勇者の仕事*4
ドラゴンは、大きい。体高はゆうに5m程度ありそうだ。
四足歩行のそのドラゴンは、長い尾を引きずるようにして一歩、歩いてくる。
ティンパニ並みの足が一歩分前に動くだけで、凄まじい迫力だった。ぎろり、とこちらを睥睨してくる目に、正に『蛇に睨まれた蛙』のような心地を味わう。
……だが、ここで怯むわけにはいかないのだ。
「こいつ、いい革になりそうじゃん?」
「か、革……」
やはり緊張している様子のナビスを見て笑いかければ、ナビスはぽかん、として、それからくすり、と笑う。
「……ふふ、そうですね!」
「へへへ、こいつも私達の獲物、ってことで!」
澪は笑顔で、ドラゴンに向かって駆けていく。
勇者なのだから、勇敢であれ、と。
ドラゴンの巨体は中々に迫力満点であるが、それ故に、澪はさっさとドラゴンの弱点を見つけた。
「要は、潜り込まれたら弱いってことじゃん?」
澪は、さっ、とドラゴンの体の下……足の間に潜り込む。4足歩行のドラゴンなのだから、そのまま上を見上げれば、腹部。内臓や何やらがたっぷり詰まった弱点が、しっかり目の前に曝されているのである。
勿論、澪が潜り込んだことに気付かないドラゴンではない。ドラゴンはすぐさま膝を折り、『お座り』することで澪を押し潰そうとしてくる。
だが、巨体はそう簡単に動かない。ドラゴンが『よっこいしょ』とやっている間に、澪はやはり、さっ、と退避していた。……そのついでに澪は、自分が居た場所に聖水の瓶を置いていく。そうすれば、本来澪を押し潰すはずだったドラゴンの腹が押し潰すのは、澪ではなく聖水の瓶、ということになる。
そうしてドラゴンは、もろに聖水を浴びることになった。聖水の瓶が割れた破片で多少の攻撃にならないだろうか、とも澪は期待していたのだが、流石にそれは通らないようだ。この巨体相手に陶器の破片程度、碌な攻撃にならないということだろう。
「よーし!もらったー!」
だが、ドラゴンの気は、逸れた。ドラゴンは腹部に聖水をたっぷりと浴び、澪を潰したのかどうかもよく分からないままに混乱したのである。……ならば、チャンスだ。
澪はすぐさまドラゴン牙のナイフを以てして、ドラゴンの脇腹……鱗の無い皮の始まりの部分を狙って、鋭く攻撃を繰り出した。
……だが。
「……刃渡りが!足りない!」
そう。ドラゴン牙のナイフでは、このドラゴンの分厚い皮を刺し貫いたとして、その先の肉や内臓にまで、碌に届かないのである!
澪は一度、撤退した。やってらんないよ、なにこれ、というような気分である。
流石のドラゴンも、ナイフで刺されればそれは分かるらしい。痛みと怒りに吠えて暴れるドラゴンの傍から撤退していけば、同じく撤退してきたナビスと合流する。
「な、ナビス!ナイフだと刃渡りが足りなかった!」
「ミオ様!あのドラゴン、切り付ける前に尻尾で攻撃してきます!」
……そして2人はほぼ同時にそう報告し合い、互いに顔を見合わせる。
「……デカいだけのことはあるねえ」
「知能もレッサードラゴンより高いようです。私が聖女だと見抜いたのか、私に注目してきますから……」
「あー、そっか。成程ね。それは賢い……」
どうやらあのドラゴンは、澪よりナビスを狙っているらしい。それはそうだ。ナビスが聖女なのだから、ナビスさえ先にやってしまえば、澪は神の力による恩恵を受けられなくなる。そうすればほぼ、ドラゴンにとっては敵ではない、ということだ。賢い。実に賢い。
「どうしようかなあ……」
あのドラゴンはでっかい上に賢いと来たものだ。澪は頭を抱える。
……実は、澪があれこれやっている間に、ナビスが剣でドラゴンを刺してくれていれば、と思っていたのだ。ナビスの剣なら、ミオのナイフよりも刃渡りがある。ドラゴンの皮のさらにその先まで届くだろう、と。
だが、その実、ドラゴンは澪ではなくむしろナビスを狙っていたというのだから、澪の考えは少々甘かったようだ。澪がドラゴンの懐に潜り込めたのも、ナビスがドラゴンの気を引いていたから、ということなのだろう。
だから次の手を考えなければならない。どうにかして、あのドラゴンを仕留めなければならないのだ。デカくて賢くて、敵としては最悪のドラゴンであるが……それでもやらないわけにはいかない。
……そう、澪が考えていると。
「ミオ様……その、ドラゴン牙のナイフを、貸していただけませんか?」
「へ?うん、いいけど……」
ナビスが手を差し出してきたので、澪はナビスの手にドラゴン牙のナイフを渡す。
「そして代わりに、こちらを」
……すると、ナビスは澪に、聖銀の剣を渡してきた。
本来ならばずしりと重いはずのそれは、神の力によって強化された澪にとってはさしたる重みではない。だが、澪の心は、それの『重み』を確かに受け取った。
「ドラゴンが狙うのは、私です。その隙に、ミオ様はこれで、ドラゴンを仕留めてください」
「……ナビスが囮になるってこと?」
「はい。それが適切かと」
……澪は、託された剣を見つめて、迷う。
ナビスを囮にする、という案は、最初に澪が考えたものだ。だが、すぐに棄却したものでもある。
「それ、ナビスが危ないんじゃないかな。ほら、治療ができるのはナビスだから、ナビスを囮にするのは……」
「……どのみち、この状況ではミオ様が倒れられた時、私が救えるとは限りません。退避すら、難しい場合もあるでしょう」
それらしい理由を付けてみても、ナビスから現実的な意見が返ってくる。だよね、と澪はただ、納得した。
……澪はやはり、ナビスを囮にすることに抵抗がある。
「ミオ様。囮は、聖女の役割です」
だがナビスは、すっかり落ち着いた顔でそう言って笑うのだ。
「ずっとそうです。聖女は皆の代表であり、いざという時に最前線で戦う者です。皆の盾となり、皆を守る者なのです」
……ナビスの言葉に、どれくらいの重みがあるのか、澪にはまだよく分からない。
どうも、ポルタナでは昔……ナビスやシベッドが幼かった頃に、何かが、起きていたような気がする。どうも、そんな気配を感じるのだ。だが詳細は分からない。
しかしそれがナビスに何らかの覚悟を決めさせているように思えたし、シベッドがナビスに尽くすように働いているのも、それが理由のような気がした。
……澪が何かするまでもなく、ナビスは、聖女様なのだ。
澪が案じようとも、ナビスの覚悟はとうに決まっているのだ。
「そしてミオ様は……」
「……ナビスの剣になって、ドラゴンを狩る。そういうことだね?」
「はい。お願いできますか?」
だから澪も、覚悟を決めなければならない。
盾は2枚も要らない。聖女が皆のための盾だというのならば、澪は剣にならなければならない。
澪は聖女を守る盾になるのではなく、聖女と共に在る剣でなければならないのだ。
「任せて!」
澪は託された聖銀の剣を手に、ナビスへ笑顔を見せた。
澪は、ナビスから剣を受け取って、すぐさま物陰を出ていく。
それと同時、澪と反対方向に飛び出したナビスは、早速ドラゴンに見つかっていたが、澪はそれを気にせず、ドラゴンの背後に回り込む。
ドラゴンはミオの存在にも当然気づいているのだろうが、ナビスが何か始めたのを見て、そちらに意識を向けているようだった。
ナビスのことは、心配だった。だが、澪はナビスを信じることにする。
そして、自分の役割を……勇者としての役割を果たすべく、澪はドラゴンの背後から脇腹へと回り込む。さっきナイフで刺した箇所を探せば、確かに傷がそこにあった。
澪はその傷を狙って、剣を繰り出す。
聖銀の剣を、槍か何かのように構えて突けば、金色の光を纏った銀の刃はほぼ抵抗もなく、ドラゴンの体へと潜り込んでいく。
……だが、それでもドラゴンを仕留めるには足りないらしい。流石の巨体だ。剣の刃渡りでも、足りないとは。
澪はすぐさまドラゴンから離れ、暴れるドラゴンの攻撃を避けて、動きながら考える。
腹が駄目なら、どこを狙うべきか。
答えはすぐに出た。
澪はドラゴンの正面を覗く。……すると、そこではナビスが愚かしいほど突出した位置に居て、ドラゴンがナビスを睨み下ろしていた。
ナビスの手にはドラゴン牙のナイフがあるが、それもまた、ドラゴンの怒りを誘うのだろう。同胞の牙で作られたナイフなど、ドラゴンにとっては目障りでしかないのだろうから。
それでもナビスは、逃げない。『囮』であれとばかり、じっとドラゴンを見つめて、その場に留まっている。
その姿は追い詰められた獣のようであって、同時に、我が身を差し出す生贄か巫女かのようでもあった。
ドラゴンは、そんなナビスを食らおうと、牙を剥いて迫る。
「……もらった!」
澪はナビスを助けに入るのではなく、ドラゴンを仕留めるべく地を蹴った。
横からただ突っ込んでいく。狙うのは……ナビスへ迫ったドラゴンの、頭。そこに嵌った、目玉。
どちゅ、と厭な音と共に、澪の剣は見事、ドラゴンの目玉へと潜り込み、その奥の脳をも刺し貫いていたのだった。
ドラゴンは少しばかり、暴れた。澪は咄嗟に剣から手を離し、ナビスを庇うようにしながら退避する。
……だが、その必要もなかったかもしれない。ドラゴンはすぐに力尽き、ずん、と重い地響きを響かせてそこに倒れることになったのだから。
「……やった、かな?」
そろり、と澪はドラゴンに近づく。様子を見て、ドラゴンが動かないことを確かめて、目玉に刺さりっぱなしだった剣をそっと抜いてみる。
それでもドラゴンは、動かない。
……ドラゴンは、きっちり死んでいた。
「……やったー!」
「や、やりましたね、ミオ様!」
ナビスもやってきて、澪と抱き合って喜ぶ。
「死ぬかと思いました!」
「あああー!もう!ナビスには無茶しないでって言いたいけど言えない!あああああー!」
「ふふふ、無茶も聖女の仕事の内ですから!」
「あああああー!勇者の仕事にしたい!それも勇者の仕事にしたい!」
2人ともすっかり力が抜けてしまって、抱き合ったままずるずると、地面に座り込む。
そしてどちらからともなく笑いだして、そのまましばらく、座り込んだまま笑っていた。強敵を倒した興奮と、解けた緊張と……そして、より深まった信頼と。それらがずっと、2人を笑わせていた。