海戦、開戦*6
「いやあ……疲れたねえ……」
「ええ……海の上での戦いというのは、なんとも……」
「シベちんは普段からこういうことしてるんだもんね、えらいなあ……」
「俺だって月鯨ほどの大物引っ張ったのは初めてだけどな……」
……今、ポルタナの海岸には、巨大な月鯨の死骸がででんと寝そべっている。漁師総出でなんとか牽引してきた月鯨は、これから解体される運びとなるわけだ。
だが、何せ、この巨大な死骸を海から牽引してきたのだ。全員、非常に疲れている。疲れた。もう何もしたくなーい!と澪がそう思う程度には、疲れた。
「……しかし、感慨もひとしお、ですね」
「少し前なら、月鯨なんざ倒せなかっただろうからな」
そんな疲労の中でも、ポルタナの皆、特にナビスとシベッドは、月鯨を倒せたという事実を前に、達成感に満ちた笑みを浮かべていた。
恐らく、ナビスやシベッドにとって、月鯨討伐は自分達の成長およびポルタナの発展を再確認する材料になったのだろう。そんな2人、そしてポルタナの漁師の皆を見ていると、澪もなんとなく嬉しくなってくる。
「では、少し休憩してから解体に移りましょう!」
「よーし、もうひと頑張り、だね!やったるぞー!」
それにやはり……獲物の解体は、楽しいのだ。自分達の成果が目に見えて、ついでに、今晩のご飯も目に見える、となれば、楽しくないわけがないのである!
月鯨の解体は、夕方まで掛かった。
日が落ちて薄暗くなってきて手元が見えにくくなってきたら、澪やナビスが魔除けの光をぽこぽこ浮かべて光源として、なんとか解体作業を続け、そうしてようやく終わって、今である。
「おおー……すごい。すごく、すごい……」
……そうして今、澪の目の前には、大量の肉が積み上げられている。鯨の肉はどんな味だろうか。澪は早速、お腹が空いてきた。
「これ、骨は何にするの?磨いて使うとか?」
続いて、肉の隣の山は、骨である。適当に砕いたり折ったりして程よいサイズにしてあるものもあるが、ひとまず、大量の骨がいくつかの山になって積み上げられていた。
「いえ。鯨の骨は大量の油を含みますので、焼いて油を取るのです。油を取った後の骨は、砕いて肥料にできますね」
成程。どうやら、これが灯りや料理油の原料であったらしい。骨から油かあ、と澪はなんだか不思議な気分になりつつ、次の山を見る。
次の山は、鯨の歯や髭である。これらはテスタ老に引き取られて、工芸品の類になるようだ。……澪は、月鯨の解体を見に来ていたテスタ老から『これはただの鯨の歯ですがね』と、美しい透かし彫りのブローチを見せてもらった。滑らかで艶があるブローチは、象牙や貝殻に似ていた。まあ、象牙は象の歯で、これは鯨の歯なので似ているのは当たり前かもしれないが。
また、鯨の髭は、加熱してプレスして板状にして、工芸品や装飾品にするらしい。鼈甲のような風合いになる、と聞いた澪は、完成品を見るのを楽しみにしている。
「こっちは血かなあ」
「はい。月鯨の血は薬の原料になりますので」
また、解体途中で流れた血も、できる限り回収されたらしい。大きなタライや桶に血がなみなみと溜まっているのを見ると、何とも言えない気分になる。だがこれが薬になって、薬がお金になってポルタナを潤すのなら悪くない。
……そして。
「あー、これはモツかあ」
「そうですね。こちらも油を取ったり、食べたりしますが……筋の類は楽器の弦にもなりますね」
臓物など、『その他』に分類されるのであろう有象無象が積み上げられた一角に、少々不思議なものがあった。
「これ、なーに?」
澪が見つめる先にあるのは、大きな塊だ。澪の頭ほどある、石のような、そんな塊。
『これもモツかな?』と思ってつついてみると、硬い。本当に石か何かのようなのだが……。
「あら!これは龍涎香ですね!」
その塊を見つけたナビスは、ぱっ、と表情を輝かせた。
「りゅうぜんこう……?」
「はい。鯨の体内から時々見つかる塊です。よく分からないのですが、しっかり熟成させるとよい香りがするようになるのです。貴重なものですし、他には無い香りのよさですから、大変高値で取引されます!」
「おおおおお……すごい」
確かに、澪の記憶の中にもなんとなく、『動物から採れる香料もある』という程度の知識は引っかかっている。『確かムスクとかそうだよねえ』と思い出しつつ、澪は記憶の中に『りゅーぜんこう、りゅーぜんこう』と刻み込んだ。
「成程。月鯨には龍涎香が多く見つかる、と聞いたことはありましたが……大きさも相当なものですし、これは予想外の収入ですね」
「となると、今後も月鯨を狩ると、そのお高い香水の原料が手に入る!?」
「ええ。まあ、全ての鯨の体内から見つかるものでは無いと思いますが、可能性は高いかと」
ナビスの言葉に、澪は『おおー』と歓声を上げる。お高い素材が沢山手に入ったら大儲けである。
「じゃあ、聖銀の銛の分も、結構早めに補填できそうだねえ」
「ええ。……漁師の皆さんにも多少はご負担いただきますが、やはり、全額負担、というのはあまりにも申し訳ないので……」
今回、聖銀の銛や網、ナビスの杖といった装備の購入で、大分、お金が無くなった。
これでも、カルボ達は『聖銀そのものの原材料費一切抜き、大半は純粋な技術料』という相当良心的な価格で装備を提供してくれたのだが……やはり、聖銀の加工ともなると、聖銀以外の資材を用いたり、相当複雑な工程を踏んで加工しなければならなかったりするらしいので、相応のお値段がするのである。
ということで、澪とナビスはまた、せっせとお金を稼ぐことになるのだった!
翌日、村人達が総出でクジラの骨から油を取っている間、澪とナビスとシベッドは、ようやく、近海入り口の湾を塞ぐ形で聖銀の網を設置することができた。
「次にまた月鯨を狩る時の為にも、もう1つ網は注文しておかないとかなあ」
「そうですね。カルボ様達がお手隙の際に聖銀線を作っていただけるようにお願いしておきましょう」
今回、網をこうして設置してしまうので、道具として使う網が無くなってしまう。そもそも網は消耗品だ。後々補修が必要になることも考えれば、聖銀線を作っておいてもらっても無駄にはならないだろう。
「……これで、安心して近海で漁ができるようになりますね」
「ああ。安全な海が確保されりゃ、魚も増えるだろ」
そして、網のことはさておき、海だ。
今回の戦いで、ポルタナは近海を湾1つ分、取り戻した。いずれはより広い範囲の海を取り戻していきたいが、とにかく、一歩前進できたことには間違いない。
これでポルタナの漁獲量は上がるだろうし、そうなれば食料供給がまた一歩前進、ということなのだ。一歩ずつ一歩ずつ、前に進んでいける感覚が嬉しい。
「よーし……後は鯨の皮の一部とか、鯨の骨の一部とか、そういうのを売ってお金にして……後はお肉食べてパーティーかな?」
「そうですね!月鯨のお肉はどんなお味でしょうか……」
海の上に浮かぶ小舟の上で、澪とナビスはにこにこと笑い合う。シベッドは『もう陸に戻るぞ』と早速櫂を動かし始めたので、澪も櫂を持って一緒に漕ぎ始める。
……ポルタナは、もっとよい村になっていくだろう。
鉱山を取り戻し、海もある程度取り戻せて……そして何より。
「今夜は鯨のお肉でお祭りでしょうか」
にこにこと笑うナビスを見て、澪は嬉しくなる。
うちには、世界一の聖女様がいるぞ!と。
そうして、翌々日の夜。ポルタナでは鯨肉パーティーが開催された。
……日をずらしたのは、メルカッタの人々を誘致するためである。また、どうせ鯨の肉も熟成が必要だったので丁度いい。
そうしてポルタナへやってきたメルカッタの人々は、ギルドの関係者が多かったがそれ以外の者も多い。……そう。レギナの一件によってナビスの知名度が上がって、つられてポルタナの知名度も上がったのである。
そんな人々は『3夜連続鯨肉パーティー!2日目の夜にはポルタナ礼拝式を開催!』という知らせに飛びついてきてくれたのだ!
「おおー、人の入りが結構ある」
「嬉しいですねえ、ミオ様!」
さて。そうしてポルタナの鯨肉パーティー1日目は、メルカッタからやってきた人を大勢迎え入れての賑やかなものとなった。
鯨肉のから揚げや鯨肉の串焼きといった料理が並び、人々はそれを安価に購入して楽しむ。売る側も買う側も、提供する側も食べる側も、双方が楽しそうにしているのがいい。
尚、澪は一通り屋台巡りをしてきたところだが……一押しは、鯨肉の一夜干しと切り干しマンドレイクのスープであった。力強くも優しい旨味がじんわりと広がる、正に滋味深い、といった味わいは、澪に『これめっちゃ好き……!』と言わせしめた逸品である。
「お魚も多く並んでいますね。これなら、ポルタナの漁が活性化したことを伝えることもできるでしょう」
「ね。シベちん達、張り切ってるもんねえ」
また、屋台には鯨肉とは関係なく、ポルタナの料理も並んでいる。干したドラゴン肉を戻して煮たものであったり、採れたての魚を焼いたり煮たり揚げたりしたものであったり……種々雑多に、しかしそれぞれに美味しい料理の屋台がたっぷりと並んで、人々を大いに楽しませている。
特に、魚は安全になったばかりの近海で獲られたものだ。今後もこの調子で魚を調達することができるようになれば、ポルタナの人口が増えても、ポルタナに観光客が押し寄せてきても、食糧不足に陥ることはそうそう無いだろう。……尤も、魚に偏った食事にはなってしまうだろうが……。
1日目は食べ物時々酒を楽しむ会であったが、2日目はいよいよ、礼拝式である。
……このような日取りにしたのは、『礼拝式に来るついでにポルタナの観光もしていってもらおう』という考えがあったからだ。
3日間の鯨肉パーティーがあってその真ん中に礼拝式があれば、『前日泊まって礼拝式に出て帰る』『礼拝式に出て翌日1日観光してから帰る』といった人々を誘致することができるのだ。
今回は鯨肉という、日持ちが関係するものがあったために礼拝式の決定が急であったが、今後も『ポルタナに人を誘致する』という視点で、このような3日間構成のイベントなどを考えて、広く知らせていきたいところである。
急に決定した礼拝式であったが、しっかり物販はやる。
在庫を多めに確保しておいたのが功を奏して、塩守りも袋詰めの塩もそれなりに数があったのである。
これらはよく売れた。『ポルタナの魔除けの塩を使った鯨の串焼き!』というように銘打った料理が屋台に並んでいたが、あれが広告になったらしい。串焼きの肉の美味しさを引き出す塩に興味を抱いてくれた人々が、こぞって物販で塩を買い求めてくれたのは、嬉しい誤算であった。
また、手ぬぐいやペンライトもその物珍しさからか、売れた。……ペンライトについては、『これを荷物にぶら下げておけば、松明の火が消えちまっても仲間の位置が分かる!』と、メルカッタの戦士達に人気であったので、本当にどういう理由で物が売れるかはその時々、なのである。
物販が終わったら、いよいよ礼拝式だ。
今回の礼拝式では、ナビスがしっかりドレスアップしている。……そう。できたての聖銀装備を纏ったナビスのお目見えなのだ。
ティアラめいて、しかし派手さを感じさせない清廉なデザインの髪飾りはナビスの美しさをよく引き立てていたし、その手に握られた杖は煌びやかながら静かな威厳を感じさせるものであり……つまり、まあ、どちらもナビスによく似合う、のである。
新たな衣装の聖女は、人々の歓声によって迎え入れられる。そして壇上で一礼したナビスは、今日も礼拝式に臨むのだが……。
「本日はポルタナまでお越しくださり、ありがとうございます。私、聖女ナビスがポルタナを代表して、ご来場くださいました皆様に厚く御礼申し上げます」
ナビスの挨拶を聞いて、澪はまた、嬉しくなった。
『代表』として堂々と立派なナビスを見ていると、なんだか気持ちがしゃんとするようだった。
礼拝式は今回も賑やかに盛り上がり、そして恙なく終了した。
今回、ナビスの杖の初お披露目だったわけだが、案の定、こちらは非常に好評であった。そして終了間際、澪から『次回の大規模な礼拝式には、ナビスの杖型のペンライトを物販で販売予定だよ!』と予告を打つと、会場はそれはそれは盛り上がったのである。
……この期待に応えるべく、次回礼拝式までになんとか物販を整備しなくてはならない。
さて、そうして観客達は聖餐として用意された切り干しマンドレイクサラダのサンドイッチや月鯨のミートパイを味わったり、信者同士で『あの曲がよかった!』『ナビス様の新衣装も中々……!』と盛り上がったりするようになる。
今回の聖餐は、レギナの大聖堂で出たような、手に持ってそれぞれ食べられる方式を採用している。……こうしていると取り皿の用意などが不要なので、大分手軽なのだ。今後も是非、この方針でいきたい。
そうして澪とナビスが教会の庭の隅で『おつかれ!』『今回もお疲れ様でした!』とお互いやっていると……。
「あの……すみません」
数人の人々が、おずおず、と2人の元にやってきた。澪とナビスがそれぞれ首を傾げながら彼らを見ていると……彼らは、やはりおずおず、と、それでいて、澪とナビスに会えた嬉しさを表情に滲ませながら、名乗る。
「私、コニナ村の者なのですが」
……そう。
なんと、マンドレイクの生産地の人達がやってきたのである!