最初の礼拝式*2
海辺の洞窟を出てからももう少々、岩場が続いた。だが、それを超えると、白砂の海岸が現れる。
「わあ、綺麗……!」
海の水は、美しく透き通ったシーグリーン。ざざん、ざざん、と寄せる波が白いレース細工のように広がっては消えていく。
太陽の光は強く眩く、海を煌めかせている。空は抜けるような青さだ。舞う海鳥の影が、時折砂浜を横切っていく。……どこまでもどこまでも続く美しい光景に、澪は思わず息を呑んだ。
「故郷の景色を綺麗だと言っていただけるのは、嬉しいものですね」
ナビスは嬉しそうに微笑んで、さく、さく、と白砂の上を歩いていく。海風に白銀の髪と白い衣の裾を靡かせる姿が、なんとも絵になる。『景色も綺麗だけど、やっぱりこの子が綺麗なんだよなあ』と思いつつ、澪は再び、海に目を向けた。
「……あっ、今、向こうの方で何か跳ねた。魚かな」
すると、海の遠くの方で、ぽしゃん、と水飛沫が上がる様子が見えた。跳ねた水が白く輝いて、これもまた美しい光景である。
だが。
「うーん……いえ、魔物、かもしれませんね」
「まもの……?」
海の方を見て眉根を寄せるナビスと、その口から出てきた『魔物』なる言葉に、澪は何やら暗雲めいたものを感じた。
「最近では、このポルタナ近辺にも魔物が出るようになってしまいました」
歩きながら、ナビスは話す。その表情は、少々険しい。
「魔物は、人を襲います。そして、強い魔物となると、神の力をお借りしなければ、到底太刀打ちできません」
ふ、と海とは反対方向を向いたナビスに合わせて澪もそちらを向くと、そこには山が聳えている。澪は『ここ、観光地とかに向いてそうだなあ』と思った。温泉でもあれば最高だ。
「……このポルタナは、海と山に挟まれた土地です。豊かな恵みに満ちた地でしたが、近年、魔物がより強くなって以来、遠洋に出ることは叶わなくなりました。まだ、近海の魔物なら、村の戦える者がなんとかできるのですが……。そして、幾多の恵みをもたらしてくれた鉱山にも魔物が巣食い、今やすっかり、『ダンジョン』になってしまったのです」
「わ、わあ……」
だがどうやら、この辺りは風光明媚なだけではないらしい。海は美しく、山も雄大であるが……どちらも『魔物』とやらの巣窟である、と。
大変である。澪にはよく分からないが、一応、『魔物』なるものがファンタジーにおけるモンスター、という程度の知識は、澪にもある。そしてナビスの様子を見る限り、やはり非常に深刻な事態なのだろう。
「……ですので、私は今宵、礼拝式を執り行うことで信仰心を集め、神の力に換えて……『ダンジョン』へ赴く予定だったのです」
「え、1人で?」
「はい。ポルタナには私しか聖女は居りませんし、騎士団を結成する資金もありません。そして、勇者の任を担ってくれるような方も、おりませんから……」
事情が分からないなりにも、ナビスが1人で少々の危険を冒そうとしていることは、分かる。そして、そうせざるを得ない程、この地域が困窮しているのだろう、ということも。
「鉱山の地上部分にまで、魔物が出るようになりました。このままでは、村が襲われるのも時間の問題です。海の方はまだしも、鉱山の地上部分はせめて、なんとかしなければ」
中々に切羽詰まっているらしい現状を聞いて、澪は『ああ、だからナビスはあんなに必死だったのか』と納得した。澪を見ていきなり感涙に咽ぶ程度に切羽詰まっていた。そういうことならあれも納得がいく。……単にナビスが信心深いだけなのかもしれないが。
「明日の夜は満月です。神の力が増幅される日であるとか。……ですから、ダンジョンへ行くには最高の日となります。それに、その……ミオ様が、礼拝式を手伝ってくださるのですよね?」
「あ、うん。手伝えることは、何だって手伝うけどさ……」
「ならきっと、いつもより多くの信仰心が集まることでしょう。それを使えば、私の細腕でも魔物相手に立ち向かうことはできるようになりますから」
ナビスはそう言って笑うが、ナビスの手に握られている銀色の剣は、ナビスの手には不釣り合いなものに見える。まだ、澪が振った方がマシなのではないだろうか。
「それに、魔物を倒せば、村の皆が安心できます。安心はより大きな信仰を生みますし、倒した魔物の素材を売ってお金にすれば、多少豊かな暮らしもできましょう」
「あー……じゃあ、本当に失敗するわけにはいかないね」
「ええ。……村の皆も、分かってくれています。ですから今宵の礼拝式は、必ずや、多くの信仰心が集まると、私は信じています」
何はともあれ、ナビスとポルタナの村がなんとかやっていくためには、ダンジョンの魔物を退治しなければならない、ということらしい。逆に、魔物退治に成功すれば、ひとまずの安全とお金、そして村人の信仰心が手に入る、と。
「そっか。準備、手伝うよ。何をすればいいかな」
「まずは聖餐の準備を。お魚を分けて頂けることになっておりますので。それから、教会の中の灯りと香の準備、でしょうか……」
何はともあれ、やらねばならない。今、目の前にあるものに取り組んでいれば、いずれ、澪が元の世界へ帰る手立ても見えてくるはずだ。
なので……まずは、『信仰心』。
澪が元の世界へ帰るためにも、ナビス達が助かるためにも……『信仰心』が必要なのだ。
しんこうしん、しんこうしん、ともにょもにょ呟きながら、澪はナビスについて歩く。
さく、と踏みしめていた白砂はいつの間にか砂利へ、そして土へと変わっていく。
そして歩みの向こう側に、小さな村が、見えてきた。
「わあー……すごい。家だ……」
「え、ええ、家、ですが……」
澪は村を見て、おお、と感嘆する。
素朴な家は、石材を積んで造った壁を漆喰で固め、木の板で屋根を葺いたものだった。屋根や窓、扉や柱は木材、それ以外は石、という造りらしい。
鉱山があるということだったし、石材は多く入手できる土地柄なのだろう。それでいて、周囲を見てみても、案外、木は多い。ということはそれなりに雨が降る土地柄なのだろうなあ、と澪は推測する。ということは、塩害が無ければ作物は割と育ちそうだなあ、とも。
こちらです、と案内されて、澪は山の方へと歩いていく。……海と山に挟まれた土地、ということで当然なのだが、高低差が激しい。上り坂ばかりの道なので、澪には少々辛い。
「あ、ちょ、まって」
ぜえぜえと浅く速く呼吸しながら、澪はナビスを呼び止める。華奢なナビスだが、こうした土地で生活しているだけのことはあるということか、ペースが速い。
「ごめんね、私、肺の手術したばっかりで」
「しゅじゅちゅ……?とは、一体?」
きょとん、としつつも止まってくれたナビスになんとか追いついてから、澪は簡単に説明する。
「あ、うん。えーと、胸を切り開いて、縫ったの」
「き、切り開いて……!?な、何のために!?」
「肺に穴が開いちゃったもんだからさ……ははは」
笑いごとではないのだが、まあ、終わったことだ。後遺症も、日常生活を送る分にはほとんど無い。今、息切れしていることについても、肺に穴が開いた影響というよりは、手術後に大分運動を控えていたせいで運動不足になっているから、と言った方が正しい。ついでに、終業式から帰宅途中であった澪の大荷物も、息切れの要因の1つだろう。
「そ、そんな……なんと、なんとお労しい……!」
「あ、いや、えーと、私が居た世界では、割と普通のことっていうか……うん、そんな大事でも、ないんだけどね」
ナビスからしてみると、『胸を切り開いて縫う』という行為に全く馴染みが無いのだろう。どうやらこの世界に『手術』は無さそうである。縫合くらいはありそうだが、精々そのくらいなのだろう。
「この世界では怪我とか病気の時、どうするの?」
「聖女が祈りを捧げ、神の力で回復させております。癒しの術は得手不得手がございますが、私は幸いにして適性がありましたので、なんとか」
成程、これは、外科手術が発達しない訳である。このあたりも『神の力』で何とかなってしまうのなら、胸を切って開く、などという事は初めから試みる必要すらない。
「ですので……そ、その、ミオ様。もし今後、またそのお体に穴が開くようなことがございましたら、すぐさま、私にお申し付けくださいませ!」
「あ、うん。ありがと……そっかー、この世界、やばいなー」
カルチャーショックを受けつつ、澪とナビスはまた歩き出す。
……向かう先には、白亜の石材で作られた、小さな教会があった。
「ここがポルタナの教会です」
「わあー、綺麗だねえ」
教会は、こじんまりとして、なんとなく可愛らしかった。石材を丁寧に積み上げて作られていて、先程見てきた民家の類とは異なる造りなのだと分かる。恐らく、この村にとって、この教会が大切で重要なものだから、なのだろう。
「ミオ様、ここまでお疲れ様でした。どうぞ、休憩なさってください」
「ありがと。うん、じゃあ、お言葉に甘えて、ちょっとだけ……」
教会の中には、素朴なベンチがいくつも並んでいる。その内の1つに腰を下ろして、はあ、と息を吐く。
……ベンチが向いている先には、小さな祭壇がある。神の像があったり十字架があったりするわけではないので、澪がぼんやりと想像する『教会』のそれとは少し異なるのだが、雰囲気は概ね、イメージに近しい。
祭壇の上には、真鍮でできているらしい燭台が2つ。燭台は蝋燭を立てるものではなく、液状の油を使うタイプのものらしい。海沿いだから鯨油とか使うのかな、と澪はなんとなく想像する。
また、祭壇の横には、香炉らしき小さな籠のようなものが、スタンドにぶら下がって揺れている。教会の建物の中自体に、微かな甘い香りがあるような気がするが、お香の匂いなのかもしれない。
高い天井には、小さく天窓が取ってある。ガラスが嵌めこまれているわけでもないので、ただ、本当に穴があるだけだ。雨が降ったり風が強かったりするときには木の窓を閉めておくものと見える。
教会の中を見回した澪は、『異国情緒……』などと思いつつ、ベンチから立ち上がる。そろそろ休憩は終了。ナビスを手伝わなければ。
「ミオ様、まだお休みになっておられた方が」
「いや、大丈夫だよ。ありがと」
ナビスは、やってきた澪を見て少々心配そうな顔をした。……先ほどの『胸を切り開いて縫った』が効いているのかもしれない。『そんなに大したことじゃないんだよー』と伝えたい澪だったが、何を言ってもナビスには心配されそうな気がする。
「それで、私は何、手伝えばいいかな」
となれば、言葉を尽くすより行動で示す方が良いだろう。澪は早速、ナビスが両手に持っていた籠をさっと1つ奪い取ると、ナビスが進んでいた方へ一緒に歩いていく。
「あっ、あの、それ、お芋ですから、重いでしょう?」
「いや、これくらいは軽い軽い。大丈夫。……うわー、美味しそうなお芋だあ」
覗き込むと、籠の中には大きな芋がごろごろと入っている。ジャガイモに似た芋だ。味も多分、ジャガイモに似ているのだろう、と澪は期待する。
籠の中には、芋の他にも細長い人参のようなものが入っていたり、根本がぷっくりと膨らんだネギのようなものが入っていたりする。知っているような、知らないような、微妙な食材である。
「そっちは?」
「分けて頂いたお魚です。ほら」
そして、ナビスが持っている方の籠には、魚が入っていた。……鯛より濃く鮮やかな赤色の鱗を持つ魚である。形は鯛に似ている。だがヒレはミノカサゴ並みにトゲトゲである。そしてやっぱり、赤い。大分、赤い。
「おおー……何の魚か分からない……」
「これは火魚ですね。炎魚に似ていますが、より淡泊なお味です」
「マジで分からない……そういう属性付きの魚みたいなの、ライギョしか知らない……」
澪はまたしても『異国情緒……』などと思いつつ、火魚なる魚の味に思いを馳せるのだった。
それから2人は、教会の裏の台所で、魚や芋の処理を始めた。
「おおー、魚捌くの、すごく上手……」
「ポルタナで育つと、皆こうなるんですよ」
澪は芋の芽を取りつつ、ナビスの包丁捌きに見惚れていた。
すっ、と包丁が魚の身に差し込まれたかと思えば、すいすいと内臓が取り出され、中骨が外されて、綺麗な魚の身が2枚、できているのである。
漁業と採掘業で成り立つ村の子であれば、確かに魚を捌かねば生きていけないのだろう。一方の澪は、魚を捌いた経験はほとんど無い。『私は当分、芋担当だなあ』と思いつつ、こちらはそれなりに慣れた手つきで、芋の芽を取って切り分けていく。
やがて、ナビスは炙った魚の中骨で出汁を取り始めた。魚の骨と、骨の間に残った身から、魚の旨味がスープに染み出していく。……どうやら今日の献立は、魚のスープと茹でた芋、ということになるようである。非常に素朴な食事だが、聖餐、というくらいなのでこういうものなのかもしれない、と澪は考える。
スープの中には、人参もどきやネギもどきが入れられて、やがて、魚の身も投入される。芋は塩水で茹で上げて、ほこほこと湯気を立てているものをそのまま大皿に盛って冷ましておく。『冷めるとねっとりとした食感になって、美味しいんです』とはナビス談である。食べるのが楽しみだなあ、と澪は思わず表情を綻ばせた。
さて。こうして聖餐の準備……言ってしまえば、礼拝に来た村人に振る舞う食事の準備が終わり、澪とナビスは祭壇の準備を始めた。
祭壇のランプに油を注ぎ、火を付ける。油にはハーブのようなものが漬け込んであり、火を付けると微かにハーブの香りが立ち上った。
続いて、乾燥させたハーブや香木の粉を練って作ったらしいお香を香炉に入れて、火を付ける。こちらは微かに甘く、それでいてくどくない香りが煙と共に広がっていく。『これルームフレグランスにいいなあ』と澪は思った。
「さて……これで一通り、準備はできました!ありがとうございます、ミオ様」
「私はあんまり手伝えなかったけどね。まあ、これで慣れたから、次回からはもうちょっと助けになると思うよ」
礼拝式とやらの準備を終えた2人は、祭壇の前でにこにこと笑い合い……そして、ふと、ナビスが眉根を寄せた。
「ところで、ミオ様を、どのように、皆に紹介すればよいでしょうか……」
……ナビスの言葉を聞いて、澪も眉根を寄せる。
確かに、それは大変なことかもしれない。
「……神、って紹介されちゃうと、私、ちょっと困るかもしれない」
「ええ。私もそのように思います。その……村の中だけならともかく、村の外にまで『神が顕現された』と知られては、何かと危険かと」
澪は神ではないが、それでも、『唐突に異世界から来てしまった人間』ではある。この世界では明らかに異質なものなのだろうし、この世界の人間すべてが、ナビスのように好意的に接してくれるとは限らない。
「場合によっては、ミオ様を巡って争いがおこるやもしれません」
「マジでぇ!?争われるの!?」
「はい。その、ミオ様のような方は非常に珍しいので……」
大変である。これは大変である。澪は『私の為に争わないで!って本気で言わなきゃならない羽目になるかもしれないなんて』と、愕然としている。宗教戦争ということなのだろうが、なんとも恐ろしい話だ。
「そ、それに、ミオ様は……その、大変に、麗しくてらっしゃいますから……」
「えええ……そ、そう?ナビスの方がよっぽど綺麗で可愛いじゃん……」
ナビスの正気を疑う発言であるが、ナビスは澪を見上げて、きらきら、と熱っぽい目をしている。……多分、神を見る信者の目である。そして、そんなナビスは相変わらずの美少女ぶりなのだ。そんなナビスに『麗しくてらっしゃいますから』などと言われても、困る。
「じゃあ、私のことは、ただの迷子、っていうことにしてもらう、とか」
どうでしょう、とナビスの様子を窺ってみるも、ナビスは少々難しい顔で考えており……そして。
「……そう、ですね。祭壇にいらしたことや、私の祈りの最中にいらしたことは内密にしておきましょう。近隣からの遭難者、ということにして……神の力の気配がすることについては、常に私の傍に居て頂ければ、誤魔化しが効くでしょう。いずれ、村の皆にはある程度話さなければならなくなるかもしれませんが……ええと、では、ひとまず、そのような形に」
とりあえず、澪は『ただの迷子』ということになった。海の近くの村だからこそ、『流されてきました』という言い訳が一応立つのがありがたい。……尤も、この世界の地理が全く分かっていない澪には、それがどの程度信憑性のある嘘なのかは分からなかったが。
「では、お召し物を……ひとまず、私の着替えしかございませんが、お貸しします。お荷物もこちらに」
「うん。ありがとう」
澪はナビスの後について、教会の奥の方へと進んでいく。教会の奥にはナビスの私室と客室があり、客室が澪の当面の部屋、ということになる。
澪はそこにスクールバッグとトランペットのケースを下ろし、ふぃー、と息を吐き……。
「……あ、あの、ミオ様……」
妙に思いつめたような表情のナビスが戸口にやってきたのを見て、首を傾げたのだが……。
「あっ、あっ、ミオ様は背が高くていらっしゃいますから私の聖衣では、丈が……丈が足りないのですね!?」
「わー」
……どうやら、ナビスの着替えは、澪にはサイズが合わなかったらしい。
ナビスの身長は、大体160cmに満たない程度だろう。そして澪は、身長169㎝である。女子にしてはそれなりに高い身長なので、まあ、ナビスの着替えを着ると、少々、丈が短いのである。『つんつるてん』なる言葉がピッタリな具合に。
「いや、でも、当面はこれで大丈夫だよ。貸してもらう立場で文句なんて無いって」
「しかし、しかし……あまりに申し訳が……」
「お世話になるのは私の方だから、私の方が申し訳ないんだけどなあ……」
わたわたと慌てるナビスを見ていると、『可愛いなあ』と思うと同時に、『申し訳ないなあ』とも思う。澪は神ではないのに、こんなに親切にしてもらっていいのだろうか、と。
「……『助けを求められたら助けるものだ』と仰ったのは、ミオ様ではありませんか」
だが、そんな澪の内心を見透かしたように、ナビスは笑う。
「私だって、聖女の端くれです。人を助けるのが我が使命。どうか、お気になさらないでください」
「……そっか」
澪が人を助けようと思う一方で甘えることに抵抗があるように。ナビスもきっと、同じようなことを考えている、のだろう。
人間は誰しも、程度の差こそあれ、同じようなものなのかもしれない。
「なら、お言葉に甘えて。これ、借りるね」
「ええ。……礼拝式が終わったら、もう少し丈の合うお召し物を探します。倉庫を探せば、古い衣類が多少、あるはずですので……」
2人は顔を見合わせて笑う。
笑いながら、澪は、『案外、上手くやっていけそうだなあ』と感じていた。同じようなことを考えている者同士、人間同士なのだから。きっと。
「そろそろ村の皆が集まってくる頃だと思うのですが……まだ、来ませんね」
ナビスは教会の窓から顔を出して、きょろ、と周囲を見て、首を傾げる。この教会は小高い場所に建っているので、窓から見れば、道を誰かが来ているかどうか、すぐに分かるのである。
「ミオ様。まだ少し時間がありそうですので……その、練習をする時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん。何の練習?」
「聖歌の。……ミオ様にお聞かせするのは、少々恥ずかしいのですが……」
もじもじ、と恥じらう聖女の、なんと可愛らしいことか。澪は満面の笑みで、『いいよ!』と頷く。するとナビスはこくりと頷き、すう、と息を吸って、吐いて……それから、歌い出した。
伴奏も何も無い。ただ、ナビスの歌声があるだけである。
だが、まるで海のようだ。
力強く、奥深く、波打つような激しさと凪の静けさとを併せ持つ。物足りなさを補って余りあるほどに、美しい。
澪は声楽の専門家ではない。だが、ナビスの歌が素晴らしいことだけは、分かる。
……結局、ナビスの歌がすっかり終わってからも数秒、澪は何も反応できなかった。ナビスが不安げに『いかがでしたか?』と聞いてきて、ようやく、澪は拍手し始める。
「え、やば、すご……えっ、ナビス、すごい……可愛い上に歌が上手い……やばい、これはやばい……」
己の語彙の少なさを自覚しつつも、澪は精一杯の賛辞を拍手に込めてナビスへと送る。
「すごい、すごいよナビス!すごい……本当にすごい!こんなにすごい歌、初めて聞いた!」
澪の賛辞は、ひとまずナビスへ届いたらしい。もじ、と恥じ入りながらも『光栄です』と微笑むナビスを見て、澪はますます拍手に力を籠める。
「歌は、ある程度練習してきました。歌や舞が上手くなくては、信仰を集めることはできませんから」
が、ナビスの謙遜混じりの説明を聞いて、澪は『おや?』と思う。
確かに、今のナビスの歌を聞いてしまえば、信仰したくもなるだろう。ナビスを。まあ、この世界での『信仰心』は、神に対するものでなくてもよさそうなので、それでいいのだろうが……。
「あ、そういうものなんだ……」
「……ほんとうなら、私がもっと見目の華やかな聖女であれば、ポルタナにはもっと信仰が集まっていたのかもしれません。或いは、もっと舞が上手ければ、とも思うのですが、中々……」
「えええ……」
ナビスの話を聞いて、漠然と、澪は思う。
……つまり、この世界の『聖女』って、『アイドル』なのでは、と。
『信仰心』って、『人気』とかなのでは、と。
……澪の予想は概ね当たりであったのだが、それが分かるのは、もう少しばかり後の話、である。
そんな折、ふと、扉の外が騒がしくなる。
「あら、皆さんがいらっしゃったよう、ですね……?」
ナビスは首を傾げつつ、扉へ向かう。
そう。扉の外には、人の気配がする。だが……どうにも、その騒がしさが、妙なのだ。教会に礼拝に来た者達のざわめきでは、ないような。
「ナビス様!大変だ!」
ナビスが扉へ到達するより先、扉が開いて、血相を変えた村人が入ってきた。
「こいつ、1人で鉱山に入りやがったらしい!すぐに看てくれ!」
そしてその村人の後ろから、数人がかりで運び込まれてきたのは……片腕を失った、血塗れの男だった。