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海戦、開戦*3

 ナビス達は、一度ポルタナへ戻ることにした。

 月鯨がもう一度出てきたら、その時は本当に海に沈められかねない。今回、転覆した舟が一艘だけで、かつ、放り出された3人が皆無事だったことは非常に幸いであった。ナビスはこの幸運について神に感謝の祈りを捧げつつ、隣で舟に乗っているミオの様子を窺う。

 ミオは、時折咳き込んで、肺に入ってしまったらしい水の残りを吐き出していた。だが、ナビスがミオの方を見ると、それに気づいてこちらに笑顔を向けて、『大丈夫大丈夫』と手をひらひらさせてみせるのだ。

 ……そんなミオを見て、ナビスの思いはより一層、強くなる。

 あの月鯨、許すわけにはいかない、と。




「あの月鯨を狩ろうと思います」

 ということで、陸に戻ったナビスは開口一番、そう言った。

「おおー……ナビスがいつにも増して積極的だあ」

 ミオは少々呆気にとられた様子であったが、ナビスは意見を翻すつもりは無い。

「あのような魔物が近くに居ては、ポルタナの安全を守れません。鉱山が魔物に浸食された時のことを思えば、追い払ったとしてもまた戻ってくる可能性が高いでしょう。ならばここはしっかり仕留めておくべきかと」

 月鯨は、本来ならば夜間、遠洋に出る魔物だ。だが、それがこの近海までやってきたのは……恐らく、鉱山が魔物で埋め尽くされてしまったのと、同じだ。

 つまり、ここで月鯨を見逃してしまえば、今後、より多くの月鯨やより凶暴な魔物がポルタナ近海へ……そしてポルタナへとやってくる可能性が高いのである。

「成程なー。……でも、海の上で戦うのって、技術的には相当難しくない?シベちん、どう思う?専門家の意見も聞いてみたいんだけど」

「……まあ、難しいのはそうだろ。あれはただの鯨じゃねえ。魔物だ。人間を襲うつもりで動いていやがる」

 ナビスが今日は積極的だからか、その分、ミオが少々慎重だ。シベッドの方を見れば、シベッドも難しい顔をしていた。

 だが。

「けどよ……そろそろ、鯨狩りはしなきゃいけねえところだった。丁度いいと言えば、丁度いい」

「へ?」

 シベッドもまた、乗り気だ。にや、と笑うシベッドの顔を見て、ナビスはにっこり笑う。海と共に生き、海を愛しているシベッドだからこそ、今回、月鯨が近海に入り込んできたことは許しがたいだろう。

「鯨狩り……って?定期的にやってんの?」

「はい。灯り用の油のためにも、時々鯨を仕留める必要があるのです」

「あー、そういやそっか。灯りの油って、鯨油なんだったねえ」

 そして、月鯨を狩ることは、月鯨の侵略を止めるという目的以外に、資源の獲得にも繋がる。

 骨や皮や肝から採った鯨油は灯りや調理の為に使われるし、髭や歯は工芸品に使われる。肉は大切な食糧になって、余すことなく人々の暮らしの役に立つのである。

「普通、狩るのは魔物じゃねえ鯨だけどな。……最近、めっきり鯨が来なくなったのは、遠洋で月鯨が増えやがったせいか」

「かもしれませんね。ならば余計に、ここで月鯨を1頭でも仕留めておかなければ」

 鉱山がそうであったように、海もまた、魔物の数を徐々に増やしている。このままでは、海も鉱山と同じ運命を辿ることになる。そして……ポルタナ近辺まで魔物が押し寄せてくるようになれば、間違いなく、命を落とす者が出てくるだろう。

「そっかー……じゃ、頑張らなきゃねえ」

 決意を固めるナビスに、ミオは、にっ、と笑いかけてくれる。

「さて、そうと決まれば作戦会議だ!私、具体的なところなーんにも思いついてないから、ちょっと助けて!」

「はい!勿論!」

 ナビスはミオの手を取って、ふり、ふり、とやる。ミオもまた、ナビスの手を握り返して、ふり、ふり、とやってくれる。共に頑張るのだ、という気持ちを新たに、ナビスはミオを導くべく、早速、月鯨討伐に向けての案を出すことにするのだった。

 ……尚、この間、シベッドは『……なんで手ェ繋いでんだ?』と不思議そうにしていたが。だが、女子というものはこうなのである!こうすると、ナビスは元気とやる気が出るのである!そして多分、ミオもそうなのである!




「聖銀の網で、月鯨を囲ってしまうのが良いのではないでしょうか」

 ということで早速、ナビスは砂浜の上に、貝殻を使って線を引いていく。ポルタナ近海の湾の図を描き、湾の入り口を閉じて……そして、その中に月鯨を捕らえてしまう、というような図を完成させていく。

「月鯨は普通の鯨よりも大きな体をしています。力も強く、普通の網であれば簡単に引き千切ってしまうでしょう。しかし、魔物ですから……魔除けの術には弱いはず。ならば、魔除けで弱らせてしまえば、然程苦労せずに仕留められるのではないかと思うのです」

「成程ね。魔物だから厄介だけど、魔物だからこその作戦が通じるってわけかー」

 月鯨は魔物だ。それ故に力も強く、厄介なのだが……魔物だからこそ、聖女であるナビスと勇者であるミオが有利に動けるはず。

「湾の中に月鯨を誘い込んで、湾の入り口を聖銀の網で封鎖してしまえば、月鯨とじっくり戦うことができます。また、一度そうしてしまえば聖銀による魔除けの効果を月鯨に与えることが容易です」

 網でなくともよいのだが、月鯨に聖銀を使いたくはある。なんだかんだ、聖銀は圧倒的に魔除けの効果が高い。祈りを通した聖銀であるならば、間違いなく、月鯨を一気に弱体化させられるだろう。

「ただ、その場合、どのようにして月鯨を湾の中へ誘い込み、どのようにして月鯨の隙をついて湾を封鎖するか、が問題なのですが……」

 ……だが、この策には当然ながら、穴がある。

 それは、魔除けを十分に施す前の月鯨を、どのように誘導するか、ということなのだ。

 湾の近くの陸で張っておいて、月鯨が悠々と迷い込んで来てくれるのを待つか、或いは……。

「囮なら俺がやる」

 ……シベッドの申し出を、受け入れるか。どちらかである。


「……お、囮ぃ!?」

「適任だろ」

 シベッドは淡々としている。それこそ、ナビスでさえも戸惑ってしまうくらいに。

「え、えええー……いや、適任かなあ?だったら勇者である私が……」

「泳げねえ奴に鯨の囮が務まるかよ」

 ミオはシベッドを止めようとしたが、シベッドは、はっ、と鼻で笑うようにしてミオを黙らせた。

「ぐうの音も出ない……いや、ぐうの音くらいは出したい!ぐう!」

「何言ってんだこいつ……」

 ……ナビスとしても、ミオを囮にしたくは、ない。ミオはあまり、水が得意ではないのだろうと思われた。少なくとも、幼い頃からずっと海で泳いできたナビスやシベッドとは事情が異なり、また……肺のことも、ある。

 一度穴が開いた肺は、また穴が開きやすいのではないだろうか。ましてや、ミオには魔除けのためにラッパを吹いてもらってしまっている。元の世界で、ミオは高度なラッパ……とらんぺっと、というらしいそれを吹いていて、肺に穴を開けてしまったのだというが……。

 かといって、シベッドを囮にしたくも、ない。

 ……彼が何を考えているのかは、なんとなく、分かってしまう。ずっと一緒に育ってきて、そして、あの日以来、どこか疎遠になってしまったような、微妙な距離感を間に挟んでしまった間柄だ。シベッドが何をずっと思ってきて、何を今考えているのか、ナビスには、分かってしまっていた。

 彼は、贖罪しようとしている。

 だから、危険な役割を自ら買って出ている。近海の魔物と戦っているのだって、そうだ。鉱山のレッサードラゴンを相手に立ち向かって、瀕死の重傷を負って戻ってきたのも、そうだった。

 ……気にしなくていい、気にしないで欲しい、とナビスが願っても、シベッドの心はどうにも、救われてくれない。

 ナビスの母が死んだ原因が自分にあるのだと、そう思って……未だに、シベッドはそれに囚われたままなのだ。

 だから、シベッドを囮にするわけにはいかない。

 ギリギリまで生きようと思うのではなく、いざとなったら死んでしまってもいいと思ってしまっている、そんなシベッドに囮の役を担わせるわけには、いかないのだ。


「……シベッド。やはり、あなたを囮にするわけにはいきません」

 考えたナビスは、そう、結論を出した。

「じゃあどうするんだ。囮が必ずしも必要だとは思わねえが、それでも……」

「私が囮役をやります」

 ナビスの言葉に、シベッドもミオも、ぎょっとした。だが、ナビスの意思は、固い。

「月鯨は魔除けの力に反応して襲い掛かってきたようでした。ならば、私が囮になるのが適任です」

「いや、いやいやいや、ナビス、流石にそれは……」

「そして、月鯨が私を襲いに来たならば……魔除けの術を、至近距離で施すことができます」

 月鯨がナビスを襲いに来たその時は、危険でもあるが同時に、好機でもある。

 ナビスの力であれば、瞬時に近辺の海水を聖水に変えることができる。月鯨は聖水の中へ飛び込んでくることになり、当然、力を失うだろう。それ以外にも、魔除けの術を二重三重に施すことも、ナビスならば可能なのだ。

「私はポルタナを守りたい。そのために、最も確かな方法を選びたい。お願いします。どうか、力を貸してください」

 ナビスを囮にするという案に、ミオもシベッドも、すぐさま頷いてはくれない。

 だが、困惑する2人を前に、ナビスは退かない覚悟であった。……これが最も合理的で、効果的。そう分かっているのだから、多少の危険は顧みない。ナビスの危険を回避するために、ミオやシベッドやポルタナの皆を危険に曝すわけにはいかない。

 そう、ナビスは強く思って、2人を見つめる。

 どうか、と祈るような気持ちで。


 シベッドは、昔のことを思い出したのか、強張った表情で視線を砂浜に彷徨わせている。そして、ミオは……。

「……分かった。じゃあ、囮はナビスに任せる」

 ミオは、決意したように、そう言ってくれたのだった。




「んだと!?おい、何考えてやがる!」

 シベッドがミオに食って掛かる。だが、ミオはそんなシベッドをやんわりと押し留めて、ひょこ、と片手を挙げた。

「ただその代わり、私からも提案。いい?」

 柔らかく微笑んではいるが、ミオの目は真剣そのものだ。ナビスは、『ええ、どうぞ』と頷いて、ミオの意見を促す。……すると。

「この際、贅沢とか考えずに、聖銀使おう。銛とか槍とか、鯨にぶっ刺すやつ、作ろ。……ポルタナの漁師さん達、全員分!」

 ミオは笑って、そんなことを言ったのだった。


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