理由*11
さて。握手会は進んでいき、列は次第に短くなっていく。
免罪符は1人10枚までの購入制限があったものの、既に完売しているらしい。それを嘆く者の声もところどころから聞こえてきている。
「……その内、免罪符の転売とか始まりそうだなー」
澪は、それらを見ながら『転売ヤーがはびこったらもっと阿鼻叫喚なかんじになるじゃんこれ』と冷静に考えていた。恐らく、聖女モルテにのめり込んだ者達は、倍の値段で転売されている免罪符があったとしても、購入するだろう。
「転売、か……確かに、このような状況で行えば、効果的だろうな……。11枚以上の免罪符を手に入れたい者や、購入が遅れて買えなかった者は転売に頼らざるを得ない。倍の値段を付けても売れるだろう」
澪の呟きに反応したのは、意外にもエブルだった。これに澪は、おや、と思う。
「あれ?エブル君、こういう話、割と好き?」
「いや、好き、というか……」
澪が問うと、エブルは、はた、と気づいたようになって……それから少々気まずげに、言う。
「言ったことがなかったか?我らがスカラ家は貴族だ。当然、この手の話はある程度、理解できる」
澪もナビスも、『ほわあ』と感嘆のため息を吐いた。そういえば、そうだった。マルちゃんは貴族なのだったか。
「いや、貴族、ってのは聞いてたけど。でもマルちゃん、あんまり実家のこととか話してくれてないしなー」
よくよく考えてみると、マルガリートは実家のことをあまり話していない。時々、パディエーラからは実家および故郷であるジャルディンの話を聞いているし、ナビスもポルタナの話をしているのだが……マルガリートからそうした話が出てきたことは、ほとんど無い。
「まあ、だろうな。姉上にとって、スカラ家が良い場所であったとは、私には思えない」
澪とナビスが『ほわあ』とやっていると、エブルは苦笑して、ふ、と、視線を別の方に向けた。
「……姉上には、人を動かす才能がある。貴族として人々の上に立てるお人だし、姉上ご自身も、帝王学の類がお好きなように見えた。……だが、女だからな。長兄が家を継ぐことになっている。それで、姉上は大聖堂に入って、聖女となる道を選んだ」
気まずげに発せられた言葉は、なんとも悲しい。
……澪もナビスも、そもそもマルガリートに兄が居るという話すら聞いたことがなかった。弟とお姉ちゃんの2人姉弟だとばかり思っていたのだが。
「そうだったんだ……」
マルガリートがそのあたりをまるきり話したことがない理由も、なんとなく、察せられてしまって澪は俯く。
生まれや性別など、自分ではどうにもできないもののせいでなりたいものになれないのは、悲しい。
……きっと、なりたいものになるための才能が欠落している時と同じように。
「……勇者ミオ、聖女ナビス。姉上を案じて頂き、感謝申し上げる」
「へ?」
ふと顔を上げると、エブルが幾分明るい顔で笑っていた。
「戻ったら、姉上に伝えておこう。勇者ミオと聖女ナビスは、確かにあなたの良き友人であるようだ、と」
きょとん、としつつ澪とナビスがエブルを見上げていると、エブルは気恥ずかし気にそっと視線を逸らしていく。それに合わせて、澪とナビスは顔を見合わせ……。
「……うん!よろしく!私もナビスも、マルちゃんの友達なんだからね!えへへ……」
「うふふ、是非、今後とも、マルちゃん様とお付き合いさせてくださいね」
それはそれはもう、にこにこ満面の笑みである。弟のエブルから、マルちゃんの友達としてのお墨付きを貰ったのだ。これが誇らしくないわけは、無いのである!
さて。3人で『マルちゃんって本当に良い人だよねえ』という話をしつつ待っていると、やがて、握手会の列がようやく消えた。
ここまで、中々に時間がかかっている訳だが、大丈夫だろうか。時計の類が無いのでよく分からないが、恐らく、もう夜も遅い時刻である。
……無論、その間、信者達は何もなく放り出されている訳ではなく、聖女モルテの付き人であるらしい少女達による歌や楽器演奏を聞いたり、聖餐……質素なパンとチーズと葡萄酒もしくは水、という軽食を取ったりしているが。だがそれにしても、大分待たされたことに変わりはない。
案の定と言うべきか、信者達の中にはイライラして、喧嘩腰になっているような者も居た。時折、騎士が仲裁に入っている様子が見られるが、戦士崩れの信者達は元々血の気が多い。いよいよ、騎士達にも止められなくなってきたか、と思われた、その時。
「お待たせしました。それでは、これより聖女モルテによる祈りを行います」
そう、朗々とした案内が聞こえてくる。
ざわめいていた会場は、瞬時に静まり返り、そして……階段の上、小さなテラスに現れた聖女モルテの姿に、一斉に会場が湧いた。
聖女モルテは、一度着替えてきたらしい。漆黒の薄絹を重ねたドレスのような衣装に、やはり、漆黒の薄絹でできたベール。大ぶりな宝石のアクセサリーを身に付けているが、それが嫌味に感じられず、只々神秘的に見える。
そんな姿で現れた聖女モルテは、ゆったりと進み出て、そして、優雅に一礼して見せた。そこへ信者達の歓声が、わっ、と覆い被さっていく。
……そして、まだ聖女モルテを信仰していない者達は、歓声を上げる代わりに只々、聖女モルテに見惚れたことであろう。それほどまでに、聖女モルテは、美しかった。
聖女モルテが、そっと掌を下に向けてみせる。『静粛に』の合図だ。それに従った信者達は、皆揃って、また静まり返った。
音が何も聞こえないほど静まり返った部屋の中、すう、と、聖女モルテが息を吸う音が微かに、しかし確かに、聞こえてくる。
そして。
「世界は終焉を迎えようとしています」
凛として、それでいて蕩けるように甘やかな声が、優しく、美しく、響く。
この世界の音というものが聖女モルテの声だけになってしまったかのように、彼女の声ははっきりと、部屋に響いた。
「人々には、絶望が蔓延しています。救いは無く、ただ、苦しみながら生きている人々が居るだけ……」
ゆったりとした言葉は、その終わりを悲しみに滲ませて空気に溶けていく。聖女モルテは紫水晶の瞳をそっと伏せて悲し気にすると、それからたっぷり一呼吸置いて、言葉を続けていく。
「一方で、苦しみから遠く離れて生きている人々も居ます。彼らは持たざる我々からあらゆるものを奪い、安全な場所でのうのうと生きています。それがまた、我らの絶望をより一層深くしている!」
今度は、声に怒りが滲んだ。その怒りは、間違いなく一部の信者達の共感を強く呼び起こしたことだろう。常に何かに苛立つ戦士崩れや、何もかも上手くいかない者達にとって、聖女モルテの言葉は正に自身の心の代弁であったに違いない。
「……しかし、終焉は皆に平等に訪れます」
だが、そこで聖女モルテの言葉はまた、静けさを取り戻した。
怒りを覆い隠すかのように、ただ、甘く、優しく。降り積もる灰のような言葉は、怒りの熾火をその下に確かに存在させながらも、心の表面を滑らかに、優しく整えていく。
「持てる者は失うことを恐れるでしょう。しかし、持たざる我々は、失うことなど怖くない。共に消えゆくのなら、終焉すら、我らにとっては救いとなるのです」
微かに滲んだものは、誇りだろうか。或いは、優越感か。
聖女モルテの声に共鳴する信者達の心が、動く。持たざることを誇り……そして、世界の終焉を、喜んで迎えるように。
「祈りましょう、世界の終焉を。理不尽な世界を終わらせ、持てる者達にも、我らと同じ、絶望を。さあ、皆様……共に、祈りを」
聖女モルテが両腕を広げてそう囁くように言えば、蝋燭の火が一瞬、強く聖女モルテを照らす。彼女が身に付けた宝石が蝋燭の光にちらりと輝き、その白い肌がより一層眩しく明るく見えて……。
途端、ふっ、と、光が消えていく。
丁度、蝋燭が燃え尽きる時間が来たのだろう。計算されつくした演出に、澪は『おお』と思う。
「祈りを」
暗闇の中、聖女モルテの声だけが聞こえ、そして再び、静寂が訪れた。
暗闇と静寂は、信者達に自身の心を省みさせるには最高の演出だっただろう。何も見えず、何も聞こえない室内では、人々はただ、自身の心と向き合うしかない。
そして、人々が自身の心と向き合った時……そこにあるのは、先程の聖女モルテの言葉。
『世界の終焉が救いとなる』。人々は、そこへ救いを求めて縋るのだ。
祈りの時間は、唐突に終わる。
ふっ、と、聖女モルテの手の中に火が生まれて、それが、蝋燭に灯される。
聖女モルテだけが蝋燭の火に照らされるので、人々の目は自然と、聖女モルテだけを見るようになる。
「……絶望の中でも、私の心は皆様と共に在ります」
そんな中で、聖女モルテはやはり、甘く優しく、そしてどこか悲し気に語り掛けてきた。
「どうか、共に参りましょう。共に、絶望の闇の中を、歩んで参りましょう。笑って、世界の終焉を迎えましょう。私達には、それが……それだけが、許されている」
1つしかない蝋燭の光に照らされる信者達の顔には、ただ、渇望があった。
それは、『世界の終焉』への渇望。絶望も苦しみも妬みも、全てのマイナスをゼロにするための、希望。
「だから、どうか、共に。世界の終焉を……」
信者達は聖女モルテと共に、世界の終焉を、祈っていた。
そうして礼拝式が終わった。聖女モルテがそっと退場していってすぐ、ドアが開いて、火のついた蝋燭を持った案内の少女達が入ってくる。彼女らが部屋の壁際を進んでいって、ぐるりと部屋を取り囲めば、部屋は動ける程度に明るくなった。
退場を促されて、信者達は半ば夢見心地のままに進んでいく。澪達も、黙ったままそれに従い、来た時と同じように森の中を進み、そして、そっと馬車に乗り込んで会場を後にする。
馬車は行きよりも帰りの方が早く到着したような気がした。日付を回ってからの深夜であるから、人目がない分速く進めたのかもしれない。
そうして信者達は、レギナの西門でまた降ろされて、そして各々、夢見心地のようにふらふらと、解散していく。
ひとまず、澪達もぶらぶらと歩いて、大通りの方へと向かいながら、小声で話す。
「……今から大聖堂行くと、まずいかな」
「まずいだろうな。流石にこの時刻に部外者を入れることは許されないだろう。私1人戻る分には構わないだろうが……」
「えーと、じゃあ、とりあえず今日の感想だけまとめて解散しとこっか。それで、明日のお昼過ぎ、マルちゃんとパディに報告、ってことで」
澪達もこのまま解散してしまってもよいのだろうが、それはなんとなく、躊躇われた。……このまま解散しては、なんとなく、聖女モルテが生み出した雰囲気に呑まれてしまいそうだったから。
「私、やっぱりアレはほっといちゃダメだと思ったわ」
なので、澪はそう、さっさと言ってしまうことにしたのである。
「宗教なわけだから、信仰は自由で、何思ったって別にいいっちゃいいんだろうけどさ……あれは、駄目だよ」
澪はそう言いつつ、未だに、あれが『邪教』なのか、判断しあぐねている。
何をもってして、正義なのか。何が悪で、何が許されるべきものなのか。……そんな基準は、澪の主観でしかない。
万人にとっての正解など、宗教には無い。だから、あれを『邪教』とするのはある種の傲慢で、澪の判断こそが誤りであるかもしれなくて……それでも澪は、そう、判断した。
「そうだな。あれは危険だ」
そして同じく、勇者エブルもまた、頷いてくれた。
「……理解できなくもない。理屈は、分かる。だが……この世界を愛する者として。そして、この世界で懸命に生きている皆を愛している者として、やはり、世界の終焉を望むことを、肯定することはできない」
「うん。私もそう思う」
澪は嬉しくなって頷く。
そうだ。澪は、この世界が好きだ。……澪はこの世界の人間ではないが、それでも、まだやってきて半年程度のこの世界を、愛している。
そして何より、この世界で懸命に生きている人達を、愛している。ポルタナの村民達も、メルカッタの戦士達も。ブラウニーやスケルトンも、レギナの聖女や勇者達も。コニナ村の人達も、開拓地の人達も……何より、ナビスを。
傍で見て、応援したいと思う。彼らが希望を抱いて生きていく様子を、好ましいと思う。
だから澪は、やはり、世界の終焉など受け入れられないのだ。
「今日、やはり、この礼拝式に来て良かったです。私が、聖女として目指すものを改めて見つめることができました」
そしてナビスも、そう、静かに言う。
「私は、人々をより善い方へ導く聖女でありたい。悪戯に人の心を惑わすことはしたくない。そして……人々が作り上げてきたものを、この世界を、守りたい。終わりになんて、させたくない」
「……だよねえ」
ナビスも同じことを思ってくれている。それを澪は、心底嬉しく思いながら……きゅ、とナビスの手を握った。
「つまりだよ、ナビス」
澪は、覚悟を決めなければならない。そして澪以上に、きっと、ナビスが。
「いよいよ、私達がアイドル界のトップを獲らなきゃいけない理由が、できちゃったってことだよ」
「……ええ」
「『悪の』アイドルに負ける訳には、いかないんだから」
それは、これから先、もっともっと表舞台に出ていって……世界を覆すかもしれない問題へ身を投じていくという覚悟。
そして、自分とは相反する思想を持つ人間を『悪』と断ずる覚悟であり……さらに言ってしまえば、自分とは異なる思想を持つ人間を、傲慢にも、救いたいと願う覚悟である。
「世界、だなんて、随分と大それたことになってしまいましたが……しかし、そうせねば、とも、思います」
ナビスは、凛として微笑んだ。
聖女モルテの微笑みとはまるで異なる笑みだ。強い意思と他者への寛容を併せ持つ微笑み。街灯に照らされるナビスの顔の中、勿忘草色の瞳が、どこまでも優しく、どこまでも、強い。
「私、世界一の聖女となって、悪を祓います。世界を終わらせなど、させたくありません。……ミオ様。共に来てくださいますか?」
「そりゃ、勿論!」
ナビスに心の底から笑いかけて、澪は、きゅ、と繋いだ手を握り直す。
ナビスもまた、きゅ、と澪の手を握って、笑ってくれた。
……だから、大丈夫だと思えるのだ。
澪とナビスは、最強なのだ。絶対に、負けなどしない。
「よし。じゃ、これにて解散!……あ、エブル君。やっぱもう1個」
「何かあったか」
さて。澪とナビスの宿の前で一行は解散することになったわけだが……そこで澪は、にや、と笑って、エブルに1つ、注文しておくことにした。
「このご近所で、いいかんじに魔物が居るダンジョン、教えて?布教しに行くから」