聖女フェス*2
「一応、ポルタナで似たようなこと、やったことはあってさ。というより、あの時はポルタナのお祭りに礼拝式を乗っけたかんじだったんだけど……」
「月鯨の狩猟祭の時でしたね。確かにあの時は、鯨肉を振る舞う会が主でした」
澪とナビスは、早速、コンセプトを説明していく。
「村が丸ごと一つ、お祭りになってるの。あちこちで鯨肉とか切り干しマンドレイクとかドラゴン肉とか使った食べ物を売っているし、皆、楽しんでる。……あんなかんじに、礼拝式だけじゃなくてその周りまで全部ひっくるめたお祭りができたらいいなー、って」
祭の雰囲気というものは、容易に人を呑み込んでしまう。若干のホラーテイストを徹底した聖女モルテの礼拝式のように、ああしたコンセプトをがっつりと表現していくのもアリだが、それよりももっとローコストで簡単で、それでいて人を呑めるのは、間違いなく、お祭りだ。
「食べ物、というのはいいわよねえ。祈らずとも生きていける人も、食べなければ生きていけないわけだし」
「そうそう。やっぱ食べ物は大事だよ。その点、聖女モルテの礼拝式は、雰囲気にこだわったせいで食べ物はちょっと寂しいかんじだったからね……そこは私達に利があるよね!」
聖女モルテの礼拝式は、あれはあれで徹底した雰囲気作りが素晴らしかったが、ああしたテイストにしてしまうと、結局、食べ物は質素になってしまう。……逆に言うと、あれだけ質素な聖餐でも文句が出ないような雰囲気が作れていた、ということなのだが……やはり、人間はまずい食べ物よりおいしい食べ物に弱いのだ。
「あっ。そうだ。折角だし、コラボメニューとかあってもいいのかもね。聖女マルガリートにちなんで作った飲み物です、みたいな……」
まだまだアイデアは尽きない。折角食べ物を用意するなら、イベントらしく『コラボメニュー』もアリだろう。
「わ、私にちなんだ飲み物……?それ、どんなですの……?」
「あらぁ、私の場合は、ジャルディンの果物を使った飲み物になるかしらぁ。ふふ、ちょっと楽しいわねえ」
「流石パディ。適応が早い」
パディエーラの適応力にびっくりしつつ、澪は、まあ十分いける!と踏んだ。おそらく、異世界人である澪だけでアイデアを出さずともなんとかなる。適応力の高いパディエーラも、負けず嫌いのマルガリートも居る。そして何より、澪のアイデアを吸収しつつ独自の意見を生み出してくれるナビスも居るのだから!
「こらぼめにゅー、とやらには、特典を付けてもいいですね。ごく小さな……それこそ、免罪符のようなものでもよいでしょうし、価格によっては、手ぬぐいなどを付けてもいいかもしれません」
「ああ、ナビスが心強い……!」
早速、購入特典の話を始めているナビスを見ていると、澪は『つくづくナビスって私ナイズドされたよなあ』と妙な満足感を得てしまう。ちょっといけない気分かもしれない。
「ふふふ。会場もジャルディンの豊穣祭みたいに、果物の輪切りを干した飾りで綺麗にしてみたら私らしいかしら?」
「あー、いっそのこと、聖女ごとに場所を区切って、『ここはマルちゃんの会場』『こっちはパディの会場』みたいに作ってみてもいいかも」
アイデアが膨らんでいき、次第に某ねずみの夢の国のようなイメージになっていく。あそこまで大規模なものは難しいだろうが、レギナエリア、ポルタナエリア、ジャルディンエリア、とエリアごとに分けて飾りつけなどを行ってみるのも悪くはない。
「区域ごとに分ける、となると、私達の礼拝式はそれぞれの場所で個別に行うことになるのかしら?……もしかして、同時に並列して礼拝式が行われることになりますの?」
「それもアリだねえ。観客は、それぞれ自分達で計画立てて、行きたい礼拝式をハシゴしていく、ってかんじで……」
「うわあ、随分と新しい形になるわねえ……」
今までの合同礼拝式と言えば、あくまでも、ステージは1つだった。
しかし、エリアを分けて並列して礼拝式を進めていくことも、十分に可能なのだ。
そうすれば、観客側は観客側のペースで礼拝式を楽しむことができる。聖女側も、他の聖女との兼ね合いをあまり気にせずステージに臨める。
並列礼拝式は、集客力の差が目に見えて生じてしまう点だけは懸念点だ。しかし、『こっちは混んでいるから、空いているそっちに行ってみよう』というように集客できる可能性があるので、集客力の低い聖女もエリアを設けるメリットがあるのだ。
……と、そうして諸々、アイデアが出たところで。
「まあ、全体的にお祭りにしていくとね、1つ、問題があって……」
澪は、1つ、懸念を伝えておくことにした。
「陰キャの居心地が、悪い」
「いんきゃ……?」
そう。
お祭りは楽しく、雰囲気に人々を巻き込む力も強いが……お祭り騒ぎとは決定的に相性の悪い人達を、取りこぼすことになるのである!
「陰キャ、っていうのは、まあ……えーと、引っ込み思案、というか……いや、皆で集まって騒ぐのがどっちかって言うと嫌いな人達。一人でいる方が気楽でいいなー、とか、騒ぐ元気は無いなー、とか」
「な、成程……?」
澪の知る限り、陰キャも、盛り上がれないわけではない。楽しい場所に居れば楽しいと思える陰キャも居る。澪の友達が数人、そのタイプだ。
だが、彼らはダンゴムシのような生き物なのだ。暗くてじめじめして狭い場所が好きだし、無理矢理日の光の当たるところに連れていかれてしまうと、とりあえず丸まってしまう。彼らには落ち着いてもぞもぞできるスペースが必要なのだ。
「……そうだな。聖女モルテの礼拝式に参加している人々は、どちらかと言えばそのような部類に見えた」
勇者エブルもそう言って頷き始めたところで、マルガリートが『そうなんですの?』と首を傾げ、一方、ナビスは『分かります、分かります』と頷く。
「聖女モルテの信者をある程度横取りしたいと考えるなら、聖女モルテの信者層にも魅力的に見える催しにする必要がある」
「そうですね。騒ぎたいのではなく、静かに祈りたい人々の為の場所も必要でしょう。そしてそれを否定せず、肯定できるような心配りが必要です」
絶望に浸っていたい人々を無理矢理に光の下へと引きずり出すのは得策ではない。悲しみや苦しみに寄り添えるのは、同種の悲しみや苦しみなのだ。そういう意味では、聖女モルテの礼拝式は、確かに、信者達の救いであっただろう。聖女モルテの教義の善悪正誤に好き嫌いはともかく、彼女の教義によって救われる人が居ることは、否定できない。
……そして、そうした人々を、明るくにぎやかなだけのお祭りでは、救うことができない。
「できるなら、そういう人達も取りこぼしたくないよね」
だから澪は、考える。お茶のカップから立ち上る湯気を見つめながら、どうしたら、世界に絶望しきっている人達を救うことができるだろうか、と考える。
世界の終焉を望むほどの人々だ。何もかもがどうでもよくなってしまっているような彼らに、どうしたら、希望を与えることができるだろうか。……そもそも、そんな彼らに希望を『与える』など、傲慢だろうか。
「……彼らには、大切なものが無いのでしょうか」
澪が考えていると、ふと、ナビスがそんなことを言う。
「私は、世界の終焉など望めません。この世界が好きだから。この世界には、私の好きな人達が、沢山居るから」
ナビスは寂し気に、お茶のカップに視線を落としたまま、ぽつり、と言った。
「彼らには、そうした人達が、居ないのでしょうか」
ある種、聖女モルテの言っていたことは、正しいのである。『持てる者は失うことを恐れるでしょう。しかし、持たざる我々は、失うことなど怖くない。』彼女はそう言っていたが、確かにその通りだ。ナビスが言っているのは、そういうことなのだ。
それが富であったり名声であったり、はたまた家族や友人、恋人などであったり、あるいは趣味や生きがい、『推し』であったりは様々だろうが……何か、大切なものがあるならば、当然、大切なものがある世界をも大切に思える。
何か、好きなものがある人は、世界の終焉など望まない。
だから解決方法は、簡単なのだ。
彼らが、持たざるが故に世界に絶望しているというのならば、彼らに何かを好きになってもらえばいい。
「……ナビスが、彼らの『好きなもの』になれたら、いいよねえ」
そう。そして聖女というものは……実に、その目的にぴったりの存在なのだ。
「わ、私が、ですか?」
「うん。そう。ナビスを応援したくて理性を取り戻したホネホネボーンズだって居ることだし。……そう。別に、ナビスに限る話じゃないよ。ナビスやマルちゃんやパディや、それこそエブル君でもランセアさんでも私でも、誰でもなんでもいいから好きになってくれたなら、いいんだと思うんだ」
聖女が可愛く美しく、パフォーマンスに凝っていく理由の1つは、その方が信仰を集めやすいからだろう。
だが、その底を深く深く掘り下げて考えていけば……きっと、『人に好きになってもらうため』なのだ。
何かを好きになることで救われる誰かを救うため。そのために、聖女達が居る。澪には、そんなように思える。
「でも、何もかも厭になった人って、何かを好きになることすらもう、難しいのかもしれないな、って」
……同時に、それだけでは駄目なのだということもまた、知っている。
「難しいなあ」
何かを好きでいるだけではどうにもならない問題もある。どんなに好きでも、救われないことだってある。
そうでなくとも、何かを好きでいることには莫大なエネルギーを使うのだ。元気がなければ、推し活はできない。
『理不尽な世界を終わらせ、持てる者達にも、我らと同じ、絶望を。』そう聖女モルテは言っていたが……そう思えるほどに何も持っていなくて、何かを持つ気力すらも無い人達が、あの場には集まっていた。
何かを好きになることを諦めた人達に、ナビスを好きになってもらうにはどうすればいいか。
どうすれば、彼らは再び、世界の輪の中へ戻ってくる気になるのか。
「悲しくて苦しくて、どうしようもない人達を元気にするには、どうすればいいんだろうね」
「……生憎、私は『持てる者』ですから参考にならないかもしれませんけど」
ふと、躊躇いがちにマルガリートが話し始める。マルガリートは、ちら、とエブルを見て、それから如何にも取って付けたようなそっけなさで目を逸らし、カップを傾けてから、言う。
「私がお父様に叱られて落ち込んだ時は、屋敷の屋根裏に隠れてじっとしていましたわ。……幸いにして、どこかの誰かが持ち込んだらしいクッションがあって詩集がぽつんと置いてあったものですから、クッションに座って詩集を読んで、一人、過ごしていましたの」
マルガリートがそう話すと、エブルが、ちら、と顔を上げて、ふい、と気まずげに顔を背けた。……屋根裏に詩集を置いておいたのは、エブルであるらしい。
「案外、それで落ち着くものなのですわ」
「なるほどなー……確かに、そういう時には1人で居るの、悪くないかも」
「少なくとも、他者に引きずられて気分がより落ち込むことはありませんものね」
確かに、マルガリートの言うとおりである。聖女モルテの礼拝式は、言ってしまえば、落ち込んでいる人が集まって、互いに落ち込みムードを高め合うような……負の循環が起きていたのかもしれない。
「私は誰かが隣に居てくれるのが嬉しかったわあ」
それから、パディエーラがくすくす笑いながら話し始める。
「聖女修業が辛い時は小高い丘の上で座ってね、果樹園を見下ろしてたの。そうしたら、どこからともなくランセアがやってきて、私の横に座って、あんまり上手くない励ましの言葉を掛けてくれたものよ。それでその内それも尽きて、ただ黙って隣に座っていてくれるようになるの。ね?ランス?」
「そう言ってくれるなよ、パディ」
どうやら、パディエーラと勇者ランセアの付き合いはその頃から、ということらしい。
にこにこと嬉しそうに話すパディエーラに対して、苦い顔をしている勇者ランセアがなんとなく新鮮で、澪は興味深くそれを見守った。ナビスはなんとなくそわそわした様子で頬を紅潮させているので、やはり、パディエーラとランセアの関係について、少々興味があるようだ。
「誰かが自分のことを思いやってくれている、とか、誰かが傍に居てくれる、っていう感覚は、いいものよね。励ましの言葉よりも、隣に誰かが居てくれるっていうこと自体が励ましになったわ。……だから、私は今でも、誰かの隣に居てその人を励ませる聖女でありたいって思ってるの」
すばらしく魅力的な微笑みを浮かべたパディエーラは、そのまま優雅に茶のカップを傾け、空になったカップにポットから茶を注ぐ。『このお茶、ちょっと濃く出過ぎたわねえ』と彼女がぼやけば、勇者ランセアがそっと、ミルクのピッチャーをパディエーラの手元へ持っていった。
仲良きことは何とやら、である。
……そして。
「私は、幼い頃、よく眠れなくなっていて」
ナビスが、話し始める。ナビスの静かで穏やかな声は、まるで優しく打ち寄せる波のようで、ポルタナの景色をどこか、彷彿とさせた。
「悲しい気分になってしまった夜には、母上が寝かしつけてくれました。子守唄を歌ってくださって……それからずっと、なんとなく悲しい気分の時には、歌を歌っています」
……なんとなく、歌うナビスが想像できる。
きっとナビスは、星と月の光だけが降り注ぐポルタナの海を眺めながら、ぽつぽつ、と歌うのだ。
ナビスのことだから、夜のポルタナの人々を起こしてしまわないように、遠慮がちな声量で歌うだろう。それこそ、波の音や風の音に掻き消されてしまうくらいの。
小さく小さく絞った声は、少し掠れて物悲しい雰囲気になるかもしれない。海の音が混ざって、余計に寂しさを増すかもしれない。
……そして、そんなナビスが歌う歌は、きっと、ほんのりと悲しい曲調の歌だ。
澪にはそれが分かる。
悲しい曲を吹きたくなることが、今までに何度もあったから。
「……そうだよねえ」
澪は、自分のことを振り返って、しみじみ思う。
他者の絶望を完全に理解できるとするのは驕りだろうが、共感くらいはできるのだ。澪にだって、悲しいことも苦しいことも、あったのだから。
きっと、明るい歌ではなく悲しい歌が、悲しみに寄り添ってくれる。
励ましの言葉より、無言の同席が。
或いは、相手を思いやって1人きりになれる場所を用意しておく心配りが。
……だから、それらを提供できるお祭りを目指せばいい。
人々を導く勇者として、というよりは……悲しみを知る、1人の人間として。