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勇者の仕事*2

 ナビスの姿を見て、澪は少々、頭が冷えた。冷静になれた。

 ……アイドルにはアンチが付き物だ。他所の事情は詳しく知らないが、マルガリートの例を思い出して推測するに、聖女同士の足の引っ張り合いはあるようであったし、そしてこれはアイドル活動でありながら同時に『宗教』でもあるらしいので、まあ、目の前のイデモのような例が出てくることも、ずっと前から予想していた。

 だからこそ、ここで冷静で居なければならない。目の前の脅威を排除することよりも、更にその先を見据えて、言葉を選ぶ必要があるのだ。


「享楽的に見えるかもしれないけどさ。私もこれが祈りの1つの在り方だと思ってるよ」

 澪はさりげなくナイフから手を離して、笑いかける。

「見ての通り、多くの人がこれを望んでるわけよ。見てみ?皆、楽しそうじゃん?」

 周りを見ろ、と言うのは、少々狡いかもしれない。相手に劣勢を悟らせて大人しくさせるのは、まあ、多分、誠実ではない。だが、ここは会場なのだ。相手が会場の外で、澪とナビスしかいない場で声を掛けてきたならこんなことはしなかったので、相手の落ち度ということにさせてもらう。

「必要なんだと思うんだ。こういうのが。騒いで、歌って、笑い合って、楽しかったね、明日も頑張ろうね、って言い合えることが私達にはきっと、必要なんだよ」

 澪の言葉は、届いているだろうか。……否、どうも相手には、『言い訳』のように聞こえているように見受けられる。

「愚か者の言い訳ですね。祈りとは、静けさの中でこそ生まれるもの。そして、苦しみの果てにあるものです!もっと清純で、研ぎ澄まされた……そうした祈りこそが、正しい信仰なのでは?」

 相手はあくまでも高圧的に、こちらを否定しにかかる気でいるらしい。

「いや、苦しいことを肯定しちゃいけないでしょ」

 だから澪も、ここで引き下がる訳にはいかない。

「ましてや、苦しくあれ、だなんて、他人に言うもんじゃないでしょ。自分で望んで、自分の為に苦しむのはいいけどさ。でも、それが正しいとか、苦しまないと祈りじゃないとか、そういうのは……まあ、万人を救う訳じゃないよね。あなたの考えじゃ救えない人が、沢山居る」

「正しい信仰を守れない者に救いなど訪れないのです」

「そっか。でも私達は、そういう人達も救いたい」

 澪は声を荒らげることはしない。相手が攻撃してきていても、こちらは対話であれ、と。そう、言葉を選んでいく。多少は攻撃的にもなるだろうが、それは諦めつつ。

「……何のために聖女がいっぱいいるのか、私、考えたことがあるんだけどさ」

「え?」

 この際、少々振り回させてもらおう、と澪は急に話を飛ばす。こうすれば相手は戸惑って、とりあえずこちらの話を聞いてくれるようになる。

「皆の好みが違うからだと思うんだよね。好き嫌いも、得意不得意もみんな違うから……だから、自分に合った信仰を見つけられるように、聖女が沢山いるんだと思う」

 目の前の彼はレギナの神官だと言っていたが、レギナにはマルガリートだけではない、他の聖女も居るはずだ。そしてそんなレギナに居る彼ならば、『複数いる聖女』に対して、疑問を抱いたことくらい、あるはずなのだ。

「だから、そっちの信仰はそっちで守ればいいし、私達は私達が信じたいものを信じる。それじゃ駄目なのかな」

 複数の聖女が居てそれぞれに信仰を集めている以上、この世界の宗教は多神教となるか……一神教を曲げない者達同士が宗教戦争を繰り広げるしか無い。

 だから、澪はあくまでも、共に他の神、他の宗教を認める立場であれ、と願う。聖女がアイドルめいた扱いのこの世界で……信仰が確実に人々を救うことが分かっているこの世界で、宗教同士が争うなど、あまりにも愚かしい。


 ……だが。

「信仰は、そのようなものであってはならないのでは?そんな、人にとって都合の良いものを与えるばかりの信仰など、許されるべきではありません!このようなものを信仰だ礼拝だなどと……全く、はしたない!」

 彼は一神教であり、澪達を『正してやる』つもりであるらしい。




 駄目かあ、と澪はため息を吐く。

 分かり合えないなら、もう、仕方がない。相手が宗教戦争を吹っかけてきている時に日和見勇者はやっていられない。

 敵対を望む相手を説得することができなかったなら……その時は、不毛ながら戦うしかないのだ。さもなくば、澪やナビスが大切にしているものを滅ぼされかねないのだから。

 そう思った澪が、再びドラゴン牙のナイフへ手を伸ばした時。

「『許す』というのは、あなたが、私達を、ですか?」

 ナビスがそう、静かに声を発していた。

「……は?」

「それでしたら、結構です。あなたは私達を許さない。しかし私達はあなたを許しましょう。そのような信仰の在り方もあるのだと、私達は忘れたわけではありませんから」

 ナビスの声は、晴れた日の海のようだった。

 穏やかで、透き通って……だが、触れれば冷たい。

「いや、そんな話ではありませんよ!私がどうこうといったものでは……!」

「では、あなたは神の言葉を代弁していると?」

 ナビスの瞳は静かに凪いでいるようであったが、同時に、こうも言っていた。

『不遜である』と。

「あなたが信じる宗教では、あなたが、神の言葉を決めるのですね?」

 そして同時に、『私は聖女である』と。そう、ナビスの声と瞳が語っていた。




 ……そうして、イデモは帰っていった。あそこで引き下がらなければ、彼は自分の宗教の聖女に対しても不敬を働くことになっていた。自らの信仰に非常に熱心であった彼だからこそ、引き下がらないわけにはいかなかったのである。

 ついでに、澪がナイフに手を掛けていたし、周りの戦士達も身構えていたものだから、あそこであれ以上騒ぐことの不利益は目に見えていただろう。

「帰ってくれたかー……えーと、帰しちゃってもいいやつだった?」

「ええ、勿論。ここで相手を害していたら、彼が仕える聖女との全面戦争になっていたでしょうから。このやり方なら相手方の聖女様も、『無礼を働いた神官を処分する』という落としどころを得られますので」

「ひぇっ……」

 澪は慄きつつ、成程なあ、とも思う。今回の神官イデモの行動が彼の独断であったのか、彼が仕える聖女の指示であったのかは分からない。だがこの対処なら、向こうの聖女が最悪の事態を回避しようとするかどうかを見定めることができる。

 ……勿論、今回のことを踏まえて尚、向こうの聖女が喧嘩を吹っかけてくる可能性はある訳だが。


「いやあ、災難だったなあ、ナビス様もミオちゃんも」

「けれどよ、かっこよかったぜ!やっぱナビス様こそが最高の聖女様だ!」

 澪とナビスがため息を吐いていると、周りにぞろぞろと戦士達が集まってくる。

 彼らもすっかり信者として板に付いてきている。ナビスと澪の味方でいてくれるし、ナビスを信仰してくれている。それが澪とナビスにとっての救いであった。

「えーと、ああいう神官さんって、多いの?」

 さて、早速澪は、対策を考え始める。何せ澪はこの世界暦が短すぎる。この世界の常識が知識として頭にないものだから、こうした事態が他にもあるなら知っておきたい。

「今まではああした方がいらっしゃったことはありませんでしたが……そうした方々の存在は、一応、まあ……聞いたことがありました」

 ……どうやら、今まではポルタナがあまりに小さすぎて、話題にも上らず、アンチなど湧きようがなかったらしい。それならば納得ができる。澪は静かに頷いた。

「これからこういうの、増えるかもしれないから……気を付けなきゃね」

「そうですね……私についてあれこれ言っていただく分には構いませんが、ミオ様や、信者の皆さんのことを悪く言われるのは許せませんので」

 ナビスが『むっ!』と気合を入れているのを見て、その表情のあまりの可愛らしさに澪は慄く。ナビスは時々、ふとした時にとてつもなく可愛いのである。いっそ心臓に悪い。


 ……そうして澪とナビスが気合を入れていたところ。

「ま、その、なんだ。ありがとな。ミオちゃん」

 そう、戦士の1人が声を掛けてきた。

「え?何が?」

「ああいう風に言い切ってくれてよ、嬉しかったぜ」

 澪がきょとん、としていると、他の戦士達もぞろぞろとやってきて、『そうだそうだ』とばかりに頷く。

「俺達はよお、その日暮らしの戦士業だから……あんま、堅っ苦しい宗教とは反りが合わねえんだ。だもんだから、礼拝なんざ、この数年ずっと行ったこともなかったんだ」

「俺達みたいなのが行っても、迷惑そうな顔されるしなあ。大して寄付金も出せねえし」

 ……戦士達が『お堅い教会はどうもなあ』『俺達、大抵説教されるばっかで肩身が狭いから』『ならそもそも祈りなんて捧げねーよ、ってなもんで』と盛り上がるのを見て、澪は、思った。

 澪とナビスは、間違ってはいないのだ。

 確かに、この世界の従来の礼拝とは異なる礼拝式を挙げている。盛り上げ方も、祈り方も、きっと、違う。

 けれど、それで救えている人が居る。確かに、ここに居る。

「なあ、ミオちゃん。ナビス様。俺達、そーいう訳で、ポルタナの礼拝式に来ちまってるんだけど……それでも、いいんだろ?」

「俺達みたいなのも救われていいのかね」

「……うん。いいんだよ。いいに決まってんじゃん!」

「皆様の救いになれるのなら、それが私達の喜びですから!」

 批判されても、それでも、彼らの為に曲がらずに居たい。

 庶民的で、俗っぽくて、それでもいいから、楽しみや希望を与えられる存在でありたい。

 ……澪は、そしてきっとナビスも、そう確認して、顔を見合わせて笑い合うのだ。




 さて。

「要は、舐められてんだろ?」

 ……その夜、片付けの為に残ってくれていたシベッドに相談してみたところ、澪はそんな回答を貰ってしまった。

「あー……やっぱり?」

 シベッドのことだから、ナビスが居ると率直な意見を言いにくいだろう、と思って澪1人で聞きに来たのだが、それはそれで良くなかったかもしれない。主に、遠慮が無さすぎる、という点で。

「ポルタナなんて小せえ村だし、そこの聖女を重んじる気なんてレギナの連中にはねえんだよ。それに、勇者も大して歳のいってねえ女だとなりゃ、舐められもする」

 シベッドの言葉に、『まあ、私、未成年で女ですけど』と少々むくれてみる。

 どうしようもないことはどうしようもない。それが原因で舐められようがなんだろうが、澪は未成年で女子高生、なのだ。

「勇者なんだからもうちょっとナビス様を守れるようになれよ。あんな連中に居座られてるんじゃねえ。斬り殺さねえならさっさと追い出せ」

「そっかー……うー、勇者、だもんなあ」

 シベッドのいう通り、澪は、ナビスを守らなければならないのだ。それは、魔物との戦いのみならず、人との戦いにおいても同じこと。

「……って、ちょいちょいちょい、シベちん。あの、人殺しは流石に駄目っしょ?え?いいの?」

 と、そこで澪は、シベッドの『斬り殺さねえならさっさと追い出せ』のくだりを思い出して慌てて確認する。異世界でも人殺しはご法度、であると思う。思いたい。だが。

「……しょうがねえ時はしょうがねえだろ」

「わーお……」

 眉間に皺を寄せながらシベッドがそう言うものだから、澪は慄くしかない。成程、異世界である。ここは、異世界である!

「……んだよ、お前、よっぽどお上品なところから来たのか?」

「あー、うん、まあ、そんなとこかも……」

 澪は、『私の覚悟、甘かったかなあ』と少々悔やみつつ、しかし、ナビスと共に頑張る選択は間違いではなかったはずだ、と思い直す。

 手段は選べる。目的さえはっきりしているなら、手段はいくらでも、考えられるし工夫もできるだろう。だから尻込みする必要は無い。

「もうちょっと物々しくならないと駄目かなあー……よし」

 澪は早速、『手段』を考える。

 恐らく、シベッドの言うような『しょうがねえ時には人も殺す』ぐらいの勇者の方が、聖女を守れるだろう。多分。

 しかし同時に、敵を増やすことにもなりかねない。わざわざ、敵対しなくていい相手とは敵対したくないし、共存できる道を潰してしまうのは、あまりに惜しい。それは、殺した相手その人だけでなく、その他周囲からの評判にも係わってくるものなのだから。

 だから、もっと別の方法で舐められないようにするしかない。

 一番いいのは、澪の実績を知らしめること。皆が文句を付けられないくらいの偉業を打ち立てて、それを誇示すること。だが……流石に、今日明日でそんな実績を得られるはずはないし、それを広めるのも一朝一夕ではいかないだろう。

 となれば……もっと分かりやすさが必要なのだ。

 例えば、澪が未成年ではなく、女子高生でもなかったなら……メルカッタの戦士達のようなごっついおにーちゃんであったなら、恐らく、ああまで分かりやすくアンチ神官に詰め寄られることもなかった、のだろう。

 だが、澪はごっついおにーちゃんにはなれない。怖い表情を作って見せたところで、精々が女子高生が怒っている時のそれである。そもそも、澪は自分の長所の1つは、この辺り構わぬ人懐っこさや、他人と仲良くなれる能力だと思っている。だから、それを損なうような……『常に怒っているようにする』なんてことは、したくない。


 ……澪は、考えた。考えに、考えた。

 そして、結論を出す。

「ブラウニー達に、すんごい装備おねだりしよ」

『可愛い』は、作れる。『美しい』だって、作れる。

 ならば、『厳つい』だって、外付けで作れるのである。

「で、その材料、狩りに行こ。……鉱山地下2階に」




「ドラゴン素材で装備一式作る気か……!?」

「うん。そーしたら絶対、舐められないもんね!」

 話だけでシベッドが慄いた表情をしているのだから、これはきっと効果があるだろう。

 澪はにんまり笑って、早速、ナビスへ報告しに向かうのだった。

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