいナビスはすごいなあ』と思う。
「うん……えーとね、無いわけじゃ、ないんだよね」
そう。澪は、『音量を上げる道具』を知っている。マイクやアンプといったものは、澪達にとってごく当たり前の道具だった。
だが。
「でも、仕組みが正直なところ、分からない。だから再現できない、っていうか……」
残念ながら、澪は流石に、マイクやアンプの仕組みまでは知らない。アレがどのようにして音を増幅させているのかなど、まるで想像がつかないのだ。
大方、音の波を受け取って電気信号に置き換えて、それを増幅して再出力する、といった流れなのだろうが、具体的なところは何も分からないままである。
「それは、いったいどのような道具でしょうか?」
「えーとね、なんかこう、棒の先にそういう装置が付いてるかんじで……そこに向かって歌ったり話したりすると、その音……っていうか、音の力?っていうか、そういうのが増幅されて、大きな音になって、別に用意しておいた箱から出てくる、みたいな……」
自分の説明の拙さに何とも言えない気分になりつつ、澪がそう、身振り手振り交じりに説明すると……。
「棒の先に向かって話しかけると、声の力が、大きくなる……?」
ナビスは、きょとん、としながら、そっと、杖を取り出した。
そして。
「『こういうことでしょうか?』」
わん、と大きく増幅した声を、放ったのである。
……確かに、聖銀の杖は、力を増幅させる効果があるのだった。
だがまさか、それがマイクとして機能するとは、思わなかった!