海戦、開戦*4
「も、銛を聖銀で……全員分、ですか!?」
「うん」
ナビスは唖然としながら、ミオの言葉を脳内で繰り返す。
ざざん、ざざん、と繰り返す波に乗せて、『聖銀の銛全員分』が頭の中で寄せては返し……そして、ナビスは結論づけた。
「そ、それは流石に……難しいのでは」
聖銀は、高価である。何せ、貴重な金属だ。
幸いにして、ポルタナの鉱山からはそれなりに聖銀が採掘されるが、それでも貴重な金属であることに変わりはない。
また、加工が難しい。熟練の職人も今のポルタナには多くいる訳だが……そんな彼らも、聖銀を扱うのは骨だという。無論、職人らはそれすらも楽しんでいるようではあるが……。
「いや、でも今後も絶対、鯨狩りは起こるわけじゃん?これから魔物が増えそうっていうなら、これっきりじゃなくて月鯨が出てくる可能性はあるよね?なら、設備投資はしておいてもいいと思う」
「設備投資……」
「そうそう。ほら、どうせ私達だけじゃ、月鯨を倒せないわけじゃん?なら、ポルタナの人達を少しでも安全にするためにも、彼らの装備はしっかり支給すべきだと思うんだよね」
ミオの言うことには、一理ある。ナビスとて、ポルタナの村人をないがしろにはしたくない。彼らの安全が第一だ。それは、分かる。
だが。
「ですが、聖銀があれば、月鯨はそちらにも反応します。却って彼らを危険に曝すことにもなりかねません」
……聖銀は、強い金属だ。それそのものの強さと軽さもさることながら、魔物に対して強い効力を発揮するその性質にこそ、聖銀の真価は現れる。
だがそれ故に、魔物は聖銀を恐れる。月鯨が今回出てきたのも、聖銀の網に反応してのことだったように思う。……またあのようになる可能性を、今度は、ポルタナの漁師全員が背負う羽目に、なりはしないだろうか。
ナビスはあくまでも慎重だ。聖銀で全員分の装備を、というだけでも相当な苦労であり、皆に負担を掛けることに繋がる。更にポルタナの皆を危険に曝すともなれば……。
そんなナビスに、ミオは、あっけらかんと言う。
「そりゃー簡単だよ、ナビス。その分、ナビスの装備に聖銀を増やせばいいんだって。要はバランス……えーと、均衡、でしょ?」
……聖銀の装備を、更に、増やす。ナビスに。
「……え、えええええ……そ、そんな……そんなことをしていては、どれほどの労力と財力が必要になるか……」
ナビスは慄いた。ミオの考えは、理に適っている。だが、現実的ではないだろう、とも思う。
聖銀製品をそれだけの数買い付けるのであれば、教会の蓄えを全て吐き出してもまだ足りない可能性がある。その分を、ポルタナの皆から徴収するのか、はたまた鍛冶師達に負担を頼むのか……どちらにせよ、皆に迷惑をかけることになる。
「ミオ様。流石に、聖銀製品を……皆の銛のみならず、私にも、というのは……」
何とか、他のもので代用できないだろうか。例えば、聖水の塩を使えば、聖銀ほどの性能が無かったとしても足しになるはず。それで、なんとか……。
「……少しでもナビスの危険を減らせるなら、そうすべきだと思うし、そうでないなら私はこの話、乗らない」
……ナビスの考えを遮るように、ミオはそう言った。
いっそ突き放すような言葉に、ナビスが顔を上げると、そこには口をへの字にしたミオが居た。
「皆、大事だもん。ナビスが私やシベちんのこと大事に思ってくれてるのと同じように、私やシベちんや、ポルタナの皆にとって、ナビスは大事なんだもん」
「ミオ様……」
ミオもきっと、分かってはいる。どれほどの負担が必要になるか、分かっていて……その上で、この案を出している。
他ならぬ、ナビスの為に。
ナビスも、分かっては、いるのだ。自分がどれほど愛されていて……その分、自分が皆に応えなければならないということを、分かっては、いる。
「ね?……ってことで、諦めて!私に捕まっちゃった以上、ナビスは大事にされなきゃいけない運命にあるから!」
ミオは明るく笑うと、ナビスの手を握って歩き出す。
「ほら!カルボさんのとこ、行こう!ナビスの杖もできてるかもしれないしさ!」
「さ、流石にまだ杖は完成していないと思いますが……」
ナビスも戸惑いながら、ミオに手を引かれて、歩き出す。
……結局、こうしてナビスはミオに導かれてしまう。彼女が居なければ、何もできやしない。
それでいて、皆に愛されている分、応えなければならない。
……その覚悟が、きっと、ナビスには足りないのだ。
「カルボさーん!」
「ああ?お嬢ちゃん、まだ杖ならできてねえが、進んではいるぜ!見てくか?」
「うん!見せて見せて!で、それから銛!銛作って!」
「は!?」
……そうして、ミオはナビスとシベッドを連れて、鉱山の鍛冶場へと突撃していった。ナビスはミオに手を引かれるまま、わたわたと付いていったような有様である。シベッドはシベッドで、ミオに手を引かれている訳ではないのだが、『有識者!銛を使う有識者が欲しい!よろしく!』と言われて渋々付いてきてくれている。
「銛……っつうと、何だ?鯨でも狩るのか?」
「その通り!えーとね、月鯨っていうのが出ちゃってねー」
「月鯨だと!?そうか……そんなもんが近海に出るようになっちまったか……」
カルボ他、鍛冶師達が『月鯨?月鯨だって?』『そりゃあ大物が出たなあ』『あれの肉美味いよな』『アレを倒すための銛かあ……』と話しながら寄ってくる。
「ポルタナの漁師全員分の銛を、聖銀で誂えてほしいんだ。それも、丈夫で、長く使えるような奴を!」
「聖銀で銛だぁ!?そりゃあ……贅沢なこったな」
カルボは半ば呆れ、半ば『本当に良いのか?』というような顔でナビスの方を見る。
だが、ナビスは未だ、決心がついていない。皆に負担を強いてまで、自分の危険を減らすための……そこに絡まるあらゆる問題への覚悟が、まだ、できていないのだ。情けないことに。
「ああ。いい。やってくれ」
……そんなナビスを差し置いて、シベッドがそう、声を上げた。
「費用は教会が補助してくれるらしいが、俺達漁師が出す」
「なっ……何を言うのです、シベッド!」
シベッドの言葉に、ナビスは戸惑う。シベッドは現実的な性質だ。まさか、他の漁師らの了承も得ずにこんなことを言うなんて思わなかった。
「いいだろ。ナビス様を守るのが村人全員の望みだ。それに、ポルタナは少し前と比べて、随分潤ってる。多少の出費に耐えるくらいの蓄えは、もう、できてる」
そう、シベッドは言うが、それでも、これは大きな決断になるはずだ。……その重圧が、ナビスに圧し掛かる。皆に負担を強いているという意識が、ナビスを追い詰めるようだった。
「支払いは長めにかかるかもしれねえ。だが、必ず払う。やってくれるか」
「……ま、そういうことなら、引き受けてもいいぜ」
「よし!最高のをお願いね、カルボさん!」
シベッドとミオは、カルボにもう話を付けてしまっている。それからは、『どんな銛がいいか』の話を、シベッドとカルボが話し始めて、ナビスが入る余地はもう無くなってしまった。
「ナービスっ」
戸惑いながらナビスが立ち尽くしていると、ふと、ミオがナビスの横にやってきた。そして、ナビスより高い背を少し屈めるように背中を丸めて、ナビスの顔を覗き込んでくる。
「……ごめんね。ちょっとナビス置いてけぼりにしちゃって」
「いえ……こちらこそ、ごめんなさい」
ナビスを気遣ってくれるミオの言葉に、ナビスは只々申し訳なく思う。
「なんだかまだ、気持ちの整理が付いていないようで」
思いきれない自分が、どうにも情けない。ミオの判断はきっと正しいのに、本当にそれでいいのか悩む自分が、鬱陶しい。
……だが、そんなナビスを、ミオは許してくれるのだろう。
「費用のことは後で相談して決めよ。とりあえず、今後のことも考えたら、聖銀の銛はあってもいいと思うし、そこはもう、確定ってことで」
ミオはナビスの手を握って、それから、笑いかけてくれる。
ナビスはミオの笑顔に、大分救われている。情けない自分でも共に在っていいのだと再確認させてくれるようで、只々、ありがたい。
「それで、ナビスの装備も、銛の後に考えよう。今後のことも考えたら、絶対に必要になると思うし……今、ちょっと大きめの出費になっちゃうけれど、装備があれば、ナビスはその分、ナビスのこと大切にしてくれるでしょ?」
……そして、ナビスの心を見通したようにそう言ってくれるから、ナビスはまた、ミオに救われるのだ。
「私が、私を大切に……?」
「うん。皆に愛されてる以上、ナビスは皆が思うように、ナビスのことを大切にしなきゃいけないってわけでさ。まあ……皆に愛されるのって、重いけど」
そう。重い。正に、ずっと感じていたそれを言い当てられて驚いたナビスは、顔を上げた。
「ありがたいことだけど、辛いよねえ。思いやられるのってさ、どうしていいんだか、分かんなくなっちゃう」
そっと、視線をどこか遠くへ向けたミオを見て、ナビスはなんとなく、『ああ、ミオ様にもそういうご経験がおありなのですね』と悟る。そう。思いやられて、大切にされるのは、どうしていいか分からなくなる。ミオも同じものを感じたことがある、ということは、ナビスにとって希望だった。
「それに、そうじゃなくたってさ。こう、相手にとって自分が大事なんだって、そう認めるのって、結構、勇気いるじゃん?『自分、愛されてます』なんて、思い上がりじゃないかって、思っちゃわない?多分、私なら思っちゃう」
「そう、ですね……本当に、その通りです」
ミオの言葉に、ナビスは深く深く、考える。
正に、ミオの言葉の通りなのだ。愛されるのは、重い。愛を正面から受け止めるのは、勇気が要る。思いやられて、どうすればいいのか分からなくなる。その通りだ。今のナビスは、正にそれだ。
……ナビスには、愛される覚悟が、足りていなかった。
「……ごめんね。私、そういうの分かってる癖に、押し付けてるんだ。それでも今回は、私とか、シベちんとかの我儘を通させてもらうんだけど……」
「ミオ様!」
謝罪を口にしたミオに、ナビスはちゃんと正面から向き直る。
それは、聖女としての活動を増やしてきた中でずっと、向き合えずにいた自分自身に向き合うかのように。
「私、覚悟を決めました。皆に愛される覚悟を、ようやく……ようやく、確かなものに、できました」
ナビスは、聖女になる。
愛し、そして愛されることを受け入れられる、聖女になるのだ。
「愛して、愛される。大切にされて、大切にする。当たり前のようですが、酷く難しいことですね」
この覚悟は、ナビスにとって重いものだ。
先代聖女であった母が死んでからずっと、1人でポルタナを支えなければと思ってやってきた。この身を犠牲にしてでもポルタナを守るのだ、と。
ある種、それは気楽だった。皆の為に殉ずることがあっても、それは皆の為であるのだと思うことができた。ある種、自己犠牲はナビスにとっての逃げ場であった。
「でも、自分を蔑ろにすることが、誰かを大切にすることにはならないから」
……だが、もう、逃げられない。
ナビスがミオやシベッドや、他のポルタナの皆に思うように、皆が、ナビスに思っている。『どうか傷つかず、安らかに、幸せであれ』と。
愛されているのだ。ナビスは、皆から愛される聖女なのだ。それを自覚していくのならば……もう、逃げられない。自己犠牲になど、逃げられない。
何故ならナビスは、聖女だから。
ナビスを愛する者が、ここに居るから。
「……うん!」
ミオは、ぱやっ、とその表情を笑みに染めて、そして、ナビスに飛びつくように抱き着いてきた。
「やっぱり、ナビスはさいこーう!」
ナビスもミオをぎゅっと抱きしめ返して、ミオの肩越しに海を見下ろす。
……みゃう、みゃう、と海鳥の鳴く海の果て、ばしゃ、と水飛沫が上がるのが見える。月鯨によるものだろう。
ナビスは、月鯨などに負けられない。
決意を新たに、ナビスはまた、ミオを抱きしめる腕に、きゅ、と力を込めた。