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海戦、開戦*5

 ……そうして。

「ほらよ。ご注文の銛と……杖だ。持ってきな」

 遂に、注文していたものが出来上がった。

 聖銀の銛が数十。そして、ナビスの杖だ。


「立派なのができたねえ!」

 澪が歓声を上げる横で、ナビスもまた、わあ、と目を輝かせている。やはり、こうした杖は女の子の憧れなのである。

 ナビスの杖は、美しくも可愛らしい出来栄えである。肘から指先くらいの柄には精緻な模様が刻まれ、その先に取り付けられた飾りは、聖銀と金で作られた優美な曲線と、その中央に据えられた勿忘草色の宝石だ。

 宝石は、鉱山地下2階で金と共に採掘されたものらしい。十字のような星型のような形状に磨き上げられたそれはナビスの瞳の色とよく似ていて、いかにもナビスの杖、といった様子だ。

 そして、中央の宝石のみならず、あちこちに宝石があしらわれている。杖の終わりの部分にも宝石がはめ込まれ、それを装飾する聖銀と黄金がある。凝った細工でありながら、華美すぎるかんじはしない。実によくできた意匠だ。バランスがいい、ということかもしれない。

「それから、ほれ。こっちも持ってけ」

「うわあああ、ありがとうカルボさん!」

 更に、カルボが出してくれたのは、聖銀と黄金細工の髪飾りだ。ティアラのような、ヘアバンドのようなそれは、ナビスの白銀の髪によく映える。

「ったく、よくもまあ、俺達をこんなにこきつかってくれたなあ、お嬢ちゃん達」

「うん!ありがとう!カルボさん大好き!」

 流石に、これだけの品物を短期間で用意したとあって、鍛冶職人達は疲れた様子であった。……だが、完成した銛を見て『うおおお、すげえ!』『聖銀の銛……!すげえなあ!こんなにいい銛は初めて見る!』と興奮状態の漁師達や、何よりも今喜んで飛び跳ねている澪を見て、鍛冶師達は満足気でもあった。

「ありがとうございます、カルボ様。あの、お支払いは……」

「ああ、いい、いい。適当にゆっくりやってくれ。どうせポルタナに居る以上、食うには困らねえ。それにあんた達には、炉と工場を無料で譲ってもらってる恩がある。支払いが10年先だろうが20年先だろうが、構いやしねえよ」

 ナビスが支払いについて問えば、カルボは気難し気な表情をしつつも、どこか満足感を隠し切れない様子でそう言った。

「その代わり、しっかり月鯨を倒してきてくれよ?」

「……はい!ありがとうございます!」

 杖を胸に抱き、髪飾りに彩られたナビスは、申し訳なさそうにでもなく、ただ堂々とカルボに礼を言う。

 澪はそれを嬉しく思いつつ、未だ聖銀の銛に興奮している漁師達に声を掛けた。

「それじゃ、みんなー!月鯨を討ち取る準備はいいかー!?」

 音頭を取るのは澪の得意分野だ。澪の声に、皆が浮かれた調子で、嬉しそうに勇ましい声を上げる。

 士気は十分。そして装備も最高。

 負ける気がしない。……澪はにやりと笑って、海を眺める。

 ……今度は海に落ちないようにしよ、と思いつつ。




 そうして、その日の内に幾多の舟が海へ出ることになった。

「ナビスだいじょぶかなあー……やっぱ心配なのは心配だよねえ」

「……ナビス様が決めたことだ。心配するなんざ烏滸がましい」

「そっかー、シベちんはそういうかんじかー……いやでも私は心配なんだよなあー」

 澪とシベッドは、同じ舟に乗っている。そしてナビスは1人、小さな舟に乗って先頭を漕いでいる。わっせ、わっせ、と櫂を動かすナビスはなんとも可愛らしいのだが……心配は心配であった。

 何せ、今回のナビスは、囮だ。一番危険な役割だ。1人で突出した位置に漕ぎ出して、月鯨が出てきたら、すぐさま逃げる。場合によっては海に落ちることになる。その後、渦に巻かれて海へ沈んでしまわないとも限らない。そうでなくとも、月鯨に呑まれることも、十分に有り得る。

 ただ、澪はナビスに『囮の役をやめて』とは言わない。

 何故なら、大丈夫だと分かってはいるからだ。

「心配だなあ……ナビスのことだから、大丈夫だって分かっちゃいるんだけど、それはそれとして心配なのは心配なんだよなあ」

 ……ナビスならば、大丈夫だ。

 彼女の魔除けの力は確かなものだし、月鯨とて、それを至近距離で食らえばナビスを襲うどころではなくなるだろう。今のナビスは魔法少女風の杖も携え、ティアラ風の髪飾りを頭に乗せて、最強の聖女と化しているのだから。

 だが、それと心配はまた、別なのである!理性で『大丈夫』と信じられるものも、心が『心配!』と言ってしまえばそれまでなのである!

「心配……」

「ああもううるせえな!分かってんなら黙ってろよ!」

「うん、シベちんの怒鳴り声を聞くと落ち着く……ありがとうシベちん……」

「意味が分からねえ……!」

 シベッドは澪のことを『理解できねえ』というような目で見ていたが、澪はなんとなくそれすらも気を紛らわす材料にさせてもらって、今一度、ナビスの心配をするのだった。


「……そういや、お前の銛はどうした?」

 そこで、ふと気づいたようにシベッドが顔を顰める。

 そう。澪の手には、聖銀の銛は無い。……その代わりとなるものが、あるので。

「いや、私の武器はこっちだし」

 澪の手には、いつもの聖銀のラッパが握られている。

 澪の武器は、これなのだ。




 そうして舟の一団は進んでいく。ナビスを先頭にして、そこから距離を離した他の舟が進んでいく、という形で。

 ……なので、ナビスを後ろから見ていた澪とシベッドは、ナビスの舟の下で何かが蠢くのをナビスの後方から見守ることになる。

「来た!」

 光を反射する水面を通して尚、暗く見える影。

 舟の下、水の底からやってくるそれは……間違いなく、月鯨だ。


「出たか!……おーい!網の準備だ!」

 すぐさま、シベッドが合図をする。月鯨が完全に水面に顔を出してから動くのでは、遅い。相手の出方は分かっているのだ。先手を打って動いた方がいい。シベッドが声を掛けると、すぐさま他の舟がサッと動き始め、聖銀の網が引かれていく。

 澪はそんな様子を緊張しながら見守る。ナビスもきっと、今、大いに緊張していることだろう。ナビスがその手に、きゅ、と杖を握ってじっとしているのが、澪からも見えた。

 ……そして。

「よし、今だーっ!」

「皆さん!今です!」

 ざば、と、月鯨が海面に出てきたその瞬間。

 澪は聖銀のラッパを高らかに吹き鳴らし、そして、ナビスは……月鯨の頭上に、魔除けの光を生み出していた。

 まるで、月鯨の行く手を阻む天井のように。




 ぼおおお、と、汽笛めいた鯨の声が響き渡る。月鯨は、ナビス渾身の魔除けによって勢いを失い、海を波立たせながらも大した動きはできず、また、水の中へと帰っていく。

 だが、水の中には澪が吹き鳴らしたラッパの音が、染み通っているのだ。

 海中にもぽわぽわと光の玉が浮いているのを見て、澪はにやりと笑った。……音は、水の中にも通っていく。空気と水と、音が伝わる速さこそ違えども、魔除けの力は確かに、水にも伝わっていった。

 さて、月鯨は満足に海上へ顔を出せず、そして海中にも魔除けの光が浮かび始めて、いよいよ逃走を始めた。

 ……だが、その時にはもう、聖銀の網が月鯨を囲むように設置されていた。そして……。

「もう逃がしませんよ!」

 ナビスは勇ましく、聖銀の線に錘を付けたものをぶんぶんと振り回し、ひゅ、と投げる。投げられた聖銀線は網の一端に絡んで、ナビスと網とを繋ぐ。

 そして。

「ミオ様を海に落とした罰!しかと受けなさい!」

「えっ罪状それなの?」

 澪が唖然とする中、ナビスは聖銀線に杖を触れさせ、そこから魔除けの力を一気に注ぎ込んだ。

 もう逃がさない。……その意志は強い光となって、聖銀線を通じて網へと伝播していき、やがて、海全体が輝くかのような、神々しい光が湧き起こる。

 ……そうして、月鯨を完全に捕らえる、聖なる檻が完成したのであった。




 そこからは非常に速かった。

 月鯨は、最早ここまでと悟って最期の一暴れをし始めたが、ナビスは早々に撤退して事なきを得た。

 その代わりに進み出たのは数多の舟。そこに乗った漁師達は、聖銀の銛を以てして月鯨へと向かっていく。

 月鯨の体躯が大きくとも、動きを封じられて四方八方から銛で突かれていけば、命は無い。

 澪のラッパとナビスの歌が漁師達を鼓舞し、それを受けた漁師達はより一層、銛を握る手に力を籠めて……そして。


「やったー!仕留めたぞー!」

 月鯨が腹を見せて浮かぶまでに、そう時間はかからなかったのである!




 歓喜の雄叫びが飛び交う海上で、澪はナビスを見た。

 ナビスは1人、舟に乗って澪から離れた位置に居たが、ナビスもまた、示し合わせたでもないのに澪の方を見る。

 ……2人は離れていても変わらず、笑顔を向け合った。澪がガッツポーズをしてみせれば、ナビスもまた、両手を掲げて喜びと達成感を表してくれる。

 澪はこれを嬉しく思いながら……ふと、気づいた。

「ところでこれ、どうやって運ぶの?」

 珍しくも歓声を上げていたシベッドは、澪の素朴な問いにふと我に返ったようになり……そして、渋い顔で、言った。

「……網掛けて牽引するしかねえだろ」

「うわあああ、これ大変だ……」

 そう!鯨狩りは、狩った後も、大変なのであった!


 ……だが、そんな大変な作業も、然程苦にはならない。

 何せ、皆が歓喜と達成感に包まれていたので!

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