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理由*4

 信仰を捨てた人間は、魔物と変わらない。

 エブルの意見に、『そりゃあないよ!』と澪は思う。思うが……この世界は信仰がパワーな世界だ。そういうことがあってもおかしくはない、とも、思う。

「……荒唐無稽だと、自分でも、分かってはいる」

「そうね……エブル、あなた、少し考えすぎなのではなくて?」

 マルガリートは懐疑的なようだ。むしろ一周回って『私の弟は疲れているのではないかしら……』と心配を始めている。マルちゃんは心配性の弟思いなのである。

「そうですね。信仰を持たない人が穢れに侵されるというのであれば、メルカッタの戦士の皆さんの中にも穢れに侵される人が出ておかしくないかと思いますし……」

「あー、彼ら、うちに来るまで信仰とかしたこと無い、って人、結構いたんだっけ?」

 また、エブルの論を否定する材料もまた、ポルタナにあるのだ。

 何と言っても、メルカッタの戦士達は、ナビスがやって来るまで、礼拝などに参加することも稀だったというのだから。

 ……だが。

「……そうした連中でも、人間の心底にある信仰くらいは持ち合わせているだろう。外道に落ちた者ならまだしも、真っ当にギルドに所属しているような人間が『信仰を捨てた』とは言えまい」

「あー、なるほどね。つまり、倫理観があるってことは、ある種の信仰があるってことなのかな」

 エブルの言葉に、澪はまた納得してしまう。

 ……人には、少なからずそうした信仰がある。それを信仰と言ってよいのかは分からないが……罪を犯すにあたって、『お天道様が見ている』というような罪悪感に駆られる心があるのなら、それは一種の信仰が根付いているということになるのではないだろうか。

「倫理観……そういうことでしたら、確かに、トゥリシア様は、その……そうしたものを捨てておいでだったかもしれませんね」

「そ、そうですわね……倫理観が真っ当にあるのであれば、魔物を操って私達を殺そうとするなど、絶対にしませんものね……」

 そして、そうした人間が人間であるために最低限必要なレベルの『信仰』もとい倫理観すら、トゥリシアは持っていなかった。

 私利私欲のために人々を動かし、魔物を操って、あちこちに損害を出し……そして、マルガリートとパディエーラ、そして2人の勇者を亡き者にしようとしていたのだから。

 そう考えてみれば、確かに、トゥリシアは『信仰を捨てた者』なのだ。


「……ねー、私、あんまり詳しくないから、ちょっと教えて欲しいんだけどさ」

 そんな中、澪はふと、気づいてしまった。

『宗教って、無宗教か有宗教かの2択じゃないじゃん?』と。

「魔物には宗教って、無いの?その、『邪教』、みたいな……」

 信仰の反対側にあるものは、また別の信仰なのかもしれない。




 ……結局、結論は出ないまま、一行は夜を明かすことになった。

 マルガリートとエブルはポルタナ自慢の宿屋へ泊まることにしたらしい。『折角ポルタナなんて田舎まで来たのですもの。美味しいお魚料理でも頂いてから帰りますわ!』とのことだったので、澪もナビスも笑顔で見送った。隠しきれない期待を滲ませながら宿へ向かったマルちゃんは、エブル君曰く、どうやらお魚が好きらしい。

「はー、色々分かったり分からなかったりするねえ……」

「そう、ですね……ううん、ミオ様の仰る『邪教』が、人や魔物に影響を与えている可能性……無いわけでは、無いと思いますが……そんなに大規模なものではないはずですし……」

「あー、ごめんね、あんまり難しく考えないで。ほら、私もさ、なんかこう、そういうのあるかもー、って思っちゃっただけなんだ」

 ……澪が思いついてしまった『邪教』については、保留、ということになった。

 この世界において、『邪教』というものは、一応存在はするらしい。即ち、『それを教義とするのはちょっとどうなの』というような教義……例えば、『略奪せよ』であるだとか、『人を殺せ』であるだとか、そうした教義を掲げている宗教も、あるらしいのだ。

 だが、そんなものは当然、一般的ではない。ましてや、多くの人に受け入れられるようなものでもない。それ故に、問題視するほどの何かを持っているものではないのだ。

「しかし、面白い考え方だと思うのです。今までにない、新たな考え方、というか……その、邪教を信仰することで、信者に何かが起こる、というのは」

 澪はこの世界のことをよく分かっていないがために確認のため『邪教』について尋ねたのだが、ナビスはただそれだけの話が、少し気になるらしい。

「……今まで私は、信仰というものは聖女に力を集めるためのものだと、そう思っていました。けれど、信仰を持つことで、ブラウニーやスケルトン達が穢れを振り切ったというのであれば……信仰というものは、信仰するその人本人にも影響を及ぼすものなのかもしれません」

「……あー、なるほどなあ」

 ナビスが何を考えていたのか分かって、澪は納得する。

「私はね。本来、信仰ってそういうもんなんだと思うよ」

 それは、澪の世界にとっての当たり前であって、ナビスの世界にとっての不思議、なのかもしれない。

 だが本来、宗教というものは、『信仰されるもの』ではなく、『信仰する者』のためにあるものなのだと、そう、澪は思っている。


「私の世界では、そうだった。信仰って、その人だけのためにあるもので……うーんと、まあ、自分の心は救ってくれるけれど、自分の外側……おかれてる状況とか、罹ってる病気とか、そういうのからは救ってくれないものだ、って」

「そうなのですか?聖女は……」

「私の世界に、聖女は居なかったんだよなあー……いや、まあ、その、力を集めて行使してくれる存在、っていう大雑把な括りでは居ないわけじゃないんだけど、神の力、とかは無かったから、祈ったって救われる確実な保証はどこにも無くって、むしろ、祈ることで実働を妨げちゃうようなことも、無いわけじゃなくて」

 ああいう例もあったなあ、こういう例もあったなあ、と色々思い出しつつ、それらをナビスに伝えるべきではないような気がして、澪はそれらをそっとしまっておくことにする。ナビスを不安にさせたいわけではないから。

「だから、祈るっていうのは、誰かを救うものじゃなくて、自分の気分を安らかにするためのものであって……自分だけのためのもの、っていうか。うん、そんなかんじ」

 誰にも届かない祈りは空しいだけだ。誰かに届いたとしても、それはある種のエゴイズムだ。だから澪は、祈り、信仰とは自分の為だけにあるものだと、そう考えている。

 あくまでも、驕らないように。頼りすぎないように。


「……ま、よく分かんないけどさ。ナビスを信仰することが、もしかすると世界平和に繋がるかもしれない、って分かったわけじゃん?」

 信仰の是非はさておき……ひとまず、今回分かったことは重大である。

 即ち、『信仰を持っていると魔物は人間を襲わないのでは?』という。ある種、画期的すぎるほどの案なわけだ。これを捨ておくわけにはいかない。

「世界を救うぞ!ってのはまあ、ちょっと大それた話だけど……身近なとこを安全にしていくためにも、より一層、頑張っていかないとね」

「ええ!もし、そう望む方が魔物の中にも居るのであれば、私は彼らを導く聖女でありたいです!」

 ナビスの同意も得られたところで、澪は笑顔で頷く。

『やっぱりナビスはアイドルだなあ』と、しみじみ思いつつ。




 ひとまず、澪とナビスは翌日からポルタナ・コニナ間を繋ぐ街道の建設を手伝うことにした。

 また、いつ魔物が活性化するか分からない。そうなった時、コニナ村が孤立せずに済むよう、インフラ整備を行っておきたかった。

 ……というわけで、澪とナビスが行ったのは、『とりあえず魔除け』である。ひとまず魔除けの紐を渡しておけば、街道の建設中に魔物に襲われる心配が無くなる。安心して街道の建設を進めるためには、まず魔除けが必要なのだ。


「魔除けの紐、在庫作っといてもらって助かったね……」

「そうですね。これを一から作ろうと思ったら、大変な時間がかかるところでした」

 魔除けの紐は、ポルタナの村人達に生産をお願いしていたためすぐ手に入った。そして、魔除けの紐を渡していく場所は、まだ整備されていない街道沿いに生えている木の枝、である。

「とりあえず、木がいっぱい生えてて助かる」

「木には申し訳ないですが、少し枝を間借りさせてもらいましょう」

 ポルタナ・コニナ間の街道沿いは、これから整備していくところだ。いずれはこのあたりの木も伐採していくことになるかもしれないが、ひとまず、電柱を立てる余裕がない今は、それらの木々の枝の上に魔除けの紐を渡していくことで魔除けとすることにした。

 巻いた魔除けの紐を馬車で運びながら、紐を掛けていく作業を行っていく。作業は日暮れまで続き、それから動作確認のため、ナビスが紐の端で祈りを捧げて魔除けの光を灯す。

 ぽやぽやと光の球が浮かぶようになったコニナ街道では、あちこちからコニナ村やポルタナの人々の喜びの声が上がっていた。……ひとまず、これで澪とナビスが居なくともコニナ村の人々はポルタナと行き来できるようになったし、これからコニナ街道を安全に整備していくことができるだろう。




 更に翌日、澪とナビスはメルカッタへ向かう。メルカッタでは、魔物の影響が大きかった。勿論、それらの影響は澪とナビスによって大分取り除かれた訳だが……未だ心配に思う人々も居るだろう、とのことで、ある種の慰問、なのである。

「こんにちはー!皆、調子どう?また魔物、出てない?だいじょぶ?」

 早速、ギルドを訪れた澪は、もうすっかり顔馴染みとなった受付嬢に声を掛ける。すると途端に、室内に居た皆から『おお!またミオちゃん来てくれたのかい!』『ナビス様!この間はありがとう!』と笑顔と好意を向けられるものだから、少々気恥ずかしい。

「勇者ミオ様、聖女ナビス様、ようこそおいで下さいました!おかげ様で、あれから魔物の突発的な発生は起こっておりません。ギルド内の戦士達で十分にやりくりができています」

 ひとまず、メルカッタは平和、ということらしい。

 ……先日の、魔物の突発的な大量発生と凶暴化は記憶に新しいが、あれがあのまま続いていたらメルカッタは大変なことになっていただろう。それだけに、今の平和は、皆にそのありがたみを噛みしめられているのだ。

 ただ、その一方で、喜べないこともある。

「まあ、ダンジョンがいくつか攻略された、とのことで、今後は以前より魔物が減ることも考えられますが……」

「あー……そうだよね、ごめん」

 今回、凶暴な魔物達の根源を断つために、いくつかのダンジョンを攻略してしまった。つまり、今後しばらく、もしくは半永久的に、メルカッタ近郊のダンジョンいくつかからは魔物が出なくなる、ということになる。

 それは、メルカッタの戦士達の食い扶持が減る、ということに他ならないのだ。

「あの、差し出がましいようですが、もし収入が減ってしまう、という方がいらっしゃいましたら、ポルタナは何時でも、労働力を募集しております」

「うん。こっちは鉱夫も漁師も農夫も塩田やる人も、あとは鍛冶関係の人達だって、募集中だからさ」

 一応、雇用については澪とナビスも援助ができる。ポルタナが今後も人手を必要としていくことは間違いない。来てくれる労働力があれば、諸手を挙げて歓迎する。だが……戦士達が必ずしも、鉱夫や漁師や、その他ポルタナでの職を望むとも限らない。

 魔物を狩って生きていきたい戦士達にとっては、今回の澪とナビスの所業は『ありがたいけれどありがたくない』ということになるのだろう。


「ま、そんな気にすんなよ、ミオちゃん」

 そこへ、横から声を掛けてくる男が居る。彼もまた、このギルドで顔見知りになった戦士の1人だ。

 ……ポルタナに誘ってみたのだが、彼は『俺は戦士が向いてるよ。どっか一か所に住むってのも、性に合わないしな』と笑って答えた。そんな彼だからこそ、今回のことについて『気にすんな』と言ってくれるのは、澪とナビスにとってとてもありがたいことだ。

「俺達の仕事が無くなったっつうなら、また別の土地へ行きゃあいい話だ。面倒はあるだろうが、人が死ぬよりよっぽどいい」

 彼はそう言って、少し寂し気に笑う。

「戦士なんざ、死と隣り合わせだ。命や平和の価値を、誰よりも知ってる。だから、マトモな戦士達は皆、今回のナビス様とミオちゃんの活躍がどれだけありがたいもんか、分かってるよ」

 だから元気出しな、と言ってくれるのに甘えて、澪もナビスも申し訳なさには蓋をすることにした。

 問題が起きたらまたそれはそれで考えよう、と、そう心に決めて。




 ……それから、2週間。

 澪とナビスは次の礼拝式の準備と宣伝を兼ねて、メルカッタへやってきた。帰り道にはブラウニーの森に寄る予定である。

 それから、メルカッタの様子はやはり、気になるのだ。……魔物を討伐し、ダンジョンを攻略してから2週間と少しが経過したわけだが、果たしてどうなっているか、と。

 ……すると。

「……依頼、結構減ってるね」

「そうですね……ある依頼も、魔物狩りではなく雑用などの割合が高めですね」

 ギルドの中、依頼の掲示板には、以前より張り紙が少なくなっていた。討伐しなければならない魔物が減り、それ以外でも魔物の供給も減って、戦士達の仕事は確実に減っていた。

「ここに来る途中、多分仕事無くて暇なんだろうなー、って人、路地裏とかに居たよね」

「ええ……きっと、私達は恨まれていますね」

 また、このギルドに来るまでの道すがら、浮浪者のようになっている者を何人か、見かけている。

 そして彼らからは、冷たい視線と、ぼそりとした呟き……『余計なことしやがって』というような言葉を、頂戴している。それらが、澪とナビスを少々、悩ませていた。

 ……仕方ないことだと分かってはいても、割り切れないものもある。それは、お互いに。


「よお、ナビス様、ミオちゃん」

「あ、おにーさん、こんにちは」

 そんな2人の元へ、顔見知りの戦士がやってきた。数人一緒に居る所を見ると、これから依頼を請けに行くのか、何か討伐して来た帰りなのか。

「お元気ですか?その……」

「あー、仕事が減ってることか?気にすんなって。今までだって、仕事が少なかった時は何度もあった」

 澪とナビスが何を思っているのか、概ね戦士達には分かってしまうのだろう。彼らは申し訳なさそうに苦笑しながら、ふ、と視線をギルドの外へ向けた。

「ごめんな。町の中に嫌な連中、居るだろ」

 彼らが言うことには、当然思い当たる節がある。『余計なことしやがって』と言っていた、あの冷たい呟きは、澪とナビスの耳の奥にこびりついている。

「……いえ、嫌、とは」

 そして、ナビスは遠慮がちにそっと俯いたが。

「いや!私はちょっと嫌だなあー!うん!嫌!確かに嫌!」

 ……澪は遠慮しないので、しっかり主張した。嫌なモンは嫌なのである。ましてや、ナビスにも嫌な思いをさせるなど、言語道断なのである!

「おっ、いいねえミオちゃん。威勢がいいのはいいことだ」

「そりゃ、勇者だもんで」

 澪が、にっ、と笑ってみせると、戦士達は少し安心したように笑ってくれた。……あんな呟きや視線に負けるような勇者ではないのだ。澪はしっかり、そうアピールできただろうか。

「ま、そういうわけで、ちょっと不快な思いをさせちまうが、ああいうのの代わりに謝っとくぜ」

「どうも、最近は自暴自棄になる奴らも多くってよお……路地裏で飲んだくれてる連中が、妙なことに首突っ込んでるみてえで、余計になあ……」

「仕事がねえっつうんなら、別の仕事すりゃあいいのによお。どうせ俺達戦士なんざ、その日暮らしの綱渡りだって、覚悟はあるだろうに」

 戦士達はそんな会話を交わしつつ、『全くしょうがねえよなあ』というように頷き合う。

 ……澪は、そんな会話の一端が、妙に気になる。

「え、妙なこと?妙なこと、って、何?路地裏で何やってるって?」

 路地裏で飲んだくれてる連中、というと、きっと、澪とナビスへ敵意を向けてきた彼らもその部類なのだろう。そんな彼らが、何に首を突っ込んでいるのかは、なんとなく気になる。


 ……すると。

「あー……なんでもな?『世界の終焉を共に迎えるための礼拝式』なんつうもんに参加してるらしい」

「ったく、どういう教えなんだっつの」

「他の聖女様と差別化を図るっつったって、限度があるだろーに」

 戦士達からは、そんな話が、聞けてしまった。




 澪とナビスは、只々驚愕して、顔を見合わせる。

「邪教、あるじゃん……!」

「ありますね……!」

 邪教は、本当にあったのである!

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