敵に塩を贈る*5
澪が準備しておいたのは、長机が1つ。そして大量のグッズを箱に詰めたものと、お釣りの硬貨をたっぷり。
それから、売り子のナビス。
……誰だって、愛すべき聖女様からグッズを手渡しされた方が嬉しいに決まっているのである。会計と品出しは澪がやるが、商品を手渡すのはナビスの仕事とした。
さて、『物販』という彼らにとって聞きなれないであろう言葉を叫んだ後、分からないなりに並んだ信者達のため、早速、澪とナビスは働き始める。
記念すべき物販最初のお客さんは、細工師のテスタ老であった。このおじいちゃん、足が速いと見えて並ぶのがとてつもなく早かったのである。
「いらっしゃい!何買ってく?」
「じゃ、手ぬぐいを1つ。それから塩守りを一つ頼みましょうかの。塩をこのような細工物にするとは、中々面白い」
「えへへ、ありがと。じゃ、手ぬぐいと塩守りで銀貨1枚と銅貨5枚ね!」
テスタ老がほくほくしながら買い物を終えて列を離れると、訳も分からず並んでいたらしい2人目以降は『ああ、こういうものか!』と理解したらしい。そこからは非常にスムーズに物販が進んだ。
品物が少なくなってきたら列の後方に呼びかけ、完売が出てしまったものについては謝罪しつつ急遽『次回以降、優先的に品物を購入できる券』を発券し、なんとか初めての物販は滞りなく進んだのであった。
さて、これを眺めて唖然としていたのが、聖女マルガリートの一団である。彼女らは『これはなんだ!?』というような顔で物販を見ていたため、並ぶのが遅れた。そのため、彼らが列の最前へ来る前に全商品が完売となってしまっていた。まあ、物販の何たるかを学べたなら、是非次回以降にまた頑張って貰いたい。
「まさか、完売してしまうとは……」
「ま、そこがグッズの力だよね。このグッズ目当てにメルカッタから来てくれた人とかも居たんだろうしさ」
物販で使った箱などを片付けつつ、澪とナビスはそっと言葉を交わす。
……予定では、完売するはずではなかったのだ。流石に何かは余るだろうね、なんて話をしていた。塩守りに至っては、大量生産がまだ難しいことや希少性を高めたいことなどから、それなりに強気の価格設定をして余らせる予定だった。
否、塩守りに限らず、在庫になって困るようなグッズは1つも無いので、余らせるように生産していたのだが……。
「どうしましょう、ミオ様。今回のグッズの売り上げで、銀貨換算で136枚分だなんて……!」
「えーと、銀貨136枚だから……金貨13.6枚?あれ?ところでレッサードラゴンの皮を売った時っていくらだったっけ?」
「レッサードラゴンの皮1頭分とその爪、コボルドの牙細工などを全て合わせて、金貨40枚分でした」
ふむ、と頷きつつ、澪は考える。
……澪は今、この世界の金銭感覚を勉強中なのだ。
ひとまず、今回設定した『聖水1本銅貨2枚』と『手ぬぐい、塩の袋は銅貨3枚』は、大体食事1食分から2食分の価格設定となっている。……より安く食事を摂ろうと思えば、銅貨1枚でも食事ができるのがこの世界の物価なのだ。
なので、『塩守り銀貨1枚と銅貨2枚』は、大体一週間分の昼食代、ぐらいの感覚らしい。そのあたりはナビスやシベッドと相談して決めた。
……のだが、今一つ、まだ『金銭感覚』としてそのあたりの感覚が身についているかは怪しい。この世界でグッズ販売をしていながら金銭感覚があまり無いのは致命的であるので、澪はもう少し、この世界の金銭について知っておかなければならない。
さて。
澪の記憶が正しければ、メルカッタのギルドの依頼では、『ゴブリン討伐金貨2枚』が相場である。……要は、危険が伴う仕事で、概ね丸1日はかかる仕事。当然1人で戦っている戦士はほぼ居ないので、3人から5人程度の戦士が従事する仕事で……それで金貨2枚。
日給換算で金貨2枚を4人で分けたら、日給は金貨0.5枚。つまり銀貨5枚だ。そして戦士達は連日働けるわけではないので、概ね月に10件程度は仕事をしているらしいのだが……そう考えると月収は、金貨5枚程度。
より難しい仕事を請けられる戦士達はもう少し月収が上がり、大体月収金貨7枚か8枚程度になるだろう。だが、丁度良い依頼が無ければ、月収金貨5枚すらもままならないということになる。だから鉱山での副業が人気になるわけである。
「……つまり今回の売り上げは、戦士のおにーさん達の月収、2.72か月分……!」
「これは驚異的なことですよ、ミオ様!」
「いや、逆に、じゃあ、レッサードラゴンとテスタおじーちゃんの牙細工とで金貨40枚だったのって、あれ、戦士のおにーさん達の月収8か月分……!?あっ、もしかして、ドラゴンの牙、私のナイフにせずに売ってたら、もっとだった!?」
「ええ。……ドラゴン殺しの戦士はそれだけで英雄扱いされますが、そういうことです」
ドラゴンの素材の中で一番価値が高いのは、恐らく、牙。それを足したら本当に、戦士の年収くらいの額になりかねない。
「……そんなドラゴンが、鉱山の地下2階には、うようよと?」
「そういうことです」
「全部狩って売ったら、莫大なお金が……?」
「そうなのです!」
成程。鉱山の地下2階からは金が採掘されるらしいが、そんなものが霞むくらいの衝撃である。
「……マジヤバくね?」
「まじやば……?え、ええ、その、すごいのです。とにかくすごいのですよ、ミオ様!」
いっそのこと、鉱山でドラゴンを養殖したい。澪はそんなことも考えるのだった。
まあ、ドラゴンはさておき、グッズの売り上げも凄まじい。
戦士の月収3か月分に迫る額の売り上げを叩き出したのだから、相当なものだろう。
……逆に考えると、客の大半が戦士達であるのに、彼らがそう多くない持ち金の中からそれだけの売り上げ分を供出してくれたのだから、有難いことである。戦士達の中には『塩守り』を働く上での設備投資、というくらいの気持ちで購入している者もいるようなので、需要と供給がマッチした、とは言えるのだろうが……。
「よーし……グッズ買ってもらった分は、しっかり聖餐と礼拝式で恩返ししなきゃね!」
「ええ。皆の信仰を力に変えて、皆の無事を祈りましょう!」
折角なら、薄利多売でいきたい。信仰心を集めたら、それを皆の為に使って、還元率の高いライブにしたい。そして、皆が楽しめて、皆が幸せになれるといい。
「じゃ……始めますか!」
「ええ!始めましょう!」
澪とナビスは頷き合うと、再び表へ出ていくのだった。
礼拝式は、教会の庭でそのまま行うことにする。というのも、最早、この小さな教会には人が収まりきらないのだ。ならば仕方ない、大きな教会を建設している暇も無いので、ガーデンパーティーのごとく庭で礼拝式を行うことになる。
澪はそんな庭に設けられた壇上に上がり、トランペットを構えた。
……礼拝式の始まりの合図は、澪のトランペットである。
澪の魔除けのラッパは聞いたことのある戦士が多かったが、ちゃんとしたトランペットの演奏はまた一味二味違う。唐突に始まったトランペットの演奏は、会場を静まらせ、皆の意識を音の出所……澪へと集中させた。
澪のトランペットは高らかにファンファーレを奏でる。こういう時、一本だけでも十分に華があるのがトランペットの魅力の1つだろう。
澪は存分に会場の視線を集めながら、その中に聖女マルガリートの姿を探す。
彼女はどうやら物販の様子に困惑している間に並び損ねたと見えて、グッズの類は手にしていなかった。やはり、最初に塩をプレゼントしておいたのは正解だったようである。
そして聖女マルガリートは、澪を見上げてぽかんとしていた。……もしかすると、このように勇者が表に出て楽器を演奏する礼拝式、というのは珍しいのかもしれない。
澪は『他の聖女さんの礼拝式も見てみないとなあ』と思いつつ、最後に高らかなハイトーンを奏でて、演奏を終了した。
澪のトランペット演奏が終わり、澪が一礼すると会場が一気に拍手に包み込まれる。
『ミオちゃーん!』『今日もいい演奏だー!』『目が覚める!』と沢山の声が上がるのを聞いて、澪は嬉しくなる。思えば、澪もこの世界に来てから大分、この世界の人達に愛される人になってしまった。まあ、これも勇者としての仕事の1つなので、澪の活動は上手くいっている、ということだろう。
……そして何より。
「ではこれより礼拝式を開催します!盛り上がっていこーねー!」
澪が呼びかければ、ポルタナの住民や礼拝式数度目の鉱夫達を中心に、わっと歓声が上がる。ポルタナの礼拝式に初めて参加する戦士達は『ポルタナの礼拝式ってこんなかんじなのか!?』と驚いているようだったが、それも好意的な驚きだ。すぐに皆が盛り上がり、拳を天に突き上げて喜びを示してくれる。
「じゃ、いよいよ皆さんお待ちかね……聖女ナビスのお出ましだーっ!」
そこへナビスがやってくれば、いよいよ会場の盛り上がりは夜空を焦がさんばかりとなる。出だしから好調。澪は思わず、にや、と笑う。
きっと、聖女マルガリートもさぞかし驚いていることだろう。こんなに盛り上がり、こんなに皆が楽しそうな礼拝式など、きっとこの世界のどこにだって他には存在しないだろうから。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
ナビスが、ぺこ、とお辞儀したのに合わせて、観客は大いに拍手し、歓声を上げる。
……一応、澪も壇上の端っこで拍手をしたり拳を天に突き上げて喜びを示したり、信者達に『分からなかったらこうすればいいよ』というお手本を見せているのだが、そんなものが無くとも問題ない程度に、信者達は場の空気に支配されて動いていた。
「本日はメルカッタから多くの方が来てくださいました。まずはそれに、感謝を。どうもありがとうございます!」
そしてナビスが笑顔で礼を言えば、また拍手が湧き起こる。拍手の対象となった戦士達は、嬉しそうに拍手を受け、そして彼ら自身もまた、拍手でそれに応えていた。
雰囲気は上々。『これならいける』と澪は確信して、ナビスの次の言葉を待つ。
ナビスはちらりと澪を見る。澪はナビスを見つめ返して、満面の笑みで頷き返した。ナビスはそれに勇気を得たように頷いて、堂々と、信者達へ言うのだ。
「では、本日最初の歌ですが……聖歌ではない歌を、歌いたいと思います」
流石にこれは、ざわめきを起こした。礼拝式で聖歌ではない歌を歌う、など、恐らく前例が無いだろう。
「聖歌ではない歌、というと、皆様も戸惑われるかもしれません。……しかし、ここで立ち返って、聖歌の意味をもう一度、考えてみてください」
ざわめく信者達へ、ナビスは堂々と、それでいて優しく柔らかく語り掛ける。
「歌とは、音楽とは……皆の心を動かすためにあります」
ナビスの言葉は、澪の言葉でもある。2人は今日の演目を決めるにあたって、何度も何度も相談した。
そして話し合って話し合って、お互いの価値観やこの世界の風習、澪の世界のやり方などをすり合わせていって、そうして今日があるのだ。
「聖歌とは本来、皆の祈りを一つに束ねるためのもの。歌うことで心が動き、皆の心が寄り添う。……そのためのものなのです」
ナビスの言葉は会場にしみわたっていく。『成程』と皆が頷くようになる。だって元々、ナビスの言葉は好意的に受け止められている。この場の皆は、ナビスのことが大好きなのだから。
「それでは、お世話になっているメルカッタのギルドで教えていただいた歌を歌います。どうぞ、皆様もご一緒に」
ナビスが微笑んでそう言えは、会場は戸惑いつつも、ナビスの言葉を受け入れて盛り上がるのだった。
メルカッタの戦士達の歌は、会場を大いに盛り上げた。
『礼拝式で皆で歌う』ということ自体が彼らにとっては新鮮なことだったのだろうし、何より、選曲があまりにも新鮮だ。
戦士達が娯楽で歌うための歌を、礼拝式で、聖女が歌う。……これは聖女が如何に信者達の心に寄り添おうとしているか、という姿勢でもある。だから、寄り添われた戦士達は、これがとても嬉しい。
そもそも、知っている曲が演奏されるというだけで人間のテンションは上がるものである。澪はそれをよく知っていた。
澪自身も壇上の端っこで歌い、歌いながら拳を天に突き上げて『お手本』となり、会場を見渡す。
戦士の歌を知らないポルタナの人達も居たようだが、逆に、戦士の歌を知っているポルタナの住民も居るようだった。割とポピュラーな歌なのだろう。悪くない選曲だった。
……そうして戦士の歌が終われば、皆が拍手で会場を盛り上げてくれる。
その拍手を受けて、2曲目は聖歌の1つだ。こちらも皆で歌う部分があるものを選び、会場の盛り上がりを維持する。
続く3曲目は、ナビスが得意とする聖歌。……こちらはナビスが歌うのを皆で静かに聞くことになる。だが、ナビスの歌声の美しさは、その純粋な美しさによって会場へ染み渡っていくのだ。
今までの盛り上がりによって昂った心が、ナビスの歌声によってまた別種の昂りを与えられる。それはきっと、『感動』というような種のものだ。
信者達の中には、涙を流す者も居た。ナビスのこれまでの苦労を思って涙する者や、ナビスの美しさに感涙を流す者……理由はそれぞれだが、皆が心を大いに揺れ動かして、それでいて、皆が心を1つにしていく。
ライブだ。
つまりこれはやはり、ライブなのである。
そうして最後の曲がやってくる。……4曲、というと少ないように感じるが、本来、礼拝式では2曲程度しか歌わないことが多いらしいので、これでも相当に、多い。
だが、それに疑問を抱く信者は居なかった。ナビスが『次が最後の曲です』と言った途端、『もう終わってしまうのか』というような、寂しさの混ざった表情を浮かべるばかり。
「……最後に歌う歌は、ポルタナの舟歌です」
そしてナビスは、そう語る。
「今までもこれからも、私を支えてくれる……愛するポルタナの歌を、歌いたいと思います。メルカッタの皆様はご存じない歌かもしれませんので、是非、この機会に覚えてくださいませ」
戦士達の歌を歌ってポルタナの歌を歌わないのは片手落ちだ。ナビスを愛してくれるのは、メルカッタの戦士達だけでない。ずっとずっと支えてきてくれたポルタナの人達だって、ナビスを愛し、大切にしてくれているのだから。
「そして……皆様がポルタナを好きになって下さったら、嬉しいです」
何より、ポルタナを興すことこそが、ナビスの目標の1つ。
その目標に向けて信者達を動かすべく、ナビスは微笑んでそう言って……歌い始める。
緩やかな、それでいて力強い、海の歌。
波を思わせるリズム。揺れ動く舟のような旋律。青く澄み渡った空の下、深い青の海原を進んでいくような、そんな歌だ。
……ポルタナの人々は、ナビスの歌に合わせて共に歌った。それを聞いて、メルカッタの人々も次第に歌を覚えていく。
この歌は、同じ旋律、同じ歌詞を数度繰り返す歌だ。だからこそ、途中から覚えて参加することができる。この選曲は間違いではなかった、と澪は確信した。
最終的に、5度目の繰り返しの時には、会場のほぼ全員が共に歌うようになっていた。
ポルタナの海を思わせる歌が、ポルタナの夜空へ溶けていく。皆の心を1つに束ねて、静かに、歌が終わる。
……その余韻を皆が味わい、それから。
割れるような拍手が夜空へ響き渡った。皆がナビスを称え、楽し気であって、心から満足していた。
ライブ(礼拝式)は成功である。
澪もこの結果に、心から笑う。……そしてそんな澪のことを伺い見てきたナビスもまた、笑う。
「ナビスー!最高のライブだったよ!」
ナビスが壇上から降りる前に、澪はナビスに思い切り抱き着いた。ナビスも感情の昂りのまま、澪に抱き着いて、そのままぴょこぴょこ跳ねる。
「はい!最高のらいぶ……らいぶ?でした!皆が心を1つに歌っていて……ああ、こんなにも、信仰が!」
そして、最高の笑顔でぴょこぴょこ跳ねるナビスは、金色の光を纏っている。
信仰は、確実に集まっている。澪とナビスは改めて顔を見合わせて笑い合い……さて、皆のお楽しみ、聖餐会の始まりを告げるのだった。
……この礼拝式の様子を、聖女マルガリートは唖然として見ていた。彼女のことは澪もずっと注目していたのだが、彼女は礼拝式中も、礼拝式が終わって皆が聖餐を食べ始めた今もずっと、ぽかん、としているばかりである。
カルチャーショックだったんだろうなあー、と澪は思いつつ、くすくす笑う。少々高飛車でつんけんした聖女様がああいう風にぽかんとしてしまうのだから、可愛らしいものである。
「さーて、レギナの聖女様はあれを真似する胆力があるかなあ」
聖女マルガリートにとってあまりにも衝撃的であったらしい今日の礼拝式を、彼女はどのように考えるだろう。
もし彼女が今日の『ライブ』を真似するようになったなら……その時は、この世界全体がアイドル文化に呑まれて行くことになるだろう。
そして、澪はそれを楽しみにしている。