鉱山ダンジョン地上部*3
「っはー!疲れたー!」
澪は地面にごろりと寝転がって、大の字になる。寝ころんだ先に散っていた聖水が背中にしみ込んで濡れる気配があったが、それも気にならないほどに気分は高揚していた。
見上げる星空が綺麗だ。異世界の空には、満月の夜空でも星が強く輝く。こんなにはっきりと星を見つめるのは、いつぶりだろうか。小学生の夏休みに行ったキャンプで見上げた空が、こんな具合だったかもしれない。
「お疲れ様でした」
そんな澪の傍へ、ナビスがやってくる。ナビスは微笑んで、そっと澪の隣に腰を下ろした。
「ナビスもお疲れ。沢山、神の力使ってたみたいだけど、大丈夫?」
「ええ。ミオ様の祈りがありましたから。……その代わり、今は欠片たりとも力が残っていない状態ですが」
そう言いつつも、ナビスは晴れやかな表情である。澪が感じているような達成感を、ナビスもまた、共有してくれているのだろう。澪はそれをまた嬉しく思いつつ、ナビスの顔を見つめる。
……ナビスの瞳は美しく潤んで、まるで宝石のようである。それでいて、憧れめいたものがその目に湛えられているものだから……そんな目で見つめられて、少々、照れる。
「……ミオ様を見ていると、私、勇気が湧いてくるんです」
更に、ナビスはそう、話す。
「苦手でも、初めてやることでも、ミオ様は果敢に挑んでいかれる。そのお姿が……私に、勇気を与えてくださいました。あなたを信じる力も」
「それはナビスが今まで積み上げてきた物があったからだと思うよ」
澪は体を起こして、ナビスに笑いかける。照れ笑いになっている自覚はあったが、面と向かってこのように褒め殺しにされては照れもする。仕方ない。仕方ないのである。何せナビスは美少女だ!
「なんとかなる、って信じられるのは、何とかなるくらいに頑張ってきたナビスが居るからでしょ?ね」
「……そう、なのでしょうか」
「うん。そう。そういうもんだって、私は思ってるよ」
ナビスは、『でもミオ様は素晴らしい』というように、じっと澪を見上げている。『目は口程に物を言う』というのは本当であるらしい。
「えーと、そろそろ照れちゃうから、その辺にしといてもらうとして……」
だが、これ以上褒められていてはたまらない。澪はむにゅ、と表情を引き締めなおし……後方、澪が倒したレッサードラゴンを指さして、笑う。
「お肉、取る?」
さあ、お肉だ、お肉だ。澪はうきうきしながら、レッサードラゴンの周りをくるくる周る。
強敵を倒せたのは嬉しい。そして、戦果があるならもっと嬉しい。そして、それが美味しいなら、最高に嬉しいのである!
「そうですね。でも……その前に、このあたりの魔除けを行う必要があります」
だが、すぐさまお肉タイム、という訳にはいかないのであった。
「このまま放置していては、また鉱山から魔物が出てきてしまいます。それでは同じことの繰り返しですので……このあたりに、魔除けの処理を行う必要があるのです」
「あ、なるほどね」
どうやら、後始末も大切らしい。まあそうだよね、と澪は納得した。お肉は大事だが、それ以上にポルタナの村の平和が大切だ。鉱山の魔物が外に出てこないようにするのが今回の目的だったのだから、やはり、そのための処置が必要なのである。
……だが。
「ただ、そのために……その、剣を、探さなくては……」
苦笑するナビスと共に、澪もつられて苦笑する。
「ああー……吹っ飛ばされちゃってたもんねえ」
先ほど、ナビスの手から弾き飛ばされた聖銀の剣。あれが、魔除けに必要である、らしい。
ということで、澪とナビスはナビスの剣を探すことになった。
「こちらの方に飛ばされましたので……ええと、うーん」
だが、今は夜である。星と月の明るい夜であっても、夜は夜。探し物を見つけるのは、中々難しそうであるが……。
「その……ミオ様。申し訳ないのですが……少々、祈りを捧げていただいても、よろしいでしょうか?神の力を行使すれば、聖銀に光を宿らせることができます。夜の内なら、それで十分、探しやすくなるかと」
ナビスの言葉を聞いて、澪は笑顔で頷いた。目的のものが光るなら、かなり探しやすくなるだろう。素晴らしいことである。……澪も、時々物を失くすが、そういう時にそれが光る機能があったらいいよねえ、と思ったことはある。
「オッケーオッケー。じゃあ早速……」
この異世界では、素晴らしいことに失せ物探しに便利な術があるようなので……早速、澪はナビスに信仰を捧げることにする。
「ナビス超かっこよかったよ!歌、最高だった!それに、魔物と戦う姿が凛々しくて、物語の女騎士みたいだった!あと可愛い!さっきの苦笑も可愛かったし……あっ!照れてる今も可愛い!」
全力で。全力で、ナビスを褒め称える。誉めている内に澪自身も元気になってくるような不思議な温かい感覚の中、ナビスがふわふわと輝き始めた。
「あっ、あっ、ミオ様、ミオ様、もう大丈夫です!もう、術に必要な分の力は頂けましたので!」
「遠慮がちなナビスも可愛いー!」
腕を掲げてナビスへ声援を送っていると、ナビスはむにゅむにゅした顔でもじもじと照れてしまった。その姿も大変に可愛らしいので、澪はにっこりするしかない。
「で、では参りますね……」
一頻り澪が誉め称えた後、ナビスはいよいよ、神の力を使い始めた。
……すると、澪の腰のベルトで、ナイフが光り輝き始めた。
「うわっ、まぶしっ」
「成功したようですね」
成程、どうやら、聖銀が光る、という術が成功したらしい。見れば、ナビスが身に着けている帯飾りや指輪もまた、ふわりと光を纏っていた。あれらも聖銀製、ということなのだろう。
「では早速、探しましょう。おそらくこちらの方に剣は飛ばされましたので……」
ナビスが覗き込んだ方を澪も覗き込んでみる。すると、2mほど崖を降りたあたりに、何か光るものが見つかった。
「あ、なんか早速あるね」
「それほど飛ばされていなかった、ということでしょうか。助かりますね」
2人の少女は、よいしょよいしょ、と崖を下りていき、そして、光の元へと向かう。
……だが。
「……ん?」
「あら、違いましたね……」
そこにあったのは、剣ではなく……。
「えっ、ラッパ落ちてるじゃん……えっ!?ラッパ落ちてるんだけど!?えっ!?」
ラッパであった。
……恐らく聖銀製であろう、ラッパ、である。
「……聖銀のらっぱ?なんで?」
「ああ、これは恐らく、鉱山での作業の合図用に使われていたものですね」
少々面食らう澪の足元にあるそれは、いかにも古いものに見えるラッパ……『トランペット』と言うにはあまりに単純な作りをした、楽器のようなもの、であった。
具体的には、トランペットを吹く際、音を変えるために押すピストンが無い。つまり、このラッパは管が1本きりで、音を変えるにも、この管で出せる倍音しか出せない、ということになる。成程、合図用に吹くならこれで十分、ということなのだろう。
「わー……吹いてみても、いい?」
だが澪は、そのラッパに惹かれた。
……何せ澪はずっと、吹奏楽部でトランペットを吹いてきたのだから。
ナビスは『どうぞ』とにこにこ顔で許可をくれた。澪は少々緊張しながら、ラッパを拾い上げる。
屋外の、それも岩場に落ちていたというのに、大きく凹んだりひしゃげたりすることなく、そのラッパは形を保っていた。多少の傷はあるが、古い楽器にはありがち、という程度のものである。『聖銀ってすごい』と澪は内心で拍手したい気分であった。
誰が吹いたのかわからない上、放置されていた楽器をそのまま吹くのは少々躊躇われたので、残っていた聖水を一瓶、使わせてもらうことにする。マウスピースに当たる部分を洗浄すれば、まあ、気にならない。……吹奏楽部の女子高生は、大体こんなノリで楽器を使い回すことが多いのである。
「よし」
今は、久しぶりに吹く楽器への期待が大きい。
数度唇をぷるぷる震わせて準備運動をすると、澪はさっさとラッパを構える。本当ならもう少し唇を動かしてからの方がいいのだろうが、今は逸る気持ちを抑えきれない。
す、と息を吸い込む。腹式呼吸になるよう、強すぎるくらいに意識して。……そしてマウスピースを唇にそっと当て、息と振動を、吹き込む。
ぱーっ、と、夜空を裂く彗星のような音が飛んでいく。
慣れない楽器ではあったが、音が出る仕組みは分かっている。どうすれば美しい音になるかも、大体は。
口の形を微妙に変えていけば、倍音を出すことができる。最初はB♭。次はF。そしてオクターブ上のB♭。D。F。最後に、ハイトーンのB♭。
高く鋭い音を思う存分響かせてから、マウスピースを離す。
澪は満足していた。気分がいい。久しぶりに吹いた割に、調子は悪くない。音階が出せないのは残念だったが、屋外で思い切り楽器を吹き鳴らすのは、悪くない気分だった。
「これ、いい音だね」
澪は、単純なつくりのラッパを見つめてにっこり笑う。
……銀のトランペットは音が硬い、と聞いたことがある。金でできている方が柔らかく華やかな、良い音がするのだ、と。
だが、澪は銀のトランペットが好きだ。少々鋭い位の方が、いい。空気を切り裂いて進んでいくような、真っ直ぐな音が、好き。
だからこの楽器は最高だ。……出せる音が少なすぎるのは仕方ないとして。
「ミオ様……」
そこで、ナビスが澪の袖をついつい、と引く。控えめで可愛らしい仕草にときめきを覚えつつ、澪は少々、焦る。
「あっ、ごめん、煩かった?」
澪の肺活量はさほど多くないが、それはそれとして、楽器を吹き鳴らせば、それなりの音量が出るものである。特にハイトーンなどは、耳に突き刺さるように感じられることだってあるだろう。
「いえ、大変すばらしい音色でした。あの、それよりも……」
だが、澪の心配は杞憂であったらしい。ナビスは静かながら興奮を隠せない様子で目を輝かせており……。
「ご覧ください。この土地が、清められていきます」
……ふと見れば、魔物と戦っていたあたりの地面が、銀色の光に淡く包まれていた。
銀色の光は、地面から芽生えては、すっ、と音もなく空に昇っていく。そしてその度に、辺り一帯に不思議な気配が満ちていくのが分かる。
「……ナビスの歌みたいなかんじ?」
「はい。恐らくは……」
どうやら、『魔除け』の作業が終わってしまったようだ。
……澪は手の中のラッパを眺めて、周囲を眺めて……『わあー……』と、どこか他人事のように感嘆するしかなかった。
それからもう少し探してみれば、ナビスの剣は案外近くに落ちていた。『よかった、よかった』と澪とナビスは鉱山入り口前まで戻り……さて。
「お肉!」
「お肉ですね!ポルタナで手に入るものはお魚ばかりですから、きっと皆、喜んでくれることでしょう!」
澪とナビスは少々はしゃぎつつ、レッサードラゴンの解体作業に移ることとなった。
「わあー……ナビス、手早いねえ。すごい」
解体作業は、主にナビスが行う。時折、『ここを引っ張ってくださいますか?』『そちらを押さえておいてください』といった指示に従って澪が動くこともあるが、ほとんどはナビスが動く。
解体用のナイフが滑らかに動き、レッサードラゴンの皮を剥いでいく。ナビスが手馴れているせいで簡単そうに見えるが、実際にやってみたらきっととてつもなく難しいのだろう。澪は『ほあー』と感嘆の息を漏らしながら、ナビスの作業を手伝い、そして見守った。
「皮は綺麗に持ち帰らなければ。ドラゴンの皮ですから、高く売れるでしょう」
「そっかあ……これがあったら、ちょっとしたお金になるかんじ?」
「ええ。ドラゴンの皮は最高級品なのです。レッサードラゴンの皮ではありますが……それでもきちんと加工すれば、牛や馬の革製品とは比べ物にならないものが出来上がります」
ドラゴンの革製品ってどんなのだろう、と澪は想像してみる。鱗があるわけなので、クロコダイルやアリゲーターに近い革になるのだろうか。
「それから、牙や爪、綺麗な形の鱗も高く売れますね。特に牙は、そのまま武具に使われるほどですから」
「ああー……これ、研いだらそのまま使えるんだ」
「はい。ドラゴンの牙のナイフは軽くて丈夫で、錆びることが無いので……武具以外でも人気の品ですね。その分、研ぎに少々、技術が必要なようですが」
流石は、異世界である。変な生き物が居れば、その生き物の素材を使った独自の品が出来上がる。澪は只々感心しながら、レッサードラゴンの解体を手伝い、『これは何になるの?』『こっちは?こっちは?』とナビスに次々尋ねていった。
退化した翼は、柔軟な被膜を利用した手袋や革袋に加工される。骨は細工物にしたり、矢尻に加工したり。心臓や他の肝は高度な魔法薬に使われるので、高値で取引される。レッサードラゴン程度だとそうでもないが、ドラゴンの血液も魔法薬にしたり、魔術の媒介にしたりするので需要があるらしい。
……そして。
「ドラゴン肉は、部位によっては非常に硬いので、良く煮込んで食べます。そして、柔らかい部位は……そのまま焼くだけで頂けるのです」
「つまり、すっごく美味しい、肉」
「はい。すごく美味しいお肉です」
澪が目を輝かせて見つめるのは、肉である。
皮を剥がれ、運びやすいようにある程度切り分けられた肉は、さっきまでレッサードラゴンの死体だったが、今はもう、肉なのである。
「村に持ち帰りましょう。皆、きっと喜んでくれます!」
「おー!ついでにもっかい礼拝式やっちゃう!?やっちゃう!?」
「ふふ、案外、ただ祈るよりもお肉と共に感謝の気持ちを分け合った方が、信仰心が集まるかもしれませんね」
澪の言葉に、ナビスはくすくすと笑う。澪もつられて一緒に笑いつつ……。
……ふと、思った。
案外、本当にそうなんじゃないだろうか。
……澪は、少々不思議に思っているのだ。『終わりよければ全てよし』とは言うが、それでも、分析は必要だろう。
レッサードラゴンにとどめを刺した、澪の一撃。あれは、ナビスが持っている神の力を全て澪に譲渡してくれて、ついでにナビス自身の信仰心を捧げてくれたからこそのものだった。
だが……『それだけ』にしては、あまりにも、強力だった。
あの時ナビスは、ほとんど神の力を使い果たしていたのではないかと思う。礼拝式で集めた信仰心を使って魔除けの歌を歌い、鎖でレッサードラゴンを縛って……そして、残りのほぼ全てを、レッサードラゴンへの一撃に費やした直後だったのだから。
しかしその割に、澪がレッサードラゴンに向かっていったあの時、妙に澪は強くなっていた。澪にはそのあたりがよく分からないが、どうも、ナビスがレッサードラゴンに与えた一撃と同じくらいの強さだったんじゃないだろうか、とも思う。少なくとも、あの時の自分とナイフの輝き方を考えると、そうだ。
……つまり、おかしいのである。
どう考えても、強すぎた。
澪のあの強さを説明しようとしたら……使い果たしていたはずの信仰心が、何故かあの一瞬で一気に増えてしまった、ということになる。
さて、ではあの一瞬、何が起きていたか、と考えると……。
「あのさ。ちょっと、帰ったら試したいことがあるんだけど」
「へ?」
「もしかしたら、一気に信仰心、増えるかも」
澪の言葉にナビスは首を傾げていたが、澪は、ぼんやりと、考えていた。
……答えは、『その場のノリ』とかじゃないかなー、と。