敵に塩を贈る*4
ポルタナの塩は、見事に評判を呼んだ。その美味しさもさることながら、魔除けの力があると評判になったのだ。
……なんと、ポルタナの塩を料理に使って食べた後少しの間、魔除けの力が働くらしい。流石にそこまで確認しなかった澪とナビスはびっくりである。
だが、これが更なる評判を呼び、澪とナビスがメルカッタに居る間、ひっきりなしに『ポルタナの塩はどこに行けば手に入るんだ?』と聞かれる有様であった。
この機を逃す澪ではない。当然のようにポルタナでの礼拝式を宣伝した。
……ポルタナはメルカッタから1日歩く距離だ。野営を挟まなければいけない以上、戦士達には多少酷な旅路となる。何せ、聖水を使える者や神の力を使える者でもなければ、魔除けなど施せないからである。戦士達の野営には常に、それ相応の危険が伴うのだ。
だが、それも聖水が配布されるようになって大幅に改善した。そう。奇しくも、他の聖女達が聖水を配布するようになり、聖水がメルカッタの人々にしっかり普及したおかげで、彼らがポルタナに来るための準備が整ったのである。
「よーし!礼拝式が楽しみになってきたーっ!」
「うう、どの程度の人が参加してくださるものでしょうか……」
そうして礼拝式の為にポルタナへ戻った2人だったが、ナビスは不安そうであった。
「大丈夫!ポルタナの塩はもう既に話題になってる!数量限定の『塩守り』も、欲しがる人は多いって話だし……それを売ってる場所なら、皆、1日旅してでも来てくれるって!」
ナビスを励ましつつも、澪も不安であった。
……成功してほしいが。成功してほしいが……本当に成功するだろうか。
一応、ポルタナでは宿泊施設の整備が進んでいる。元々あった建物を手直しただけだが、ひとまずこれで、メルカッタからの旅人の泊まる場所がないということにはならないだろう。だが他に準備が不足している物は無いだろうか。そしてそもそも、どれくらいの人が来てくれるだろうか。澪も只々、心配である。
そうして、礼拝式当日の昼。
澪とナビスが聖餐の準備をしていた時のことだった。
「ミオちゃーん!ナビス様ー!何か手伝えることは無いかーい?」
「あたし達にも手伝えることがあったらやるよ!何でも言っておくれ!」
ポルタナのおばちゃん達が数名、やってきた。彼女らは漁師の妻であったり、パン屋であったりするのだが、皆それぞれに魚やパンの籠を抱えてきてくれた。
「あら、皆さん、ありがとうございます。でも手は足りそうですから……」
ナビスは彼女らの厚意に嬉しそうな笑みを浮かべつつ、申し出を断ろうと言葉を発しかける。
だが。
「いやいやいや、ナビス様、そんなこと言ってる場合じゃあないよ!もしかしてまだ、外の様子、見てないのかい!?」
「へ?」
おばちゃん達の言葉にナビスはきょとんとする。澪もきょとんとし……即座に、窓の外を見た。
すると。
「……予定より大分来たねえ」
「ええ……まさか、こんなにも多くの方が来てくださるなんて」
教会の丘の麓、ポルタナの村には、多くの人が居た。海辺を観光している人も、村の商店を見ている人も居るが……そのほとんどは、澪とナビスにも見覚えのある姿だ。
「メルカッタの皆さん……!来てくださったのですね!」
「これもナビスの根気強い活動のおかげ!ギルドの人達はやっぱりナビスを裏切らない!」
2人は手を取り合い、喜ぶ。ここ数日ずっと不安な気持ちで居た分、喜びはより一層大きいのだ!
……だが、喜んでばかりも居られない。
「な?どうだい、あたしたちの手が必要だろ?」
にーっ、と笑うおばちゃん達が、『ほれほれ』と、自分達の手の籠の食材を示してきて、澪もナビスも気づいた。
「ああ……そうだわ!あんなに大勢いらしたのでは、聖餐が足りません!」
そう。どう考えても、用意していた分では食事が足りないのである!
メルカッタの戦士達は、ただでさえよく食べるのだ。長い距離を歩いて到着して、さぞかし腹を空かせていることだろう。ならば間違いなく、聖餐が足りない。芋やパンなど、腹が膨れやすいものを多く用意しているとはいえ、それでも間違いなく、足りないのである。
「だろう?そう思っておせっかい焼きのおばちゃん達が助けに来たってわけさ!」
だが、おばちゃん達が居る。
これほどまでにおばちゃん達が頼もしく見えることがあるだろうか。澪もナビスも、おばちゃん達を崇めんばかりである。間違いなく、救世主だ。このおばちゃん達は危機を知らせ、危機から救ってくれる救世主なのである!
『きゃー!どうしましょう!』と嬉しい悲鳴を上げて、ナビスはおばちゃん達と共に台所へと向かっていった。
澪もその後を追い……途中でふと思い立って、もう一度窓の外を見る。
ポルタナの村人以外はほとんどがメルカッタのギルドの人達だ。そうでない人は、ギルドの外で澪とナビスが塩を配ったり、買い物のついでに会話する機会があったりした人ばかり。
……だが、数人、どうにも見覚えの無い人が混ざっているように見えた。
澪は目を凝らして、その数人分の人影を見つめ、頭の中に生じた推測を数度反芻して……にや、と笑う。
「へー、いいじゃんいいじゃん。盛り上がってきたじゃん」
澪が見下ろす先、フードを被った1人の女性と、その周りを囲むようにしている4人ほどの、やはりフードを被った人達。彼女らは間違いなく、『招かれざる客』である。
「ライバルが来てくれるなんて、いかにもそれっぽくない?」
だが澪はこの状況すらも楽しむ。招かれざる客も大歓迎だ。
何せ、澪とナビスには強い味方が沢山いる!
そうして澪とナビスとおばちゃんズにより聖餐の準備がなんとか整った。だが、今度は庭に出すテーブルの数が間違いなく足りない。
そこで、澪は村中を駆け回って、村の男達にテーブルを借りる算段を付け、彼ら自身に運んでもらった。そうしている間に鉱山での仕事を終えた鉱夫達もぞろぞろとやってきた。
庭が次第に賑やかになっていく中、ナビスとおばちゃんズが料理を運んでやってくる。ナビスお得意の魚のスープに、澪の十八番となったシーザーサラダっぽいもの。カリッと揚げた芋。魚のほぐし身と新鮮な野菜をパンにはさんだもの。根菜の煮物。魚のから揚げ。果物のコンポート……。
様々な料理が並んでいくと、庭からは歓声が上がる。テーブルの数も料理も十分。そして集まってくれた信者の数も、十分だ。
……そして更に信者が集まってくる。元々鉱夫達が全員戦士であるのに、新たにやってくる信者達も半分以上が戦士である。屈強な男達がぞろぞろとやってくるので、村人達は『おお!にぎやかになった!』『おお!むさくるしい!』とそれぞれ歓声だのなんだのを上げる。
そう。こうして会場は、戦士ばかりで埋め尽くされることになった。それも、ナビスと澪を心から慕ってくれる、強固な信頼関係のある戦士達ばかりに。
……これにおろおろと困った様子を見せたのが、例のフードの一団であった。
フードの集団は周りの筋肉の威圧感と一体感に戸惑い、身を寄せ合うようにして会場の隅の方で縮こまっている。そして、『まさかこれほどまでに信者を獲得しているとは』といったような囁きを交わしているのだが……。
「やっほー。楽しんでる?」
澪はそこへ声を掛けに行った。途端、フードの一団はぎょっとして身を竦め、澪に対して警戒心をむき出しにする。
「あはは、そんなに怖がらないでいいよ。そっちがただの偵察だっていうんなら、こっちだって何もしないから。来て、見て、祈ってくれるだけなら咎める理由も無いしね」
澪は、特にフードの一団の中心の女性を見ながら、尋ねる。
「で、そちらはどこの聖女様?」
澪の問いに、聖女らしい人はたじろいだ。周囲のお付きらしい人達も、たじろぐ。だが澪は聖女だけを、じっ、と真っ直ぐ見つめ続ける。敵意は込めず、警戒も見せず、かといって好意的でもなく……ただ、見るだけ。
そうして澪が彼女を見つめていると、やがて、澪の視線から逃れるように、彼女は言った。
「……私はレギナの聖女マルガリート・スカラ。本日はポルタナの礼拝式を視察しに参りましたの」
レギナ、というと、大都市だと聞いたことがあった気がする。つまり彼女はおそらく、強豪聖女。
豊かな長い金髪はよく手入れされて美しく、肌は真珠のようにきめ細かく美しい。指先の爪の1つ1つまで丁寧に整えられていて、いかにもお嬢様、といった風情だ。おそらく、本来なら聖女とはこういう人達なのだろう。畑をやったり鉱山に入ったりするナビスの方が例外なのだ。
マルガリート・スカラと名乗ったレギナの聖女は、じっと澪を睨むように見つめてくる。花びらのような唇には笑みが湛えられているが、その青い瞳はどうにも好戦的で高飛車に見える。
「へー、そっか。ええとね、私はミオ・ホナミ。よろしくね」
まあ、ひとまず相手の素性が分かって丁度良かった。強い相手なら、最初から敵対の姿勢を取るような真似は避けるべきだろう。澪はにこやかに、マルガリートに手を差し出す。
「……あなた、何を考えてらっしゃるの?」
だが、そんな澪にマルガリートは眉根を寄せた。
「あなた、ポルタナの聖女のお付きの者なのでしょう?なのに、レギナの聖女である私に手を差し出すなんて……」
「え?駄目なの?」
無礼にあたるもの?と澪が首を傾げていると、マルガリートはこれ見がよしにため息を吐いた。
「随分と物事を弁えてらっしゃらないのね。こんな場所で生まれ育つとこうなってしまうものなのね。全く……何を考えてらっしゃるのかしら」
マルガリートの言葉に、ぎろ、と周囲の戦士達が目を向けてくる。つまり、これは流石にバカにされた、と捉えてよいらしい。
……ということで、澪は、にっ、と笑って反撃を開始する。
「何を考えてるか、って言われると……うーん、とりあえずのところはねー、あなたのこと、可愛いなーって思ってるよ」
「……はあ?」
マルガリートは、表情を引き攣らせた。ついでに、お付きの人達も、困惑した。それを囲んで見ている戦士達は、目を瞬かせている。
「ね?可愛いじゃん。髪、金色で長くて綺麗で。風に靡くと本当に綺麗。あと純粋に顔が可愛いよね。爪もお洒落してるの可愛いし、服も似合ってるし。あっ、あとね、ちょっと口が悪いのも、まあ、なんか可愛い」
他にも、『あれが可愛い、これが可愛い』と澪が言い連ねていくと、マルガリートは唖然としたまま赤くなって、ぷるぷると震え始める。その様子は先ほどのつんけんした様子から一転しているものだから、澪としてはなんとも微笑ましいばかりである。
「な、な……」
「まあ、そういうかんじで、あんまりにもあなたが可愛いもんだからさー、ちょっと握手したくなっちゃったんだよね。これからもよろしくね」
澪はそう締めくくるが、マルガリートは聞いているのかいないのかよく分からない。
「あっ、そうだ。ちょっと待っててね!」
そんなマルガリートの元から一度離れて、澪はポルタナの塩の袋詰めを1つ持って、戻ってくる。
「はい。これあげる」
「これは……?」
マルガリートよりも、マルガリートのお付きの者が塩に興味を示す。彼らは澪とナビスがメルカッタの町で塩を売っていることも知っているのだろう。
「塩!ポルタナの綺麗な海から作った塩なんだ。ポルタナ村興しの為に、聖女公式グッズとして採用したの」
「ぐ、ぐっず……?」
「うん。すごく美味しいから、お料理に使ってみて。もう結構な評判になってるんだよ。あ、お守りの方の塩とは違うから、そっちが欲しかったらそれは購入よろしく!」
マルガリートもお付きの者達も、澪のペースに飲み込まれ、どんぶらこ、どんぶらこ、と流されていく。最早誰も、敵対心を強く保っていられないらしかった。
「何故、これを我々に……?」
お付きの者がおろおろしながら、澪の手の塩の小袋を見て首を傾げている。澪としてはそろそろ塩を受け取ってほしいのだが、誰も手を出してくれない。
「そりゃ、ポルタナの勇者から、レギナの聖女様への贈り物。お近づきの印に、っていうのと、まあ、今後ともよろしく、ってことで。ね、よろしくね、マルちゃん!」
受け取ってもらえないなら、仕方ない。受け取らせるまでである。
澪は塩の小袋をマルガリートに握らせて、その手を、きゅ、と握る。マルガリートは唖然としたまま袋を握らされ、握手されている訳なのだが、その唇から漏れるのは不平不満ではなく、『ゆ、勇者……?あなたが……?え、あの、マルちゃんって……?』という途切れ途切れの疑問である。
だが、澪はその疑問に答えることなく、彼女らからさっさと離れる。
……そして、彼女らに、見せつけてやるのだ。
「じゃ、皆ー!物販始めるよー!購入希望者は並んでねー!」
異世界のやり方、というものを。