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最初の礼拝式*3

 ナビスは、運び込まれてきた男を見て呆然とする。

 その男の血に塗れた顔がいつも、多少捻くれつつも快活な笑みを浮かべていたことを知っていたから。血で固まった癖のある黒髪が、海風になびいていたことを知っていたから。失われた腕が銛を持ち、近海の魔物を退治してくれていたことを知っていたから。

「ああ、シベッド!何故……何故こんなことを!」

 彼は、海で魚を獲りつつ魔物を退治してくれている村唯一の戦士であり、ナビスの幼馴染でもある。


 ふら、と眩暈を感じて、ナビスはその場に座り込んだ。

 シベッドの姿は、あまりにも衝撃的だったのだ。

 ……聖女であるナビスよりもずっと、戦うのが上手い人だった。彼が居たから、今までポルタナは最後の砦である海を失わずに居られたと言っても過言ではない。

 危険な仕事だというのに、文句も言わずにこなしてくれた。次第に人が減っていくポルタナに残って、この村を守ってくれていたのだ。

 兄のような存在であった。頼りにしていた。そんな存在が今、片腕を失い、血に塗れて、動かない。

 そしてナビスは、今までにこれほど大きな怪我を治療したことはない。

 癒やしの術はナビスが比較的得意とするものであったが、それにしても、精々、深い切り傷や刺し傷を治すくらいしか、してこなかった。それは、今までに大きな治療を必要とする怪我など、ポルタナで発生しなかったから。

 ナビスは体が冷えていくのを感じた。血の気が引いて、がたがたと震えが止まらない。何とかしなくては、と思う自分が、どこか遠い。


 ……だが。

「ナビス、しっかり!」

 ふと、ナビスの体が温まる。

 はっとして顔を上げれば、座り込んだナビスと目線を合わせるように床に膝をつき、ナビスの肩に手を置くミオの姿があった。

 ……ミオに見つめられ、触れられて、ナビスはふと、何か力を注ぎこんでもらったような気配を感じる。何故だか、体が温かい。まるで……神の力を、注ぎ込まれた時のように。

「ナビス。信仰心、足りそう?」

 だが、今はミオの力について考えている場合ではない。今、ナビスの目の前には、腕を失うという大怪我をしたシベッドが居る。そして、それを心配そうに……或いは、『これはもう駄目だ』とばかりに、諦めた顔をしている、村人達も。

「……ええ。なんとか、足りそうです。ここに居る皆が、共に祈ってくれるならば」

 今までのナビスであったならば、きっと、黙って首を横に振っていた。或いは、それすらできずに蹲っていたかもしれない。

 でも、今のナビスには、できる気がした。ミオから注ぎ込まれた温かな力が、ナビスに諦めさせてくれない。

「さあ、皆、共に祈りを!」

 ナビスが凛として声を掛ければ、村人達は慌てて、祈りの姿勢を取る。『できっこない』と諦めの表情を浮かべていた村人達も、いつになく強いナビスの言葉に気圧されるようにして、祈り始める。

 そしてナビスの傍らでは、ミオが祈っていた。

 ……突然、見知らぬ世界に来てしまったらしいミオからしてみれば、祈り方も分からないのだろう。

 だがやはり、神の祭壇に現れ、神の力を纏っているだけのことはある。或いは単に、ミオの心根が真っ直ぐであるからか。……ナビスの元には、ミオの信仰心が、柔らかく降り積もってくるのだ。

「皆、どうか、信じて!」

 何を、とは言わない。神を、と言うのは、何か、無責任であるように思えた。

 だからナビスは、ただ、『信じて』と言う。そう言って、必死に、神の力を編み上げる。

 信じた者が、救われるように。

 ……自分もまた、信じた分、救われるように、と。



 *



 澪は、ナビスが神の力を行使する場面を見て、あまりの美しさに息を呑んだ。

 ナビスの手からは金色の光が降り注ぎ、腕が一本無くなっている人へ、光が吸い込まれていく。

 礼拝室の中は金色の光に淡く照らされ、ナビスの髪がふわふわと揺れては輝き、人々はただ、祈る。

 現実にはあり得ない光景を見て、澪は、『ああ、やっぱりここって異世界なんだ』と思う。それと同時に、『異世界なんだから、無茶なことだって、きっと上手くいく』と信じられる。

 そう。ここは異世界なのだ。信仰心が神の力になって願いが叶う、変な世界なのだ。だから、死にかけの人だって、きっと、助かる。

 ……どうか助かって、と、澪は心から祈る。

 血塗れで片腕が無くなっている人が、どうか生きられるように。こんなところで人生を終えないように。

 周りの人達が、理不尽な別れなんて経験しなくていいように。諦めなくてよかった、と笑えるように。

 ナビスが上手くやれるように。……ここで上手くいかなかったら、きっと、ナビスは、生涯引きずるくらい落ち込むだろうから。


 そうして奇跡が起こる。

 皆が見守る中、倒れたままだった男の腕に光が集まり、凝り固まって……なんと、腕が再生されていくのである。

 おお、と小さくどよめきが上がる中、ナビスはじっと集中していた。額に汗が浮かび、す、と流れ落ちていく。滴る汗の雫すら金色に光り輝いて美しい。

 光は益々強くなり、やがて、室内全てを埋め尽くすほどになり……そして。


「……ナビス、様?俺、どうして……?」

 死にかけていた人が、薄く目を開く。掠れた声で、ナビスを呼ぶ。血の汚れこそそのままだが、失くした腕は、確かに取り戻した状態で。




 わっ、と歓声が上がる中、ナビスは笑みを浮かべ……そして、くてり、と力を失って倒れる。

「な、ナビス!しっかり!」

 床に倒れたナビスを慌てて抱き起してみると、ナビスの体は随分と華奢で軽かった。そして、澪の腕の中、ナビスはぼんやりと高揚感に満ちた顔で、ほやり、と笑う。

「やった……できましたよ、ミオ様!」

「うん……すごかった。すごいよ、ナビス!」

 澪もまた、目の前で起きた奇跡に興奮していた。悲しい運命を辿るはずだった人が助かった、という事実は、周囲の村人達やナビスだけでなく、全くの部外者である澪にも嬉しく感じられるものである。

「ミオ様、ありがとうございます」

 やがて、ナビスはもそもそ、と姿勢を正して、澪に預けていた体重を自分で支えるようになった。座り込んだままではあるが、ひとまず脱力状態からは脱したらしい。

 そして、勿忘草色の目が、澪を見つめている。嬉しそうに、微かに潤んで。

「えーと、私、何もしてないよ?」

「いいえ……祈りを捧げてくださったこと、感謝致します」

 ナビスは澪の手を握る。先程まで奇跡を齎していた手は、冷えていた。極度の緊張状態にあったことが窺えるその手を、澪はそっと握り返した。

「そっか、信じると、それが力になる、んだよね?」

「はい。ミオ様の祈り、確かに、受け取りました」

 どうやら、澪もナビスの役に立ったらしい。そして、今、死にかけていた人を救うことができた。

 ……これは、嬉しい。

「そっかー……よかった!私、ナビスのこと、信じてる!絶対になんとかしてくれる、って!」

「それは……」

 ナビスは少々面食らったような顔をしていた。だが、澪が笑みを向けていると、やがて、おずおず、とナビスも笑い出す。

「……身に余るお言葉です」

「そう?それくらいのこと、ナビスはしたと思うんだけどなあ」

 異世界の基準では、これも『大したことはない』のかもしれない。だが、澪にとっては、これは、奇跡だ。奇跡を起こしたナビスこそが『神』なのではないかと思えるほどの奇跡である。

 澪は引き続き、もじ、と恥じ入るようなナビスの手を握りながら、『えらい!すごい!かわいい!』と褒め称えるのだった。




 それから、礼拝式が行われた。死にかけの人を救った直後ではあるが、それでも今日、礼拝式を行わないわけにはいかないのである。

 何せ、明日はダンジョンへ行かねばならないのだ。ナビスは、『満月の夜』にダンジョンへ行くのだ、と言っていた。つまり、明日を逃すと次のチャンスは大体1か月後、という事になるのだろう。そして澪の推測になるが……この村の雰囲気や、さっき怪我をしていた人の様子から考えるに、この村は1か月後まで持ちこたえることはできない、のだと思われる。

 澪は少々複雑な気持ちになりながらも、ナビスの礼拝式に参加した。


 礼拝式が始まる頃には、もう夕暮れて辺りが暗くなっていた。

 窓から夕闇が染み込んでくる礼拝室に、ランプの灯が揺れ、香の煙がふわりと立ち上る。

 そんな祭壇に立つナビスは、やはり神秘的で清廉な美しさに満ちていた。『こりゃあ拝みたくもなるよねえ』と澪は納得する。……同時に、怪我人が来る前に思っていたことを、改めて思うのだ。『やっぱり聖女ってアイドルとかの類なんじゃないかな』と。

 歌って踊れる、可愛い女の子。信者に囲まれて、彼らの信仰が力になる。……大体アイドルである。

「……では、今宵も皆が揃ってここに居ることに、感謝を。神に、祈りを捧げましょう」

 ナビスはそう前置いて、祭壇の上で歌い始める。先程も聞かせてもらった、海のような歌だ。

 揺れる波、透き通った水。水面に反射して煌めく陽光。そんな情景が脳裏に浮かぶような、そんな歌。伴奏も何もなく、ただ凛と透き通った歌声だけが空気を震わせる。腹の底に響くような重厚感を欠片たりとも持ち合わせない代わりに、どこまでも軽やかで、神秘的で、美しい。ナビスの独唱は、そうした類の素晴らしい音楽だった。


 澪はベンチの端に座って、他の村人達と一緒に祈りを捧げる。

 どのように祈ればいいのかは、よく分からない。さっきもよく分からなかった。なので澪は、『ナビス、すごかったよ。さっきのあれ、本当にすごかったから、ダンジョンの魔物退治とか絶対に余裕だよ』と心の中で言い続けることにした。

 ……これで合っているのかはさておき、ナビスはさっき、『祈りを確かに受け取った』と言ってくれた。つまり、多分、これでいいのだ。

 澪はついでに『ナビス最高!ナビスかわいい!あとめっちゃ歌上手い!超歌上手い!やっぱりアイドル!』と心の中で繰り返しつつ、祭壇の上で歌うナビスを見つめ続けるのであった。

 なんとなく、アイドルを見つめるファンの気持ちってこんなかんじかなあ、と思う澪であった。




 そうして礼拝式は終わった。……初めての礼拝を、澪は『こういうのでいいのかー』と、どことなく神妙な気分で終えた。宗教行事の類に参加したことなどほとんどない澪であったが、それでも神妙な気分にさせられるのだから、やはりナビスの歌はすごい。村人達もどこか晴れやかな顔でいるのが、なんとも清々しい。

 特に、さっき大変なことがあったばかりで、そして、明日、大変なことがあると分かっている今だからこそ、皆が穏やかな顔で居られるのは、すごいことなのだ。澪はそう、思う。

「それでは、礼拝式はこれにてお開きと致します。皆様、この後は聖餐をお楽しみくださいね」

 ナビスがそう話すと、村人達はそれぞれ、勝手知ったる様子で動き始める。教会の外、小さな庭のようになっている場所には机が用意され、誰かが持ってきたらしい飲み物の栓が開けられていく。そこへナビスは、先程用意した魚のスープや茹でた芋を運んでいく。

「手伝うよ」

「ありがとうございます、ミオ様」

 澪は途中で芋の大皿やスープの壺をナビスから受け取って、庭のテーブルまで運んだ。見慣れない澪の姿を見た村人達は『はて』というような顔をしていたが、澪が『どうも!』と笑顔で挨拶すれば、不思議そうにしながらも納得してくれたらしい。恐らく、ナビスが澪に『これもお願いします』と取り分けるための小皿や椀、スプーンを手渡している姿を見て、納得を深めてくれたのだろう。


 聖餐、というと堅苦しいかんじがしたが、実際に始まってみれば、要は、素朴な宴会である。

 ナビスが作った素朴な食事を皆が楽しみ、持ってきた飲み物を分け合い、何か話し、笑い合っている。『まあ、堅苦しいよりは気軽に笑い合えた方がいいよね』と澪は思う。

 澪は隅の方で素朴な木の椅子に腰かけ、魚のスープを口にしつつ、周囲の様子をのんびり見ていた。魚のスープは案の定、素朴ながらじんわりと美味しい。魚の旨味が淡泊な塩味と合わさって、それがごろごろと切られた人参もどきによく染みて美味しい。ネギもどきの香りもよく、魚の臭いを消すのに役立っていた。滋味深い、とはこういう味なのかもしれない。

 スープを一杯飲み干した澪は、『お芋も貰ってこようかなあ』と立ちあがる。……すると。

「なあ、おい」

 横から声を掛けられる。ぶっきらぼうな調子の、微かに掠れた低い声は、聞き覚えがある。ついでに見てみれば、浅黒い肌も、がっしりと筋肉質な体つきも、少々癖のある黒髪も、見覚えがあった。

「あー、さっきの!」

 そう。礼拝式の前、片腕を失った状態で運び込まれてきた青年が、声を掛けてきていたのである。


「体調、大丈夫ですか?血が結構抜けてたみたいだし、その、座ってた方がよくないですか?」

 ほら、と、先程まで澪が座っていた椅子を示すと、青年は怪訝な顔をして、澪をまじまじと見下ろしてきた。……身長がそれなりに高い澪は、このように見下ろされるのは稀である。『おおー、この人、180㎝ぐらいありそう』と思いつつ、澪が青年を見上げていると。

「あんた、誰だ。見ねえ顔だが」

 青年は、少々警戒心の滲む声で、そう、尋ねてくる。見下ろしてくる彼の目も、澪を見定めようとしているようで、澪としては少々居心地が悪い。

「あー、私、ミオって言います。えーと、海から流れてきたところを、ナビスに助けてもらって……」

 こういう説明でいいのかな、と思いつつそう言ってみると、青年はますます怪訝な顔をした。まあ、魔物が居るという海から流れてきた余所者、となると、不審なのだろう。だがしょうがない。『祭壇に降って湧きました』よりはまだマシだと思われるので。

「……あんた、まさか勇者か?」

「へ?」

 かと思いきや、突拍子もないことを言われて、澪はたじろぐ。

 勇者、とは。勇者とは、一体。

「いや、私は違くて。勇者、とかじゃー、ないんです、けど……」

「……そうかよ」

 どうしたものか、と思っていたら、青年は、ふい、と目をそらして、ずんずん、と去って行ってしまった。

「……もしかしてあの人、ものすごく口下手なのかなー」

 何やら不思議な人だなあ、コミュ障ってやつなのかなあ、と首を傾げる澪なのであった。



 +



 礼拝式が終わり、聖餐も終わって、星空の下、村の皆がそれぞれに帰宅していく。ナビスは皆を見送って……そして、すっかり暗くなった教会の庭の片隅、闇に紛れるように、ぽつん、と佇んでいたシベッドを見つけた。

 命に係わる怪我は治療したが、もしや治療が足りなかっただろうか、と心配になりながら、ナビスはシベッドに歩み寄る。

「シベッド。どうしたのですか?」

 ぼんやりとしていたシベッドは、ナビスの声にはっとして、それから、気まずげに視線を彷徨わせて……頭を、下げた。

「申し訳ありませんでした」

「へ?」

 普段、ナビスよりずっと高い位置にある頭が、ナビスの目より低い位置にある。ナビスが目を瞬かせていると、シベッドはまた気まずげに、ゆるゆると頭を上げた。

「……俺の為に、神の力を浪費させちまった」

 ぼそぼそ、と発された言葉を聞いて、ナビスはまた目を瞬かせ……ふと、笑った。

「浪費など、そんなことありませんよ。あなたが無事でよかった。……あなたは勇敢な、村の戦士です。戦ってくれて、本当にありがとうございます」

 彼が何故、1人でダンジョンへ赴いたか、ナビスには分かっている。

「けれど、シベッド。もう、私の為に無茶をするようなことは、やめてください」

 シベッドの、無力感と歯がゆさに満ちた顔を見上げて、ナビスは諭した。


 ……彼は、ナビスが1人でダンジョンへ赴くことを憂えて、今日のような無茶をしたのだろう。『自分が先にダンジョンの魔物を片付けておけば、ナビスが魔物退治などせずともよくなる』と考えたに違いない。

 シベッドは一応、村で唯一の幼馴染だ。彼が優しく不器用な青年であることは、よく知っている。彼が、ナビスに負担をかけまいとして、近海の魔物退治を買って出てくれていることも、ナビスはよく知っているのだ。

「……だが、ナビス様は、ダンジョンに、行くんだろうが」

「ええ。私が行かねばなりません」

 苦い表情を浮かべるシベッドを見上げて、どうか分かってほしい、とナビスは願う。

 ナビスは聖女だ。守られるべき、か弱い少女ではない。皆を守るための存在なのだ。

「なら俺を……俺を連れて行ってくれ!勇者にしてくれ、とは言わねえが、せめて……せめて、露払いくらいは……」

「いけません、シベッド。あなたは病み上がりです。体は戻っても、失われた血は返ってこない。ちゃんと、養生してください」

「だが……!」

 本当なら、シベッドを連れていきたかった。だが、あのシベッドが大怪我をして戻ってきたのだ。死んでいてもおかしくなかった。……そんな所に、神の力を持っているわけでもない者を、再度赴かせるわけにはいかない。

 シベッドに神の力を分け与えることも考えたが……やはり、少なすぎる。今まで蓄えていた神の力は、シベッドの治療につぎ込んでしまった。これ以上、力を分散させるわけにはいかない。


 だが。

「あのー」

 ひょこ、と、教会の扉から顔を出して、ミオが笑う。

「ナビスの付き添い、私がやろっか?」

 ……ミオはこの世界へ来た時同様、微かに、神の力を纏っている。

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