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ポルタナ街道*7

 さて。

 偏屈ドワーフを見事に押し切った澪とナビスは、早速サスペンション付きの馬車について相談に乗ってもらうことにした。

「そもそも人が乗る馬車とモノ運ぶ馬車じゃあ構造が違うだろうが」

「えっそうなの!?」

 そして最初から衝撃的な事実を聞くことになり、澪は慄くこととなる。構造が違うって、なんだ。澪はもう早速意味が分からない。

「ええと……座席の有無など、ですよね?」

「それどころじゃねえ」

 そしてナビス自身もよく分かっていないようである。……ナビスもポルタナにずっと住んでいるので、都会で使うような馬車に乗ったことなどほとんど無いのであった。

「いいか?人が乗る馬車は、こういう風に作ってある。車輪を支える機構があって、座席のハコはその上に乗せてるわけだ」

「えー……カルボさん、絵ぇめっちゃうま……」

 カルボは小さく分厚い手で描いたとは思えないほど器用に、さらさらと図を描いてくれる。澪が想像している『馬車』の上に板バネを設置し、さらにその上に座席を設置したもの、といった具合だ。

「で、単に荷物運ぶような貨車にはこんな仕組み、一々作ってねえな。お嬢ちゃん達が使ってんのもそうだろ」

「うん。マジ単純なやつ使ってる」

 一方、ミオとナビスがここへ来るまでに荷物を乗せてやってきた馬車は、完全に貨物用である。馬車と言うよりは、荷台にただ車輪を付けて幌を掛けただけ、という代物だ。……ただし、ブラウニーの仕事によってタイヤだけドラゴンタイヤになっているが。

「雑な仕事でいいんなら、こういう荷車に板バネのっけて、その上に座席を乗せりゃあ、その『さすぺんしょん』とやらの用は足りるだろ」

「あああー……成程なあー……そっか、先に普通の馬車を観察するんだったなあ……」

 既にこの世界にも、サスペンションのようなものは存在していたらしい。それはそうである。滑車だのなんだのは既にできているのだから、これくらいは発明されていてもおかしくなかった!


「……そもそも、このぐるぐる巻いてんのはなんだ?」

 それでもカルボはここで終わりにしたくないらしい。

「え?バネ。金属の線をこういうぐるぐる巻きにすると、衝撃を吸収してくれるじゃん?それを、馬車を支えられるくらい丈夫な金属でやるの」

 その『ひっでえ設計図』を描いた本人としては複雑な心境なのだが、澪も気を取り直して再び問題に向き合う。

 この世界に既存のサスペンションがあったとしても、それ以上に良いものが作れるなら、そうしたい。折角なら『最新の馬車』の話題性で人集めできるくらいのものを作ってしまいたい。

「えーとね、車軸にバネ付けて、その上にもう一本車軸……っていうか、座席を支える棒を乗っける、っていう訳にはいかないかな」

 ということで早速、澪は身を乗り出してカルボにそう、提案してみる。

「それだと板バネん時と何が変わる?」

「えーとね、こうすると左右で高さが違くても、高くなった方の車輪の上のバネが縮んでくれて、低くなった方の車輪の上のバネは伸びた状態でいるから、座席の水平が保たれやすいと思う」

 こう!こう!と澪はもう少し頑張って図解する。

 車軸の真ん中にびよよん、とバネが1つあるわけではなく、車輪の近くに1つずつ……1本の車軸に2つのバネが乗っかったようなものを頑張って描いた。

「水平……か。単に揺れを小さくするって話じゃなくなってきたな」

 この図はカルボにも何かを伝えることに成功したらしい。澪は頑張ってもう少し説明してみる。澪の拙い説明では何かが間違っている可能性が高いが、それを実際のものに落とし込んでくれるのはカルボだ。今はとりあえず、アイデアの質より量を優先して、覚えている限り、思いつく限りのことを喋るのだ。

「うん。えーと、揺れるのってさ、要は、道が細かいボコボコでいっぱいだからじゃん?それで、左右どっちかの車輪にだけ高さの変動があったりして、そのせいで左右の揺れは起きてるわけで……えーと、じゃあ究極言っちゃえば、車軸って無い方がいいのかな」

「は?車軸を無くす、だと?そうなると車輪が地面に対して垂直じゃなくなっていくだろうが」

 案の定、『何を言っているんだ』というような顔をされたが、澪は構わず話し続ける。技術的に可能かどうかを考えるのは澪の仕事ではない。それはカルボの仕事なのだから甘えさせてもらうべきなのだ。

「うん。4つの車輪がそれぞれ独立して動けば、相当に揺れが緩和できない?それぞれの車輪をさー、バネで接続してさー……」

 具体的に何をどうくっつけたり支えたりすれば出来上がるのか分からないままに、『なんか4輪が独立して動いてる状態』を説明していく。

 説明を進めていくにつれ、カルボの眉間に深々と皺が刻み込まれて行くのだが……。


「……ふむ」

 カルボはやがて、澪の『ひっでえ設計図』を持ち上げて、じっくりと見つめ始める。

 眉間の皺はマリアナ海溝の如き深さだが、その目は真剣そのものだ。……つまり、澪が投げつけたアイデアを、どのような技術で打ち返して実体にするかを考えている目、である。

 どきどきしながら澪とナビスが見つめる中、カルボは一頻り唸り……。

「考えてみたが、お嬢ちゃんの考えは新しすぎる」

 そう、結論を出したのだった。




「あ、新し……?」

 どういうことか、と澪が聞き返すと、カルボは髭をもそもそと触りつつ、少々呆れたように話してくれる。

「……とりあえず、今の馬の10倍速く走る馬が出てきたら、お嬢ちゃんの言うような仕組みも必要になるかもしれねえな。だが、今の馬の速度で牽くんなら、車輪4つがそれぞれに動くような仕組みは必要ねえだろう。それよか、車軸をキッチリ水平にしてやった方が安定する。どう考えても4輪別々ってのは、ねえな」

「そ、そういうもんかー……」

 澪はすっかり忘れていたが、車のサスペンションというものは、車の速度が出るからこそ必要になるものだ。澪はまるで詳しくないが、きっとF1などの車だとまた普通の車とは違う仕組みになっているのだろうし、ならばガソリンとエンジンで走る車と、馬が牽く馬車とで必要な仕組みが異なるのも当然のことだ。

「よっぽど速く走る車なら、確かに車輪が別々で動く必要も出てくるだろうけどな。その時はこの、ぐるぐる巻きのバネみてえなのも必要になってくるのかもしれねえ。……だが、馬をずっと全力疾走させるわけにもいかねえしよ。そんな速度で馬車を動かせることなんざ、ありえねえってわけだ」

「そっかー……」

 新しいものをなんでも取り入れればよくなる、というわけではない。物事にはバランスというものがある。澪は異世界人として、そのあたりを深々と学んだのであった。


「……お嬢ちゃん、この仕組みをどうやって思いついた?こんなもんが必要になるくらい速い生き物が、どっかに居るのか?」

「えっ」

 そしてカルボもまた、澪のことが少々、気になったらしい。ちら、と澪を見つつ、そんなことを聞いてくる。

 澪はナビスに『どーしよ』と視線を送る。ナビスも『どうしましょう』と視線を返してくるが、ここで澪が異世界から来たことを話すのも、躊躇われる。

 ……そうして澪とナビスがおろおろしていると。

「……ま、詳しくは聞かねえよ」

 カルボは偏屈そうな口元に笑みを浮かべて、やれやれ、とため息を吐いた。

「天使様にも色々ある、ってこったな」

 ので、澪もナビスも、きょとん、とすることになる。

「……てんし?」

「あ?違ったか?」

「え、うん、違うけど……?」

 天使、とは。流石に、澪も天使だなんだと言われるとは、思っていなかった。

 ちら、と横を見ると、ナビスが『ミオ様は天使様……!』と目を輝かせているが、澪は『いや、違うからね?違うからね?』と訂正する。ナビスは目を輝かせたまま、こくこく、と嬉しそうに頷くばかりである。

「えーと、うん、まあ、色々あってね……うん、深く詮索しないでくれれば、助かる……あ、で、カルボさん。馬車のことなんだけど」

 カルボは首を傾げているし、ナビスはにこにこ笑顔なので、澪は再び馬車へと話を戻す。

 結局、馬車に積むサスペンションの案は白紙に戻ってしまっている。カルボの話を聞く限りではどうも、巻きバネ自体も珍しいもののようであったし、やはり、この世界の技術水準と澪のアイデアが噛み合っていないように思えるのだ。ならば、カルボの言う『人を乗せる用の馬車』を購入した方が良いのだろうが……。

「それなら、ちょいといいのを考えたぜ」

 にやり、と笑って、カルボは言った。

「金貨10枚だ。払えるか?それで、最高の乗合馬車を作ってやるよ」


 ……代金を示された、ということは、交渉成立、ということである。澪とナビスは顔を見合わせ、それぞれに満面の笑みを浮かべた。

「うん!払える!頑張って稼ぐよ!」

「ええ!またドラゴン狩りをしてなんとかしましょう、ミオ様!」

 金貨10枚、というのならば、ドラゴンを1体2体倒せば手に入る金額だ。澪とナビスは『よし!』と気合の入った笑みを浮かべてやる気を高める。

「ちょ、ちょっと待て。お嬢ちゃん達、ドラゴン狩りだあ!?お、おいおい、そんなすぐに払えとは言わねえよ。1年くらい掛けて払ってくれりゃあ……」

 一方、カルボは澪とナビスを見て慌て始めた。若い娘2人が『ドラゴン狩り』などと言い出すものだから、度肝を抜かれたらしい。……世間における『ドラゴン狩り』の印象はこういうかんじであるらしい、と澪は同時に学んだ。

「いーや!それじゃ間に合わないから!1か月!1か月でキッチリ払ってみせるよ!私達、本気だから!」

「ええ!カルボ様には1台目ができ次第、また次の馬車をお願いすることになりそうですもの!そうしてポルタナ街道を発展させていかなくては!お代のお支払いが次の注文より遅れるようなことがあってはいけませんから!」

 だが澪もナビスも、やる気である。

 良い馬車が出来上がる算段が付いたのだ。ならば、それに向かって全力で進んでいきたい。それが、ポルタナ街道の発展、ならびにポルタナの発展と、ナビスの信者集めに直結していくのだから。

「はー……なんだよ、とんでもねえ客が来ちまったもんだなあ」

 カルボはそんな澪とナビスを見て、呆れ半分、面白さ半分くらいの表情を厳つい顔に浮かべて肩を揺らすのだった。




「いやあ、まさか本当にいけそうだとは……」

「カルボ様は何か思いつかれたようですが……一体、どんなものになるのでしょうか」

 澪とナビスはお馴染みのギルドの食堂で食事を摂りながら、うきうきと話す。

 これでポルタナ街道の整備にまた一歩、近づいた。素晴らしい馬車が出来上がったら、それを定期的にポルタナメルカッタ間で運行させて、乗合馬車を運営していけばいい。御者などの雇用も発生するので、また人を雇ってポルタナの人口を増やすことができる。

「後はタイヤかー。どうしようねえ」

 ……そして、サスペンションの方の目途がついたところでもう一度立ち返るのは、タイヤのことである。

「……もっかい、やってみる?」

 ブラウニーがどんな生き物なのかまるで分からないが、帰り道でもブラウニーの森を通る。もう一度挑戦してみる価値はあるだろう。




 そうして、澪とナビスは帰路に就いた。

 てくてくと元来た道を帰り、そして、野営した森にまで戻ってくる。前回同様、魔除けの紐を木の枝に掛け、祈りを捧げてぽやぽやと光らせ、そして焚火を熾してスープを煮て……そして。

「えーと、こんなかんじで……」

「そ、そうですね。ええと……」

 いそいそ、と、町で買ってきたただの車輪を8つほどと、持ってきていたドラゴンの腸を置いておく。前回同様、設計図も置いて……そしてその横に、干しブドウ入りのパンとお茶のカップをお供えする。

「で、ではおやすみなさい」

「うん。おやすみ……」

 そうして少々ドキドキしながら、澪とナビスは眠りに就くことにした。

 明日の朝、タイヤができているといいなあ、と思いつつ。




 ……そして翌朝。

「……できてる」

「できてますねえ……」

 前回のように、ドラゴンタイヤができていたのである。これには、澪もナビスも、嬉しさ半分、何とも言えない気持ち半分なのだが……。

「えーと……ブラウニーさーん!ちょっといいー!?」

 澪は意を決して、森の中へと話しかける。

「次もまた、こういうのお願いするかもしれないんだけどさー!その時、何かほしいもの、あるー!?」

 誰も居ない森に向かって話しかけるのは、壁に向かって話しかけるのと似ている。だが、きっと伝わっているだろう、と信じて澪はそう、話しかけ……。

 ……そのまましばらく待ったが、何も反応は無い。

「うーん、話しかけられるの嫌がるタイプだったかなあ……」

「ああ、そういった方もいらっしゃいますもんね」

「姿を見られたら働けない、っていうの、あるあるだよねえ……」

 静まり返った森を見ながら、『これ、やっちゃったかなあ』と澪は心配になってくる。これで返事が無くても一向に構わないが、これで次回以降、お願いした仕事をやってもらえなくなると少々困る。できればこれで嫌にならずに、今後も協力してほしいのだが……。


「わっ」

 突然、澪の頭上に何かが落ちてくる。

「あ、あらっ?何でしょう、この紙は……」

 澪が思わず身を竦めると、ひらり、と宙で舞ったそれをナビスが捕まえて、広げて見せてくれた。

 何だろう、と澪も覗き込むと……そこには、濃い茶色のインクで、色々な絵が描いてあった。

 巻いた紙のようなもの。どんぐりのようなもの。きらきら光る鉱石のようなもの。……それら全ての詳細が分かる訳ではないが、これらの絵が何を示しているのかは、なんとなく分かった。

「……欲しいものリストだ!」

 そう。

 どうやらブラウニー達は、澪の言葉に応じてくれたらしい!

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