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理由*9

 澪は、馬車の幌の隙間から外の景色を眺めるふりをしつつ、鏡石の欠片をそっと、落としていく。ナビスも澪の隣にやってきて、幌の外を眺めながら『夕焼けが綺麗!』『どこに向かうんでしょう。楽しみですね』『やっと会えるね』などと会話してみせ、時折くすくす笑い合った。

 澪の様子は文句なしに、礼拝式に浮かれる年頃の少女のそれに見えただろうし、ナビスは若干緊張気味であったが、それも澪の隣にあっては、憧れの聖女に会うことに少々緊張している初心な少女のように見える。

 勇者エブルは1人、そんな2人を眺めつつ、努めて平常心でいようとしているようだったが、こちらはやはり、少々訳ありな感が否めない。

 ……とはいえ、エブルの様子を見咎める者は居なかった。

 ある者は、興奮気味に聖女モルテを讃える言葉を隣の者に語り続けており、ある者はじっと俯いて動かない。またある者は、真剣に祈りを捧げているようで、周りには目もくれない。

 要は、同じ馬車に乗り合わせている全員が、澪達のことなどまるで気にしていないのである!


 馬車はそう速くない速度で進んでいき、そして、1時間ほどで目的地へ到着した。

「到着しました。どうぞ、奥へお進みください」

 馬車の幌が捲られて、先程の案内の少女が顔を覗かせる。ずっと馬車の中で喋っていた男が真っ先に馬車を下りていき、それに続いて、数名、降りていく。澪達もそれに続いて、列の中程に紛れて進んでいくことにした。


 馬車を降りると、そこは森だった。レギナから少し離れた位置の森、ということは、開拓地からもそう遠くない位置だろう。

 そして、辺りはもうすっかり、暗い。……そんな夜の森の中、ぽつぽつと、灯りが設置してある。道案内も兼ねているらしいその灯りは、等間隔に並んで、森の奥へと続いているようだ。

「……蝋燭の火、なんだね」

「ええ……魔除けの類は無いようですね」

 並ぶ光は、蝋燭に灯された火によるものであるらしい。魔除けの光の類はどこにも見当たらなかった。

 風に揺らめく蝋燭の灯は、どこか頼りない。広く暗い森の中を照らすには、あまりにも不足である。……どこか、不安にさせられる道だ。より強い光、安心を求めて、人々は蝋燭を辿って進んでいく。惑うように進んでいく人々の影が、いくつも重なって揺らめいている様子が、どことなく現実離れして見えた。

 風の音くらいしか聞こえない夜の道を、澪達も黙って歩いた。澪はナビスの手を握り、ついでに、やはり不安げに見えたエブルの手も握って、進んでいく。

 夜の暗さと蝋燭の火、そして時折強く吹く風の音が不安を煽る中、3人は、進んで、進んで……。

「……わあ」

 ……そこにあったのは、立派な宮殿めいた建物であった。


 濃い灰色の石で造られた宮殿は、門を大きく開いて観客達を受け入れる。彼らも皆、この立派な宮殿に目を瞠り、感嘆のため息を吐いたり、祈りの言葉を囁いたりしている。

「こんな森の中に、こんな建物があるなんて……」

 ナビスもまた、気圧されたように建物の高い天井を見上げる。

 建物は概ね、円柱形をしていた。そして天井が高い。どうやら、この玄関ホールは1階の天井をぶち抜いてすべて吹き抜けになっている造りらしい。2階に向けては、壁面に沿って大きな曲線を描く二本の階段が両側から伸びている。そこに小さなテラスのようなものがあり、その奥は2階の廊下に繋がっているようだ。

 ……少なくとも、仮拵えには見えない。柱も壁も、石材の目が出ているシンプルなものだが、それでも十分、立派に見えた。

「すごいねえ、これ……え?これ、レギナでは有名な建物だったりする?」

「いや、私もこのような建造物の話は、聞いたことがなかったが……一体、いつの間に建設したのだろうな。少なくとも、半年前には何も無かったが……」

「えっこれ半年で建ったの!?」

 だが、勇者エブルの証言を聞く限り、どうも、この建物はごく最近できたものであるらしい。こんな建物が、果たして半年足らずで造れるものなのだろうか。

「神の力を行使すれば、可能でしょうが……」

 突貫建築に驚く澪とエブル以上に驚いているのは、ナビスだ。ナビスは少しばかり青ざめながら、呟く。

「……これを造り出すには、一体、どれだけの信仰が必要なのでしょう」

 ……そう。

 この宮殿が示すものは、ただ1つ。

 これを生み出した聖女の力が、強大であることなのだ。




 それから少しして、馬車に乗っていたであろう人々が全員玄関ホールに辿り着いた頃。

「それでは皆様。これより免罪符をご用意いたします。こちらの案内所にて、必要な枚数をお申し出ください」

 そんな案内が聞こえると同時、凄まじい勢いで人々が案内カウンターへ流れていった。

「うわうわうわ、勢いすごいなあ」

 これではまるで、人気アイドルの物販である。『免罪符』と言っていた以上、レギナでの物販のように、免罪符を売るという名目で寄付を募っているのだろうが……。

「ああ、ぶっぱんの案内があるな」

「並びながら見られるとやっぱ便利だよねえ」

 ひとまず3人は、さらっと列の半ばに並びつつ、物販の案内を見る。

 ……だが、その案内には、グッズは1種類しか書いていない。つまり、『免罪符:銀貨2枚』の案内があるだけなのだが……更に、詳しい説明がそこに書いてある。

『許されたい罪の分だけ、免罪符をお求めください。免罪符が燃え尽きるまでの間、聖女モルテがあなたの苦しみと向き合います』


 ……澪は、衝撃を受けていた。

「これは新しい企画だな……他で見たことがない」

「そうですね……ええと、免罪符を燃やす、のでしょうか……?」

 エブルもナビスも、首を傾げていたが……これが何か、澪には分かる。

「握手券……!」

 ……そう。これは、握手券。

 アイドル業界によくある、それでいて法律スレスレギリギリな商売方法である。




「握手券……?」

「説明しよう。握手券っていうのはね……」

 ……ということで、澪はひそひそと、ナビスとエブルに説明していく。

『握手券』とは、それを購入するとアイドル……つまり聖女と握手できる、というものである。

 澪の世界で言うと握手券が風営法に割とギリギリだったり、CD(経典みたいなもん、と説明したが)との抱き合わせが独占禁止法にギリギリだったり、色々とギリギリなのだが、まあ、ギリギリ故に絶大な人気を誇っている、と。概ねそんな具合の説明をしておいた。

「あ、握手に?握手に銀貨2枚もの価値が……?」

「想像してみ、エブル君。憧れの聖女様の、清らかなおててに自分の手を握ってもらえて、しかも、目を合わせて笑いかけてくれる、っていう……それがほんの3秒くらいのことだったとしても、まあ、概ね信者は満足しちゃうでしょ……」

 どうよどうよ、とエブルに投げかけてみると、エブルはじっと真剣に考えこんで……首を横に振った。

「理解できん」

「あ、そう……?」

 エブル君はどうやら大変に真面目であるらしい。考えて考えて『理解できん』とは。

「私は、少し分かります。もし、ミオ様のあくしゅけん、なるものがあったら、買ってしまいそうです……」

「そう?じゃあナビスの手、握っとくね。にぎにぎ」

 一方のナビスは何やら理解できたらしいので、澪はナビスと手を繋いでおいた。するとナビスは頬を赤らめてにこにこ嬉しそうにするものだから、只々可愛い。……澪の握手券はさておき、ナビスの握手券があったらこの可愛さで爆売れだろうなあー!と澪は思う。


「それで、この免罪符があくしゅけん、というものに似ているのは分かったが……だとすると、枚数を重ねる意味は何だ?」

 さて。

 一般的な握手券の話なら、単純で良いのだ。だが、この『免罪符』は、『許されたい罪の分だけお求めください』ときている。

 ならば、これが示すものは1つだろう。

「お金を詰めば積むほど、聖女モルテと触れ合う時間が延びる、ってことじゃないかな」

 免罪符1枚で3秒程度とすれば、5枚くらいあれば15秒から20秒くらいの時間がもらえるのだろうか。それが割に合うのかは本人次第だが。

「で、ね……更に、私の予想が正しければね……うん……」

 そして、澪の予想はまだ続く。どちらかといえば、悪い方に向って。

「……ごめん、エブル君。ちょっと悪いんだけどさ……」

「何だ」

 澪は、『ごめんよ』と気持ちを込めて両手を合わせつつ、エブルを拝む。

「ちょっと引っ込み思案で挙動不審な男のフリして、免罪符3枚ぐらい持って、突撃してみて」

「……は?」

 ……エブルは困惑していたが。だがこれは、男であるエブルにしか頼めないことなのである。

「私の予想だと、多分、ガチ恋営業仕掛けてくると思うから……」

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