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ポルタナ街道*6

「タイヤだあ……」

「成程、これがタイヤというものですね!」

 澪とナビスはしげしげと、タイヤを見つめる。

 澪とナビスが使っている馬車の車輪を外して作ったらしいそれは、木と鉄でできた車輪をベースに、ドラゴンの腸でゴムタイヤさながらのつくりをしている。

 つまり、澪が目指していたものだ。それが出来上がって、目の前にある。

「……いや、おかしくない!?」

 ということで澪は混乱のあまり叫ぶことになったのであった。




「おかしいよね!?なんでできてんの!?この世界ではこういうの、普通!?」

「い、いえ……私も何が何だか」

 澪は『私だけ状況がつかめてないってこと!?』と焦っていたのだが、どうやらナビスも状況が分かっていなかったらしい。分からなすぎて一周回って冷静っぽくなっていただけだったらしいナビスも、『一体何が……?ええと、何が起き……?』と首を傾げている。……ナビスも徐々に混乱し始めているようであった。

「わ、私達、寝てる間に何かしてたってこと、ないよね?」

「ええ……無い、と思いますが……何せ私達は工具の類を何も持っていません。作ろうにも、道具が無ければこんな加工、できないはずです」

「そりゃそうだ……」

 澪とナビスが寝ている間に何かしてしまった、という線は限りなく薄い。技術が無いだけならまだしも、道具だって無いのだ。その上でこんな加工ができたなんて、ありえない。

「えーと、後は考えられるとしたら神の力?」

「しかし、私が持っている信仰心には特に変化がありませんが……」

 そして、『不可能を可能にするならこれ!』とでも言うべき神の力についても、恐らく異なる、らしい。どうやらナビスには、自分に溜まっている信仰心がどのくらいか、分かるらしいのだ。……そのナビスが『昨夜と今朝とで信仰心の量にほぼ変わりはない』というのであれば、神の力が働いたとも思いにくい。

「寝ている間に私がめっちゃナビスを信仰しちゃって、ナビスが寝てる間に何か……ううー、全然わかんないなあ、これ!」

 分からない。考えても分からない。あまりに突然すぎるし、推理の材料がまるで無い。澪はもう一度ごろりと草に寝転んで、『あああああ』とゴロゴロする。

「と、とりあえずタイヤができたならよしということには……なりませんか?」

「え、ええー……再現性が無いって、怖くない……?もしこのタイヤが壊れても、修理できないってことになっちゃうけど……」

「あああ……それは、困りますねえ」

 ナビスも思案しながら澪の横にころん、と寝転んで、ころ、ころ、とやり始める。……可愛い。ナビスが可愛いので澪はそっと起き上がった。

「とりあえず朝ごはん食べよっか。ええと……」

 可愛いナビスに食事を食べさせたい。そんな気持ちで澪は枕元をもう一度確認して……。

「……あれっ、パンが無い」

「あ、あらっ……?」

 タイヤはある。何故か、ある。そして、パンは、何故か無い。

「……もしかして」

 そしてナビスは、『消えたパン』に何か、ピンと来たようであった。




「ブラウニー?」

「はい。手芸や工作、家事やお料理などが得意な妖精です」

 パンが無くなってしまったので干し肉を水で煮戻したスープだけ食べつつ、澪はナビスから『ブラウニー』の話を聞く。

「やりかけの家事や作りかけの品があると、それを完成させてくれることがあるのです。その代価として、ミルクやパンを持って行きます」

「えっ何それ、かわいい……」

 澪の頭の中には、何だかの童話で読んだ『小人の靴屋』の話が浮かんでいる。あれは確か、作りかけの靴を作っておいてくれる話だったか。

「古い家や城に居つくことが多いのですが、こうした清浄な森の中などにも住んでいることがあるようです。なので恐らく……ここは、ブラウニーの住処なのかと」

「な、成程ー……そっか、じゃあ今もどこかで、私達の話を聞いてるのかも、ってこと?」

「まあ、そうかもしれません。ただ、ブラウニーは中々姿を見せてくれないので、本当にそうかは確かめようがありませんが」

 そういうところも正に童話の世界だ。澪は一周回って感心するような気分になってきた。

「……ということは、また車輪とドラゴンの腸とパンを置いておくと、一仕事してくれたり……?」

「ええと……それは、ブラウニーの気分次第、でしょうが……」

 ナビスの返答を聞いて、澪は唸る。気分次第、だと流石に少々、困る。

 タイヤは消耗品だ。安定して供給してもらえないと、安定した街道の運営ができなくなってしまう。それに、馬車はできれば、2台か3台、用意したいのだ。できることなら、5台ほど。それを考えると、まだまだブラウニー達にドラゴンタイヤを作ってもらえるとありがたいのだが……。




 解決策も思いつかないので、澪とナビスはそのまま森を出発した。……ドラゴンタイヤに付け替えた馬車は、ガタガタという音も大分弱まり、何とも静かなものである。馬車を引く馬も『本当にこれで合ってます?』と言わんばかりの顔であった。馬の負担も減っているのかもしれない。

「まあ、とりあえずは鍛冶師を探して、サスペンションを付けてもらおう。タイヤはちょっと保留ってことで……」

「タイヤは元の車輪のままでサスペンションだけ付けた馬車はどのくらい揺れるものなのか、確かめてみた方がいいかもしれませんね。それによっては、タイヤなしでの運用も視野に入れるべきかと」

「だよねえ……。ブラウニーちゃん達が気前よく働き続けてくれるとは、限らないし……うう」

 それでもタイヤ、諦めきれないんだよなあ、と思いつつ、澪はひとまず気持ちと頭を切り替える。次はサスペンション。次はサスペンションなのだ。




 メルカッタに到着した澪とナビスは、ポルタナの鉱夫や街道の作業者達に聞いてきた鍛冶師を尋ねるべく、町の中を進んでいく。

「確か、このあたりだったと思うのですが……」

「酒場の裏、って言ってたもんねえ。えーと……あっ、アレじゃない?」

 表通りから少し外れた場所、酒場や宿が並ぶあたりを進んでいた澪とナビスは、聞いていた通りの看板を見つける。

 すっかり色褪せて古びた看板には、『カルボの鍛冶屋』とあった。

「すみませーん」

 ドアを開ければドアベルが、がらん、と重めの音を立てる。悪くない音だなあ、と思いつつ、澪は店の中に踏み入り……。

「うわあ……すごい」

 その店内の様子に、思わず息を呑んだ。

 店の床は、煤けてくすんだ木材を張ってある。壁はあちこち補修の痕跡のある漆喰壁。そしてその壁をびっしりと埋め尽くすかのように、様々なものが飾られていた。

 それは、剣であったり、手斧であったり。それに、盾や鎧まで、そこには並んでいた。

 それぞれが、概ね鋼の色をしていた。打って作られたらしいそれらは、油を塗ったかのような美しい光沢を兼ね備え、あるいは燻されて深みのある黒色をしている。

 ……澪は金属の美しさを知っている。金管楽器の美しさは、ここにある品物の美しさと似ているところがあった。

 金属特有の光沢も、そこにじわりと滲む深みのある色合いも。硬いものでできているからこその曲線の美しさも。……どことなく、楽器店を思わせるのだ。

 斧の刃の曲線にラッパのベル部分の曲線を見出して勝手に感心していた澪は、ふと、がたり、と店の奥から聞こえた音に振り返る。

「……なんだぁ?客かと思ったら……こんなとこに女の子が2人で何の用だ」

 するとそこには……澪が思っていたより大分低い位置からこちらを見てくる目があった。

「えーと……」

 訝し気にこちらを見てくる目。少々気難しそうな顔。そしてぼさぼさの髪と、わさわさの髭。小学生くらいの、身長。

 ……澪の頭の中では、『ドワーフ』という単語がちらついている。




「あなたがカルボ様でいらっしゃいますか?」

 最初に動いたのはナビスであった。ナビスは丁寧に腰を折って店主に近づくと、カルボ、というらしい店主は、ふん、とナビスを見上げた。

「そうだが、そっちはなんだ。冷やかしなら帰りな」

「私はポルタナの聖女、ナビス・エクレシアと申します。こちらは勇者のミオ・ホナミ様です」

「勇者?このお嬢ちゃんが?」

 カルボはじろり、と澪を見上げてくる。澪は内心で『やっぱこの人、ちっちゃい……』と思いつつ、その眼光の鋭さには少々気まずい思いをする。こう、『一見さんお断り』なお店の雰囲気なのだ。

「……で?このお嬢ちゃんの武器を買いに来た、って訳か?確かに熱心に見ていやがったが、俺は……」

「いや、そうじゃないそうじゃない」

 が、ここで気後れしているわけにはいかない。ついでに用件を勘違いされそうなので、澪は慌てて訂正する。

「見てたのはなんか、綺麗だったから見てたってだけで……えーとね、私、まだここにあるもの使いこなせる自信無いし、武器はいいんだ、武器は」

 ……実は少しだけ、考えはした。ここの壁に飾られている武器は全て、業物と言われる類のものだろうことは澪の目にもなんとなく分かった。だから、こういう武器を使った方がいいのかなあ、と、考えはしたのだ。ナビス曰く、勇者とは剣や槍を使うものらしいので、そういう意味でも。

 だが、どうも、ここにあるものは全て、『武器!』といった雰囲気なのだ。つい最近まで現代日本で生きていた澪には、少々、荷が重いような、そんな気がする。まあ、言ってしまえば『気後れ』なのかもしれないが。

「……なら、防具か?」

 カルボは片眉だけ上げて、訝し気な顔をする。『調子が狂った』というような顔でもあるが、はてさて。

「いやー……ここにあるの重そうだし、私には合わないでしょ。だからまあ、防具もいいかなー……怪我したらナビスに治してもらう前提で……」

「……できれば、私としてはミオ様に防具を身につけていただきたいのですが……」

 防具もちょっとなあ、と思う澪だが、隣のナビスには少々じっとりした目を向けられてしまっている。……どうやら、以前、ゴーストに突っ込んでいったことは忘れていないらしい。

「でね、今回は武器でも防具でもなくて……えーと、馬車、なんだけど」

 訝し気に首を傾げているカルボにそう聞いてみると、カルボはまた、首を傾げてしまった。

「……馬車?」

「うん。馬車。ええと、正確には、馬車の、部品……?」

 サスペンションは馬車だろうか、馬車の部品だろうか。澪は今一つ、そのあたりもよく分かっていないのだが……。

「馬車、だあ?……そんなもん、他の奴に頼みな!」

 カルボには、どちらにせよお断りの案件であったらしい。


「見て分かるだろ!俺は武器と防具が専門なんだよ!他所あたんな!」

 話は終わりだ、とばかり、カルボは店の奥へ戻っていこうとする。……なので。

「そう言われても私達、カルボさんしか評判の鍛冶屋さん知らないんだよー!お願い!お願い!引き受けてくれないっていうんならせめて、他にカルボさん並みに評判いい鍛冶屋さん、教えてー!」

 澪は、カルボを、むぎゅっ、と捕まえた。

 ……とりあえず、腕にしがみついた。身長が高い相手なら脚にでもしがみついてやるつもりだったが、ひとまず腕にしがみつく。逃がさないぞ!という固い意志を持って。

 途端、カルボは唖然として動きを止める。まさか急に捕まえられるとは思っていなかったのだろうが、まあ、相手がフリーズしているなら今の内である。

「世界初の馬車になるからさあ、『生半可な職人さんには頼めないんです』って戦士のお兄さん達に聞いたらさあ、『じゃあ気難しいし口は悪いし人相は悪いけどカルボさんがいいんじゃない?』って教えてくれたからさあ!」

「あの、ミオ様。それはそのままお伝えしてはならない部分では……」

 おろおろ、とするナビスと、相変わらずフリーズしているカルボとをそれぞれ気にせず、澪はカルボをがくがくがくがく、と揺さぶりつつ続ける。

「これが設計図で!いや、設計図じゃないんだけど!多分、この通りに設計すると馬車、動かないんだけど!えーと、馬車にバネ入れれば揺れを軽減できるはずで、そういうのを作れないかなー、っていう、そういうお願いなんだけど、駄目かなあ!?ねえ、駄目かなあ!?引き受けてくれないかなあー!?」

 澪は『このままつくったらダメなやつ』の設計図をカルボの眼前に出しつつ、喋り続ける。とにかく、喋り続ける。

 多分、押したら勝ちだ。押し切ったら勝ちなのだ。澪はそう、踏んでいる。

 ……というのも。

「戦士のお兄さん達から聞いてるんだからね!剣と盾のついでに鍋も直してもらったとか!馬の蹄鉄直してもらったとか!」

 鉱夫達から聞いたのは、そういう話だったのだ。

 ……曰く、『カルボさんは気難しいし人相悪いし口は悪いし愛想は無いし、まあ、女の子にはまるで縁が無いかんじの職人だけど、悪い人じゃないぜ』『頼みまくれば大抵何でもやってくれるよな。まあ、馬鹿にしてくる奴のことは徹底的に嫌うけど、頼られるのは嫌いじゃないぜ、あいつ』と。

 つまり。

 つまりこれは……。

 単に、顔が怖いだけの人なのである!

 押せば、落ちるはずなのである!


 顔が怖い人も、ぐいぐい行けば、案外落ちる。澪はそれをよく知っている。

 澪の学校の古典の先生はラグビー部の顧問の強面なのだが、悪い人ではない。初回の授業で『着席が遅い!』と一喝してくれたアレは中々に怖かったが、あれは舐められないようにするための威嚇射撃のようなものだったと、今の澪にはそう分かっている。

 ……そんな強面の先生に、澪はぐいぐい行った。ぐいぐいと。それはもう、ぐいぐいと。『通学の電車の中で読むのにおすすめの本何か教えてください!』に始まり、『先生は紫式部派ですか!?清少納言派ですか!?』に続き、『坂上田村麻呂ってゴロよくないですか?』『ところで学校の裏の竹林にタヌキ居ますよね』『先生、定期演奏会来てくれます?差し入れしてくれてもいいんですよ?』と、それはもう、ぐいぐい行った。

 その結果、気に入られた。多分。

 少なくとも、澪相手に威嚇射撃はしてこなくなったし、澪が『古典分がんない』とやっていると『しょうがねえなあ』と親切に教えてくれるようになった。

 こうして澪は、『顔が怖い人って顔が怖いなりの生き方をするしかないからああなってるけど、中身まで怖いとは限らないよね』と学んだのである。案外、ぐいぐい行けば落ちてくれるものなのである。相手を敬う気持ちさえ持っていれば、多少行動がぐいぐいであっても、案外気にされないものなのである。

 そして、学んだ成果を活かさない澪ではないのである。


「私からもお願いします、カルボ様!どうか、ポルタナのため、最新の馬車を作り上げてはいただけませんか!?」

「お願い!お願い!お願い!やって!馬車にサスペンション入れてー!代金に糸目は付けないからー!」

 ナビスも合わさって、2人で『お願い!お願い!』とやり続けていると、やがて、カルボはようやく硬直を解いて……ふん、と澪とナビスを振り払った。

「う、うるせえ!耳元で騒ぐんじゃねえ!くそ、そいつを見せてみろ!」

 そして、澪の手から『そのまま作ったらダメなやつ』の設計図を奪い取って、見分し始めた。

 はじめこそ、自棄になって設計図を見ている様子だったが、やがて、その目は真剣なものになっていく。そして『これ駄目だろ』『こっちはここに繋ぐべきだ』『ならそもそもここに付ける必要はねえ』というような、ぶつぶつとした呟きが聞こえてきて……。


「……あんたは身の程弁えてるみてえだしな」

 やがて、カルボはそう言って、諦めたような顔で澪を見上げ、鼻からため息をふんすと吐き出した。

「へ?」

「ここの武器の良さが分かった上で、自分がそれに見合わねえ、っつうことが分かってるところは、気に入った」

 言い訳のようにそう言って、カルボはまたため息を吐く。

「請けてやる」

 ……そして、そう、言ってくれたのであった。


「ありがとう!ありがとう!カルボさん大好き!これからもよろしく!」

「どうぞよろしくお願いします!あっ、これ、ポルタナの塩です。もしよかったらお召し上がりください」

 澪が飛び跳ね、ナビスが満面の笑みで塩の小袋を差し出す。カルボはそれをぽかんと見ながら、『なんだこいつらは』というような顔をしていたが、澪とナビスは『とりあえずサスペンションなんとかなった!』と喜んでいたのでまるで気にしないのであった。

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