理由*6
「澪とナビスがいらしたって本当ですの!?」
それから少しして、マルガリートがやってきた。どうやら走って来たらしく、息を切らしている。こういうところがまた可愛いのである。
「やっほー。ちょっとぶりだね、マルちゃん」
「3週間弱ぶり、かしら?変わりないようで何よりですわ」
マルガリートは優雅に微笑むと、勝手知ったる何とやら、といった様子でパディエーラの部屋の中、丁度いいソファに腰掛けた。
澪とナビスも、『適当に座って頂戴ね』とパディエーラから言われたので、きょろ、と部屋の中を見回す。……パディエーラの部屋は、どことなくアール・ヌーヴォーを思わせるような優雅な意匠で揃えてある。それでいてどこか異国情緒を感じさせるような、そんな風変わりな美しさであった。
綺麗な部屋になんとなく気後れした澪とナビスは、そっと、マルガリートの隣に腰掛けた。
「……何故、わざわざ隣に?他にもソファはありますのに」
「いや、なんとなく……」
「その、落ち着かなくて……」
マルガリートは呆れたような顔をしていたが、パディエーラは楽しげにころころと笑っていた。なので澪とナビスも一緒ににっこりしておく。
なんだかんだ、くっついていると暖かくて丁度いいのだ。女子は冬場になったら皆でくっついてお団子になる生き物なのだ。
「成程……邪教はそちらにも及んでいましたのね」
「うん。まさかレギナでも問題になってるなんて、思ってなかったからびっくりした」
そうして、結局パディエーラも同じソファに座って、聖女3人と勇者1人が1つのソファにきゅうきゅうくっつきあって座ることになってしまった。少々狭いが、まあ、いけなくはないのでもうこのままでいいか、と話し合いが始まってしまっている。……男の勇者2人がそわそわしているが、それはさて置くこととする。
一旦、喫茶店では話せなかったことを一通り、パディエーラにも話す。
魔物の活性化。ブラウニーやスケルトンが神霊樹の実を欲しがったこと。また、彼らが魔除けの類に強くなったこと。それから、メルカッタでの邪教の広がりについても。
……澪とナビスからそのあたりを話すと、マルガリートとパディエーラからも、報告があった。
「実は、レギナでも似たようなことがありましたのよ。邪教と言われるようなものが、一部で流行しているとか」
「主に、貧民層で、らしいのよねえ……。『世界は終焉を迎える』って吹聴しているらしいのだけれど……世界が終焉を迎えないように働いてる私達からしてみると、とんだ迷惑よねえ」
マルガリートもパディエーラも、むう、と少しむくれた表情である。彼女らも、この世界をよりよくするために聖女をやっているのだ。それを否定するような邪教には思うところもあるだろう。
「メルカッタでも同様の邪教が出回っているそうです。こちらも、『世界は終焉を迎える。終焉を共に迎えるために祈る』というような邪教であるようです」
「まあ……だとすると、相当手広く布教活動をしている、っていうことじゃなくって?」
どうも、レギナで布教されている邪教と、メルカッタの邪教は同一のように思える。となると、相手は相当に広い情報網を持っていることになる。
……厄介そうだ。
「邪教って、以前からこんなかんじに存在するものだったの?」
レギナでもメルカッタでもそう、となると、澪は邪教についてもう少し知識を仕入れておきたい。
「さあ……少なくとも、私はこのような状況を知りませんわね。まあ、以前から水面下では邪教も存在していたのでしょうけれど……ここまで隆盛を迎えたのは、初めてではないかしら」
ひとまず、レギナの聖女も邪教がここまで活発なのは知らない、ということなので、やはり今の状況は異常事態、なのだろう。
「魔物の活性化と邪教の活性化が大体同時期に起こっていそう、というのも気になるわよねえ……やっぱり、関係があるんじゃないかしら」
そしてやはり、魔物の活性化との関連が気になる。魔物の活性化が邪教の布教によって起きたというのなら、一大事だ。今後の布教の広まり方によっては、また魔物の活性化が起こる可能性がある。
「とはいえ、邪教の具体的なところが全く分からないのがなんとも歯がゆくってよ。なんとか奴らの尻尾を掴めないかしら」
「あー、それなんだけどさ。トゥリシアさんに面会に来てた人とか、居ないかなー、って」
さて。現状の把握がある程度できてきたところで、次なる情報の伝手を提案することにした。
「ほら、エブル君が前、言ってたじゃん」
「わ、私か?」
「うん。君」
急に名前を呼ばれた勇者エブルは戸惑った様子であったが、澪は構わず続けることにした。
「トゥリシアは信仰を捨てて魔物になったのでは、ってやつ。あれさ、『信仰を捨てた』じゃなくて、『邪教を信じた』でも成り立つよなー、って思って」
「……確かに、そうだな。魔物と化したが故の発狂がトゥリシアにあのような壮絶な自決をさせたものと思っていたが……殉教した、ということなら、あの意思の固さにも納得がいく」
エブルが頷くと、隣で勇者ランセアは『できれば信じたくないが……』といったような複雑そうな顔をしていた。だが、パディエーラが『あり得る話だわ』と頷き始めたので、勇者ランセアもこの可能性を切って捨てることはできなくなった。
これにてひとまず、この場の6人は『トゥリシアは邪教へ改宗したのでは』という考えを共有できたことになる。……逆に、この6人以外にこの考えを共有するのは、まだ、躊躇われる。
「それで……大聖堂の中にも、邪教を布教しようとする人が入り込んでるって?」
何せ、先ほど門を通った時のことを考えると……レギナの大聖堂に潜り込もうとしている邪教徒がいる、ということになるのだから。
「まあ、それもよく分からないのよ。何せ、『あからさまに世界の滅亡を門前で叫ぶ狂人』が居たとして、それが布教なのかどうかは分からないじゃない?」
「そりゃそうだねえ」
本気で布教しようと思うのなら、門の前で叫ぶようなことはしない方が賢明だろう。つまり、大聖堂に入った誰がどのように布教したのかは分からない、ということだ。布教する側はそんなにあからさまなことはしてくれないのだから。
だからこそ、今、大聖堂では『誰も入れない』という措置を取っているものと思われる。まあ、至極真っ当で、合理的な制限だ。……そんな入場制限を掻い潜って入ってきてしまった澪とナビスとしては、少々居た堪れないが。
「まあ……大聖堂はともかく、監獄には誰かが入った可能性が高いと思いますのよ」
マルガリートはソファの中央、優雅に脚を組み替えながらそう言った。
「トゥリシアが1人で自決に至ったとは思いにくくてよ。ならば、何者かの接触があったはずで……その中に、邪教の宣教師が居ると考えて差し支えないでしょうね」
「やっぱりそうだよねえ」
何はともあれ、まずは監獄に入場した者の記録を取る必要がある。これは、レギナの聖女であるマルガリートとパディエーラに任せることになるだろう。
「なんか、どっちに転んでも嫌だなー……」
それから、ふと、澪はそう零して、ソファの背もたれに、もす、と埋もれた。
零した言葉は、本心である。トゥリシアに接触したものが居ても居なくても、なんとなく嫌である。
トゥリシアに接触したものが居たのなら、それを追っていくことになるだろうし、陰謀に巻き込まれることもあるだろう。
一方、トゥリシアに接触したものが特に無ければ、今回のあれこれはトゥリシアの自殺とはあまり関連がないとしてこの方面からの捜査を打ち切ることになるだろう。どちらにせよ、面倒や厄介がこの先に待ち受けていることになる。
それに……。
「何も信じられない絶望と、絶望を信じる宗教と、どっちが性質悪いかは微妙なとこだよねえ…」
……トゥリシアが布教されずに死んだというのなら、彼女は自ら死ぬに値するほどの絶望を覚えていたということになるだろう。そして、布教されたというのなら、宗教によって絶望を覚えて死んだことになる。
どちらにせよ、嫌である。……トゥリシアのことを今更慮ってやるつもりもないが、それでも……死者が死ぬ間際、せめて、安らかであってほしいと思ってしまう。
「あら。どっちも性質が悪いとしか言えないんじゃないかしらねえ……うーん、自らの内から生まれた絶望と、他者から存在を教えられた絶望と……どちらが深いかなんて、本人以外には分かりっこないわよ」
パディエーラは澪の言葉の意味がなんとなく分かるようで、そんなことを言ってため息を吐いた。ついでに、澪同様、ソファの背もたれに、もす、と埋もれる。
「どちらにせよ……憐れではありますね」
そしてナビスも、表情を曇らせてソファの背もたれに、もす、と埋もれていく。
「絶望しながら死んでいったというのならば、トゥリシアさんは……」
「あら。憐れんでやる必要なんて無いと思いますけれど」
一方、マルガリートは凛として、あるいはツンとして、虚空へ半眼を向けていた。
「私利私欲のために行動して、その挙句多くの人々を危険に曝して……その上で絶望して自決、なんて。自分勝手にもほどがあってよ。そんな奴を憐れんでやる必要はありませんわ。彼女は自ら選んでその道を辿ったのですもの」
「おおー……潔い……」
「強いて言うなら、トゥリシアの愚かさは憐れんでやってもよいかもしれませんわね」
マルガリートはバッサリした考え方をしているらしい。悪は悪。憐れんでやる義理はない、と。それはそれで正解だろうなあ、と思う澪は、ぱちぱちと拍手を送ることにした。するとナビスとパディエーラも一緒にぱちぱちとやり始めるので、マルガリートは『な、なんなんですの』と戸惑う。
「まあ……トゥリシアさんで終わりだと、いいよね」
結局、澪はそう願うしかない。
これ以上、トゥリシアのように絶望して自ら命を絶つ者など、出ない方が良い。
「……そうですわね。それは、私もそう思いますわ」
マルガリートもそう言ってため息を吐くと、もす、とソファの背もたれに埋もれる。
4人揃ってソファの背もたれに埋もれて、『はあー……』とやると、多少、気分が暗くなるのを抑えられていい。勇者エブルと勇者ランセアは、『仲良しだな……』と何とも言えない顔をしていたが、4人はそれも気にせず、しばらくそのまま休憩するのだった。
そうして。
「よし……じゃあ、行きましょうか」
3人の聖女と3人の勇者は、共に監獄へ向かう。聖女達が集まれば、監獄の面会記録を見せてもらうこともできるだろう、ということだったが……。
「……というわけで、トゥリシア様に面会した人の記録を見たいのですけれど、よろしいかしら?こちらはスカラ家からの要請でもあり、レギナ大聖堂の聖女からの要請でもありますの。当然、受理していただけますわね?」
「え、ええ。少々お待ちください」
マルガリートが少々高飛車に、高圧的に監獄の役人に詰めよれば、役人は冷や汗をかきながらすぐ、帳簿を取りに行ってしまった。
秒殺である。最早、マルガリート1人で十分だったのではないだろうかと澪とナビスは思った。
「……マルちゃん、すごいね」
「あら、大したことではなくってよ。単にあの役人の兄弟がやっている商会が、スカラ家の御用達だというだけですもの」
するとどうやら、多少裏事情がありそうだということが分かった。……マルガリートの実家繋がりで弱みを握れる相手だった、ということらしい。勿論、マルガリートはそこまで計算した上であの出方をしたのだろうから、『マルちゃんすごいね』の澪の評価は特に覆らないが。
「マルちゃんはレギナやカステルミアの貴族との繋がりがあるから、こういう時に便利よねえ」
「私、使えるものは全て使う主義ですの」
パディエーラもぱちぱちと拍手する中、マルガリートは、ふふん、と誇らしげに笑ってみせた。正にマルちゃん。正にマルちゃんである。
「こちらです。どうぞ」
「ありがとう。見せていただくわ」
それからすぐ、役人は帳簿を持って戻ってきた。早速、女子4人組はぎゅむぎゅむと詰めながら一緒に帳簿を覗き込む。
「えーと、トゥリシア、トゥリシア……あ、これ?」
「そうですね。おそらくこれが、トゥリシア様の最初の面会かと」
帳簿のページを過去に遡って確認すれば、ひとまず、『トゥリシア』と読める項目が見つかった。澪もこの世界の文字が多少は読めるようになったのである。多少は。未だ、自信は然程無いが。
「ああ……これは、トゥリシア様のお父上、でしょうか?」
「そうね。今の国王陛下の兄君のご子息、ということになるから……国王陛下の甥御さんにあたるわねえ」
「となると、勘当を言い渡されたというアレですわね。はあやれやれ……」
トゥリシアの最初の面会は、彼女の父親であるらしい。そこで勘当を言い渡されたというのだから、貴族は中々シビアな生き方をしているということなのかもしれない。
「ええと……ああ、次はこれですね。ええと、大聖堂の神官、でしょうか?」
「そうねえ。トゥリシアの取り調べのために訪問した時の記録だと思うわ」
次の面会は、レギナの神官らしい。トゥリシア付きの神官ではないようなので、これは正しく、破門審査のための調査目的だったのだろう。
その後も数回、大聖堂の神官が訪問した記録があり……そして。
「それから……あら?」
「……トゥリシアが自決した前日の面会、ですわね」
皆の手が止まる。そして、皆の目が、帳簿のその欄を見つめている。
「聖女モルテ……?」
そこには、聞いたことのない聖女の名が記してあった。