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鉱山ダンジョン地上部*1

 さて。

 ポルタナの山は、然程険しくない。それこそ、体力の落ちた澪でも、休憩しながら登れば然程辛くない程度だ。

 服装は、朝に着替えたままの恰好だ。防具の類は無い。革鎧が教会の倉庫にあったのだが、慣れない服装で身動きを取りにくくなる方がヤバい、と、装備は見送った。

 逆に、靴は変えてきた。海辺であれだけ滑ったんだから、ローファーで山登りは駄目でしょ、ということで、教会の倉庫にあった革のショートブーツを借りたのだ。多少靴のサイズが大きいのだが、中に布を詰めて誤魔化した。サイズが合わないとはいえ1㎝程度のことなので、十分何とかなっている。

「ミオ様、お荷物が重いのでは」

「いや、大丈夫大丈夫。このくらいの荷物は背負って毎日歩いてたから」

 ナビスは澪を荷物持ちにしていることを申し訳なく思っているらしい。だが、荷物の重さは、なんてことが無い。……現代の高校生は、教科書や参考書をぎっしり詰めた鞄を持って毎日登校しているのである。今の荷物は、それと比べて、大した違いはない。これだったら、学期末に荷物を持ち帰る日の方が余程重い。

「……結構、植物が生えてるんだね。鉱山っていうから、もっと禿山なのかと思ってた」

 澪は辺りを見回して、ほう、と息を吐く。

 周囲には、案外、植物が多い。ところどころに岩石が露出してもいるが、辺りには木が生い茂り、草がふさふさと生え、低木の茂みには木苺めいた実が生っている。『まあ、民家も半分くらいは木でできてたしなあ』と思い出す。

「もう少し登っていくと、木は無くなっていきますね。坑道近くは、木々を伐採して、作業しやすくしておりますので」

「あ、なるほどね」

 ほら、とナビスが示す方は、確かに、こちらより緑色が少ないように見える。あちらがナビスと澪の目指す先、鉱山、ということなのだろう。


「一応、もっかい確認するんだけど……今回、魔物を退治するのは、坑道の入り口のところ、って言ってたよね」

「ええ」

 それから休憩がてら、澪はナビスにダンジョンについて再確認する。

「ダンジョンと化した鉱山には、坑道がございます。深さに応じて、5階層ほどに分かれておりまして……かつては、希少な鉱石もそこで採掘されていました。ですが、地下3階までしか、私は知りません。私が物心ついた頃には既に、地下5階と地下4階は魔物の巣窟となっていたので」

 ナビスは土の上に木の枝で図を描いて説明してくれる。図は、6段積み重なったケーキのようなものだ。そして、一番下の段とその1つ上の段に、×印を付けた。

「そして、私が聖女になった時には、地下3階が封鎖されていました。その頃から、若者はポルタナを見限って外に出ていくようになり……私くらいの年齢の者は、私とシベッドの2人だけです。残った者は、大抵、子育てを終えた世代で……」

「限界集落じゃん……やば……」

 魔物が出たことによって、この村は限界集落と化している。これでは信仰心も集まらないのではないだろうか。そして信仰心が集まらなければよりできることが減っていき、より、人口減少が加速していく。悪循環である。絵に描いたような、悪循環が、異世界の地で起きているのである。澪は少々、遠い目になった。

「そうしている間にも魔物が増え、昨年には地下2階と地下1階も魔物に浸食され……そしてつい先月、地上部分にまで、魔物が現れるようになったのです」

 ナビスは図の一番上の段に、大きく〇印を付けた。ここが今回、ナビスと澪の攻略すべき場所なのだ。

「ここまで活発に魔物が動いたことは、ありませんでした。魔物も己の領分を弁えて、人間には近づかぬように生きていることが多いのですが……最近は、どうも、魔物の動きが活発なのです」

「何か、原因があったとか?」

 澪が尋ねてみると、ナビスは黙って首を横に振った。

「分かりません。……一応、王都の大聖堂に報告書を提出してはいるのですが、返信は、まだ……」

「そっか……」

 原因不明、となると、なんともし難い。だが、ナビスの話を聞いている限りでは、鉱山だけでなく海にも魔物が増えているという。となると、世界全体で魔物が増えているような、そうした事態が起きているのではないだろうか。


「原因は分かりませんが、対処しないことには、どうにも。まずは地上部分に現れた魔物を退治することで、鉱山の中に住み着いている魔物を警戒させることができると踏んでいます。地上に出てはいけない、と魔物が学べば、ひとまず、村への被害は出さずに済むかと」

「成程ね。よし。まあ、原因とかは考えないことにして、今はそれに集中、ってことだね」

 原因究明は後でいい。今はそんな余裕はない。今はとにかく、応急処置。もうほとんど死にかけた村の息の根が止められないように、最低限の延命を行うのが目的なのである。

「……で、今回のが上手くいったら、礼拝式、やろう。それで信仰心集めて、海か、鉱山の地下1階か、どっちか攻略していこう」

「え?」

 だが、先の見通しは、持っておきたい。

 ナビスは何やら悲壮な決意を固めているところだが、折角ならそんな決意ではなく、もっと明るい気持ちで事に臨んでもらいたい。

 マイナスをゼロに戻す仕事は、しんどい。だから、ゼロがプラスになっていく未来込々で、考えていった方がいい。その方が、やる気が出る。澪はそう思っている。

「魔物が出なくなったら、出てっちゃった人達も帰ってきてくれるかも。採掘業が復活できれば雇用が生まれるし、そうすれば人が増えて、信仰心を集めやすくなって、できることが増えていくでしょ?」

 悪循環に陥った村でも、悪循環の原因を少しずつ押し返していけば、好循環が生まれていくはずなのだ。

 人を集めて、信仰を集めて、力で問題を押し返していく。そういう風にできれば、ポルタナは限界集落ではなくなるだろう。

「……そう、ですね」

 ナビスは、『そんなこと考えていなかった』というように、ぱちり、と目を瞬かせ……そして、花がほころぶように笑う。

「やはり、ミオ様は神であらせられるのですか?」

「えっ!?違うよ!?」

「本当に?……なんだか、ミオ様とお話ししていると、気持ちが明るくなってくるようで」

「あはは。私、前向きが取り得だから」

 くすくす、と笑うナビスには、先ほどまでの緊張は、もう無い。

 ただ、未来に向けての希望と決意が、ナビスの中で燃えている。そして、そんなナビスを見た、澪の中にも。




 山を登っていくと、次第に木が無くなっていき、低木や茂みが岩の隙間から生えるばかりとなる。

 そして、人の手がかつて入っていたことをうかがわせるような物も、見られるようになってきた。

「昔は、ここに滑車とロープがありまして……鉱夫が荷物や人を下ろしたり、引っ張り上げたりするのに使っていたのです」

「あー……壊れてるねえ」

 どうも、ここにはロープウェーのようなものがあったらしい。だが、今や、滑車を支える支柱がばきりと折れてしまっている。

 支柱のあたりから見下ろせば、ポルタナの村が下の方に見えた。澪達は山をぐるりと登って、丁度、村の上の方に出てきたらしい。成程、ここから荷物を上げ下ろしできれば、わざわざ荷物を背負って山を上り下りしなくていいのだ。

「地上部分に巣食う魔物を排除できれば、修理の手を入れることもできるでしょう」

「そっか。じゃあ、もう山登りしなくてよくなるように、頑張って魔物退治しなきゃね」

 ここのショートカットができたらいいなあ、と思いつつ、澪は辺りを見回して……。

「……ん?今、あっちで何か動いた。岩の陰」

 何かを見た気がして、ナビスを呼ぶ。するとナビスは、はっとしてそちらをじっと見つめ……そして、表情に緊張を走らせる。

「早速、一体居ますね」

 2人はそっと身を屈めて茂みに隠れつつ、そっと、何かが蠢いた方を観察する。

 ……そこに居たのは、毛の薄い犬が二足歩行しているような、そんな生き物だ。手には、かつて鉱山で使われていたものだろうか、つるはしのようなものが握られていた。


「コボルドですね。弱っているようですが……武器を持っているようです」

「魔物って知能、あるの?」

「ものによりますが、コボルドは道具を使う魔物ですね。鉱山に住み着きやすいとか」

 マジかあ、と思いつつ、澪は『コボルド』とやらを眺める。……覚悟はしていたが、いざ目の前に魔物が現れると、少々、身が竦む。コボルドはナビスよりもさらに小柄だったが、それでも、それなりに大きい。だが、澪とナビスは今から、あれを相手に戦うのである。

「……ミオ様。少々、ここでお待ちください。仕留めて参ります」

「えっ」

 すると突然、ナビスが出ていく。そっと身を屈め、茂みに隠れながら、じりじりと、コボルドとの距離を縮めていき……そして。

 ぱっ、とナビスは駆け出した。コボルドはナビスに気づいたが、その時にはもう、ナビスの剣がコボルドに迫っている。

 ……そして、血飛沫が飛ぶ。続いて、コボルドの頭部も。

 びしゃり。ごと。……音が厭にはっきりと聞こえる。頭部を失ったコボルドの体が、べしゃり、と地面に崩れ落ちたのを見て、ナビスは剣の血を払い、鞘に納めた。

「わ、わあー……」

 そして澪はというと……少々、腰が引けていた。

 覚悟は、していた。していたが……。

「結構、グロいね……あはは……」

 ……生々しい殺生のシーンは、澪には少々、刺激が強かったのである。




「ミオ様、大丈夫ですか?」

「あ、うん。平気。だいじょぶ。ちょっとびっくりしたけど、それだけ」

 やがて、戻ってきたナビスに心配されながら、澪は落ち着くまで待ってもらった。

 情けないものである。ナビスの付き添い、などと言って出てきたのに、実質、これではナビスが付き添ってくれているようなものである。

 これではいけない。澪は気力を振り絞って立ち上がると、改めて、聖水の瓶を握りしめた。

「ミオ様、もう少し休まれた方が……」

「いや、平気。もう大丈夫になった。大丈夫にする」

 ぐっ、と拳に力を込めて、澪は己を鼓舞する。多少のゴア表現がなんだってんだ、と。こんなのにビビり散らしてたらナビスの応援なんてできないぞ、と。

「やるって言った以上は、やりたい。怖気づいて、やっぱ無理、とか、言ってらんないよ」

 気合を入れなおせば、もう大丈夫だ。いや、大丈夫じゃないのかもしれないが、大丈夫だということにする。そういうことにして、澪はなんとか、空元気を振り絞るのだ。

「次に出てきた奴、私がやっていい?」

「へ?」

 そして……澪は、『どうせやるなら、一気に突っ込んじゃった方が、後が楽』ということを、知っている。トイレ掃除だって、ヘドロまみれプール掃除だって、そうだ。ちまちまやっていたって終わらない。最初から全力で、一気に突っ込んでいった方が、気持ちも楽だ。

「……多分、一回、やってみといた方がいいと思う」

 澪は、聖水の瓶を握りしめ……同時に、ベルトのナイフに、触れた。




 鉱山の入り口に向かってもう少々進むと、また、コボルドが1体、居た。先ほどとの違いは、今度のコボルドは手に特に何を持っているでもないということである。武器が無いなら、多少は安全だろうか。

「じゃ、やってくる」

「ミオ様、どうか、ご無理はなさらず」

「うん。もし駄目だったら逃げてくるから……えーと、その時は、よろしく、かも」

 ナビスに心配される自分を少々情けなく思いつつ、『でも、初めてなんだししょうがないよね』と諦めも付ける。みっともなくても情けなくても、これが今の澪だ。そして、今どうであれ、これから成長していけばいい。ただ、それだけのこと。




 澪は、じりじり、とコボルドに近づいていく。

 ……近づいていくと、それが生き物だと、分かる。コボルドの荒い息遣いも、体を動かす様子も、細かく、分かるようになる。

 なので、近づくのはある程度までにした。まだ現実味が多少薄いままに、澪は、手にしていた瓶を振りかぶって……投げる。

 トロンボーン奏者に向いていたであろう長い腕から繰り出される投擲は、それなりの威力を以てして、コボルドを襲った。コボルドの頭蓋を凹ませるほどの威力でぶつかった陶器の瓶はそこで割れ砕け、中に満たされていた聖水をぶちまける。

 ぎゅいいいいいいい、と、聞いたことの無い生き物の声が上がる。コボルドの声は、どんな動物の声とも似ていない。

 聖水が降りかかった箇所から、煙が上がっている。溶けているのか、燃えているのか。電気が流れたようなかんじなのだろうか。どうなのだろう。知りたいような知りたくないような気持ちになりながら、澪はコボルドに向かって走る。

 聖水を頭部に受けたコボルドは、じたばたともがきながら地面でのたうち回っている。澪はそこへ、ナイフを抜いて迫ると……コボルドの喉に、ナイフを突き立てた。


 少々、手間取った。

 コボルドは喉を突かれただけでは、動きを止めなかったのだ。暴れて振り回された手足が澪に多少、ぶつかった。吹き出る血が撒き散らされて、余計に澪の精神を削る。

 だがその後、数度、どすどす、と胸や目を狙ってナイフを突き刺せば、コボルドは弱弱しく痙攣するだけになり、そして、動かなくなった。

「……うわー」

 気づけば、両手が血塗れになっていた。鉄臭さと生臭さが混じり合って、気持ち悪い。

 借り物のシャツも、容赦なく血塗れになっている。『返り血って本当にあるんだ』などとぼんやり思いながら、澪はのろのろと顔を上げる。

 ……すると、心配そうにこちらを見ている勿忘草色の目があった。ナビスは澪と目が合うや否や、すぐに駆けてくる。

 そんなナビスを見て、澪は……ようやく、落ち着きを取り戻した。

「ナビス。やったよー」

 へら、と笑って見せながら、澪は、脊椎動物を殺した感触を、なんとか受け止めることに成功した。




 それから澪とナビスは、獲物の解体作業に移った。

「コボルドの牙は、村に持ち帰れば細工物にしてくれる職人が居ます。細工して売れば、少しはお金になるかと」

「へー」

 ナビスは手際よく、コボルドの死体から牙を取り出していく。2体のコボルドから、大きな牙が4本、手に入った。それに、小さな牙がいくらか。

「……ちなみに、お肉は?」

「う、うーん……コボルドの肉は、あまり、食用には向きませんね」

「あ、そうなんだ……」

「肝が薬になりますから、帰り道で余裕があったら持ち帰りましょう。食用に向く魔物も居ないわけではないので、そういったものが見つかれば、お肉が手に入りますよ」

 会話しながら、牙を聖水で洗浄して、ついでに澪の手とナイフもある程度汚れを落としていく。手の中に残った牙は、白く、綺麗だ。こうしてみると、ちゃんとした『戦果』があるのだと分かって、何か、澪は自分の行いに納得がいくような、そんな気がする。

 ……先ほど、澪は敢えてナイフを使った。

 聖水の投擲だけでもコボルドを倒せるような気がしたが、それでも、ナイフで、敢えて、刺しにいった。早く慣れてしまうには、これが一番手っ取り早いと思ったのだ。

 生き物を殺す感覚は、どうにも、不慣れだった。正直なところ、気持ちが悪い。怖い。やりたくない。そういう感想である。

 だが……こうして澪とナビスが魔物を殺していけば、村が安全になる。更に、こうして、牙のような、戦果を目に見える形で手に入れることができる。

 目に見える戦果は、澪に前向きな気持ちを生んでくれた。『怖い』や『気持ち悪い』や『かわいそう』を乗り越えるための、『よっしゃー!獲物だ!お金だ!』という感覚を生じさせてくれたのだ。

 これが善行だと驕る気にはなれないが、それでも、有益であるとは、思える。ちゃんと、自分達の役に立つ。……それが分かったから、澪はもう、迷わずに済む。

 よし、と気持ちを新たに、澪はコボルドの牙を鞄に入れ、立ち上がった。

「ミオ様、もう、よろしいのですか?」

「うん。ナビスの準備ができ次第、出発できるよ!」

 やるぞ、と澪は決意する。

 唐突に変な世界に来てしまって、こんな血生臭い仕事をすることになってしまったが。だが、これも必要なことだと、澪は割り切ることにした。割り切れない分は、これから徐々に、割り切っていこう、と思う。

「やるぞー!」

 ひとまず、空元気でもなんでも、やる気を絞り出して、澪は異世界をまた一歩、進んでいくのだ。




 そうして進んでいくと、やがて、少し開けた場所が見えてくる。

「あの奥が、坑道の入り口です」

「ああ、あの洞窟みたいなやつかー」

 広場の奥には、洞穴が見えている。入口は組んだ木材で補強されていて、壊れたランプがぶら下がっていて……要は、最近までは、人の手が入っていた気配がある。

「で、問題はその手前、ってわけね」

「ええ……予想以上の大物です」

 そして、坑道前の広場には、魔物が居る。

 ……先ほどのコボルド数体に加えて、1体、大きな体をしているのが……。

「レッサードラゴン、ですね。ドラゴンの中では最弱の部類ですが……まさか、ドラゴンまで居るなんて……」

 二足歩行する、巨大なトカゲ。長く太い尾も手足も背中も、全てが硬そうな鱗に覆われていて、その背には、蝙蝠めいた翼。

 どう見ても、コボルドのようには倒せないであろう魔物が、そこに居た。


「ねえ、ナビス。あれ、食べられる?」

「はい。美味です」

「よーし、やる気出てきたわ」

「ふふ、私もです」

 だが、澪は怯まない。ナビスもまた、そんな澪に勇気づけられたかのように笑みを浮かべて、剣を握る。

 ……どうやら、2人の少女は怖いもの知らずのふりが得意なようである。

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