鉱山ダンジョン地上部*2
さて。
いざ、魔物の群れと戦う、となった時……澪とナビスが最初に取った行動は、香と灯りの準備、であった。
荷物の中に入れてあったお香を岩のくぼみの上に乗せ、火をつける。その横には、小さなランプを。
……下手を打てば魔物から気づかれる距離である。だが、こうするのだ、とナビスが言う以上、澪はそれを信じようと思う。
小さな簡易祭壇が出来上がったところで、ナビスは、すう、と息を吸い、歌い始めた。
ナビスの歌は山の空気を震わせる。清く凛とした歌声が、満月の下、山の岩に反射して響き渡る。
……教会で歌っていたのとは別の歌だ。優しさより、凛々しさを。清らかでありながら、強く。まるで、ナビスが持つ聖銀の剣の刃のような、そんな歌である。
当然、魔物達は、気づいた。だがそれでも、ナビスは歌を止めない。魔物の視線を受け、多少、緊張に歌が上ずっただろうか。だが、ナビスはそれをまた立て直し、歌い続けている。
……すると、不思議なことが起こった。
ほわり、ほわり、と地面から沁み出すように光が立ち上り始めたのである。
澪が息を呑んで見守る中、光はシャボン玉のように宙に浮いて、そして、魔物達を包み込み始めた。
すると魔物達は、先ほど澪がコボルドに聖水を浴びせた時のように、煙を上げ、そして、小さな個体はそれだけで息絶えていくのである。流石に、レッサードラゴンなる大きなトカゲはそうもいかなかったが、周囲に居たコボルドは、半数近くが、倒れた。
そして、ナビスの歌がいよいよ高らかに響くと、レッサードラゴンに光の鎖が巻きついていく。
ほわり、と如何にも柔らかそうな輝きは、見た目と裏腹に頑丈であるらしい。鎖に絡め囚われたレッサードラゴンは、ぎゃう、と声を上げながら地面に倒れる。
……これが、ナビスの行使する、神の力である。
ナビスの歌が終わると同時、澪も動き出す。
未だ、魔物達は光に包まれ、もがき、悲鳴を上げているところだ。澪はそこへ駆けていきながら、聖水の瓶を思いきり投げつけてやる。
一度やって、要領は掴めている。覚悟はより強い。そして、相手は既に弱っているところだ。
だから、然程苦労しなかった。聖水の瓶を投げつけた直後、ナイフでコボルドを刺し、その勢いのままタックルをかけて倒す。ナイフを抜いてもう一撃刺せば、それでコボルドは息絶えた。
確実に、成長している。澪はそれを実感して、笑う。少々意識して笑みの形を作れば、気分もそれに合わせてノッてくるというものだ。
だが、これで終わりではない。まだ魔物は居るし、それらは澪に襲い掛かってくる。
……最初の一体も、今倒した一体も、半ば不意打ちで仕留めた。真っ向から向かってくる魔物と対峙するのは、これが初めてとなる。
だが、なんとかなる。
「よし!おっそい!いける!」
ナビスの歌および神の力の効果は、絶大であった。魔物達の動きは鈍く、振り上げられた腕は弱弱しい。それらの動きを掻い潜って聖水の瓶を投げつけてやることも、十分に可能だった。
聖水が間に合わなくても、ナイフを構えて刺しに行けば、間に合う。相手にやられる前にやってしまえばいい。行動は早いに限る。
……それに、澪1人ではないのだ。
「ミオ様!加勢します!」
ナビスが居る。……先程の歌で現れたような、美しい光を纏って。
ナビスの白銀の長い髪に、金色の光がよく映える。金色の光はナビスの剣にも纏わりついて、剣が振られる度、宙に金色の線が描かれた。
「うわっ、ナビス、滅茶苦茶に綺麗!」
思わず目を奪われるほどの美しい光景に、澪は思わず声を上げていた。コボルドを片付けていくナビスは、まるで舞っているかのようだ。金色の光と、空から降り注ぐ月光とがナビスを彩って、神秘的で美しい光景を生み出している。
賞賛しなければ、と澪は思う。今もまた、一刀の下にコボルドを切り伏せたナビスの、なんと凛々しく美しいことか!
「すごい!ナビス、かっこいいよ!」
「ありがとうございます!」
澪が讃えれば、ナビスが笑顔で応える。……ナビスの頬がやや紅潮すると同時、ナビスを包む光が、少々強まった。
おや、と思いつつ、澪はそれを見つめ……思う。
……やっぱり祈りって、こういうのでいいんだあ、と。
そうしてコボルドが粗方片付いた時。
パキン、と軽く硬い音がして振り向けば、そこには、光の粉となって消えていく鎖と、自由になってしまったレッサードラゴンが居た。
「あー、やっぱ、先にやっとくべきだったかなあ、あれ」
「いえ……一対多数に持ち込まれる方が、危険ですから」
「それもそっか」
澪はまた1体コボルドを刺し殺すと、鞄から聖水の瓶を取り出してレッサードラゴンを見上げる。
強敵が残ってしまったが、逆に言えば、強敵1体しか残っていないのだ。
なんとかなる。なんとかする。緊張気味のナビスを、ちら、と見て、澪は……自分の役割を思い出す。
「ま、どのみち、強くてかわいいナビスの敵じゃないね!」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
ナビスを信じること。信じる力を、託すこと。そして……。
「ってことで、いくぞーっ!」
澪は、ナビスと共に戦うのだ。
勢いよく投擲した聖水の瓶は、見事、レッサードラゴンの目に直撃してくれた。
+
ナビスは内心に、焦りを抱えていた。
何せ、レッサードラゴンだ。今までにナビスが対峙してきたどんな魔物よりも強力で、凶悪である。
……ドラゴン、といえば、強力な魔物の代名詞である。ドラゴンはとにかく、強い。牙は鋭く、鱗は固い。こちらの攻撃は通らず、そして何より、相手は巨体だ。振り回される尾にぶつかれば肋骨の数本は容易く折れ砕けるであろうし、吐き出される炎に包まれれば人間は死ぬ。
更に、ドラゴンは賢くもある。より効果的な攻撃を知っていて、それを繰り出してくるのである。
だから、下手にドラゴンが出没すれば、小さな町程度、あっという間に滅ぶ。古代種のドラゴンが出没した国が一晩で滅んだ例すらある。……それがドラゴンという魔物なのだ。
尤も、伝説に残るようなドラゴンと比べれば、目の前のレッサードラゴンはまるで大したことの無い魔物、ということになるだろう。
レッサードラゴンはその名の通り、矮小なるドラゴンだ。空を飛ぶ翼は退化しており、基本的には地を歩き回ることしかしない。炎を吐くにしろ、一瞬で骨まで焼かれるようなことにはならない。
ナビスの3倍はあろうかという巨体も、レッサードラゴンの中ですら小さな部類である。だから、本当に大きなドラゴンと比べれば、大したことはないのだ。
……だが、そんな『大したことはない』ドラゴンでさえ、ナビスには脅威である。
ポルタナの人口は、どんどん減少していた。鉱山の地下3階が封鎖されてからは、ポルタナへ来ていた鉱山労働者達が姿を消し、遠洋で凶悪な魔物が発見されてからはいよいよ若者が居なくなり……そうして、ナビスの元に集まる信仰心は、どんどん減少していった。
……そして、信仰心の減少は、人口の減少だけが原因ではない。
ポルタナの人々は、ナビスを信じる気力が、もう、無いのだ。
迫りくる魔物と、それに伴う村の過疎化。先細る未来。改善する兆しの無い現状。……それら全てをひっくり返す力はナビスには無い、と、そう、村の皆から思われていたのだろう。
実際、そうだった。ナビスは剣術に長けている訳でもなく、魔物に立ち向かうにはあまりにも、弱かった。
神の力を行使して、無理矢理魔物と戦ってはいる。それらしく戦えるように、なった。だが……それでも、レッサードラゴンと対峙できるほどには、強くないのだ。
逃げるべきでは、と、ナビスは一瞬、迷う。おかしな話だ。昨日、祭壇で祈っていた時までは、ナビスは死ぬ覚悟でいたというのに。逃げるなど、端から選択に無かったはずなのに。
……だが、今のナビスは、1人ではない。ミオが居る。神がこの地にもたらした希望のようにも思われる、明るく前向きな、ミオが。
ミオを死なせるわけにはいかない。ナビスはそう、決意する。だから……ナビスは、戦うのだ。
「よーし!当たったぁ!」
丁度、ミオが投げた聖水の瓶は、どちゅっ、と厭な音を立ててレッサードラゴンの片目を潰していた。非常に、幸先がいい。それこそ、神の加護があるのではないか、と思われるほどに。
「もう一発いくよーっ!」
「お願いします!」
ナビスは剣を構える。
それは、『自分が盾になってでもミオを生かす』というような、後ろ向きな決意ではなく……『ミオと共に、レッサードラゴンを倒す』という、至極前向きな思いによって。
ナビスは決して、剣術が上手くはない。時折、修行の為にシベッドに手合わせを頼むことがあったが、大抵はシベッドに一本取られてしまっていた。
……だが、ナビスの技術は、剣を操ることではなく、神の力を操ることに長けている。
剣はあくまでも、神の力を行使するための触媒でしかない。貫き、切り開くために剣を用いるだけで……結局のところ、ナビスの戦いとは、神の力をいかに巧みに操るか、という、ただそれだけのことなのだ。
すう、と呼吸を整えて、ナビスは集中する。
ナビスが纏う金色の光は、剣を強く強く輝かせていく。レッサードラゴンが片目を潰された痛みと怒りに咆哮を響かせ、輝くナビスへと向かってくる。狂気めいた怒りに怯まないよう、ナビスはただ、心を強く保ち続ける。
ナビスに迫るレッサードラゴンを、待って、待って……そして、レッサードラゴンが振りかぶった爪が、ナビスへと向かった、その時。
「ええい!」
ナビスは剣を振り抜く。
剣は金色の光を眩く散らしながら宙に線を描き、レッサードラゴンの腹部へと迫る。
そして……剣は、レッサードラゴンの分厚い皮を切り裂いた。
だが。
「嘘っ」
足りない、と、ナビスは瞬時に理解した。
傷が、浅すぎる。ナビスの渾身の一撃は、確かにレッサードラゴンの腹部を切り裂き、血を流させたが……仕留めるには、足りなかったのだ。
「きゃっ!?」
更に、ナビスへ迫っていた爪は、多少軌道を変えながらもナビスに向かってきて、咄嗟に防御の姿勢を取ったナビスの剣を、強かに弾く。
あっ、と思った時には、遅い。
たった今、力を出し切ったナビスの手は、剣を握り続けていることができなかったのである。
……剣を、弾かれた。
聖銀の剣は澄んだ音を立てて宙を舞うと、そのまま崖下へと落ちていった。
「ナビスっ!」
ミオの声を聞きながら、ナビスはぼんやりと、自らの死を感じ取った。
手負いのドラゴンの前で、武器を失って立っている自分。……ほんの数秒後にはもう、死んでいるであろうことは、想像に難くない。
レッサードラゴンは聖なる剣を弾いた反動か、腕に痺れが生じたらしい。金色の光が纏わりついて、多少、動きが鈍くなっている。だが、それだけだ。あと数秒もすれば神の力はいよいよ消え失せ、そして、レッサードラゴンは、ナビスを殺す。
……そう、思ったのだ。
そう『信じた』と言ってもいいほどに。自らの『死』を、当然のものと、ナビスは感じ取った。
だが。
「私を、信じて!」
ミオの声が、ナビスを引き戻す。
レッサードラゴンに向かって、複数の聖水瓶が投げつけられていた。ばらばらと降り注ぐ聖水の瓶に、レッサードラゴンの意識が逸れる。
……そして。
「信じます!ミオ様!」
ナビスは、祈る。
神に祈るより、ずっとずっとはっきりとした気持ちで祈る。
普段祈られるばかりのナビスだったが、祈る気持ちは誰よりも強いのだ。
……ずっとポルタナを覆っている暗雲の先に、青空を、見たい。
その思いは、ずっとずっと、ナビスの中にあった。
そして……突然に現れたミオであるならば。彼女なら、この暗雲を、切り裂いてくれるような。そんな予感が、するのだ。
だからナビスは、自分に残った神の力も、祈りも願いも全て全て、ミオへ託す。
レッサードラゴンが聖水の瓶を払い飛ばす。いくつかの瓶は割れ砕けて、聖水が宙を舞い……強く、煌めく。
……今、辺りを強く照らし、水飛沫を輝かせているものは、満月でも星でもない。
ナビスの祈りを纏った、ミオである。
ミオが手にした聖銀のナイフは、今、ナビスの祈りを受けて光の剣と化していた。
その姿はまるで、伝説の勇者のよう。ミオは両手で握りしめたナイフを構え、レッサードラゴンの腹部へ迫る。
そしてナビスが切り裂いた傷口へと、ナイフは迷いなく進んでいき……レッサードラゴンを貫く一条の光となった。
「……ああ」
倒れ、動かなくなるレッサードラゴン。そして、その横で荒く呼吸しているミオを見て、ナビスは思う。
「夢、みたい……」
こんなことがあっていいのだろうか、と、どこか現実味の無い感覚の中、ふわふわと、思う。
だが、夢ではないのだ。およそあり得ないことに、ナビスとミオは、レッサードラゴンを、倒してしまった。
ナビスだけでは、絶対に成し得なかったことだ。ミオがいたからこそ、未来が、切り開けた。
ポルタナごと、ナビスをずっと包んでいた暗雲が、すぱり、と切り払われたような。そんな心地だった。
……ナビスは、自分の頬を涙が伝っていることにも気づかず、ただ、ミオを見つめ続ける。
こちらに気付いたミオが、太陽のような笑みを浮かべる。人差し指と中指を立てる仕草は、喜びか勝利を表すものだろうか。
纏う金色の光が薄れ消えてもなお眩しいミオの姿に、ナビスは、憧憬を知った。