理由*10
ということで、澪とナビスは免罪符を1枚ずつ、エブルは3枚、購入した。
合わせて銀貨10枚……繰り上がって金貨1枚の出費なのだが、これは、平均的な戦士の収入の5分の1だ。澪が見渡す限り、会場には戦士崩れのような者も居るが、彼らもまた、免罪符を3枚5枚と買っていく。中には10枚もの免罪符を購入している者も居て、澪は心配になってくる。
彼らの生活は大丈夫なのだろうか。どう考えても、金貨1枚の出費は彼らにとって痛いはずだが……。
「……礼拝式、というには、少々異様な雰囲気ですね」
「ね。まあ、アイドルの握手会、だからかな……」
澪とナビスは2人でくっつきあって並びながら、2人の前に並んでいるエブルが緊張している様子を見つめる。
ここから先、エブルとは他人のフリをしておいた方がいい。所詮は小細工だが、やらないよりはいいだろう。
……そうして列が次第に進んでいき、澪達は階段に差し掛かるようになる。どうやら、この階段の上に握手会の会場があるらしい。
皆で緊張しながら階段を1段ずつ上り、緊張しながら進み……そうしていく内に、階段を上りきった先が見えてくる。
そこには、小さなテントがあった。円形のテントで、澪は『占い師のテントっぽいなー』と思う。テントの布は漆黒や紫。金銀の刺繍が控えめに施されており、テントの周りには蝋燭の火が揺れている。
「テントに入ったら、香炉に免罪符をくべてください。そして、聖女モルテと共に祈るのです」
階段の途中では、案内の少女がそう、説明している。『手に免罪符を持った状態で並ぶように』とも言われたので、澪もナビスも、免罪符をポケットから出しておいた。
「では、次の方」
テントから人が1人出てきたところで、いよいよエブルの番がくる。澪とナビスは緊張しながら、エブルがテントに入っていくのを見送って……それから、1分程度で、エブルがそっと、テントから出てきた。
テントを出たエブルはこちらにちらりと目配せしてから、『順路はこちらです』という案内に従って、向かいの階段を下りていく。
「次の方、どうぞ」
続いて、ナビスが呼ばれてテントへ入る。今度は、30秒ほどでテントから出てきた。……やはり、免罪符の枚数が握手の時間なのだろう。
「次の方」
「はーい」
そしてナビスがエブルの方へ向かっていったのを見送って、澪はそっと、テントの中へ入っていった。
テントの入り口には、騎士然とした男が2人、立っていた。それに少々緊張させられながらも、澪はそれ以上に、正面に目を向けてしまう。
テントの中には甘い香りが仄かに漂っていて、蝋燭の火が揺れる度に影が揺れて……そして。
「免罪符をこちらに」
そこには、黒髪の美女が座っていた。
胸のあたりで切り揃えられた黒髪が、さら、と揺れる。そして、蝋燭の光を受けて煌めく紫水晶の如き瞳が、じっと、澪を見つめている。
白い肌は滑らかで、傷1つ無い。多少の幼さを感じさせつつもどこか妖艶にも見えるかんばせの中、控えめに紅を乗せた唇が、笑みの弧を描く。
……一目見ただけで虜にされそうな美女。これが、聖女モルテである。
澪は、示された通り、香炉の中に免罪符を入れる。
免罪符には香伝いにじわりと火がついていく。紙の端が赤熱し、そのすぐ内側が黒く焦げていき、徐々に舐めるように、火は免罪符を飲み込んでいく。
「ようこそ。あなたの絶望を、私は知っています」
免罪符に目をやっていた澪は、聖女モルテの声にはっとして顔を上げる。
「さあ……手を」
優しく細められた目に促されるようにして、澪はそっと手を出す。すると、聖女モルテの柔らかな手が、そっと、澪の手を包み込んだ。
「悲しみの果てに、きっと、救われますように」
そして祈りの言葉らしい文句が続いて、そして、そっと、聖女モルテの手が、離れていく。その間、聖女モルテの目は、名残惜し気に澪の手を見つめていた。
「免罪符が燃え尽きました。時間です。退出を」
騎士然とした男がそう促し、澪はテントを出るべく、踵を返して……。
「あの、待って」
そこで、席を立った聖女モルテに、呼び止められた。
振り返れば、少し不安げな顔で、それでも優しく笑う聖女モルテの姿がある。
「……どうか、また来てくださいね。同じ年頃の女の子が居てくれると、なんだか嬉しいから」
そして、澪は聖女モルテに見送られつつ、騎士2人にそっと背を押されて、テントを出ることになったのだった。
階段を下りきると、少し離れたところにナビスとエブルが待っていてくれた。
「やー、お待たせお待たせ」
「お帰りなさいませ、ミオ様。……いかがでしたか?」
「うん……予想以上にすごかった。噂通り。ホントに美女だねえ……」
「ええ、本当に……」
澪とナビスは『その通り』と頷き合う。……同時に澪は、ナビスを見て『まあうちのナビスも負けてませんけど?』と誰にともなく胸を張ったが。
「それにしても……驚きました。悪の所業を行っているというのならどのような方だろう、と思っていましたが……あのような、明るく優しいお方とは」
「あー、ナビスの方はそんなかんじだった?」
「え?」
ナビスの言葉を聞いて、澪は確信した。やはりこれは、3人同時に入らなくてよかった。
「とりあえず、エブル君の報告を聞こう。どうだった?恋しちゃった?」
「馬鹿言え。私は勇者だぞ」
……さて。今回、エブルを1人で先に行かせたのは、これが理由だ。
恐らく、聖女モルテは人によって対応を変えている。どのように振る舞えば相手にとって一番魅力的に映るか、計算してやっているのだろう。
「ま、どんなやり取りがあって、どんな行動をとられたか。事実だけ、さらっと説明ヨロシク」
あまり主観を入れて話させると、エブルが聖女モルテに本当にガチ恋しかねない。ということで、事実のみを話してくれるよう言ってみると、エブルも大凡、澪の意図するところは分かってくれたのだろう。一つ頷いて、話し始めてくれた。
「まず、テントに入ってすぐ、俺を見て驚いたような顔をしていた。それから、免罪符を香炉に入れるよう指示してきた。俺が躊躇うふりをしながら従うと、その間ずっと、聖女モルテは俺を見つめていた」
「ほー……」
やはり、出だしからして澪の時と違う。これはやはり、狙ってやっているのだろうと思われる。
「免罪符を香炉に入れ終わると、聖女モルテが手を出すように指示してきたので従った。そこで手を握られて、祈りの言葉を……確か、『あなたがどんな絶望に包まれても、私だけは必ずあなたと共に在ると誓いましょう。世界が終焉を迎えるその時も、あなたの祈りある限り、ずっと』というような」
「わあ……すごい、ですね……」
「そういうこと言っちゃうのかー……やっぱなあ……」
エブルも聖女モルテの祈りの言葉を思い出しつつ、なんとなく気まずくなってきたらしい。だが、それを澪とナビスが『きゃーきゃー』とやりながら聞いているので、気が紛れて丁度いいようでもあった。
「まあ、そういうことだ。その後は、黙ったまましばらく俺の手を握っていた。テントの中には2人、勇者……か門番か分からない騎士が2人居たが、彼らが終了を告げてようやく聖女モルテは気づいたような素振りをして、それでもまだ少しの間、俺の手を離さなかった」
「で、去り際に呼び止められた?」
「よく分かったな。去り際に『どうかまた来てください。私もあなたと同じ闇の中に居るのです。私を1人にしないで』と言われた。そこでもう一度騎士に退出を促されて、俺は退出した。以上だ」
エブルの説明がひとまず終了したところで、澪とナビスはぱちぱちと小さく拍手する。
……そして。
「えーと、念のため。ナビスの方って、どんなかんじだった?」
「入室して、免罪符を炉にくべて、それから手を握られて……『世界が滅びても大丈夫。私達は救われる』というようなことを、明るく優しく……ええと、少し、ミオ様のようだったかもしれません」
「的確に人の好みを見抜いてくるなあ……多分、ナビスが大人しい子だっていうのがなんとなく分かって、それでそういうグイグイ引っ張ってく系になったんだろうなー」
ナビスの方も確認してみたが、間違いない。間違いなく、人によってある程度は態度を変えつつ、好意を抱かれるように振る舞っている。
「で、エブル君の方は、ちょっとおどおどしながら入っていってくれたなら、多分、意図としては『普段頼られない人が頼られたらやる気出してくれる』のを利用しようとしている」
「成程な」
ふむ、と澪は納得して……そして。
「やっぱガチ恋営業かけてんじゃーん!」
澪は、うわー!という気持ちで天井を仰ぐのだった。
「あの、ミオ様。がちこいえいぎょー、とは、なんでしょうか?」
さて。ここでナビスから疑問の声が上がったので、澪は早速説明していくことになる。
「えーとね、ガチ恋営業、っていうのは……ファンとアイドル、信者と聖女、っていう関係を築こうとするんじゃなくて……本当に恋愛対象として惚れてもらうことによって信仰を得よう、っていう、そういう商売方法です」
ガチ恋営業、というと、澪の世界では時々耳にすることではあった。
一部地下アイドルだとか。一部Vtuberだとか。まあ、概ね、『ガチ恋営業』を耳にするときは、そのトラブルと共に耳に入ってくるわけだが……。
「相手に、聖女としてではなく、人間として……?えーと、まあ、恋人として、好きになってもらうかんじ。だから相手はのめり込みやすくてお金をたくさん落としてくれるし、ずっと執着してくれるからそれが長く続く。ただ、当然だけど、色々と危険があってね」
「だろうな」
エブルは何か思い当たることがあるのか、遠い目をしつつ頷いた。
「当然だけど、自分の恋人が他の人の恋人で居ることを喜ぶ人はあんまりいない。けれどガチ恋営業って、まあ、言ってしまえば錯覚とはいえ、多くの人に『自分の恋人』として錯覚してもらおう、っていうことだから……信者同士での争いとか、勃発するわけだよね」
澪の説明に、ナビスも『うわあ……』というような顔をする。それもまた可愛いが。
「それに何より、応援の気持ちとかじゃなくて、恋愛感情で執着してもらうわけだから。嫉妬とか独占欲とかに信者が走っちゃったら、聖女も危険っていうか……ふつーに男女の痴情の縺れみたいなのが、各所で勃発することになる。あと、うっかりマジで恋愛報道とかされちゃうと、ほんと、刺される……」
「……怖いな」
「怖い、ですね……」
「そーなんだよ。怖いんだよ、ガチ恋営業」
ひとまず、ガチ恋営業がどれほどリスクの高い商売方法かは、理解してもらえた。ナビスもエブルも、『男女の痴情の縺れが各所で勃発』だの『恋愛報道されたら刺されかねない』だのといったところにきちんと恐怖を感じられるタイプの真面目な人で、よかった。
「……で、何より、まあ……効率的な策ではあるけど、良心的ではない、というかさ……」
そして何より、澪は『ガチ恋営業』のここが、気になっている。
「信者も聖女も、『こういう芸風』みたいなかんじに割り切れるんなら、いいよ。でも、本当の本当に、恋しちゃう信者が居るわけだし、それは勝手に恋しちゃう信者が悪いとも言えるけど、でも、それを聖女側で少なからず狙ってやってるんなら、さ……まあ、誠実じゃ、ない、と、思う……」
そう。誠実ではない。そう、澪は思う。
色々な考え方があることは分かっているし、それらを否定するつもりは無い。
だが、澪は、絶対にこの方法を選ばない。それは、澪にとって『ガチ恋営業』が誠実ではないと、そう思えるからだ。
「……そうですね。私も、そう思いますよ、ミオ様」
そしてナビスも、澪に同意してくれた。澪はそれを嬉しく思いつつ、ナビスに手を握られて、おや、と思う。
……聖女モルテに握られた時も、柔らかな手は触り心地がよかったが……やはり、ナビスの手は、落ち着く。
こちらを案じて、こちらを慮って、そっと寄り添ってくれる手だ。
そして、ナビスから向けられる眼差しは、こちらの心に潜り込んで来ようとするわけでもなく、もっとずっと遠慮がちで、それでいて、誰に対しても変わることのない芯が一本、確かに通っている。
正に、聖女だ。
「……私、ナビスの勇者でよかったなあ」
「え?」
ぽそ、と澪が呟くと、聞き取れなかったらしいナビスが首を傾げて聞き返してくる。……だが、澪は言わないでおくことにした。
「いや、今はあんまり言うの、やめとくね。ナビスが光っちゃうから」
そう。ここは敵地。相手の手の内だって、まだまだ、全て見切ったわけではない。ここから先も、油断はできないのだ。
「あ、あらっ!私だって、光らないようにすることはできるんですよ!」
「あ、そうなの?……じゃあ普段のは、気が抜けて漏れてるだけ……?」
……む!と気合の入ったナビスはこれまた可愛いのだが、それは言わないようにしつつ……普段、光っているナビスはどうやら澪の隣で気が抜けているらしい、ということが判明したので、澪は只々、笑顔になるのだった。
うちの聖女様、今日も最高に可愛い。……そう、強く思いつつ。